117話目 龍と虫と悪魔
レシアが構えた瞬間、ギラファの姿が揺らめく。
まるで瞬間移動したかのように感じるほど、レシアとギラファの五メートルという距離を詰めるスピード。そして、電撃を纏った腕が弓矢のように引き絞られて放たれる。その行動の早さはレシアの人間離れした反射神経をもってしても一瞬遅れを取るほどの早さである。
受身を取ったガードをしようならレシアの肌は電撃によって焼けるだろう未来が見える。だからこそ、完全に避けるのが最善であるのに対して、レシアはその回避すら捨てて真正面から拳を引き絞った。
無詠唱魔法によってレシアは拳全体を氷で包み込むと、ギラファの拳に対して反射のような感覚で体を下に滑らせるようにして回避。ギラファの懐目掛けてその氷漬けの拳を放つ。
だが、ギラファもレシアに負けない反応速度を持ってして、拳によるパンチを回避。レシア同様に右足を軸にして回し蹴りを繰り出す。
初撃のパンチは避けたレシアだったが、その流れるような攻撃の接続に対して、一瞬反応が遅れてしまう。回避は無理だとレシアは感じた瞬間、再び無詠唱魔法によって氷を腕全体を覆うように発動させると、その腕で真正面からギラファの回し蹴りを受け止める。
「ッ!!」
氷は破砕し、腕に伝わるギラファの堅牢な甲殻の感触に、電撃がレシアの肌をジリッと焼く感覚。その痛みにレシアは一瞬顔を顰める。
無詠唱魔法とはいえ、レシアが生成する氷の強度は並のものとは比べ物にならないほどだ。無詠唱魔法で生成された氷のナイフは、簡単にガーゴイルを切り裂くほどの切れ味と強度を持つ。だが、その強度を持ってしても、ギラファの攻撃に耐え切ることは出来なかったことに、レシアは歯噛みする。
金属で出来た武器であれば、ギラファの電撃を纏った堅牢な甲殻は、触れることすら出来ない不可侵の鎧へと変わる。だからこそ、電撃を通さない武器、つまりはレシアの愛刀である双氷龍エクスキュースがこの場で活躍するはずなのだが、置いてきてしまっている。
天災級の魔物というだけでそのスペックの高さには驚かされる。圧倒的なスピードを持ち、その並外れた筋力は、レシアを上回る。恐らく、蒼の仲間で、身体能力が一番高いのは誰かといわれれば、真っ先に上がるのはギラファで間違いはないほどである。
だからこそ、レシアは困惑していた。相手であるギラファは、見てから回避をするのに対して、レシアは反射神経をフルに使用して掠り傷を多く作りながら回避している。単純に身体能力が違うというのは、それだけ力量の差が生まれてしまう。
レシアの攻撃が一度として当たらないのに対して、ギラファの攻撃がレシアにゆっくりとゆっくりとダメージを蓄積させていく。
「レシア様。そのような攻撃で私が止められるとお思いですか?」
「……止めるから」
確かにレシアはギラファの攻撃に対して、ワンテンポ遅れた回避を繰り返すばかりで、傍から見れば劣勢だ。だが、ギラファには理解の出来ないレシアの自信がそこにはあった。
断言した口調からも、その自身が感じて取れた。
ギラファの掌底がレシアの長い白髪の髪を切断する。揺らめく白銀の髪を切り裂く電撃の拳。一度でも直撃すれば、レシアの敗北は確定するほどの威力を孕んだ攻撃。回避すれど、回避すれど、肌を一筋の線が入るように切り傷が増えていく。
それに対して、ギラファに与えられた攻撃は、最初の一撃のみ。不意打ちに近い攻撃だったこそ、当たったものの戦闘になった瞬間、掠りもしなくなっていた。
だが、それでもレシアは自信を持って答える。
「掠ってしかいないよ?」
そう。直撃をしていない。すべての攻撃はレシアを掠るばかりの攻撃。拳も蹴りも、すべてレシアの肌を擦るばかりで、一撃としてレシアを捉えていない。全神経を尖らせて、瞬きの時間さえ惜しいほどに、視界から情報を仕入れ、聴覚で視界に捉えきれなかったものを音で感じ取り、空気が焼ける匂いを嗅覚で感じとる。それだけ神経を尖らせてようやく追いつける、天災級の魔物の圧倒的スペックの持ち主の攻撃。
