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Premium Company(プレミア・カンパニー) ビギニング

 プレミア・カンパニー ライセンス契約書 (より一部抜粋)

 

第1章 総則

     本契約書はプレミア連盟に属する全てのプレミア・カンパニーに適用する。

     また、そこで働く全従業員に適用する。


第2章 契約準備物

     契約者は以下に定めるものを準備し、連盟に提出すること。

① 定款

② 発起人(代表)の実印

③ 発起人(代表)の印鑑証明書

④ 初回月額料金(100万クレジット)

⑤ 従業員(3名以上)の身分証明書

⑥ 従業員(3名以上)の戦闘能力証明書(もしくはそれ同等のもの)


第3章 利用料金

     ライセンスの利用料金は以下に定める通りとする。

     『ビギナーライセンス』月額100万クレジット 

     『ブロンズライセンス』月額1000万クレジット 

     『シルバーライセンス』月額1億クレジット

     『ゴールドライセンス』月額10億クレジット


第4章 決済手段

     契約者は月初めに連盟指定の口座に指定の料金を振り込むこと。

     原則、ライセンス料金の滞納は3ヶ月までとする。


第5章 利用注意事項

     ライセンスのアップグレードは随時可能。

    (例)ビギナーライセンス → ブロンズライセンス

     ライセンスのダウングレードは、いかなる理由でも不可能。

    (例)ブロンズライセンス → ビギナーライセンス


第6章 自己責任の原則

     連盟は、契約者の行為とその結果について一切の責任を負わない。

 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『プレミア連盟支部の商談室』

 少女は座り心地の良いレザーチェアに腰かけながら、ざっと契約書に目を通した。

 ここはプレミア連盟、商談室の一室。

 6畳ほどの小さな空間の真ん中に、テーブル1つと椅子4つが並べられている。部屋は上質なブラウンウッドの壁紙で覆われ、床には塵一つ落ちていない灰色のカーペットが敷かれている。目に付くインテリアと言えば、部屋の隅に位置している筒状のゴミ箱。それと獣のように息を殺して稼働する空気清浄器くらいだ。

 契約書の内容を確認し終えると、少女は机を挟んで対面側に座る女性に質問を投げかけた。

「第2章に『従業員の身分証明書(3名以上)』と書いてあるが、絶対に3人は必要なのか?」

「はい。ご契約の際は、発起人(会社を作りたいと最初に言い出した代表者)を含め、最低3名分の『身分証明書』と『戦闘能力証明書』が必要となります。この仕事は、常に死と隣り合わせの危険な仕事ですので、死亡リスク低減のため、プレミア連盟では最低3名による会社設立を義務付けております」

 少女の質問に答えるのは、プレミア連盟で働く女性職員だ。その女性職員はフクロウのような丸い目をしており、ほとんど瞬きをしない。髪の毛は森をイメージさせるようなダークグリーン色で、柔らかいウェーブがかけられている。どこかあどけない顔立ちをしているが、大きく膨らんだワンピースの胸元は、まぎれもなく大人のソレだった。

「契約後の人員の変動は認められるのか?」と少女は職員に質問を続ける。

「人が入れ替わることに問題はありません。苛酷な仕事ですので、始めてすぐに辞められる方もたくさんいますし、仕事のコツを掴む前に命を落とされる方もいます。ですが、最低3名という規則は必ず守ってもらいます。欠員がでた場合は、すみやかに従業員の補充を行ってください。人員が不足している状態での活動は、禁止されておりますので。もちろん、補充をする際は、新しく雇い入れる人間の身分証明書と戦闘能力証明書を連盟に提出してください。代表取締役は、人員が変わるたびに連盟に報告書を提出することを義務付けられております。従業員が退職された際、亡くなられた際、新たな従業員を雇い入れる際、その全てにおいて報告が必要となります」

「報告を怠った場合はどうなる?」

「報告を怠った場合、虚偽の報告をした場合、事実の隠蔽をした場合は、罰金、営業停止、逮捕、もしくは連盟による武力制裁というペナルティが課せられます。会社は、3か月に1度、連盟による監査を受けることが義務付けられておりますので、不正はすぐに発覚します」

 少女は軽く頷き、肩にやや掛かるくらいのミディアムヘアーを掻き上げた。石鹸の匂いを漂わせながら、しなやかな黒髪が流れるように宙を舞う。

「会社設立のためにテキトウな人間を見繕って契約すると、後で苦労する、ということだな。契約が成立し、無事にライセンスを取得できたとしても、すぐに欠員がでるようでは、またすぐに人材探しに奔走しなくてはならない」

「おっしゃる通りです」と職員は深く頷いた。「これは私の個人的なアドバイスなのですが、一緒に仕事をされる仲間は、慎重に選ぶに越したことはありません。世の中には色々な人間がいます。突如として音信不通になる人、一般的なルールを守らない人、口ばかりで全く実務に役立たない人、仕事に対して不誠実な人…………この仕事をすれば、生死を左右する危機的状況に何度も遭遇することになります。そのような状況下で、信頼できないテキトウな人間に、命を預けることはできません」

「そうだな。その忠告は真摯に受け止めさせてもらう」

「人財の確保は雇い主様の最も重要な仕事のひとつです。そこで手を抜いてしまうと、後で苦労するのは火を見るよりも明らかです。もっとも、優秀かつ信頼できる人間というのは、そう簡単に巡り合えるものではありません。さらに難しいことに、プレミア連盟が設定する戦闘能力の基準は高いです。戦闘能力証明書を精査させて頂き、基準に満たないようですと、その人を承認することはできません。つまり、少なくとも連盟の基準をクリアできる戦闘能力を保持する者。その条件を満たし、なおかつ信頼に値する人間を探さなければいけない、ということになります」

「私が会社を興すためには、そんな強くて信頼できる人間を2人も探して連れて来なければならない。そういうことだな?」

「その通りです」と女性職員はコクリと頷いた。「もっとも、雇い主様の戦闘能力が連盟の基準に満たないような場合は、そもそも『プレミア・カンパニー』の設立はできないことになっておりますので。失礼を承知の上で、ご忠告させて頂きます」

「愚問だな」と少女は言った。「しかし、優秀な仲間か。思い当たる節は…………」

 少女は視線を天井に向け、すこし考えてみた。

 彼女の脳が記憶の貯蔵庫へのアクセスを試みる。しかしながら、彼女の検索エンジンは『強くて』かつ『信頼できる』という2つの条件を満たす人物像を、記憶の貯蔵庫から探し当てることができなかった。

「ところで、その戦闘能力証明書というのはどこで発行すればいい?」

「戦闘能力証明書は、世界で活動する非営利団体『BTS』(バトル・テスティング・サービス)が、半年に一度のペースで実施する試験を受けることで取得できます。戦闘能力証明書はプレミア・カンパニーの仕事に従事する際の一般的な指標となり、会社設立の時だけでなく、入社試験や転職活動の時にも役立ちます」

「ほう」

「試験の結果はスコアに応じて、SSS、SS、S、A、B、C、D、E、F、G、の10段階で評価され、ランク付けされます。ちなみに連盟が求める戦闘能力はDランク以上となっています」

「意外と低い基準だな」

「受験してみれば分かります。Dランク取得は、決して容易なものではありません」

「それは興味深い。次の試験日はいつだ?」

「残念ながら、つい先日、試験が終了したばかりですので、次回の開催日は半年後ですね」

 その言葉を聞いて、少女は眉をピクリと動かした。

「それでは困る。私は今すぐ起業したいんだ。半年も待ってはいられない」

 女性職員はコホンと咳払いをした。

「ご安心ください。契約書にも記載されている通り、戦闘能力証明書が無い場合は『それ同等のもの』でも構いません」

「例えば?」

「そうですね。格闘競技大会の世界チャンピオンベルトですとか……」

「そんなものはない」

「偉大な功績を残した軍人に送られる名誉勲章ですとか……」

「そのようなものを持っているように見えるか?」

「そうなりますと…………ちょっと…………」

 少女は力強く机を叩き、前のめりになりながら職員の瞳を真っ直ぐに見つめた。

「何とかならないのか!? 私はすぐにでも会社を作りたいんだ!! 立ち止まっている時間はないのだ!!」

 職員は少女の気迫に気圧され、ゴクリと生唾を呑み込んだ。

「そうですね……かなりの危険を伴うことになりますが、方法がないこともございません」

「本当か!?」

 少女は大きな瞳をキラキラと輝かせながら、さらに職員に顔を近づけた。

 職員は少女を押し返すように椅子に着席させ、深呼吸してから話を続けた。

「ライセンス料金を3ヵ月以上滞納している企業。いわゆる、『ブラック・リスト企業』から滞納金を全額支払わすことができれば、一定以上の戦闘力があると認め、戦闘能力証明書がなくても起業させることができます。本来は、それは連盟の仕事なのですが、最近はブラック・リスト企業の数が増加していて、手が回っていない状況でして」

「金が無いから支払えないのだろう。なら、支払いを要求しても無駄な気がするが」

「おっしゃる通りです。要求しても支払いを拒否する企業がほとんどです。どうしても支払って頂けない場合は、武力制裁を加えてもらうことになります。ターゲットを殲滅し、ライセンスを強制剥奪。そのまま身柄を警察に引き渡してください。無事に仕事を達成できれば、十分な戦闘能力を保有している、と判断させて頂きます」

「そんな簡単な方法があるのなら、もっと早くに言ってくれ」

「いえ、最も危険な方法だからこそ、教えるべきか迷ったんです」と言って職員は俯いた。「滞納金が支払えなくなったブラック・リスト企業と言っても、一応はプロです。連盟の基準を満たし、Dランク以上の戦闘力を保持しているということです。実務経験が豊富なプロを相手にアマチュアが勝てる確率は極めて低いです。下手をすれば、命を失う可能性だってあります」

 少女はそれを聞いて白い歯を浮かべながら笑った。

「問題ない。必要経費すら支払えない連中をプロとは言わない」

 職員は呆れた表情で少女を見つめた後、持っていたタブレットPCを軽快にタップし、少女の携帯電話のアドレスに依頼書を送付した。

「でしたら、改めて正式に依頼させて頂きます。ターゲットは次の3名。『株式会社レッド・ウルフ』代表取締役『オルガ・ヘブライン』。その下で働く『モルツ・フェフェン』と『ブラッディ・エクレア』。プレミア連盟の名の下に、彼らに然るべき刑罰執行(エクスキューション)をお願いします」

「任せておけ」

「言い忘れておりましたが、刑罰執行(エクスキューション)を敢行する際は、連盟に一報をお願い致します。監査官を配備し、ライセンスを付与するに相応しい人間かどうか審査させて頂きますので。不正は許されません。条件は、これから集めた仲間全員が戦いに参加すること。あくまでも、戦闘能力を見極めるための試験だという事を忘れないでください。ちなみに、監査官は非戦闘要員ですので、ピンチに救いの手を差し伸べることはできません。全て自己責任でお願いします」

「ああ。わかっている。真摯な対応に感謝する」

「いえ、仕事ですから」と職員は淡々と言った。

 少女は話を終えると、立ち上がり、黒のスーツを整え直した。

「まずは仲間探しからだな」

「何か当てでもあるんですか?」

「まぁな。この街で強い人間が集まるところを私は一つしか知らない」



 ポルト・アリオッシュの物語


 商業都市『ククリ』の住宅街『リーブス・タウン』『ポルトの自室』

 気だるそうにベッドからムクリと起き上がる少年。

 力を失いつつあるオレンジの夕日が、ブラインドの隙間を縫うようにして差し込み、薄暗い部屋をおぼろげに照らしだしている。

 少年は指先で寝癖の具合を確認しながら、そんな光を漠然と眺めていた。

 ベッドの上にいるべきはずの毛布とシーツは、自堕落に床に滑り落ち、薄汚れた枕は歪な形状で転がっていた。ソファの上に目をやると、脱ぎ散らかされた衣類がシワだらけで山積みにされている。その下では、まるで雪崩に巻き込まれた遭難者のようにマンガやDVDやテレビのリモコンが、救助を求めて息をひそめている。勉強机の上には、空になった食器が無造作に並べられ、その周りをティッシュ箱、空き缶、爪切り、耳かき、ゲームのコントローラー、化粧水、ペットボトル……などなどが取り囲んでいる。床では、小さな蜘蛛がポテトチップの破片の上で、両手を擦り合わせている。

 しばらくすると、少年は再び瞳を閉じて、全ての視覚情報を遮断する。

 そして惰眠を貪ること数時間。少年はようやく活動を始めた。

 気分はとても陰鬱で、ブリキのように身体は重い。

 ベッドから抜け出すと、ダラダラとパソコンの起動ボタンをプッシュし、馴染みの動画サイトへとアクセスする。そしてアップロードされたアニメ動画を適当に選択した。

 少年はそれをただぼんやりと眺め続けた。

 まるで何かに憑りつかれたように画面に釘付けになっている。

 けれども、その瞳は、無邪気な子供が持ち合わせているようなソレとは少し違っていた。

 動画の視聴が一段落すると、少年はようやくパソコンをスリープ状態にし、リビングへと駆け降りた。

 リビングの扉を開けると、部屋は油の香ばしい匂いで満ちており、テーブルの上には千切りにされたキャベツ、キツネ色をした豚カツ、ワカメと豆腐の味噌汁、ふっくらとした白米が並べられていた。

 少年は無表情で椅子に腰かけ、何も言わずに黙々と料理に手を付け始める。テレビ番組の笑い声と共に皿に盛られた料理が胃袋の中へと消えてゆく。

 少年は食事を終えると、すぐさま部屋に駆け込んだ。

 そして仮眠中のパソコンを叩き起こし、再び動画鑑賞を始める。

 そしてモニターを眺めつづけること数時間。

 少年はベッドにもぐり込み、眠りについた。



 カナン・ドクロアの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『株式会社ホープのオフィス』

 プルルルルルル。プルルルルルル。プルルルルルル。プルルルルルル。

 デスクの上に備え付けてある電話機が、何の前触れもなく鳴った。

 赤ん坊のように泣くことをやめない電話機。男はそれをただ漠然と眺めつづける。その瞳は死んだホオジロザメのように空疎なものだった。なぜなら男は知っていたからだ。それが地獄からの呼び鈴、あるいは悪魔からの招待状であるという事を。決して開けてはいけないパンドラの箱だということを。だが、それにも関わらず、男はゆっくりと受話器へと手を伸ばした。いや、手を伸ばさないわけにはいかなかった。なぜなら、男は――――――

「はい。株式会社ホープ。営業部です」と男は溌溂とした声で応答した。

「遅い!! 電話はツーコールまでに出ろと言っているだろう!!」

 そして返ってきたのは、上司からの叱責の言葉だった。

「はい。すみません」と男は反射的に謝罪を口にする。

「まぁいい。急で悪いが、仕事を頼まれて欲しいんだ」

「何でしょう?」

「明日の午前までに、我が社の新ウォーター・サーバーに関する資料を作成してもらいたい」

「はぁ」と男は溜息のような声を漏らす。

「商談相手はあの『ファゴット・カンパニー』だ」

「えっ!?  ファゴット・カンパニー……ですか?」

「そうだ。これは、我が社にとって、私にとって、そして君にとってのビッグチャンスだ。上手くいけば、多額の契約になるに違いない。我が社のウォーター・サーバーが、他社と比べてどれほど優れているのか、契約頂ければどれほどの価値を提供できるのか、相手の心をグイッと鷲掴みにするような資料を頼む」

