序章 師匠と弟子
轟々と地面を歩くアンデットの群れが視界に止まる。その数は、山の天辺に位置する家屋からみて、山の麓から波が来ると錯覚するほど。アンデットの群れが歩くたび腐臭が漂い、圧倒的過ぎる量の群れにより闇属性の因子が多く撒き散らされ、木々が枯れる。
「こりゃ多いな!!」
師匠である桃太郎はどこか笑顔で答えた。
顔に掘り込まれた深いしわに、白くなった髪を背後で結んだ老年の男性。だが、その体つきは、衰えた老人とは思えないほどであり、着こんだ和装の衣が張るほど筋肉が付いた体をしている。
「夜明け前だというのに騒がしい連中ですね……」
今年で千五百歳を迎えるという、エルフ族の雉が答えた。
流れるような金髪に、人間種とは異なった尖った耳に、戦場には似つかわしくないような純白の肌。年齢とは見間違うような美しさの持ち主に似合った、巨大なエメラルドグリーンの宝石が付いた等身程もある杖を所持している。
「ふむ……こりゃ確かに多いな」
師匠同様に彫り深い顔だが、その体つきは人間種を大きく超える。その巨大な体躯に加えて、なかなか怖い見た目であり、アンデットの群れを目にして冷静な目をしているのは猿だ。
「師匠……これ多くないですか?」
姉弟子である銀の長髪を垂らした二十歳程の若い女性が答えた、
四人のパーティーの中では最年少だが、その美貌はエルフ族の雉と並ぶほどであり、家事洗濯を手伝ってくれる優しい姉弟子である。
「さて、コイツらをどう片付けようかな」
「焼き払えば?」
「自宅前が焼き野原って嫌だろ?」
「それじゃあ、チマチマ削るのか桃太郎?」
「いや、猿の場合山に穴開けるだろ」
「というか師匠……自宅前の景観と、命どっちが大事なんですか……」
「そりゃ、どっちもだ。自宅の景観があれば毎日が素晴らしい日常が送れ、命があれば素晴らしい毎日がやってくる!!」
「それって命のほうが大事ですよね……」
「と、いうことで焼き払いましょう。終わったら植林でもしましょうね」
と、師匠たちがいつものように賑やかな会話をしているが、敵は何千万といるようなアンデットの群れである。普通の人間であれば、一体の骸骨でさえ恐れるというのに、それがまるで山を多い尽くす大群でやってきているのである。
だというのに恐怖の色を一切浮かべない師匠たち。
だが、突然師匠が振り向いてこちらを見る。
「いいか蒼。今回の戦いは少しいつもと違う」
「いつもと違うってどういう……」
「はっきり言おう。俺達でも勝てるか分からないって事だ」
「なっ!?」
蒼は驚愕の表情を浮かべる。
いつの日だって、いつの戦闘だって、魔物を一太刀で屠ってきたその勇姿を見て、どんな過酷な場所だってなんてことのない顔をして笑って潜り抜けてきた師匠なのだ。それに加えて、今まで師匠が逃げ腰でいる姿勢は初めて見たのだ。
「なんでだよっ!! 師匠は最強の英雄だろっ!! あんなアンデットの群れくらい蹴散らしてくれよっ!!」
「わがままを言うんじゃねぇよ蒼。桃太郎に教わっただろ? 戦場の様子をよく見ろと。相手には龍種骸骨がうじゃうじゃ居やがる」
「それに加えて、Aランクの魔物である骸骨闇魔術師や骸骨狂戦士、骸骨上級騎士が主体となってあの量は意図的なでしょう。誰かの息が掛かっていると思われます」
「つまり……」
「誰から俺達にケンカを吹っかけてきたって事だ」
英雄桃太郎に戦いを挑んで勝利したものは居ない。事実、桃太郎は負けなしであり、人生で敗北の二文字を味わったことのない勝者である。数多の天災級の魔物を屠って来た英雄に対してケンカを挑むなど無謀としかいえない。
だが、師匠はその功績に驕ることなく、状況を判断した上で蒼を守りながら勝利するのは厳しいという判断を下したのだ。
「だから蒼。お前は逃げろ」
「……」
蒼は師匠の目を見てしまった。真剣に。ただ、まっすぐに蒼を見る視線を。そして、周りの雉も猿も犬も誰もが状況を飲み込んでいた。置かれている状況を理解していた。
その視線を見た瞬間、蒼は黙るほかなかったのだ。いつも楽しく和気藹々としていた師匠たちの意を知って。
「物分かりのいい弟子だ」
そう言って師匠は蒼の頭をワシャワシャと撫でる。
手の皮膚がまるで石かと思うほど硬い手だったが、今までで一番師匠の体温を感じた気がした。
「蒼、これを持って甲斐道場へ行け。理由はあのジジイなら話さずとも分かるだろ」
「でも、師匠……これは……」
師匠が腰から一振りの刀を渡す。
英雄の一振りと称される不朽の刀、村雨。師匠の愛刀であると共に、今までの相棒として師匠を支えてきた刀だった。死地を一緒に過ごすと考えていた蒼にとってその行動は意外なものだった。
「この刀は、この場で尽きるには惜しい刀だ。お前が継げ」
「分かった……」