だが、レシアが勝ちを確信しているのには、天災級の魔物という点では同じだが、レシアとギラファという差があるからだった。
拳での攻撃も変わらない。蹴りでの攻撃も変わらない。見てきたものが一緒だからこそ、蒼の攻撃を目の当りにして学んできたからこその共有点。だが、レシアとギラファに生まれている差に対して、レシアは勝ちを見出していた。
「掠ってしかいないよね?」
レシアの煽りが示すとおり。掠ってしかいない。
その言動がギラファの心情を揺らすのだ。
掠ってしかいない。圧倒的な優位な身体能力を持つギラファが、混血だが天災級の魔物の身体能力に遅れを取っている。いや、勝っているのだが、最後の一撃が届かない。確実性のある一撃が届かないのだ。すべてが揺らめく葉を捉えようとして掠るばかりで、一撃とも捉えることが出来ない。
そんな触ってはいるのに、実態のつかめない感覚に、ギラファは焦りを感じていた。
ギラファから言えば、このような体験は初めてと形容するしかない物だった。
蒼と共に潜った迷宮の『死霊の墓場』の魔物、骸骨魔術師や骸骨狂戦士、ましてや海賊骸骨であるバルバロッサとの戦闘で感じたことのない焦り。
なぜ当たらないのかと思案しても、全く分からない。だからこそ、ギラファに焦りが募るのだ。
そんなギラファが左足を一歩引く。
「甲斐流無武、げ――――!?」
その言葉を、蒼から教えてもらった技の名前を言おうとした瞬間、ギラファの視界がひっくり返り、体が地面に横たわった瞬間に、ギラファの胸に下ろされるレシアの拳。
ドズンッ!!
まるで爆砕音が響いたかのような衝撃波がギラファを襲う。ギラファの肺の中の空気がすべて排出され、胸に収まっている臓器が一瞬軋む。体で電撃を生成するのを忘れるほどの衝撃の篭った攻撃に対して、ギラファの意識は飛びかける。
「ガハッ!!」
込み上げてくる血を吐血すると、レシアの顔面に付着する。その瞬間に、ギラファの四肢から一気に力が抜けてしまう。
ゆっくりと意識が回復して視界が開けると、そこにはこちらを鬼の形相で見下ろす龍の如きレシアの姿があった。
「……弱い」
ポツリと図れた言葉。それは龍が虫を見たときに発されたかのように聞こえてしまった。
小さく吐かれた言葉だというのに、ギラファの胸に大きな傷を刻み込むと共に、凍結したかのように体中に冷たい血が巡る感覚が全身を包む。
「私は……弱い……。えぇ、その通りです」
ギラファから言葉が漏れる。
「私は……弱いッ!! 千鶴様、蒼様にご迷惑をおかけし、家を焼かれた。私は、なにも守ることなど出来なかった。助けられた命、力、これを使っても何も変える事が、何も成すことが出来なかった。私は弱い」
「ギラファは、弱い」
念押しするようにレシアはギラファに言葉を落とす。
だが、レシアの言葉は止まらない。
「だからこそ、私達がいる」
「……」
ギラファの沈黙に対して、レシアの言葉は続く。
「弱いからこそ、私達がいる。頭が良いけど馬鹿だから、私達がいる。私達が一緒にいる。何のための仲間? どうして一緒にいるか考えたこと、ある? ギラファは、まだ考えてすらいない。知らない。分かってない。だから、私達がいる」
仲間。意識はしていても、まだ感じたことのないものだった。
「なぜ私は弱いのでしょうか?」
「経験が、足りないから」
「なぜ私は愚かなのでしょうか?」
「経験が足りないから」
その同じ返答にギラファは閉口してしまった。
「ギラファは、まだ知らないことがいっぱいある。だから、判断も、戦いも、甘い。知識はあっても、触れてないから、知ってるだけで見えてない」
レシアはギラファを睨むようにして言い放った。
「蒼のこと、なんにも、知らない」