「具体的にはどんな資料を作ればいいんですか?」

「それを考えるのが、お前の仕事だ!!」

「はぁ」と今度も溜息のような声を漏らす。

「明日の昼の12時に、ファゴット・カンパニーのエントランス前に資料を持ってきてくれ。私は別の案件が立て込んでいて、今日も、明日の午前も、会社には顔を出せない。というわけで提出資料の作成は全て君に任せる。くれぐれも遅れるなよ。頼んだぞ」

 プツリ、と半ば強制的に電話が切られた。

 男はワックスとヘアスプレーでツンツンにセットされた赤髪を激しく掻き毟った。そしてオフィスの壁に掛かっている丸時計を見て、ガックリと肩を落とす。そのまま視線を右隣に向けると、意気揚々とパソコンのキーボードを叩いている後輩社員の姿が目に入る。

「ビッチー、作戦会議だ」と男は重い口を開いた。

 金色に輝くサラサラとした髪を揺らしながら、ビッチーと呼ばれる男は、上機嫌に振り向いた。そして、右手の中指を使って、伊達メガネをグイっと押し上げた。 

「先輩、安心してください。策ならもう講じてあります。女の子が喜ぶオシャレな店は既に予約済み。この日のために、流行最前線の洋服も購入しました。時間を掛けて考え抜いた乾杯の挨拶と自己紹介は、血が滲むような努力と反復練習のおかげで、噛むことなくスラスラと出てきます。いかなる事態にも対処できるよう、パーティーゲームも豊富に取り揃えています。二次会の店、タクシーの番号、近場のラブホテルの場所までも完璧にリサーチ済み。この段取り会のプリンスに抜かりはありません。あとは、就業時間終了のチャイムと共に、風のようにこの仕事場を去るだけです。ビバ・アフターファイブ。そう。今日はモデル美女たちとのパーリー・ナイト」

 鼻の下がダランと伸びきってしまい、男前が台無しになっている金髪の男。

 そんな浮き足立つ後輩を、今まさに奈落の底に引きずり下ろさねばならない赤髪の男。

「ビッチー、落ち着いて聞いてくれ」

 昇天しそうなほど幸せを噛みしめている後輩に対して、男は残酷な現実を告げる。

「…………というわけで、今日の合コンは中止だ」

 先ほどまでキラキラと輝いていたビッチーの瞳は、死体さながらに落ちくぼんだ。男は不満と反感を併せ持つ後輩の表情から、サッと目を背ける。その瞬間、定時を告げる鐘の音が、不幸な男達を嘲笑うかのように、嫌らしく鳴り響いた。

「コーヒー買ってくる」

 そう言って男はビッチーの肩をポンと叩いてから、席を離れた。

 別にそうしたかったわけではない。

 それでも、そうするしかなかった。

 なぜなら、男は――――――サラリーマンだからだ。



 ニル・ヒールの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『とある超高層ビルの屋上』

 奇妙な鼻唄が辺り一面に響き渡っている。

そこにいるのは一人の青年だけだった。

紅色の満月が弱々しく、その存在を主張している。

 青年は屋上の淵に座りこみ、街を見下(みお)ろしていた。

 正確には街に生ける人間を見下(みお)ろしていた。

 見下(みくだ)していた、という読み方のほうが的を射ているかもしれない。

 そんな青年の瞳は恐ろしく澄んだ黒色だった。

 それとは対照的に、髪は灰のように真っ白。

 異様な雰囲気を漂わせる青年は、不敵な笑みを浮かべながら、なおも鼻唄を口遊み続ける。

 しばらくすると、出入り口の扉が開く物音が、青年の鼻唄を中断させた。

「お久しぶりです」

 青年は振り返ることなく、街を眺めながら呟くように言った。

 扉の前にはヒグマのような大男が肩を上下させながらゼーゼーと呼吸している。額から滲み出る汗を拭うこともせず、大男はその場に立ち尽くす。

「ここからの景色は最高ですね」青年はひょいと立ち上がり、大男の方へと体をくるりと反転させた。「ファゴット社長」

 ファゴットと呼ばれる大男は、眼球を激しく震わせた後、ピクリとも動かなくなった。まるで鍛え上げられた筋組織がその役割を完全に放棄してしまったかのように。それでも、しばらくすると、ファゴットは大量の汗を頬に伝わせながらも口を開いた。

「ニル・ヒール」

「名前を覚えてもらっていて光栄です」

「何の用だ?」

 ファゴットの反応に青年は冷ややかな笑みを浮かべた。

「そんなに斜に構えないでください。今日はご挨拶に来ただけです」

「挨拶…………だと?」

「ええ」と言って青年は胸ポケットから黄金色に輝く一枚のカードを取り出した。「今日から同じフィールドで仕事をすることになったので」

 まばゆい輝きを放つ純金のカードには『Premium C.O Gold License』と印字されており、プレミア連盟のロゴマーク(円状に並べられた13個の林檎が、13本の剣に貫かれているロゴ)が描かれていた。

「ゴールドライセンスか」とファゴットは目を細めた。

「はい」と青年は返事をした。

 プレミア連盟が交付するこのライセンスは、ビギナーライセンスに始まり、ブロンズライセンス、シルバーライセンス、ゴールドライセンスと続く。一度、取得したライセンスを維持するためには、月ごとに高額なライセンス料を連盟に支払わなければならない。一般的にビギナーライセンスの維持には、月額100万クレジットが必要とされる。同様に、ブロンズライセンスの維持には月額1000万クレジット、シルバーライセンスには月額1億クレジット、ゴールドライセンスには月額10億クレジットが必要となる。

 そのライセンスのランクの違いはごくごく単純だ。それぞれのライセンスによって、立ち入ることができる『禁止区域』が異なるのである。ビギナーライセンスで立ち入ることができる禁止区域を『ビギナー禁止区域』、ゴールドライセンスで立ち入ることができる禁止区域を『ゴールド禁止区域』などと呼ぶ。ビギナーライセンスではビギナー禁止区域にしか立ち入ることができないし、ゴールドライセンスではゴールド禁止区域にしか立ち入ることができない。

 そこで重要なポイントは主に3つある。

 1つ目は、ビギナーライセンスでゴールド禁止区域に立ち入ることができない、のはもちろんなのだが、ゴールドライセンスでビギナー禁止区域やブロンズ禁止区域に立ち入ることもできない、という点。

 2つ目は、ライセンスは各企業に一枚しか交付が認められていない(ビギナーライセンスとゴールドライセンスの両方を所有することはできない)、という点。

 3つ目は、ライセンスのダウングレードは原則的に認められない(一度ゴールドライセンスを取得すると、ビギナーライセンスやブロンズライセンスに戻すことができない)、という点。

 つまり、こういうことだ。ゴールドライセンスを取得すれば、月額10億クレジットをプレミア連盟に収め続けなければならない…………。

 もちろん、そのリスクを背負うだけの見返りは用意されている。プレミア・カンパニーの仕事は、ハイリスク・ハイリターンなのだ。

 青年は満足気にゴールドライセンスを胸ポケットに仕舞い込んだ。

 その姿を見て、ファゴットは堪えきれないとばかりにプっと息を噴きだした。

「いや、すまない。あまりにも君がそのライセンスカードを気に入っているようだから。私はもう持っていないんだ。君はずっと大切にするといい」

 皮肉が籠ったその言葉を聞いて、青年の眉間の幅が自然と狭まる。

「どういうことでしょうか?」と青年は尋ねた。

「偉大なる先輩から無知な後輩へのアドバイスだ」とファゴットは言った。「その年でゴールドライセンスを取得できたことは褒めてやる。だが、それくらいで図に乗るなよ。お前はようやくスタートラインに立てたに過ぎない。上には上の世界があるということだ」

 黒暗暗とした夜空を独り占めする月からは、紅色の光が注がれ、二人を淡く照らし出している。無数に存在するはずの数多の星々は、街が放つ強力なネオンライトの影響で、昏睡状態に陥っているかのように、一つとして輝く姿を見せてはくれない。

 青年は天を仰ぎ、深いため息をついた。

「まだ上の世界があったんですか。それは知らなかった。でも、そうでなくちゃ、おもしろくない。ファゴット社長。また機会があれば、ご指導、ご鞭撻の程、よろしくお願い致します」

「ふん」とファゴットは青年の態度を鼻で笑った。「ゴールドライセンス取得者がこの様か。もっと血の気を前面に押し出して、私に襲い掛かる程の気位がないと、この先はやっていけないぞ。どうやら昔と比べ、プレミア連盟の連中は、ライセンスを付与する基準を下げているらしいな。トレーニングを中断してここに来たというのに、時間の無駄だったようだ」

「お時間を取らせてしまい、申し訳ありませんでした。お詫びといっては何ですが」

 そう言うと青年は一枚の写真を取り出し、ファゴットに手渡した。

「僕が最後に倒した『天魔獣』です」

 写真の中には、荘厳な兜と鎧を身に纏った巨大ドラゴンの姿があった。50メートルはあろう体を二本の足だけで支え、瞳は赤外線のような色味を帯びており、あんぐりと開いた大きな口からは、今にも光の塊が放たれようとしている。大地の至る所には、深い爪痕がくっきりと残されており、周囲の岩はものの無残に粉砕されていた。

「『バルバトス・ドラゴン』。こいつを殺ったのか?」とファゴットは顎を撫でた。

「『シルバージュエル』として売ったら、50億クレジットでした」

「ほう」

 プレミア・カンパニーは基本的に天魔獣を『ジュエル結晶化』して、プレミア連盟に売りさばくという仕事だ。ジュエル結晶化の方法は多種多様で、単に力任せに倒すことで結晶化する天魔獣もいれば、特殊な条件を満たさなければ、結晶化することができない天魔獣もいる。天魔獣のジュエル結晶化は困難を極めるため、狩りは複数人で行われるというのが、この世界におけるセオリーとなっている。一人では実現することが難しいことを、複数人で協力しあって達成するための集団。あるいは、営利を目的とした対天魔獣のプロフェッショナル集団。その者たちが集まる場所。それがプレミア・カンパニーなのだ。

「伯爵級で最強と謳われるバルバトス・ドラゴンをジュエル結晶化するには、少し骨が折れました。そう言えば、シルバーライセンス時代、ファゴット社長はどんな天魔獣を倒されたんですか?」

「昔のことで忘れたな」

「そうですか。残念です。思い出したら聞かせてください。禁止区域のどこかで出会った時にでも。それでは今日のところはこれで失礼させてもらいます。お手間を取らせました」

 ファゴットは手に持っていた写真をクシャクシャに丸めて地面に叩きつけた。朽ち果てた林檎のように形を変えた一枚の写真は、一陣の風によって無力に転がる。



 カナン・ドクロアの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『株式会社ホープのオフィス』

 太陽が沈むと同時に、周囲の雑音(電話のコール音、キーボードのタイプ音や雑談の声)が急激に減った。同じフロアで働く同僚達の半分が、定時のチャイムを皮切りにぞくぞくと帰宅してしまったからだ。それが理由なのだろう。隣の席から聞こえてくる念仏のような声が、より一層、ストレートに耳に入ってくる。

「合コン、合コン、俺の合コン、美女たち、楽園、グヘヘヘヘヘヘへへへ」

 ビッチーは悪魔に取りつかれたかの様にブツブツ言いながら、マウスを動かしていた。

 男はその姿を見るたびに、罪悪感に押しつぶされそうになる。

「集中しろ。このままだと朝まで働いても終わらないぞ」

「俺のギャル、俺のモデル、俺の姫、俺の、俺、NО~~~~~~~~~~~~!!」

「わかった。わかった。なら、こうしよう。仕事が片付いたら、綺麗なお姉さんがいる店に連れていってやる。だから朝までに仕事が終わるよう手伝ってくれ。頼む」

 ビッチーはそれを聞くと、岩のようにピクリとも動かなくなった。

「先輩、あんまり俺を舐めないでくださいよ」と冷たい語気で言い放つ。「こんな仕事、俺が本気を出せば、深夜中に終わりますよ。そしたら、朝までパーリー・ナイトっすよ♪♪」

 瞳にハート模様を浮かべながら、猛烈な勢いでタイピングを始める金髪の後輩。その姿を見て、男は深い溜息をついた。

 夜が更けるにつれて、一人、また一人、とオフィスから同僚たちの姿が消えてゆく。やがて時刻が深夜0時を過ぎ去ると、オフィスに残っているのは、男とビッチーの二人だけとなっていた。

 総勢400人が働く株式会社ホープのワンフロア。

 パーテーションのない机の上には、個人専用のパソコンとモニターが備え付けられており、固定電話は4人で1つを共有するようになっている。それ以外は、個々人の自由が認められている。書類を山のように積み上げる人もいれば、綺麗にファイリングする人もいる。机に植物を飾る人もいれば、アニメキャラのフィギアを飾る人もいる。もちろん無駄なものを一切置こうとしない人もいる。そんなオフィスは、昼間は雑然と人々が働いているせいで、いくぶん狭く感じられるのだが、夜は恐ろしくガランとしていて、そして冷たい感じがする。男とビッチーが同時に作業の手を休めると、ぞっとするほどの静けさが場を支配する。わずかに聞こえてくるのは、パソコンとモニターの微かな鼓動だけである。

 男が勤務する株式会社ホープは、業界最大手のウォーター・サーバーのリース会社だ。企業や病院、一般家庭などにウォーター・サーバーを貸し出す、というのが主な仕事。そのレンタル料金と消費されるミネラルウォーターの料金が主な収入源となっている。従業員数は1000人を超え、全国的に支店が展開されている。株式も上場一部に登録され、社会的な信用も厚い。福利厚生も充実しており、なにより真面目にコツコツ働けば、年収800万円以上が必ず約束されている。そして、男が勤務しているのは、そんな会社の本社である。本社で働くことができるのは、出世が約束されている選りすぐりのみだ。

 つまり、こう見えて、赤髪の男も金髪のビッチーも、大手企業のエリート組というわけだ。

 男がこの会社に入社してから、もう3年になる。人一倍責任感の強い男は、一生懸命に目の前の仕事に取組み、他に類を見ないスピードで営業部の係長になった。

 好きなことを我慢して、嫌なことに耐え続け、泣きたい時に満面の笑みを零すピエロのような毎日。地位の高い権力者の前では、己が抱く信念すら捻じ曲げて頭を下げた。時間の流れを感じるゆとりすらないまま、滑車を回るネズミのようにひたすらに走り続けた。そんな日々の結果として、男は大手企業の本社で、若くして営業の係長となったのだ。

 ――――別にそうなりたかったわけじゃない。

 ――――結果として、そうなってしまっただけのことだ。

 けれども、男はそれ故に、多くの苦悩を抱えていた。係長になったといっても、彼はまだ若干21歳。同い年の同期は、先輩社員に仕事の指示を仰ぎながら、日々を送っているのに対し、男は自分で考え、判断し、周りに指示を出さなくてはいけない立場にあった。

 仕事の責任と重圧に何度も押し潰されそうになる。

 会社の呪縛から解放され、どこか遠くに逃げてしまいたい、と毎日のように考える。

 時刻は午前1時。

「ビッチー、資料は順調にできてるか?」

 男がチラリと様子を伺ってみると、ビッチーはキーボードに両手を乗せたまま、ウトウリと眠りこけていた。男は手で顔を覆った後、引き出しからブランケットを取り出し、ビッチーの肩にそっと掛けてやった。そしてカップに残っていた冷たいコーヒーを一息に飲み干し、気合を入れた。

 意識が飛びそうになるほどの睡魔と格闘しながら、着々と資料を作り上げる男。

 カタカタと乾いた音を立てる傍らで、健やかないびき声が聞こえてくる。

 ――――なぜ、自分だけが働かなければならないのだろうか?