蒼は返事をするとその刀を大事に抱え込む。
「それじゃあ蒼。今から道をこじ開ける。――――逃げ切れよ」
師匠は最後に別れの言葉はいう事はなかった。
だが、蒼にしてみればその別れは唐突なものだったし、理解の出来るものではなかった。だが、蒼は師匠達と触れ合えた時間をいつまでも誇りに思うだろう。
馬鹿でただやんちゃする事しかできないような師匠からは剣術を、エルフ族の雉からは語学を、猿からは戦い方を、姉弟子の犬からは生活の術を学んだ。
師匠たちと過ごした時間は蒼の十四年という短い時間の中でどれだけ濃厚な物であり、どれだけ過酷で、死の覚悟をしたかは分からない。だが、その一日一日がとても楽しかった。
師匠の言葉を忘れない。姉弟子たちの言葉を忘れない。その日々を忘れないと思いながら、蒼は胸に村雨を強く抱き寄せる。
師匠は腰から予備の刀を取り出す。村雨に引けを取らない名刀、五月雨である。
村雨が純白の刀身に対して、まるで梅雨に降る雨のようにしっとりとした落ち着きのある鉱物の色身をした刀身が特徴である。
五月雨を師匠は両手で持ち、上段に構える。
「桃太郎流、断絶ッ!!」
英雄桃太郎の最強の剣戟を誇る八振りの技の一つ『断絶』。
圧倒的速度で放たれる剣戟は、あらゆる物を切り裂く一振りとなり、時空をも切断するといわれるほどである。それほどの圧倒的な速度を持って放たれた斬撃は、地面を大きく抉りながら、アンデッドの群れを四散させていく。強固な鎧を纏った骸骨上級騎士を切り裂き、オリハルコン製の鎧を身につけた牢固たる死霊騎士を切り裂き、体長五メートルはあろうかという龍種骸骨を切り裂いた。
だが、切り裂いたのは決して敵の魔物だけではない。
抉れる大地。まるで山の表面を捲れあがらせるように地面が割れる。
圧倒的速度によって振り下ろされた斬撃は、地面を抉り道を作る。
「さぁ蒼、行けッ!!」
蒼は師匠の最後の技を見て、斬撃が作った道をただまっすぐに進んでいく。抉れた地面は歩きやすいなんてものではなく、ゴツゴツとした岩が露出し、砂の粉塵が舞う中ただ突っ走っていく。
道は出来ているのだ。師匠が作ってくれた道がそこにはあるのだ。ならば、師匠の言う通り、道を違う事無くまっすぐに突き進めばいい。
目に熱が溜まり、頬に涙が線を描く。
蒼にとって英雄とは師匠のことである。
世界には数多と英雄譚に語り継がれるような英雄がいる中でも、蒼の英雄像は師匠、桃太郎である。
一振りの聖剣を右手に持ち、聖なる盾を左手に持ち、純白の鎧に身を包んだ聖騎士が、民を苦しめる業炎を吐く火竜を仕留める英雄譚であっても。
金色に輝くフルプレートの鎧に身を包み、闇の魔術師と対峙した黄金の戦士の話であっても。
姫を守るために、悪の軍勢約千万と、何日と戦い抜いた騎士団長であっても。
数多の英雄譚が語り継がれるような英雄がいたとしても、蒼の英雄像は師匠、桃太郎である。
この光景を蒼は忘れないだろう。
四人の英雄が自分を守るために山を多い尽くすアンデットの軍勢と戦った姿を。
この光景を忘れないだろう。
毎日ケンカしながら、頬に墨で落書きをし合った日々を。温かな囲炉裏を囲み、畑で取れた野菜を使った汁を食べながら、他愛もない師匠の英雄譚を聞いた話を。
金色の髪を靡かせながら歌うエルフの姿を。
斧を振り下ろし、薪割をしようとするも失敗してしまう大男の姿を。
皿を蒼が割ってしまった時、一緒に謝ってくれた姉弟子の姿を。
きっと蒼は忘れないだろう。
そして、胸に抱く大志。
師匠のようになりたい。師匠のような立派な英雄になりたい。
そんな英雄願望を。
◆◇◇ ◇◇◆
「やっぱり歳だな……」
桃太郎は『断絶』を放った瞬間の手ごたえの弱さに、自身でも驚いてしまっていた。
断絶は桃太郎が使える技の中でも最強の技。圧倒的速度で打ち出す一撃で、時空をも切り裂く技である。であるのに、時空を切り裂くどころか、結果は山の肌を捲れ上がらせるだけ。常人ではありえない結果だが、桃太郎はそれに関して不満だという表情を浮かべた。
「蒼が生き残れるだけの道は作れたでしょう」
「後は、俺達が時間稼ぎするだけだな」
「そうね」
アンデットが一歩一歩と四人に近づいてくる。
腐臭が鼻をくすぐり、死の香りが漂う。数刻前までの、幸せな囲炉裏の灰の臭いを忘れてしまいそうで、嫌悪感を覚える。
「敵は……」
「ネロ・ヴァレンタインでしょうね」
「これだけのアンデットを使う人間なんて、そうそういないからな」
四人で敵を再確認した後、それぞれが武器を構える。
桃太郎は名刀五月雨を。
雉は美しいな杖を。
猿は巨大な戦斧を。
犬は一振りの刀を。
「さぁ、生き残りをかけて頑張ろうじゃねぇかッ!!」
桃太郎の声を皮切りに、辺りは一気に戦火に消える。