レシアの怒りを孕んだ口調が、ギラファの胸を刺す。
「蒼がどういう決意を持っているか、考えた事ある? 蒼が今から何をしようとしているか、知ってる? ギラファは蒼を知らないから、知らない。考えたこともない」
レシアは心を鬼にして言い放つ。
「今の行動が、蒼を傷つけるの、知ってる?」
ギラファの報復という行為。ギラファはそれが蒼を傷つけるなんて事は考えてもいなかったのだ。
「ギラファは、私達の仲間。だから、一緒に戦うの。一人でいかないの。蒼とヴェルと、ソロモンの皆で戦うの。千鶴のために、戦うの。一人で戦って、死んじゃったら、誰が一番悲しむと思ってるの?」
そう、ギラファは蒼達の仲間であり、燃果の羽翼というギルドに所属する構成員である。だからこそ、ギラファを失う悲しみは、ギルド全体にあるのだ。ギラファが死ねば、蒼も悲しむし、レシアだって、ヴェルたって、バール達だって悲しむのだ。
蒼達に迷惑をかけないという行動だったのに、自分の失態を拭うための行動だったのに、どうして蒼達を傷つけているのだろうか。
その矛盾をギラファは認知した瞬間、涙が溢れて止まらなかった。
レシアが見ている前だとしても、関係なく涙が溢れてきた。
蒼からはすぐに言葉を覚えて頭がいいと言われた。レシアからは判断が下せるその明晰さを褒められた。だというのに、自身の行為がこうも矛盾していることに、悲しくなってしまったのだ。
自分が必要とされている。蒼達の仲間として認められている。だというのに、死んでしまいたいなどと思い、死地を求めている行為。それがどれだけ愚かな行動だっただろうかと、悔やむ。だからこそ、涙が溢れ出してくる。
「申し訳……ございません……」
「謝らなくても良い。その代わりに動く。おーけー?」
レシアが言葉と重ねるように言葉が掛かる。
「龍娘の言う通りじゃ。ギラファ」
「ヴェル様……」
地面に寝転がるギラファを上から見つめるヴェルレンティー。
「お主はわっちらの立派な仲間でありんす。王が認めた仲間でありんす。わっちが言えたことではありんせんが、王が欲しているのは謝罪ではありんせん。行動でありんす。千鶴様をお救いするために動くこと。それが、今大切なことでありんす」
ギラファは言葉を震わせながら、ヴェルレンティーに聞いた。
「私には……一体何ができるでしょうか?」
「そうでありんすね」
ヴェルレンティーはレシアを一瞥すると答えた。
「龍娘も察していると思いんすが、王はギルド抗争の決意をしているはずでありんす」
「それは、お聞きになったのですか?」
「それくらいのことは王の目を見れば分かりんす。のぅ龍娘?」
「うん」
その返答に、ギラファは自嘲気味に笑うしかなかった。
「だからこそ、お主は王の為に働くのでありんす。王を知らぬ者であるからこそ、これから王を知ればよい。知れば知るほど深みが増し、飽くことなき主であることはわっちが保障しんしょう」
「蒼は、昆布と一緒」
ギラファがどこか疲れたような表情をした後、どこか落ち着いた笑みを浮かべるのをレシアは見届けた。
レシアにとって蒼は恩人である。だからその力になりたいと考えている。その考えはギラファにもあることはレシアでも分かる。でも、その相反する行動はレシアからしてみれば、不可解でしかなかった。だからこそ、その間違った選択の行動を正す。仲間だからこそ正す。同じ思いを持つ者として正し、責めるのだ。
ヴェルレンティーもレシアと同じである。蒼の為に行動する。だからこそ、ギラファの行動が目に留まってしまうのだ。だからこそ、正してあげるのだ。正しい道へと導く。それが、配下である自身の務めであると理解しているから。
「だから、がんばろ?」
「王の為に」
抱く意志は同じである。考え、思うことは同じである。であれば、それは仲間といわずになんと言うのだろうか。
「えぇ、頑張りましょう」