 ――――なぜ、自分だけが疲れ果てているのだろうか?

 ――――何のために働いているのだろうか?

 ――――自分は一体、会社の何の役に立っているのだろうか?

 ――――自分は一体、社会の何の役に立っているのだろうか?

 ――――自分の人生は、このままで良いのだろうか?

 男はキーボードのエンターキーをバチンと強烈に叩いた。

 その音にビクリと身体を震わせ、覚醒したビッチーは、寝ぼけながら目を擦った。

「あれ。すいません。俺、もしかして寝ていました?」

「おう。ほんの少しだけな」

「先輩、ファゴット社に提出する資料は?」

「たった今、完成したよ。お前のおかげでな」

 時刻は午前3時半。

 まだ外の景色は真っ暗だが、確実に夜明けが忍び寄っていた。

 肩と腰が強張り、不快な気怠さが全身に纏わりついている。酷使された脳ミソは、強制シャットダウンシーケンスに入り、考えることを停止させてしまっている。まるで脳と体が絶縁状態にあるかのように何もできない状態だった。

 男の体は確実に安息の地を求めていた。早く家に帰って、眠りたい。けれども、男は知っていた。その望みは受け入れられない、ということを。

 なぜなら、彼の仕事はまだ終わってはいないからだ。

「ビッチー、ボーっとするな。行くぞ」

「そうっすね。帰りましょうか」

「バーカ。このまま朝までパーリー・ナイトだろ。約束は守る」

「先輩…………いいんですか?」と子猫のような声を上げる後輩。

「おう。どこでも付き合うぜ」と男はドンと胸を叩いた。

「あっ!! その前に」

 ビッチーは何かを思い出したように手をポンと叩いてから、足早に席を立った。数分後、彼は缶ビールや缶チューハイを抱きかかえながら戻ってき、たくさんある酒の中からテキトウに2本を選び取り、プルタブを開けた。

「この前の社内パーティーの余りです。景気づけに乾杯しましょう」

「勝手に飲んだらマズイだろ?」

「バレやしないっすよ。先輩、仕事お疲れ様でした。乾杯」

「…………乾杯」

 一本……二本……三本……。男は怒涛の勢いで酒を飲み干した。もうどうにでもなれ、という半ばヤケクソな状態で、空きっ腹に酒を流し込む。

 アルコールが血液を伝って行軍を続け、男の脳内領地を確実に征服してゆく。彼らは入り組んだ迷宮を難なく攻略し、厳重に封印されている大きな檻の前へと辿り着く。そして、檻に付けられた頑丈な南京錠にそっと鍵を刺し込むのだ。

 人間は誰しも心の奥底に獣を飼っている。人間は人間で有り続けるために、その危険な獣を外に出さないよう押さえつけている。欲望という、どうしようもない獣を。この男が持ち合わせるソレは常人のソレよりも、少しばかり厄介な性質を秘めている。そして男は硬く冷たい鎖が外れる音を夢見心地の中で耳にした。

 とにもかくにも、酒というのは、人間の仮面を根こそぎ取り去ってしまう禁断の飲み物。

 過剰摂取にご注意を。

 2人は会社を後にし、欲望が交錯する歓楽街『パラド・タウン』へと消えていった。



 ポルト・アリオッシュの物語


 商業都市『ククリ』の住宅街『リーブス・タウン』『ポルトの自室』

 気だるそうにベッドからムクリと起き上がる少年。

 力を失いつつあるオレンジの夕日が、ブラインドの隙間を縫うようにして差し込み、薄暗い部屋をおぼろげに照らしだしている。

 少年は指先で寝癖の具合を確認しながら、そんな光を漠然と眺めていた。

 ――――またやってしまった。

 ――――こんなはずじゃなかったのに。

 ――――自分の意志の弱さが嫌になる。

 ――――現実が嫌になる。

 ベッドの上にいるべきはずの毛布とシーツは、自堕落に床に滑り落ち、薄汚れた枕は歪な形状で転がっていた。ソファの上に目をやると、脱ぎ散らかされた衣類がシワだらけで山積みにされている。その下では、まるで雪崩に巻き込まれた遭難者のようにマンガやDVDやテレビのリモコンが、救助を求めて息をひそめている。勉強机の上には、空になった食器が無造作に並べられ、その周りをティッシュ箱、空き缶、爪切り、耳かき、ゲームのコントローラー、化粧水、ペットボトル……などなどが取り囲んでいる。床では、小さな蜘蛛がポテトチップの破片の上で、両手を擦り合わせている。

 しばらくすると、彼は再び瞳を閉じて、全ての視覚情報を遮断する。

 そして惰眠を貪ること数時間。少年はようやく活動を始めた。

 気分はとても陰鬱で、ブリキのように身体は重い。

 ベッドから抜け出すと、ダラダラとパソコンの起動ボタンをプッシュし、馴染みの動画サイトへとアクセスする。そしてアップロードされたアニメ動画を適当に選択した。

 少年はそれをただぼんやりと眺め続けた。

 ――――少しだけだから。

 ――――わかっているから。

 まるで何かに憑りつかれたように画面に釘付けになっている。

 ――――わかっているのに。

 けれども、その瞳は、無邪気な子供が持ち合わせているようなソレとは少し違っていた。

 動画の視聴が一段落すると、少年はようやくパソコンをスリープ状態にし、リビングへと駆け降りた。

 リビングの扉を開けると、テーブルの上にはカルボナーラスパゲティとシーザーサラダが並べられていた。ガラスコップの中には適量の麦茶が注がれている。

 少年は無表情で椅子に腰かけ、何も言わずに黙々と料理に手を付け始める。テレビ番組の笑い声と共に皿に盛られた料理が胃袋の中へと消えてゆく。

 ――――なんだか悔しくて。

 ――――なんだか情けなくて。

 少年は食事を終えると、すぐさま部屋に駆け込んだ。

 ――――でも、どうしていいのかわからなくて。

 そして仮眠中のパソコンを叩き起こし、再び動画鑑賞を始める。

 そしてモニターを眺めつづけること数時間。

 ――――また明日から頑張ればいいさ。

 ――――今日が最後だから。

 少年はベッドにもぐり込み、眠りについた。



 リク・ギルフバッシュの物語


 商業都市『ククリ』の住宅街『リーブス・タウン』『リクの自室』

 静かな部屋で鳴り響く目覚まし時計のアラーム音。

 その音をピシャリと遮る少年。

 時刻は午前4時。

 窓から見える景色は依然として暗闇に包まれており、肌寒い空気が立ち込めている。

 再び目を瞑れば、深くて長い眠りが確約されていることだろう。

 抑えることができない睡眠という名の欲望に屈する者は数知れず。

 そんな中、少年は躊躇うことなくベッドの上から飛び出した。

 眠気が残っているせいか瞼は半分ほどしか開いていない。意識は夢と現実の境目を未だに彷徨っており、身体と脳の連動が上手く成されていない。染み付いた生活習慣だけが彼を動かす原動力となっている。

 少年は一目散に浴室へと向かった。

 生活感が全く感じられないほどの無機質でシンプルな部屋。ベッドが一つ。小ぶりのテーブルと椅子が一つ。大きなクローゼットが一つ。あとは、スコティッシュフォールドという種類の子猫が一匹。その他には、雑貨も食器も何も見当たらなかった。

 着ていた衣類を全てカゴの中に放り込む少年。けれども、彼はネックレスのようにぶらさがった短刀だけは、肌身離さず浴室に持ち込んだ。蛇口を一気に捻り、熱いシャワーを頭から被ると、血液が体中を隈なく巡り、休止していた細胞達が活動を始め出す。意識が完全に覚醒すると、少年は首にぶら下っている短刀を鞘から抜き取り、スポンジと石鹸を使って、入念に刃を洗い始めた。大切な人を愛でるかのように、彼は半時間もの間、それを磨き続けた。

 風呂から上がった少年は、バスタオルを肩に掛けたまま、入念なストレッチを開始した。

 手始めにあらゆる関節をくまなく動かし、次に伸ばしうる筋組織を丁寧に伸ばした。

 ストレッチを終えると、少年は窓際に座り込んだ。そして姿勢を正し、足を組み、背筋を伸ばして座禅を組んだ。その態勢で軽く目を閉じ、ゆっくりと時間を掛けて息を吸い込み、ゆっくりと時間を掛けて息を吐き出す。その動作を何度も何度も繰り返した。

 座禅を始めてから数時間が経過しようとした頃、少年はゆっくりと眼を見開らいた。

 ようやくその重い腰を上げた少年は、クローゼットからスーツを一式取り出した。無地のカッターシャツに袖を通し、ブルーのネクタイを結び、その上から黒のスーツを羽織る。少年がそのような格好をする理由…………

 就職活動。字のごとく、職に就くための活動のため。

 一般的な就職活動に欠かせない常識的な正装。

 ただ一つだけ違うこと。

 少年が手にしたのはビジネスバックではなく――――自分の背丈ほどある大剣だった。

 向かうは商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』



 ランジュ・ローゼンスの物語


 商業都市『ククリ』の歓楽街『パラド・タウン』『高級SMクラブ』

 そこは快楽を追い求める人間たちのパラダイス。経済的な発展が軌道に乗り、基本的な衣食住が満たされた人々が集う聖地。求めるものは何だってここにある。贅沢な食事、華やかなエンターテインメント、刺激的なギャンブル、そして――――

 火の燈ったロウソクが部屋中に散りばめられた薄暗い個室。

「痛てぇぇぇぇ。痛てぇぇ。痛てぇぇぇぇぇぇ。痛てぇぇぇぇぇぇぇぇ。痛てぇぇよ」

「ねぇ、声を出してイイって許可した覚えはないけど」

 両手に鉄枷を嵌められ、両足は縄で縛られた赤髪の男。

 マグマ色に熱されたナイフで、その男の背中をなぞる美しい女。

「気分はどう?」

「最高だよ」

「痩せ我慢しちゃって」

 女は少し肌蹴たドレスを整え直した。そして部屋を灯す種々のロウソクの中から最も大きな物を選び取った。まるで黄金のように光り輝く炎の真下には、熱で液体化したロウが溢れんばかりに揺れている。そのまま厳然とした態度で男に歩み寄り、うっすらと笑みを浮かべた。

 次の瞬間、ティーカップ一杯分はあろう高温物質を何の躊躇いもなく男の背中の傷へと注ぎ始めた。まるで仕事を終えた蜜蜂が一斉に巣に戻るかのように、ロウは次々と傷口から体内へと侵入してゆく。あまりの激痛に耐えきれず、男は再び悲鳴を上げた。身をよじるようにして動くたびに鉄枷の無機質なあざ笑い声が聞こえてくる。

 ロウソクが一本、また一本と消費されてゆく。

 やがて全身ロウ塗れになった男は、痛みと苦痛が頂点を通りこし、涙を浮かべながらせせら笑っていた。朦朧とする意識を必死に繋ぎ止め、快と苦のきわどいバランスを保ち続ける。

 男の単調なリアクションに飽きてきた女は、太もものガーターベルトに固定していた一丁の拳銃を取り出し、そして何の予告も、合図もなく、おもむろに引き金を引いた。

 バァッッッン。

 けたたましい音と共に放たれた銃弾は男の頬を霞め、そのまま壁にめり込んだ。

「この拳銃は本物。そして中にはまだ2つの弾が残っている。死ぬ確率は三分の一」

 そう言って、女は弾の入ったシリンダーを適当に回した。

 男は動揺を隠せなかったが、抵抗する体力は残されていなかった。

「嘘だろ」

「契約書にも書いてあったでしょ。万が一、命を落とすことがあっても、当店では一切責任を負いませんって。ねぇ、どうして人は他人を傷つけることが好きなのかしら。ねぇ、どうして世界から『傷つける』という行為がなくならないのかしら」

 女は楽しそうに男に近づいていった。

「人間は死ぬ間際になると走馬灯のように人生を振り返るって言うじゃない。それって本当なのかしら?」女は男の耳元に銃口を押し付けた。「生きていたら感想を聞かせてちょうだい」

「ちょっ」

「イッちゃいなさい」

 女は冷酷無情な殺人者のような口調、天衣無縫な笑顔で引き金を引いた。

 そして男は原動力を失った車のようにピクリとも動かなくなった。

 女は一息ついて、ボリュームのあるブロンドヘアーを掻きあげる。

「運のイイ人」

 女は銃口を不思議そうに眺めた。

「また、遊ぼうね。お客さん」

 ――――快楽。

 それは一様に計測することができない千差万別の価値観。

 様々な欲望が交錯する歓楽街『パラド・タウン』は相も変わらず眠らない。



 クロナ・イヴニスの物語

 

 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『スクランブル交差点』

 混沌と人間が行き交う繁華街の交差点。信号待ち。

 とあるリクルートスーツ姿の少女は、おびただしい数の『個』の一部として『集団』を形成していた。それは仲間とかグループとか、そういう類のものではなく、単に偶然的にその場に居合わせたというだけのインスタントな集合体である。

 少女は在り来りなこの光景に奇妙な違和感を覚えた。

 何の繋がりも接点もない者同士が同じタイミングで歩を止める。時計の秒針が力強く時を刻むにつれて、人の塊は勢いを増してどんどん巨大なものになってゆく。好むと好まざるとに関わらず、自分自身もまたその一部に含まれている。そこには『個』としての自分ではなく、同じ時間に、同じ場所で、同じ目的で足を止めている『集団』としての自分がいる。

 信号のシグナルが赤から青へと移り変わる。

 そして――『集団』は何事もなかったかのように再び『個』へと戻ってゆく。

 少女は横断歩道を渡り終えると、鞄の中から一枚の地図を取り出した。

 地図には『ファゴット・カンパニー』までの経路が記されており、彼女は地図と周りの風景を交互に見比べながら自分の現在位置を確認した。

 少女がそこへ向かう理由…………

 就職活動。字のごとく、職に就くための活動のため。

 それは多くの若者が経験しなければならない登竜門。

 少女もまた他の若者と同様、大人になるための儀式を通過しようとする一人なのだが―――


 超高層ビルが建ち並ぶオフィス街。同じようなガラス張りのビルが密集し、鉄のジャングルを形成している。そんな街並みを見物することもなく、忙しなく往来する人々に興味を示すこともなく、少女は一定の歩幅で足を動かし続けた。排気ガスの影響を受けて、どんよりと淀んだ空気が辺り一帯を覆っている。空気洗浄機をいくつ取り揃えようとも、この淀んだ空気を浄化することは叶わないだろう。

 ちょうど見通しの悪い路地裏に差し掛かったその時、何かに群がる野次馬たちの姿が目に入った。少女は行く手を遮る人だかりを掻き分けるようにして、前進し続ける。道すがら野次馬たちのザワザワとした噂話が耳に入ってくる。

 道端で8人分の変死体が発見されたらしい。

 皮膚は水分を失ったミカンの皮のように乾燥し、目玉は真夏日のアイスクリームのようにドロドロに溶けている。髪の毛は枯葉のように抜け落ち、拳の骨は瓦礫のように砕けている。血と肉が焦げたような異臭が否応なく鼻を刺す。

 少女が人の波から解放された頃、サイレンの高らかな音と共に複数のパトカーと救急車が到着した。警察官がキビキビと先導し、そのすぐ後ろを救急隊員が追う。それを見た人々の心はリアリズムを帯びてきた事態に興奮しているようだった。精一杯の背伸びをし、事の流れをしっかりと目に焼き付けようとする者。携帯電話を取り出し、その状況を撮影する者。ソーシャルネットワークの掲示板を通じて、知人に現状報告をする者。

 残念なことに、そこにいた全ての者は、胸を躍らせているように見えた。

 誰一人として例外なく、何らかの刺激を満喫しているようだった。

 彼らは死体を見ているのにも関わらず、死体なんてものは見ていなかった。

 人間が死んだというのに…………。

 まぁ、そんなものだ。

 この世の中なんてものは。

 あまりにも『現実』という単語に『意味』が欠けているような気がした。

「人は死ぬ。珍しくもない。全く、おめでたい奴らだ」と少女は思わず言葉を漏らした。

 ――――少女の就職活動の目的、あるいは方法は、大多数の他者のソレとは、少しばかり違っていた。



 カナン・ドクロアの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『株式会社ホープのオフィス』

 プルルルルルル。プルルルルルル。

 デスクの上に備え付けてある電話機が、何の前触れもなく鳴った。

「俺に一体…………何があったんだ」

 そんなことにはお構いなく、男は絶句した表情を浮かべ、石像のように硬直していた。

「はい。株式会社ホープ、営業部です」隣に座っていたビッチーが、電話の受話器を取った。彼は相手の用件を聞き終えると、何度か頷いた。「申し訳ございません。ただいま席を外しておりまして。ええ。ええ。しばらく帰ってきそうにないですねぇ。戻り次第、折り返しお電話するよう伝えておきます。はい。失礼します」後輩は溜息をついて、受話器を置いた。「先輩。さっきから心ここにあらずっすよ。いつまで魂をプラプラさせているつもりですか。いい加減、現実世界に帰ってきて、仕事始めてくださいよ」

 そんな後輩の声に耳を傾けず、絶句した表情を浮かべ、なおも石像のように硬直する男。

「俺に一体……何があったんだ。どうして俺の手に手枷が嵌められているんだ」

「何言っているんですか? 今朝、俺とSMプレイの店に行ったでしょう」

「ダメだ。思い出せない」

 男はブンブンと大きく首を横に振った。

 濃いアイメイクを施したかのような目元のクマが、男の悲壮感をより際立たせている。

「店に行く前に酒を浴びるように飲んだのがマズかったんですかねぇ」

 と、ビッチーはパソコン上で業務メールを打ちながら、呆れ顔で言った。

「いや、店に行く前の記憶はハッキリとあるんだ。だけど、店に入ってからの記憶がほとんどない。忘れたというよりも……思い出すことを脳が拒んでいるような…………」

「まぁ、安心してください。先輩は店を出た時から手枷を嵌めていました。俺はバッチリ覚えているんで、心配しないでください」

「…………おい、ビッチー」と男は重い口調で言った。「一つ聞くが、どうして気付いた時に、俺の異常事態について対処してくれなかった?」 

「異常事態? 何のことですか?」

「見ればわかるだろ。この手枷だ」

 男は手枷を宙にかざしながら鬼気迫る勢いで言った。

 ビッチーはメールを打つのを中断し、まじまじと手枷を眺めてから、恐る恐る口を開いた。

「先輩…………まさか…………そんな……すみません。てっきり…………まだプレイ中だと」

「そんなわけあるか!!」と芸人のようにツッコミを入れる男。

「いや、悪気はなかったんです。俺も延長戦があったから、先輩も一緒なのかなって……」

「延長戦?」

「はい。実は、昨日、俺……肛門にハバネロボールを埋め込まれて……下手に衝撃を加えると破裂してしまうみたいなんです。なんか世界は広いっすねー。昨日一日で俺が抱いていた常識が、全部、ブッ壊されたっていうか」

「いや、お前が壊されたのは、常識でも規範でもなく、肛門だ」

 男は人生で最も重厚な溜息をついた。

「ってか、先輩。大丈夫なんですか? 背中。血だらけなんですけど。シャツがえらいことになっているんですけど」

 男のカッターシャツの背中部分は、血液を霧吹きで何度も吹きかけたかのようなマダラ模様で染まっていた。じっとりと湿りを帯びたその衣服からは、血と汗とゴージャスな香水が入り乱れた臭いがする。

「いや、正直なところ、病院に行かないとマズイと思う」と男は顔を歪めながら返答した。「ビッチー、悪いが、俺の代わりに、作成した書類を持って行ってくれないか? ファゴット・カンパニーのエントランスで課長が首を長くして待っているはずだ」

「先輩、お安い御用っすよ」

 ビッチーは右手の拳で自分の胸をドンと叩いた。

 けれども、その途端、ビッチーは白目を向き、キーボードの上に頭を叩きつけた。顎が外れていると誰もが思うほど大きく開かれた口からは、ブクブクと細かな泡が漏れ出している。意識を失っているにも関わらず、下半身がピクピクと痙攣している様子から判断するに、肛門のハバネロボールが破裂してしまったのだろう。

「ビッチーーーーーー!!」

 男は、思うように動かすことができない両手に悪戦苦闘しながらも、後輩のために救急車を手配し、ファゴット・カンパニーにプレゼンする資料を印刷し、プレゼン資料の元データをUSBにコピーし、それらを封筒に詰めた。その他、自分とビッチーがしばらく戦線離脱する旨を関係者に伝え、その間の仕事の引き継ぎを急ごしらえで行った。

 時刻は午前11時。

「ヤバい」と息つく暇もなく、男は勢いよく椅子から立ち上がった。

 男はスーツで颯爽と手枷を覆い包むと、封筒を手に持ち、慌てて会社を後にした。



 クロナ・イヴニスの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『ファゴット・カンパニー前』

「でかいな」

 少女は目的地に到着すると、溜息交じりに呟いた。

 ファゴット・カンパニー本社の外観を目の当たりにする、ほぼ全ての人々は同じ言葉を口にする。高い。とにかく高い。それも並大抵の高さではない。地上から天に向かって真っすぐに聳え立つビルの高さは約2千メートル。ビルの上層階が悠然と旅を続ける綿雲の行く手を邪魔することもしばしばある。陽が少しずつ大地を温めるにつれ、全面ガラス張りのビルは神々しく光り輝く。商業都市『ククリ』を象徴するこの超高層ビルを誰が最初に言い出したのか……人々はいつしか太陽の塔や近代社会のバベルの塔などと呼ぶようになった。

 絶対的に君臨するその姿はまるで王、あるいは皇帝、あるいは神。

 面接までには時間がある。そう考えた少女はすぐに建物の中には入らず、正面中央戸口から少し離れたところで時間を潰すことにした。

 都市の中心部に位置するファゴット・カンパニー周辺は、人々の行き交いがもっとも激しい場所の一つである。どれも似たり寄ったり――スーツにネクタイ姿――の大人たちが鞄を手に持ち、少女の目の前を横切ってゆく。まるで少女の体から強力な磁気が発せられているかのように、少女を視界にいれた男たちの視線が彼女に釘付けになる。綺麗なミディアムヘアーの黒髪、端正な顔立ち、洗練された濁りのない瞳に清楚なスーツ姿。男たちの本能というべき習性が、少女を視界にいれずにはいられなかった。

 そんな折、少女に一人の人間――と思わしき物体が声を掛けてきた。

「美人の御嬢さん。こんにちは」

 少女はあっけにとられ、すぐに返事をすることができなかった。

 キリン人間? ペンギン人間? トリ人間? キリンペンギンドリ?

 少女の目の前にはどう表現するのが的確なのか、皆目見当もつかないようなものが立ちはだかっていた。それは首から上がキリンで、体がペンギン、背中の部分から翼を生やした摩訶不思議生物。一瞬にして思考回路が急停止してしまった少女は、大きな瞳をパチクリさせることしかできなかった。

「失礼、驚かせてしまって申し訳ない。これじゃ、ただの不審者だ」

 そう言うと、摩訶不思議生物は長い首に手をかけ、もたもたと首を取る仕草をした。

 なんだ、着ぐるみか。何かのマスコットキャラクターか何かだろうか……と少し合点のいった少女だったのだが――――

「世の中というものは、なんて理不尽に作られているんでしょう。美人は得をし、そうでないものは損をする。でも、それは進化のために必要なものなんですよ。はい。生物がより高等なレベルに到達するためになくてはならないもの。それが優勝劣敗の法則」キリンの着ぐるみパーツを取り去り、人間だと認識できるようになった男は、満面の笑みで言った。「だからこそ僕は美人が大好きなんですよ。はい。なぜならば、美人とは進化の最前線に立つものだから。はい」

 羽を生やし、体がペンギンで、キリンの首を両手に抱きかかえた男の顔は、まっ白なファイスペインティングで覆われており、右目の周りに★マーク、左目の周りに†マーク、そして額には『進』という文字が描かれていた。紫色のペイントで誇張された唇がニンマリと笑う姿は誰がどう見ても不審者そのもの。

「初めて見たな。変態というものを」少女は驚く様子もなく冷静に言った。

「変態? どこにいるんですか?」

 不気味なピエロはとぼけるように辺りを見回す素振りを見せた。

「お前のことだ。変態ピエロ」

「初対面の人間に変態と罵られたのは初めてです。割と傷ついています。はい」

「まぁいい。私に何か用か?」

「先程、パトカーや救急車が走っていくのを見かけたのですが、何かあったのでしょうか?」

 変態ピエロは少女が辿ってきた方角を指差した。

「ああ。何人か人が死んでいたらしい」

「ほう。それは恐ろしい」

「別に恐ろしくもなんともない。たまたま死体が街に転がっていただけの話だ。この街の連中はあまりにも平和ボケしている。というよりも、あまりにも世界を知らなさすぎる。世界ではもっとたくさんの命が今まさに失われているというのに」

「ほう」

「それよりも私は、彼らが他人の死を何とも思っていないことの方が恐ろしい。怖いだの、可愛そうだの、感想を口にするだけで、誰も何もしようとしない。それどころか、死んだ人間の過去や死亡原因をあれこれと詮索し、推論と妄想を膨らませることで、死を楽しんでいるようにさえ思える」

「全くもって同感です。はい。死と向き合わない人間に進化はありえない。進化しない人間は人間のクズだ。向上を怠る人間はもはや人間ですらない」

 変態ピエロは手持ち無沙汰な左手を前後に揺らしながら、想いの程を力説した。

「私はそんなことは言っていない。辞書で『同感』の意味を調べ直してみろ」

「いやはや、人とこんなにも意気投合したのは久しぶりです。はい。美人の御嬢さん。よろしければ、人間の今後についてカフェでゆっくりと語り合いませんか?」

 変態ピエロの耳には特殊なフィルターでも施されているのだろうか。そのフィルターは、都合の悪い言葉が鼓膜に届くことを妨げてくれるのだ。もしくは、他人の言葉を自分の都合の良いうように加工処理してくれるのだ。いや、ともすると、人間の耳というのは、本来、そんなものなのかもしれない。

 少女は呆れ顔でピエロの言葉を無視し、ファゴット・カンパニーへと歩を進めた。

「あのような変態がいるとは。世界はやはり広いのだな」

 少女は冷や汗をかいてもいなければ、呼吸を乱している様子もない。

 取り乱す理由なんて何一つとしてないのだ。

 『集団』とは、所詮は『個人』の集合体。

 『人間』という、あまりにも粗雑な分類の仕方により、同じものとして考えられているが、それぞれがまったくもって別種の生き物。

 変死を遂げる人間もいる。

 人の死に対して高揚する人間もいる。

 キリンペンギンドリの格好をする変態ピエロもいる。

 そんな人間の『集団』――『社会』

 その社会の中にどっぷりと浸かるべく、少女は今ここにいる。

 時刻は午前10時40分。

 ファゴット・カンパニーに設置されたガラスの自動ドアが、静かに開かれた。

 敷居を跨ぐと、開放感のあるスタイリッシュなエントランスが眼前に広がる。潤いを抑えきれないほどに磨かれた大理石が床一面に敷き詰められ、上質な光沢を放つ壁が建物の高級感を一層際立たせている。その壁の近くでは、警備服を着た屈強な体の男達が、仁王立ちで辺りの様子を伺っていた。異様に高い天井には、巨大クラゲのようなシャンデリアが吊るされ、暖色系の光を降り注いでいる。ビルを支える柱の全ては大きな砂時計で作られており、砂が断続的に降り注がれている。来客用の受付はというと、まるで空港のカウンターのように一直線上に並べられ、多くの受付嬢が対応に追われていた。

 少女はたいした興味を示す様子もなく、受付に足を運んだ。

「面接ですね。でしたら、受付用紙にお名前を記入してください」と受付係の女性が言った。

 それに促されるまま、少女は自分の名前を記入する。

     クロナ・イヴニス





 リク・ギルフバッシュの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『スクランブル交差点』

 どこを見渡しても溢れかえっている人集り。

 無駄な空間がないほどに敷き詰められた無数のビル。

 思わず耳を塞ぎたくなる嵐のような騒音。

 息苦しくなるような薄くモッサリとした空気。

 けれども、やはり、何と言っても、人、人、人。

 途切れることなく街を渦巻くその流れは、まさにメリーゴーランドのソレに等しい。

 そんな雑踏の中で、スーツ姿に大剣を携える少年は明らかに浮いていた。

 にもかかわらず、そんな少年の格好を気に留めるような者は誰一人としていない。

 とりわけ、物珍しい光景ではないのだ。この世界においては。

 時刻は午前9時15分。

 少年は大通りから少し離れた路地裏で、地図を片手に立ち止まっていた。

 似たようなビルが建ち並ぶオフィス街を歩いていると、まるで迷路の中を彷徨っているような感覚に襲われる。それぞれのビルは微妙に異なる相貌を持ち、微細な色合いの違いを擁し、固有の名前があるのだろうが、その相違点をハッキリと認識できるほど、少年の美的感覚は養われてはいなかった。

 少年はポリポリと頭を掻いた後、地図を4つ折りにして、それを胸ポケットへと仕舞い込んだ。地図を使っての自力到達を諦め、人に道を聞くことにしたのだ。誰か手ごろな人がいないものかと、キョロキョロと周囲の様子を伺い始める少年。すると、何やら歩を止めて話し込んでいる集団の姿が目に留まった。

 少年はニヤリと微笑み、彼らの下へと歩み寄っていった。



 ランジュ・ローゼンスの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『スクランブル交差点』

 時刻は午前9時。

 人々は仕事とチャンスと夢を求めて都市へと流れ込んでくる。その中でも、超高層ビルを本社に構えるファゴット・カンパニーは、見るもの全てに強烈なインパクトを与えた。

 だが、それにも負けず劣らずの個性が、威風堂々、街をゆく。

 すれ違えば彼女のフェロモンに男達のアドレナリンは踊り、ビルや店の窓からは、男達の不潔きわまりない視線が送られる。漆黒のドレス姿で、肩をパックリと露出させ、豊満な胸によって作り出される形の良い谷間を強調し、手入れの行き届いたブロンドヘアーをたなびかせる女。美のシンボルとも言えるような彼女を前に、男は骨なしにされ、女は嫉妬の情を抱く。天空から降り注ぐ太陽の光さえ弱々しく感じられるほどの眩しいその存在は、早朝の時間帯には少々スパイスが効きすぎているようだ。