ギラファの言葉を聞いた瞬間に、龍と悪魔は微笑むのだった。
「レシア様、よろしいでしょうか?」
「ん? なに?」
ギラファは胸の内に秘めていた疑問をレシアに投げかける。
「私が幻狼波を打とうとした瞬間、気がついたら地面に転がっていたのです。……一体何をなされたのですか?」
ギラファの疑問は簡単であった。
あの戦いの中、ギラファが幻狼波を放とうとした瞬間、視界が一回転したと形容してもおかしくないように、突然地面へと転がったのだ。その時、ギラファが見ていた限りでは、レシアが何かを仕掛けてきていたようには見えなかったし、自身が単純に転んだなんて事は考えられないのだ。
「……ギラファは蒼をよく見てる。だから、動きが全く一緒。蒼は気づいてるけど、ギラファは気づいていない弱点がある」
「弱点……ですか?」
レシアはこくりと小さく頷く。
「蒼は……慣れた構えがある。それが癖になって、技を出す前についつい構えちゃう」
「その構えとは……?」
「左足を下げるの。蒼は、頑張って直してるみたいだけど……ギラファは分かってない。だから、それが隙になる。その間に、こっそり地面を凍らせておいた」
ギラファが肌で感じていた寒気。それは確かな感覚だったのだ。
「ギラファには戦うセンスがある。でも、経験とか、駆け引きとか、まだ足りないことが一杯。だから弱い」
「知識と経験では大きな違いがありんす。戦いにおいて大切なのは、むしろ経験のほうでありんす」
「知っているのも大事。でも、ギラファは活かせてない」
「お主は利巧でありんす。であれば、思考をめぐらしんす。知識から導くのでありんす」
「ちゃんと、対策をする。これ、大事」
ギラファにはその一言一言が、自身に浸透していき、まるで自分に足りないものを補ってくれていくようだった。経験もない、あるのは軽い知識だけ。レシアのような経験から生まれる知恵でもなければ、ヴェルレンティーが持っている豊富な体験でもない。浅はかな経験と、薄い知識なのだ。
「私は、弱いのですね」
「お主は弱い。当然、わっちらも同様でありんす。敵わぬ相手がいんす。それに勝つために知識を得て、経験を積み、勝ちのための策を練り、戦っていくのでありんす」
「ギラファは、まだまだ。だから私達が、いる」
「仲間でありんす。頼ってくんなし?」
自分よりも背が低く、硬い装甲も持たず、身体能力も劣っているはずなのに、これほど頼りになると感じるのはなぜだろうか。
ギラファはその感覚を抱きながら、夜空を眺める。
驕っていたのだ。蒼に連れられて向かった『死霊の墓場』では、自身に敵う相手など一切居なかった。レシアやヴェルレンティーからは強者という雰囲気は感じられたが、それはあくまで強敵というだけ。勝てる範囲であると踏んでいたのだ。だが、現実はどうだろうか。
レシアとの戦いは、確かに終始こちらが優勢であったのに、小さなきっかけで逆転である。胸の装甲には叩き割られたようにヒビが入って、息をするのがやっとの程だ。
弱い。だが、そんな弱い存在を気遣ってくれる強い仲間が居る。
蒼の仲間ではない。自分の仲間であるのだ。それが、どれだけ自分の罪の意識を軽くしてくれているのかは、自分が一番理解できた。
「ギアファ……立てる……?」
「龍娘の喝は効いたであろう?」
「はい」
自分は一人ではないのだ。だから、自分だけが居なくなろうなんて考えは間違っている。協力して、事に当たることこそが、自分のするべきことなのだ。それが正解なのだ。
玉虫色の装甲がポロポロと小さく破片が舞いながらも、ギラファは立ち上がる。
「私、眠い……」
「まだ朝までは時間がありんす。もう一眠りしやしょう」
そう言って目の前を歩く存在の後ろをギラファはヨロヨロと歩くのだった。
胸の傷が治療をしろと訴えてくるが、その訴えがどこか違う訴えをしているようにも、ギラファは感じたのだ。