 そんな彼女にちょっかいを出す輩がいることは珍しいことではない。もちろん見通しの悪い路地裏で、8人のチンピラに囲まれ、ゲスな求愛を受けることもザラである。

「お姉さん。綺麗だねぇ。俺たちと今から楽しいことしようぜ」

「消えてちょうだい」と女は冷たく言い放った。

「ふゅゅゅゅゅ」とチンピラの一人が口笛を吹いた。「気の強いところもイイねぇ」

「私は仕事終わりで疲れているの。早く帰って、ベッドで寝たいの」

「そりゃ、都合がいい」と豹柄のシャツを着たチンピラが言った。

「家はどこ?」と坊主頭のチンピラが言った。

「ヤバい。俺、興奮してきた」と馬顔のチンピラが言った。

 女は言語が通じない野猿たちに愛想を尽かせ、溜息をついた。その時――――

「止めておいた方がいいよ」と、誰かの声がした。

 誰もが瞬時に同じ方向を向くと、そこには白髪の青年がポツンと佇んでいた。

 恐ろしく澄んだ黒色の瞳をした白髪の青年。フード付の黒いローブの胸元には、『三つ目のカラス』のエンブレムが施されている。身長は170センチほどの青年だが、得も言えないような貫禄が体から滲み出ていた。

「お兄さん達、『ククリ』の人間?」と白髪の青年は言った。

「生まれも育ちも『ククリ』の『ククリ』っ子よ。文句あんのか? あぁぁん?」

「だったら『歓楽街の女帝』の顔くらい覚えておかないと」

 その言葉を聞いた瞬間、背筋に悪寒が迸ったかのように硬直するチンピラ達。

「まさか…………この女が……あの……ランジュ・ローレンス」

「気安く私の名前を呼ばないで」

 女は殺気に満ちた眼差しでチンピラ達を睨みつけた。

「知らなかったとはいえ、大変失礼しました。命だけは、命だけは助けてください」

 8人のチンピラは一斉に土下座を慣行した。額を地面に擦りつける最上級の土下座だ。

「次はないわよ」

 そう言うと、女は再び悠然と歩き始めた。

 

 自宅の玄関を跨ぐと、女は歩きながらドレスを脱ぎ捨てた。

 ドレスは酒に潰された酔っ払いのように、だらしなく床に横たわる。さらに女が歩いた軌跡には、薄手の生地で作られた紺色のブラジャーとガーター付のショーツが同じく脱ぎ捨てられている。魅惑的な香りと温もりの余韻が残る彼女の着衣たち。一日の仕事を終えた彼らが求めるのは、深い眠りなのだろうか? そう感じさせるかのように、彼らはピクリともしないまま静かに冷たくなっていく。

 女は宝石を磨き上げるかのように丁寧に自分の体を洗っていた。肌理の細かい泡が唯一、彼女を覆い包んでいる。艶のある肌が泡の隙間から顔を覗かせ、湿りを帯びたブロンドの髪からは水滴がポタポタと滴り落ちる。美しい放物線を描く体の部位はスポンジの動きに合わせて、しなやかに揺れる。付着した泡は時間の経過と共に、シャボンのように消えてなくなり、女の体が徐々に露になってゆく。

 そして女は蛇口を捻り、泡を入念に洗い流した。

 彼女を着飾るものは何もない。

 彼女の体を覆うものは、もう何もないのだ。

 そしてそれが彼女自身を、最も美しい状態にさせる。



 ニル・ヒールの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『人通りの少ない路地裏』

 時刻は午前9時15分。

 どっしりとした安定感を誇る『ビル』と『ビル』の間の空間。建物が邪魔で日差しが入らないその路地は、日中も絶えず薄暗い。年季の入った放置自転車が2台ほど、道の端に止められている。冷ややかなアスファルトの道端には、たばこの吸い殻とキャンディの袋が無数に落ちていた。チンピラ達がこぞって集まるその場所を、大人たちは経験的に敬遠している。それ故に、昼夜を問わず、この道を通る者はほとんどいない。

 今日という日だけが、その例外だった。

「お兄さん達、馬鹿なんだね。女帝を口説こうとするなんて」

 白髪の青年は土下座する男達を眺めながら、嘲るように言った。

「クソ野郎。調子こいてんじゃねぇぞ」

 我に返った8人のチンピラ達は、パンパンと手を叩いて汚れを払った。そして各々が抱いていた不満を爆発させた。彼らは血気の逸りに身を任せ、剣幕な表情を浮かべながら、素早く白髪の青年を取り囲む。喧嘩が日常茶飯事になっていたが故の短絡的な行動だった。

彼らは夢にも思わなかったことだろう。

この行動が彼らの人生の中で、一番の選択ミスだった、ということを。

「今、俺たちは最高にイライラしている。悪いが、憂さ晴らしさせてもらうぜ」

 チンピラ達は「ケケケ」と笑いながら、腕を鳴らした。

「無知って怖いよね」と青年は笑っていった。

「はっ!?」

「歓楽街の女帝だけでなく、僕のことも知らないなんて」

「テメェのことなんて知るかよ。白髪野郎」

「もう少し社会の勉強をした方がいいかもね」と白髪の青年は残念そうに言った。

「ムカつく野郎だ。ブっ殺す」

 そう言って、豹柄のシャツを着たチンピラが、白髪の少年の胸ぐらに掴みかかった。

 些細な選択の積み重ねにより、今がある。一度のミスチョイスで、命は容易に終わり得るという点において、人生とは、常に死と隣り合わせの綱渡りのようなものだ。

 

 その時だった。

「お取込み中、申し訳ない。道を教えてもらいたいんだけど」

 と、なんとも状況にそぐわない元気な声が聞こえてきた。

 一同はピタリと動きを止め、その声の発信元へと視線を変える。

 そこには、スーツ姿に大剣を背負った少年の姿があった。

 

 

 リク・ギルフバッシュの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『人通りの少ない路地裏』

「お取込み中、申し訳ない。道を教えてもらいたいんだけど」

 少年が声を掛けると、柄の悪そうな8人が露骨に睨みつけてきた。

「あぁぁ?」鼻にかかった声でチンピラの一人が奇声を上げた。最も小柄で如何にも下っ端風な男だ。「空気読めよ。バーカ」

 そこには明らかに他の者とは雰囲気の異なる白髪の青年が一人、チンピラ集団に囲まれるようにして立っていた。どのような状況なのか、皆目見当もつかない大剣を持つ少年は、構うことなく自分の意見を口にする。

「ファゴット・カンパニーっていう会社まで行きたいんだ」

「人の話をちゃんと聞いてんのか。アァァン?」

「このへんで一番大きな会社なんだ」

「だから、人の話を……」下っ端風なチンピラはドスの効いた声で言う。

「俺、今からそこで面接なの」と少年は全く動じない。

「わかった。わかった。わかりましたよ。教えてやるよ」そう言うと、下っ端風な男は隠し持っていた一本のサバイバルナイフをポケットから取り出し、手に握りしめた。「この辺で一番大きな病院までの最短ルートをよぉぉぉぉぉぉぉぉ」 

 狂気に満ち溢れた表情で猪突猛進する下っ端。

 研ぎ澄まされた鋭利な刃が少年に対して向けられ、迫りくる。もう少し、もう一息。まるでナイフそれ自体が物体を貫くことを望んでいるかのような躍動感がそこにはあった。けれども刃は少年の体に穴を開けるという目的を果たすことができないまま、地面へと落下した。侘しい金属音だけが薄暗い路地裏に木霊する。その音に終止符を打つかのように、少年の目の前で下っ端がバタリと倒れた。

 何が起こったのかさえわからず、周囲は茫然とただ息を飲む。

 静まり返ったその状況で、少年はオレンジ色の髪をポリポリと掻きながら言った。

「違うって。俺が行きたいのは病院じゃなくて、会社。『ククリ』で一番の会社だよ」

 残りのチンピラ達は未だに状況を把握できないまま、各々の得物を携える。それが正しい判断なのか、間違った判断なのかは、現時点では誰にもわからない。全ての思考回路を断絶し、チンピラ共は一気に少年へと襲い掛かる。ただ行動に伴う結果を神に任せるのみ。彼らは漠然とした期待と不安を抱き合わせながら、得物を渾身の力で振り上げる。それはまるで御神籤(おみくじ)のようなもの。そして――――

 彼らは大凶を引き当てたという事実を知ることなく失神し、地面にひれ伏していった。

 少年は再び頭を掻きながら、その場に唯一残った白髪の青年を見た。

 すると白髪の青年は何を言われる訳でもなく、天高く聳えるビルを指差した。

 顔は表情に乏しく、何を考えているのかまるで分らない。

「ファゴット・カンパニー。この辺で一番のプレミア・カンパニーだよ」

「ありがとう」

 軽く礼を述べた後、少年はすぐに歩き始めた。

「それにしても……とっても鮮やかな手刀だったよ」

 と後ろから白髪の青年の声がしたが、少年は振り返ることなく目的地を目指した。

 けれども、しばらくしてから少年の脳裏に些細な疑念が芽生えた。

「おかしいなぁ。見えないように打ったつもりなんだけどなぁ」

 手刀で何度か空を切る素振りをしながら、彼はひたすらに歩き続ける。

 

 時刻は午前10時。

「面接ですね。でしたら、受付用紙にお名前を記入してください」と受付係の女性が言った。

 それに促されるまま、少年は自分の名前を記入する。

                                リク・ギルフバッシュ

 クローバー・グローバーの物語


 商業都市『ククリ』のスラム街『ルーザー・タウン』『クローバーの研究室』

 この街。商業都市『ククリ』は大別すると4つのブロックから成り立っている。

 様々な企業が密集するビジネス街『パール・パーク』

 欲望が交錯する歓楽街『パラド・タウン』

 穏やかな生活が約束された住宅街『リーブス・タウン』

 負け犬が集うスラム街『ルーザー・タウン』

 その一つ。『ルーザー・タウン』は他のブロックとは様子が異なる別世界。

 まるで古代の遺跡のように荒廃した建物が軒並みをそろえている。ほとんどの家の屋根は今にも崩れ落ちそうで、雨漏りなんて驚くこともない。道端の至る所では、みすぼらしい身なりの人々が座り込み、うつろな眼を浮かべていた。ゴミが腐敗したような醜悪な匂いに対して、不快な顔を示すものなど誰一人としていない。

 略奪と暴行が常習化され、正しい規則など皆無に等しい。

 そんな場所で暮らす人々の表情は、例外なく曇っていた。

 いや、そんな絶望的なこの場所で、純粋無垢な笑顔を浮かべる人間が一人いる。

 もしも彼のことを人間として数にいれても良ければ、の話だが。

 真っ白なファイスペインティングで顔を装飾した男が、掌で数粒のタブレット剤を転がしながら、満面の笑みを浮かべていた。

 右目の周りには★マーク、左目の周りには†マーク、額には『進』という文字が描かれている。一見、サーカスにでてくるピエロのようにも見えるが、男は他者を幸せにするために笑っているわけではない。単に自己充足を満たすためだけに笑っているのだ。

 部屋には歪な形をした穀物や植物があちらこちらに栽培されている。ガラス張りのショーケースに目をやると、ヘビやカエル、ネズミやウサギ、イヌやネコ、といった生きた動物たちが物静かに眠っていた。机の上にはフラスコや顕微鏡などの実験器具が乱雑に配置されており、ひび割れた壁からは、冷たい隙間風が流れ込んでくる。そんな中、男の歓喜の声が部屋中に響き渡った。

「完成しました!!」

 その声に反応して、ガラスケースの中で眠っていた動物たちは俊敏に覚醒した。

 男は掌の錠剤をぎゅっと握りしめ、外出の身支度を始めた。

 研究室に隣接する自室のクローゼット。そこから背中に翼を生やしたペンギンの着ぐるみ取り出し、体全体をスッポリ覆った。その姿を大きな鏡で念入りにチェックした後、頭からキリンの被り物を被った。

 念を押すが、男は他者を幸せにするためにこのような格好をしているわけではない。

 単に自己充足を満たしたいだけなのだ。

 そして男は満足げに部屋を飛び出した。

 時刻は午前7時。



 ニル・ヒールの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『人通りの少ない路地裏』

 時刻は午前9時半。

 白髪の青年は、さきほど出会った大剣の少年に対して、深く感心していた。

「悪くない動きだったな。それにしても彼、どこかで見たような……」少年はギュッと目を瞑って、記憶の断片を再編集した。「そうだ。そうだ。『週刊プレミア・ニュース』で特集されていた子だ。なるほど。彼が噂の『Sランク取得者』か。ファゴット・カンパニーだけじゃなく、うちにも面接に来てくれるといいんだけど」

 そう言うと、青年はコケシ人形のように横たわるチンピラの腹部を軽く蹴った。

「それに比べて、君たちはゴミクズ以下の存在だね。不平や不満ばかりを並べ立ててばかりでほとんど努力もしない。似た者同士で群れ合って、ただ過ぎ去ってゆくだけの空虚な時間を、あたかも有意義な時間のように錯覚する。僕からすれば、現実逃避をして逃げているようにしか見えない。夢がないから頑張れない、と多くの者は口を揃えて言う。でも、違うだろ。実際は、夢について考えるところから、死ぬ気でやらないといけないんだ。つまり、君たちは、スタートラインに立つことから逃げている。考えて、考えて、考え抜くことって、精神がブッ壊れそうになるくらい大変なことだからね。自分の道すら決められない君たちは、生きている価値すらないよね」

 青年は気を失ったチンピラ達を冷酷な口調で罵った。



 クローバー・グローバーの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『スクランブル交差点』


 協調性が重要視されるこの時代。

 個性が求められるこの時代。

 ルールを重んじるこの時代。

 自由を欲するこの時代。

 そんな理不尽な時代が、一人の人間を生み出した。


 合理的な形をした単調な建物に退屈さを感じながら、男はプラプラと『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』を徘徊していた。子供は彼に対して後ろ指をし、大人は彼から遠ざかろうとする。背中に生えた翼が歩行者の行く手を妨害し、人々を苛立たせたが、彼に声を掛ける者、注意をする者は一人としていなかった。触らぬ神に祟りなし。誰もがその男――街中で平然とキリンペンギンドリの格好をする者の存在――を常識として受け入れることができなかったのだ。

 時刻は午前9時半。

 圧倒的な人間量に疲れると、男は少し物静かな路地裏に入った。

 そして少し奥へと進んだところで、男はとある光景と遭遇した。

 白髪の青年が地面に倒れている者達に対して、暴言を吐いている姿だ。

「君たちは、生きている価値すらないよね」

 白髪の青年がその言葉を口にするのを耳にするや否や、男は強い口調で言った。

「彼らにだって生きている価値はあります!! はい」

 白髪の青年は、しばらくの間フリーズ状態となる。

 それが予想外の反論によるものなのか、男の奇抜な格好によるものなのかは定かではない。

 けれども、青年はすぐに冷静さを取り戻し、淡々とした口調で言った。

「ないよ。こいつらに価値なんて」

「いいえ。価値がない命なんて存在しません」

「そこまで言うなら、僕が納得できる説明をしてくれない?」

「いいでしょう。はい」

 青年の要求に応じた男は、ペンギンの着ぐるみの腹部に備え付けられてあるカンガルーのようなポケットから、錠剤とペットボトルをモタモタと取り出した。指のないペンギンの手で物を取るのは思った以上に困難な作業だった。

「クッー。如何に人間の手が素晴らしいものか、考えさせられる瞬間ですね。はい」

 そして横たわるチンピラの一人一人に錠剤を含ませ、またモタモタとペットボトルのキャップを外し、入っていた水で錠剤を胃の中に押しやった。

「気絶しているだけだよ。別に薬なんていらない」と青年は言った。

「まぁ、見ていてください」

 しばらくすると、気絶していたチンピラ達が胸を押さえて苦しみ始めた。口元から唾液を垂らし、擦れた声で苦しみを吐露する。あまりの苦しみに、拳で何度も何度も地面を殴る者もいた。次第に体からは蒸気が立ち上り、みるみる内に皮膚が乾いてゆく。蒸気が治まったころには、チンピラ達は変わり果てた姿で横たわっていた。まるで灼熱の業火に焼かれたようなひどい有様だ。

 白髪の青年は好奇心旺盛に朽ちた遺体を観察していた。

「彼らに何をしたの?」

「細胞を活性化させる薬を投与しました」

「『彼らにだって生きている価値はある』そう言ってなかった?」

「ええ。言いました。彼らのおかげで、人類はまた更なる進歩を遂げました。尊い犠牲を通じて人は何物かを得ることができる。人は多くの犠牲を払って、下等なものから高等なものへと進化してゆく生き物ですから」

「進歩ねぇ」白髪の青年は損傷の激しい肉体を指でつついた。「僕には破滅に向かっているようにしか見えないけど。君はひょっとして不老不死の薬でも作ろうとしているの?」

「まさか」と男は強く否定した。「課せられた制約、限られた時間の中で、人は何物かを得ようとする。課せられた制約、限られた時間があるからこそ必死になる。だからこそ人は、進化することができる。だからこそ私は、人間を愛することができる」

「愛ねぇ」と白髪の青年は首を傾げた。「で、君は彼らの命から何かを得られたの?」

「ええ。薬の改良が必要だという事実を得ることができました」

「つまり、失敗ってこと?」

「失敗ではありません。成功に近づいた、と言ってもらいたい。はい」

 ちょうど、その時、男のポケットから着信音が鳴った。

「ちょっと失礼します」そう言って、男はモタモタと携帯電話を取り出し、モタモタと応答ボタンをプッシュする。「もしもし。私です。クローバー・グローバーです。ええ。ええ。ええ。ええ。ええ。そうです。実験の結果、無事に成功に近づくことができました。はい。後の処理はお願いいたします。えっ? 何の処理かって? 成功に近づいた処理だと言っているでしょう。えっ? 意味がわからない。まったくこれだから凡人は。凡人語に翻訳すると、実験は失敗して死人がでたから上手い具合に処理してくれ、です。政府の連中に私の名前を伝えれば、上手く揉み消してくれますから。ええ。ええ。ええ。よろしくお願いしますよ。では」

 電話を終えると、男は軽蔑に満ちた視線が自分に突き刺さるのを感じた。

「やっぱり失敗なんだ」と白けた語気で言う青年。

 それに対して、男は残念そうに首を振った。

「天才の辞書には、失敗なんて言葉は存在しません」





 クロナ・イヴニスの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『ファゴット社 面接室前』

 少女は扉を二回ノックした後、面接室へと繋がる扉を開けた。

 そこは、天井、壁、床、その全てがパールホワイト色をした奇妙な部屋だった。正方形の形をしたその閉鎖的な空間には、窓どころか通気口すら見当たらない。まるで空洞のサイコロの中を連想させるような、そんな場所だった。部屋の中央部には、同じくパールホワイト色をした椅子が二つ用意されている。

 一度、足を踏み入れると、少女はその居心地の悪さに、嫌な感じを覚えた。鉄の鎧を着せられたかのように体は重くなり、喉元に刃物を突き付けられたかのように息苦しい。殺気で全身を愛撫されているかのような気分だった。

 その原因を作り出す根源は、間違いなく目の前にいる男だ。

 受験者用の椅子の対面側の椅子に腰かける人相の悪い男。

 前髪はオールバックで、襟足はウェーブパーマで散らされている。顎には整えられた髭が携えられており、解放されたカッターシャツの隙間からは、ドクロを象ったシルバーのペンダントが顔を覗かせている。眉間には深い皺が刻まれ、それが一層、彼の目付を鋭いものにさせていた。

「座れ」とオールバックの男は言った。

 少女は促されるまま椅子に腰かけた。

 それに続いて、少女と共に部屋に入った少年も椅子に腰かけた。

 待合室で同じタイミングで名前を呼ばれた、言わば、面接仲間というやつだ。

 彼はゆっくりと床に大剣を置くと、背筋を伸ばして胸を張った。

「それじゃあ、始めよう。面接担当者のルッチン・クライファーだ」とオールバックの男は事務的に言った。「早速だが、名を名乗れ」

「クロナ・イヴニス」と少女は綺麗にお辞儀をした。

「リク・ギルフバッシュです。よろしくお願いします」と少年も続いてお辞儀をした。

 面接官のルッチンは無表情で頷いた。

「では、リク・ギルフバッシュ。まず、お前の方から、自己PRをしろ」

 その要望に対して、リクと名乗る少年は胸を張り、笑みを零しながらハキハキと答えた。

「俺は強くなりたい。もっと、もっと、強くなりたい。ただそれだけを目指して、これまで生きてきた。そして、いつかは世界で一番強い人間になりたいと思っている。この前、受験した『BTS』(バトル・テスティング・サービス)の結果は『Sランク』だった。でも、俺は全く満足なんかしていない。俺はまだまだ強くなれるし、もっと強くなりたい」

「お前の噂はかねがね耳にしている。リク・ギルフバッシュ」とルッチンは言った。「若干、18歳で『Sランク』を取得した若き天才。プレミア・カンパニーで働くことを志す若者が増えてきている近年。今年は例年にも増して、レベルの高い年だと言われているが、その中でもナンバーワンの呼び声が高い。様々なプレミア・カンパニーが喉から手を出して、お前の獲得に躍起になっている」

「どうも」と言って、リクは軽く会釈をした。

「だが、あまり図に乗るなよ。実践で使い物になるかどうかは別の話だ」ルッチンは瞳孔を全開にし、捨て吐くように言った。「では、次。クロナ・イヴニス」

 少女は自分のペースを崩すことなく、落ち着いた物腰で話を始めた。

「自分の長所を他人に説明するのは得意じゃないが、強いて言うならば、私も試験を受けさえすれば『Sランク』とやらを取得する自信がある」

 少女は親指で隣に座るリクを指刺した。

 ルッチンは眉を顰めながら少女の履歴書に目を通す。

「お前、『BTS』を受験したことは?」

「ない」と少女は言った。

「話にならんな。まぁ、そのルックスなら、戦えなくても使い道はいくらでもありそうだが。例えば、俺の秘書なんて道もある。どうだ?」

「断る」と少女はキッパリと言った。

「冗談だ。そんなに怖い顔をするな」とルッチンは忌まわしい笑みを浮かべる。「リク・ギルフバッシュ。次は志望動機を述べろ」

「俺の目標は、世界で一番強い人間になること。プレミア業界屈指のファゴット・カンパニーで自分を磨くことが、その一番の近道だと思った」

 ルッチンは無表情で頷いた。

「クロナ・イヴニス。お前は?」

「特にない」と少女は言った。

 ルッチンは評価シートなるものにペンを走らせた後、事務的に言った。

「面接は以上だ。結果は追って、電話で連絡する」



 リク・ギルフバッシュの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『ファゴット社 面接室前』

 面接室から退出すると、少年は大きく伸びをし、空気をいっぱいに吸い込んだ。面接中の空気はハリガネのように硬くて味気がなかったが、外の空気は柔らかくてマイルドな味がした。とはいっても、それは空気が美味しいというわけではない。あくまでも先程の空気と比べるとマシだということだ。この街の空気のほとんどは、どこか人工的な味がする。強力なモーターファンに吸い込まれ、フィルターを通じて不純物が取り除かれた無機質な空気だ。

 ――――俺が本当に吸いたいのは、こんな空気じゃない。

「あれが噂に名高い圧迫面接というやつか?」とクロナは少年の隣でポロリと呟いた。「わざと相手を威嚇して、面接者のストレス耐性を試験するというアレだ」

「いや、違うと思うぞ」と少年はクロナの問いかけに応じた。

「私はあの男が嫌いだ。職権乱用のセクハラ人事め」

 ――――セクハラ人事? 可愛い顔して毒づくなぁ。

 クロナは露骨にムシャクシャとした感情を表に出していた。

 少年はなぜ少女がこれほどまでに不機嫌なのかを考察してみた。その結果、面接官に『可愛いから俺の秘書になれ』なるものを言われたことに対して腹を立てているのだろう、という結論に達した。

 女という生き物は、『可愛い』と褒めれば喜ぶ時もあるし、『可愛い』と褒めれば怒り出す時もある。かといって、『可愛い』と口にしないことでヘソを曲げる場合もある。彼女たちは、男の常識が通じない難解な生き物なのだ。

 とは言っても、ご機嫌斜めの女の子を放っておくというのも、男としては如何なるものか。少年はアレコレと思案した結果…………

「まぁまぁ」と笑いながらクロナを宥めた。「俺もお前も一次面接は無事に合格したことだし。何でもいいだろ」

「合格? 君は相当に自信があるようだな」

「自信じゃなくて事実さ。無事に面接室から出て来られたんだから」

 少年がそう言うと、クロナは腕組みをしながら「う~ん」と唸り声を上げた後、小さく首を捻った。そして「悪いが、言っている意味がよくわからない」と、大きな瞳を少年の瞳に近寄せながら言った。まったく濁りのない澄んだ瞳だった。少年は顔を赤らめながら視線を外し、ブツブツと照れくさそうに頬を掻いた。

「わからないって……お前……合格は……合格な訳だから……その……」

「いいから。説明しろ。その根拠を」

 少年は戸惑いながらもクロナの要望に応えるように説明を始めた。

「プレミア・カンパニーの一次面接は『オーラ』による耐久性を試される場だろ。たいていどこの会社も同じ。もちろん、このファゴット・カンパニーも例外じゃない。面接官は面接者が部屋に入った瞬間から、ずっと殺気を飛ばし続ける。ただの殺気じゃない。オーラを内包させた殺気だ。面接官の発する『オーラを込めた殺気』に耐えられない者は、それだけで意識を失ってしまう。つまり、部屋から無事に出てこられた時点で合格、だろ?」

「そういうことか」とクロナは素っ頓狂な声を上げ、ポンと手を叩いた。

 ――――プレミア・カンパニーを目指す者なら、誰でも知っている常識だろ!!

 と少年は心の中でツッコミを入れた。口に出さなかったのは彼なりの優しさである。

「私はてっきり、オーラによるセクハラだと思っていた」とクロナは無表情で言った。

 ――――それでセクハラ人事ってわけか。

「でも、セクハラとか……そんな生易しいオーラじゃなかったぞ」

 と言って、少年は釈然としない表情でクロナを見つめた。

 そんな少女の表情は、なぜだか飾り気のない満面の笑顔だった。

「また会おう、少年」

 それだけ言い残して、黒髪の少女はその場から去っていった。

 女心は秋の空。

 変化しやすい女心というものは、男には決して理解できないものなのかもしれない。

 ――――女という生き物は、何を考えているのかさっぱりわからん。

 少年は遠ざかる少女の背中を、しばらくの間、眺めつづけた。

 

 

 カナン・ドクロアの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『歩行者道路』

 男は己の悲運を嘆いていた。

 手枷によって両の手首はピッタリと密着している。毛ほども動かすことが叶わない。血で染められたシャツのシミは、刻一刻とより大きなものへと変化している。地面を踏みしめるたびに体内から血液が零れ出し、その血が傷口を刺激する。その刺激情報は神経回路を通じて絶え間なく脳に送られ続ける。男はそんなエンドレスな苦痛と戦いながら、街を歩き続ける。

 ――――いっそのこと楽になりたい。倒れてしまいたい。

 男の本心はそうなることを渇望していた。

 意識が飛べば、失神すれば、少しの間だけでも痛みを感じなくて済む。人間の体は一定以上の苦痛を感じないよう、そうプログラムされている。

 けれども、男は自分の意識を必死に繋ぎ止めながら歩き続ける。たとえ人間の生存保護本能を拒んで、死ぬことになったとしても、男は歩き続けることだろう。

 絶対的な力をたやすく受け入れる人間は、可も不可もない無難な人生を送る。

 けれども、そんな絶対的な力に抗うものは、時として賞賛される。

 だからこそ、男は、社内において全幅の信頼を置かれていた。

 男が歩いた軌跡には、ポタポタと血のレールが敷かれてゆく。まるで童話の主人公『ヘンゼルとグレーテル』が、道に迷わないようパンの欠片を蒔くかのように、男は血の滴を地面に蒔き続ける。『ヘンゼルとグレーテル』は無事に家に帰れるようにと願いを込めて、ソレを実践したらしいが、男の場合は少し状況が違っていた――――蒔けば、蒔くほど、帰れなくなる。

 それを理解した上で、男は歩き続けていた。

 別にそうしたかったわけではない。

 そうするしかなかったのだ。

 なぜなら男は――――

 ザワザワとした街のノイズが、死神の唄のように聞こえてくる。

 男は血だらけで、手枷をスーツで覆い隠しながら歩いていた。傍から見れば、牢獄から脱獄を試みた第一級の殺人犯だ。人々はそんな男に恐れおののき、近寄るまいと道を開けた。半死半生の男を目の前に、優しい声を掛ける者は誰一人としていない。

 男の瞳には、街にいる全員がサディストに映った。

「倒れたい。楽になりたい。なんかもうどうでもいい」と男は自暴自棄ぎみに言ってみた。

 それでも男は歩き続ける。

「だけど…………この書類だけは、絶対に届ける。なんとしても」

 そう言って、男は自分自身に喝を入れた。

 そして、ただ前だけを見続けて、ただひたすらに歩き続けた。

 なぜなら男は――――サラリーマンだからだ。

 

 が、次の瞬間。

 キキッッッッッ―――――――――――――――――

 無機質なメタルカラーの何かが、男の視野を独占した。

 ―――――――――――――――――――ドンッッッ。

 疑問を抱く時間すら与えられないまま、

 けたたましい衝突音がビジネス街に響き渡った。

 時刻は午前11時半。



 オルガ・ヘブラインの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『とある小さなカフェ』

 時刻は午前11時20分。

 男は刺々しい眼光を周囲に飛ばしながら、貧乏揺すりを繰り返していた。

 悪童がそのまま大人になったような風貌の男の眉毛には、何本かの剃り込みが入っており、左腕にはオオカミの刺青がびっしりと描かれている。

「ブロンズライセンスの利用料金が払えなくなってから、3ヶ月が経つ」と男は言った。「俺たちの会社『レッド・ウルフ』も『ブラック・リスト』に上がっている頃だ。そろそろプレミア連盟の奴らも本腰入れて、乗り込んでくるだろう」

「同点、ノーアウト、走者3塁でクリーンナップ登場のピンチぃぃ」

 男の発言に対して、純白のロリータドレスに身を包んだ女が言った。女は自分の頭よりも大きなリボンを頭に乗せ、室内なのにも関わらず、日傘を刺している。瞳はまるで誇張された少女漫画のように大きく、不自然に輝いていた。

「エクレア、俺たちはお前が思っている以上にピンチな状況だ。もっと空気を読め」

 男は左腕の刺青をさすりながら言った。

「空振り三振」とエクレアは自分の頭をコツンと叩く。

「まさかビギナーライセンスとブロンズライセンスにここまでの差があったとは」と双眼鏡のような怪しげなゴーグルを身に付け、パーティー用のトンガリ帽子を被った男が、何やら作業をしながら言った。ピンセットとペンチを交互に持ち替え、機械仕掛けの金属箱をせっせと作り上げている。「大きな誤算ですな。誤算が大です。禁止区域に出現する『天魔獣』のレベルが一気に跳ね上がり、ボクたちの力では倒せなくなってしまった」

「おい、モルツ。過ぎたことを悔やんでもしょうがねぇ。嘆いたところで状況は変わらない。プレミア連盟の契約書にも書いてあっただろ。金さえ積めば、いつでも『ビギナーライセンス』から『ブロンズライセンス』へのアップグレードは可能だが、一度、アップグレードしてしまうと『ブロンズライセンス』から『ビギナーライセンス』へのダウングレードはできない。つまり、俺たちはもう『ビギナー禁止区域』に足を踏み入れることができないってことだ」

 男は頭を抱え込みながらそう言った。

 それに対して、モルツはニッパーで導線をバチンと切ってから言った。

「かといって、ボクはもう『ブロンズ禁止区域』に入るのは御免ですな。命からがら街に帰ってくるだけで精一杯だったんですから。思い出しただけで、悪寒がします」

「振り逃げ。振り逃げ」とエクレアは子供のように笑う。

 刺青の男は抑えきれない苛立ちを拳に乗せて、机の上の紙コップを握りつぶした。

「確かに俺たちの力じゃ、ブロンズ禁止区域の天魔獣はジュエル結晶化できねぇ。借金だけが膨れ上がる一方で、いつのまにか3000万クレジットの負債を抱え込んでいる。だが、金を返せる当てがない。しかし、チンタラしている時間もない。連盟の刑罰執行(エクスキューション)まで時間の問題だ。だからこそ、俺たちに残された手段は一つしかない。モルツ、作業を急げ」

「ボス、本当にやるんですか?」

 モルツは電子部品が散りばめられた基板を入念にチェックしながら言った。

「もう後には引けねぇ。殺るか、殺られるかだ」

「本当の本当にやるんですか?」

 モルツの執拗な確認に苛立ち、男の額の血管はみるみる膨れ上がった。

 そして、男が人差し指に力を込め、目にも止まらぬ早業で指を弾いた途端、

 バリィィィィィィィィィィンッ。

 窓ガラスが割れる音と共に、モルツのトンガリ帽子が吹き飛んだ。

「黙って俺の命令に従え。ボスは俺だ」

 男の人差し指からは、ポタポタと血が溢れ出ていた。

 良くみると、先ほどまでは確かにあったはずの爪がなくなっている。

 男はペロリと自分の人差し指を舐めてから、不敵な笑みを浮かべた。


 昨日と今日が同じ世界であるとは限らない。

 いや、時の流れが止まらないことを考慮に入れると、同じ世界などありえない。

 変化のスピードが加速している現代においては尚のこと。

 その中で、人は時代に取り残されまいと、必死で時流に喰らいつこうとする。

 男もまたそんな人間の一人なのだ。



 ジュラール・バウティスタの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『車道の一番左端』

 大型陸上移動型要塞『ケルベロス』

 ガンメタリックカラーを基調としたその金属の化け物は、正大なる威厳と貫禄を持ち合わせていると同時に、思春期の少女のような危なげな脆さも兼ね備えている。薄くスモークされたフロントガラス(中からは外を見ることができるが、外から内部が見えない仕様のガラス)はまさに『ケルベロス』の心の内をダイレクトに具現化したものに他ならない。

 そしてエアロウイング(空気抵抗を低減させるためのパーツ)は、オシャレよりも機能性を追求した地味ものとなっている。周囲の目や評判を気にするあまり、好きな男の子(クラスのアイドル『サラマンダー』)に話しかけられても無骨な態度しか取ることができない。『サラマンダー』と仲良くしたい。でも、クラスでも控えめな自分が、クラスで一番の人気者の『サラマンダー』と釣り合う訳がない。そうに決まっている。

 しかし、夏休みが明けると『ケルベロス』はかつての『ケルベロス』ではなくなっていた。

 フロントロアスポイラー(車体のフラツキを押さえるパーツ)にレッドメッキのバンパーを付けるようになったどころか、ノーマル標準ホイールをアルミホイールに交換していた。

 

 彼女の変化を語るには、あの夏の出来事を説明しなくてはならない。

 それはうだるように暑い、夏の夜のことだった。

 ハイウェイのパーキングエリアで偶然出会った『ケルベロス』と『サラマンダー』。

 燦然と輝く大空の灯を、2人はエンジンを切って、静かに眺めていた。

 すると唐突に、『サラマンダー』のフロントライトがギラギラと輝き始めた。

 彼のラジエーター(エンジンの冷却装置)は、いつの間にか制御が効かなくなっていた。

 徐行しながら、ゆっくりと迫りくる『サラマンダー』。

 ダメだ。ダメだ。ダメだ。こんなのダメだ。

『ケルベロス』は頭では理解していた。けれども、彼女の『サラマンダー』に対するサイドブレーキは、どうあがいても作動してくれない。一度踏み込まれたアクセルペダルは、ゆっくりと押し倒されてゆく。もう後戻りはできないのだ。

 それから一夏かけて、彼女は『サラマンダー』の色に染まっていった。

 けれども『ケルベロス』は後に知ることになる。

 自分は『サラマンダー』にとって、ただ低燃費なだけの存在であったということを。

 ハイブリッドが好きな彼にとって、自分は遊びでしかなかったのだ。

 残ったのはオドメーター(今までに走った走行距離を計測する計測器)に刻印された走行距離だけ。もう新車ではなくなってしまったのだ。仮に販売店に持っていったとしても、中古車という扱いになってしまう。もう全てがどうでもよくなった気がした。

 いっそのこと、廃車になってしまおうかな。

 そんな考えが、来る日も来る日も頭の中で鳴り響く。

 そんな時だった。

 『ケルベロス』の唯一の親友『ヤマタノオロチ』が、何も言わずに自分の横にアイドリングストップし、そっとクラクションを鳴らした。『ケルベロス』は自分の泣き顔を見られまいと、何度も何度もウォッシャー液をフロントガラスに吹き付けては、ワイパーでそれを拭った。

 ただ嬉しかった。

 誰かがそばにいてくれるという事実が。

 自分は一人ぼっちじゃない、という事実が。

 その日を境に、彼女はカスタムパーツを全て取っ払った。

 薄くスモークされたフロントガラスも、もういらない。

 彼女は過去を受け入れ、強く、気高く、前向きに生きる決心をした。

 

 そんな大型トラック『ケルベロス』を運転する中年の男。

 男は物に対する思い入れが人一倍強く、その愛着をより強固なものにするために、物にストーリーを付与する性癖を持つ。言い換えれば、ただの妄想好きな変態人間だ。

 ライオンの鬣のような毛をヘアバンドでまとめ、無精ひげを生やした妄想変態男は、視界良好の窓ガラスから見える景色が、誰よりも好きだった。何よりも清らかで気高い透明なガラスを介すれば、世の中の汚い部分が霞んで見える。そんな気がした。

 商業都市『ククリ』の『パール・パーク』は、片側4車線から成る道路で、いつもは交通量が多く、流れが悪い。けれども、今日という日は違っていた。密度が低い見通しの良い車線に自然とアクセルペダルの踏み込みも深くなる。

「今日は信号運もイイ」

 と、気分良くトラックを走らせている矢先のことだった。

 バリィィィィィィィィィィンッ。

 突然、男が大好きだったフロントガラスが雪崩のように崩れ去った。

 ふと助手席をちらりと見やると、なぜだかそこには、一本の『爪』が落ちていた。鋭く尖った『獣の爪』のようだった。

 操縦が効かなくなったトラック『ケルベロス』は歩道へと進路を変え、本当の怪物へと変貌する。その進路方向には、千鳥足でよろめく赤髪のサラリーマンの姿があった。

 男は慌ててサイドブレーキを引き、ブレーキペダルを力一杯に踏み込んだ。

 キキッッッッッ――――――――――――――――ドンッッッ。

 時刻は午前11時半。



 クロナ・イヴニスの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『ファゴット・カンパニー前』

 面接を終えた少女は『ファゴット・カンパニー』に背を向けた。

 高さ2千メートルを誇る超高層ビルの敷地を一歩でも踏み越えると、一般的な高層ビルで形成されたコンクリートジャングルが顔を覗かせる。そのどれもが圧倒的な高さを有しているのだが、やはり先のモンスタービルディングと比較すると、どうしても霞んで見えてしまう。

 そんな彼女の瞳に映るのは、スーツ姿で足早に歩く、数多くのビジネスマンの姿だった。

 激化する競争社会で取り残されないように、目の前の仕事に没頭し、自分が生まれてきたことの意味や使命について考える余裕すら与えられないまま、走り続ける人々。

 たいていにおいて、彼らは好きでサラリーマンという道を選んだ訳ではないだろう。

 おそらく彼らのほとんどは、別の道を進みたかったが、それができなかったのだ。

 大人になる過程において、幾度となく挫折と敗北に直面し、現実と現状を突き付けられる。

 そして、いつしか、自分の可能性を自分自身で閉ざしてしまう。

 自らの手で扉を閉ざしてしまった彼らは、どうしようもない状況にただ愕然と立ち尽くす。

 やがて、彼らは『やりたいこと』よりも『できること』を模索し始めるようになる。

 彼らはきっと、出口の見えない迷宮を素手で掘り進むよりも、出口のない迷宮をスコップで掘り進むことを選び、そんな生活に慣れてしまった人々だろう。

 少女は少し迷っていた。

 ――――いい人生とは何だろうか?

 ――――よく生きるとはどういうことだろうか?

 そして少女は少し脅えていた。

 ――――自分が選ぼうとしている道は、果たして正しき道なのだろうか?

 ――――ひょっとすると、彼らが選ぶ道の方が、幸せなんじゃないだろうか?

 そんな時、少女の目の前で、一発の花火が上がった。

 それは夜空に咲き誇る芸術品などではなく、昼間から鉄クズを撒き散らし、ガソリン臭を漂わせる最低の花火だった。

 幸か不幸か、そんな醜い花火が打ち上がる一部始終を目撃していた少女。

「神よ、どうやら、あなたは私に歩ませたいようだな。修羅の道を」

 そして少女は、とある決断を下した。

 それは彼女にとって最も過酷な選択で、

 それは世界にとって最も有益な選択であった。

 この日、少女は世界で一番、嬉しそうに笑った。

 時刻は午前11時30分。

 

 

 ジュラール・バウティスタの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『歩行者道路』

 ライオンの鬣のような毛をヘアバンドでまとめた中年男は、頭を押さえながら現状を確認した。エアバッグがパンパンに身体を圧迫し、思うように身動きをとることができない。運転席側の窓からはアスファルトの地面が見え、そして助手席側の窓からは青空が見えた。どうやら相棒であるケルベロスは、ものの綺麗に横転してしまっているらしい。男は悪戦苦闘しながらもエアバックを押し退け、砕け散った助手席側の窓から脱出を試みた。

 男の相棒であるケルベロスは、見るも無残な姿で地面に倒れ込んでいた。フロントバンパーは少し凹み、タイヤはカラカラという乾いた音を立てて回っている。フォグランプとフロントガラスは壊滅状態だ。どうやら横転した衝撃で、ハザードランプの制御回路が壊れてしまったようで、ランプがチカチカと不規則に点滅していた。

 そんな相棒の姿を見て、男はただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。けれども、男はすぐに重大な事実を思い出し、ブンブンと首を振った。一瞬の出来事ではあったものの、はっきりと鮮明に覚えている。

「…………轢いてしまった」

 通行量の少ない道路に気分を良くして、法定速度を大幅に超えるスピードを出していたことを、今さらながらに呪ったが、覆水盆に返らず。90㎞を超える速度で大型トラックに轢かれ、無事でいられる人間などいるはずがない。それは百も承知だった。だが――――

 男は色褪せた一縷の望みを抱きながら、被害者の姿を探した。燃えるような赤い髪をしたスーツ姿のサラリーマンの姿を。しかしながら、どれだけ周囲を見渡しても、被害者の姿はどこにも見当たらなかった。まるでエサを見つけた蟻の大群のように、野次馬たちがどこからともなく群がってくる。彼らの好奇の目に晒されながら、男はどうすることもできなかった。

 ――――やってしまった。

 ――――俺は人を…………

 ――――…………殺してしまった。

 と、男が罪悪感に苛まれていると、どこからかともなく、何かの音が聞こえてきた。

 それは疲労困憊した幽霊が、助けを求めて呻くような声だった。

「痛てぇぇぇぇ。痛てぇぇ。痛てぇぇぇぇぇぇ。痛ぇぇぇぇぇぇぇぇ。痛ぇぇよ」

 男は耳を澄ませて辺りを徘徊してみたが、どうしても声の出所を特定することができない。

「痛てぇぇぇぇ。痛てぇぇ。痛てぇぇぇぇぇぇ」

 そうこうする内に、終焉を迎えたムービーのように音がピタリと鳴りやんだ。

 嵐の後の静けさのような不気味な静寂が、悲惨な事故現場に立ち込める。

 その時だった――――

 ボォッッッッッッン。

 何かをブン殴る様な衝撃音と共に、突如として、大型トラックが宙に舞い上がった。まるで鯨の潮吹きのように天高く上昇を続けるケルベロス。そこにいた全ての者があんぐりと口を開き、有りえない物が宙を舞う様を眺める。それ故に、男を含む多くの者たちは、なかなか気付くことができなかった。先程までトラックが横転していたその場所に、一人の男が立っていたということに。赤い髪をしたその男は、頭からおびただしい量の血を流し、手枷に繋がれた両の拳を空に向かって掲げていた。

「プレゼンに使う資料がボロボロじゃねーか!!」

 その怒りの声を耳にして、ようやく男は彼の存在を知った。

 間違いなく、今しがたトラックで轢いてしまった男だ。

「兄ちゃん。大丈夫かい!?」と男は慌てて被害者に駆け寄った。

「この状況。あんたの目には、大丈夫に見えるのかい!?」

「いや、見えない……」と言って、男は被害者の容体を案じた。体内に血液が残っているのか不安になるほど、手枷を付けた赤髪の男が血を流し過ぎていたからだ。

「すまない。本当にすまない」と男は愕然としながら謝罪の言葉を口にした。

「いや、俺も謝らなければいけないことがある」手枷の男はそう言って、宙を指差した。「あんたのトラック。壊しちまった」

 その言葉の直後、飛翔の限界点に達した大型トラックが、まばゆい光と大きな衝撃音と共に…………大爆発した。

「ケルベロスッ――――――!!」

 男の腹の底から出た叫び声が、相棒に対するレクイエムとなる。



 カナン・ドクロアの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『歩行者道路』

 人生は不確かなことだらけだ。

 財布を落として、自分の不甲斐なさに苛立つ日もあるだろう。医者に病を宣告されて、眠れない日もあるだろう。恋人に裏切られ、孤独に脅える日もあるだろう。何が起こるかわからないこの人生。けれども、どんな不測の事態が起ころうとも、どんな困難が降りかかろうとも、やり遂げなければならないことが、この世の中には存在する。

 何があろうとも、何が起ころうとも、何に妨げられようとも、使命を全うする者こそが、真のプロフェッショナルであり、真のビジネスマンであり、真の(オトコ)である。これが仕事に対するカナン・ドクロアの哲学だった。もちろんそれは、手枷を嵌められた状態で、大型トラックに轢かれ、体内に残る血液がごく僅かな今も例外ではない。

 それは必ずしも正しい生き方ではないだろう。

 それはお世辞にも利口な生き方とは言えないだろう。

 そのような生き方をしていれば、道を踏み外すようなことも多々あるだろう。

 けれども、男はそう生きる。なぜなら――――

「すぐに病院に行こう」とライオンのような鬣を有する中年の男が言った。

「アンタは?」視界が霞む中、男は尋ねた。

「俺はジュラール・バウティスタ。お前を轢いた男だ」

「残念だが、ジュラールさん。アンタの頼みは聞けない」

 男は辛辣な微笑を浮かべながら言った。

 野次馬たちが、2人の言動に注視しながら、各々が言いたいことを言っている。

 けれども、周囲から聞こえるはずの雑踏と喧騒は、不思議と耳には入ってこなかった。

「何を言っている。今なら、まだ助かるかもしれない。早く病院に行くぞ」

「届けなきゃ……いけないんだ。大切な書類を。上司に」

「命の方が大切に決まっている。さぁ、行くぞ」

 携帯電話から救急車を呼ぼうとするジュラール。

 そんな彼の腕をガッシリと掴んで、頑なに首を横に振る男。

「やめてくれ」

「書類は私が責任を持って、君の上司に届ける。だから…………」

「ダメだ」と男はピシャリと言った。「社運を担う大事な書類なんだ。俺が責任を持って届けなきゃならないんだ。見ず知らずのアンタに任せたんじゃ、不安で眠ることもできねぇよ」

「たかが仕事だ。そこまでする必要があるのか?」

「さぁな」と男は首を傾げた。「でも……サラリーマンにとって、商談は戦争みたいなもんだ。俺の上司は俺が来るのを信じて待っているはずだ。敵地の真ん前で脅えながら、丸腰で待っているはずなんだ。武器すら持たない丸腰の兵士を、敵の本陣に送り出すような薄情なマネ。アンタにはできるかい?」

 男は引き攣った表情を浮かべながら、地面に落ちていた封筒を拾い上げた。

「不器用な男だな」ジュラールは呆れたように言った。

「仮に俺の行動が何の結果も生まなかったとしても、やらなきゃならないんだ。自分の信念を曲げずに生きていれば、いつかどこかに辿り着ける。俺はそう信じている」

 なぜなら男は――――サラリーマンだからだ。

 これは絶対に正しい、と自分が納得できる生き様を

 彼は絶えず追い求め続けていた。

 だからこそ、男は、誰よりも仕事というものを、愛することができたのかもしれない。

 

 男はゾンビが歩くようにフラフラになりながらも、自分の足で一歩一歩、歩き続けた。

 いつの間にか痛みの感覚すらなくなっていた。

 それでも男は歩き続けた。

 意識なんてものは、どこかの時点でとっくにプツリと途切れていた。

 それでも男は歩き続けた。それでも男は歩き続けた。それでも男は歩き続けた。

 時刻は午後12時ジャスト。

 その後、男は上司にバトンを手渡すと、バタリと道端に倒れ込んだ。



 リク・ギルフバッシュの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『スクランブル交差点』

 大剣を手に持つ少年はおもむろにビジネス街を徘徊していた。

 そこで目にするのは、世間に依存して生きる不自由な人間たちの姿だ。

 彼らは型に嵌った行動を極端に嫌う一方、型に嵌った行動を取らないと不安になる。

 また、人との結び付きを欲する一方、心の奥底では人を信じることを放棄している。

 なぜこのような不整合な生き方をし続けるのか?

 なぜ社会の小さな檻の中に自ら身を置くのか?

 なぜ心が欲するままに自由を謳歌しないのか?

 少年には彼らの気持ちが全く理解できなかった。

 そんな矛盾だらけな人間が、完璧を追い求めて作った建造物は、どれもこれも遊び心のない堅物ばかりだった。建前ばかりを気にした傲慢不遜なビルたちは、誰一人として自分の弱さを曝け出そうとはしない。自分の想いを主張することもなければ、他のものに歩み寄ることもしない。ただ同じ場所に立ち尽くし、相手に対して自分の存在価値を訴え続けている。

 作り手に似て、不器用な生き方しかできないようだ。

 そう考えてみると、この世界を作った創造主は、きっと完璧主義者ではないのだろう。

 でなければ、人間のように不完全なものは生まれない。

 そして、その創造主は、きっと想像もできないくらいブッ飛んだ者なのだろう。

 何もないところから何かを作り出すということは、想像を絶する苦痛を伴うものだからだ。

 そんな苦行を背負ってまで、彼は一体、何を作りあげたかったのだろうか。

 きっと世界の創造主というものは、相当の物付きか、あるいは、よほどのマゾか、あるいは純粋な馬鹿なのだろう。もしもそんな奴がいるならば、どんな奴だか顔を拝んでみたい。

 そのようなことを考えながら、プラプラと歩いていると、ポケットから携帯の着信音が鳴った。少年はそれが非通知番号であることを確認してから電話に応答した。

「もしもし」と少年は言った。

「もしもし。ファゴット・カンパニー人事部のルッチン・クライファーだ」いかにも融通が利かなそうなタイプの口調。まぎれもなく先程の面接官の声だった。「リク・ギルフバッシュ。一次面接は合格。二次試験は実技試験だ。明後日の9時に『アルヒ禁止区域』に集合すること。以上」

 一方的に用件だけが伝えられると電話が切られた。



 カナン・ドクロアの物語


 商業都市『ククリ』の『リーブス・タウン』『カモミール大学附属病院 B505号室』

 目を覚ますと、そこはベッドの上だった。

 点滴スタンドに吊るされたプラスチックバッグ。そこから伸びる透明色の管の終着点は自分の左肘だった。成分すら不明の液体は、臆病なのか、はたまた慎重なのか、何かを警戒するようにゆっくりと一定のリズムで流れ落ちる。

 意識はあるのに身体が思い通りに動いてはくれなかった。

 ――――血を流し過ぎたのだろう。

 おそらく、今現在、自分の体内に流れている血のほとんどは輸血によるものだ、と男は思った。ともすると、その全てが自分のものではないのかもしれない。まるで吸血鬼にでもなったような気分だった。もしそうだとするならば、いったい何が自分と他者とを区別しているのだろうか。おそらく、誰かと顔だけを取り替えても自分は自分なのだろう。心臓だけを取り替えようとも、自分は自分なのだろう。ということは、思考の全てを司る脳味噌こそが自分ということになるのだろうか。いや、きっと、そうはならないのだろう。仮に脳味噌だけを取り出して、「これが僕です」と主張したところで、それはもはや自分ではなく、ただの脳味噌だ。そうかと言って、たくさんのものが一つとなって自分である、など言ってしまうと、他人の血液で生き長らえる自分は、自分ではなくなってしまう、ということになってしまう。

 そんな男の理屈にはお構いなく、体の中の血液は絶えず循環運動を続ける。

 男は天井を見つめたまま、深い溜息をついた。

「もう二度と目を覚まさないかと思ったぞ」

 すると、突如として、一人の少女の顔が男の視界に入り込んできた。ミディアムヘアーの綺麗な黒髪をしたスーツ姿の少女が、大きくて澄んだ瞳をパチパチとさせながら、男の顔を覗き込んでいる。男は状況把握もできないまま頬を赤らめた。

「生きているのが奇跡としか言いようがない」と謎の少女が言った。

「看護師さん……ですか?」と男は恐る恐る口を開いた。

「私が看護師に見えるか?」

「いや、見えない」確かに少女は上品な細身のスーツを身に纏っており、病院関係者には見えなかった。「じゃあ、君は?」と男は質問を続けた。

「私はクロナ・イヴニス。初めまして。カナン・ドクロア」

「どうして……俺の名前を……」と男は警戒しながら肩をすくめた。

「少し調べさせてもらった。独自の情報網で」

 そう言って、クロナと名乗る少女は、来客用のパイプ椅子に腰かけて足を組んだ。

 色白で華奢な太ももが強調され、男は目のやり場に困った。僅かなスカートの隙間からは、小さな小宇宙が顔を覗かせている。しかしながら、ブラックホールのように真っ黒な闇が邪魔をして、その先に広がっているはずのアンドロメダを拝むことは叶わなかった。

 男は心で溜息を付いた後、静かに頷き、少しばかり鼻の下を伸ばした。男というものは、肉眼では確認できない事柄に対して想いを馳せ、そこにロマンを抱くことができる生物なのだ。そんな男の胸中を知る由もなく、クロナはそのまま話を続けた。

「単刀直入に言う」威厳を感じさせる口調でクロナは言った。「私と共に世界を作り変えよう」

「へっ!?」それを聞いた男は、しきりに瞬きを繰り返した。

 ――――血液と一緒だ。

 どうやら世の中というものは理屈に関係なく、絶えず動き続けるものらしい。



 クロナ・イヴニスの物語


 商業都市『ククリ』の『リーブス・タウン』『カモミール大学附属病院 B505号室』

「世界を作り変える?」カナンはベッドで仰向けになりながら言った。

「どうだ?」と容姿端麗な顔を綻ばせながら尋ねる少女。

「どうだ? と言われても意味がわからない」

「そのままの意味だ。私は今の世の中が好きじゃない。だから変えたい」と少女が子供っぽい理屈を恥ずかしげもなく語ると、

「ひどい理屈だ」とカナンは小さく笑いながら言った。

「人間の動機なんて皆そんなものだ」

「君は世の中が嫌いで、だから世界を変えたい」とカナンは少女の言葉を繰り返した。「百歩譲って、その事情を俺が理解したとして、俺にどうしろと?」

「私はプレミア・カンパニーを設立する」と少女は答えた。「そこでだ……一緒に来い」

「俺に『天魔獣』狩りをしろ、って言うのか?」

「ご名答」

「世界を変えたければ、政治家にでもなればいい」

 カナンは点滴のプラスチックバッグをぼんやりと眺めながら、低いしわがれ声で言ったが、

「残念ながら……政治じゃ世界は変えられない」と少女はカナンの瞳を直視しながら、重厚な声のトーンで言った。

「君の夢を壊すようで悪いが、俺はプレミア・カンパニーが世界を救うのに一役買うとは思えない。別に悪い仕事だとは言わない。人々に危害を加え、不利益をもたらす天魔獣を退治する。誰にでもできる仕事じゃないし、むしろ誇らしい仕事だと思う。もちろん世界から天魔獣を根絶やしにすることができれば、あるいは世界を変えることができるのかもしれないが、それは不可能だ。社会から犯罪や戦争、貧困や差別がなくならないのと同じように」

 少女はカナンの話を聞き終えると、高らかな声を上げて笑い始めた。

「私がいつ天魔獣のいない世界を作りたいと言った? 私はこの世界を作り変えたい。そう言ったんだ」

「要するに天魔獣のいない平和な世界を作りたいんだろ?」

「違うな。私が創りたいのはそんなレトリックな世界ではない。私が創りたいのは、天魔獣もいない、犯罪も戦争も、貧困や差別も、そのようなものが一切存在しない世界だ」

「理想論者の絵空事だな」

 カナンは残念な者を眺めるように少女を眺める。

「君の言っていることは間違ってはいない」少女はゆっくりと自信に溢れた声で言った。「プレミア・カンパニーでは、世界を作り変えることはできない。だからこそ、私は『マスター・カンパニー』を目指す」



 クローバー・グローバーの物語


 商業都市『ククリ』のスラム街『ルーザー・タウン』『クローバーの研究室』

 略奪と暴行が至る所で行われるククリのスラム街『ルーザー・タウン』。

 警察も手を出さなければ、政治的な関与を受けることもほとんどない。

 世間に見放されたと言えば、聞こえは悪いが、ある意味において、人間の尊厳が集約された理想郷でもある。力があれば、それが正義となり、その全てが肯定される。法という名の束縛がなければ、人間とは本来、荒野の獣よりも獰猛で、冥界の覇王よりも残酷な生き物なのかもしれない。そう思わせるほど鬼畜的な無法地帯。

 男は右手にナイフ、左手にフォークを携えて、忙しなく手を動かしていた。

 ダイニングテーブルの上に置かれた規格外の大きな皿。そんな大皿からハミ出す程のこれまた大きな肉の塊。男はフォークでしっかりと肉を固定し、ナイフで器用に皮を剥がしていた。ふと男の足元に目をやると、大量の皮の残骸が床に散乱しているのが見て取れる。床に落ちている皮には、血に濡れた肉の断片がこびりついている。皿の上の肉の塊は、男が手を動かすたびに、より肉肉しい姿へと変貌してゆく。何重もの薄い筋が描かれた赤い肉。全ての皮を切除し終えると、男はナイフとフォークをテーブルの上にゆっくりと置き、ティーカップに注がれた紅茶を飲んだ。

 しばらくすると、肉塊の眼球がギョロリと動いた。

「首から上の麻酔が切れてきたようですねぇ」と言って、男はティーカップを机に置いた。「気分はどうですか? これが正真正銘の真っ裸という状態。恥じらいの気持ちはありますか?」

「殺してくれ」と肉塊は言った。

「皮膚に囲まれて喜んだり、怒ったり、哀れんだり、楽しんだりする奇異的生物。人間。けれども、変なんです。はい。何かが腑に落ちません」

「殺してくれ」

「少し黙ってください」男は肉の塊の喉元にナイフを突き立て、喉に巡った筋繊維の内の一本を引き千切った。「声を出すために必要な神経を切除させてもらいました。もう声は出せませんよ。耳は聞こえますから静かに私の話を聞いてください」

 男は再び紅茶に手を付けた。

「腑に落ちないんですよ。皮膚を取り去ると、そこには肉しかないんです」

 男はそっとナイフを肉の塊の中心部に這わせた。

 すると、肉の塊はファスナーを下ろされたバッグのようにパックリと割れる。

 悲鳴を上げられない肉塊の瞳は、それを代弁するかのようにギョロギョロ動いた。

 その意志に関係なく、腸がミミズのように身をよじらせている。

 その意志に関係なく、二つの肺は静かに収縮運動を続けている。

 その意志に関係なく、心臓が鼓動を打っている。

 その意志に関係なく、その他の器官も活動している。

「ほら、見えますか? 肉の中には血と骨と臓器しかないんです。私の言わんとすることが理解できますか? ないんです。ないんですよ。どこを探しても。どう探しても。人間だけにあって、他の動物にはないアレが」

 男は興奮気味に発狂した。

「アレは一体どこにあるのでしょうか? 多くの科学者は口を揃えてこう言います。アレは脳が紡ぎ出す産物だと。そんなものは存在しえないのだと。全ては脳味噌の働きにより説明が付くのだと。けれども、私にはそうは思えません。はい。アレは必ず存在します。はい。そしてアレこそが人間の全て。はい。生物は時間を掛けて、環境に適した個体へと進化するもの。けれども、いつしか人間はその常識を覆すようになった。自らの個体に適すように環境を変えるようになったのです。でも、残念です。それでは人は更なるステージに立つことはできない。自らを変革させなければ、自らを向上させなければ、意味がないんです。そうするためにはアレがどこにあるのか見つけなければならないというのに……見つからない」

 男は肉の塊にタブレット錠剤を含ませ、水を飲ませた。

 錠剤が水に流されながら食道を通り抜ける光景を男はまじまじと観察した。

 胃が時間を掛けて錠剤の消化を終えると、全ての臓器はピクリとも動かなくなった。

 そして男は手に握りしめていた数粒の錠剤を激しく床に叩き付けた。

「ファーーーーァック!!」



 カナン・ドクロアの物語


 商業都市『ククリ』の『リーブス・タウン』『カモミール大学附属病院 B505号室』

「マスター・カンパニー?」聞きなれない言葉を反芻する重傷の男。

 けれども何かを考えようとすると頭の中がガンガン痛み始め、すぐに考えることを止めた。

「知らなくとも無理はない。一般公開はされていないプレミア業界の専門用語だからな」

 クロナはパイプ椅子から立ち上がると、棚からマグカップとティーパックを取り出し、備え付けの電子ポットを使って紅茶を入れた。彼女は再びパイプ椅子に腰かけると、先程までと同じように綺麗な脚を交差させ、湯気が立ち上る紅茶を美味そうに口に含んだ。

「なんだ? そのマスター・カンパニーってのは?」と男は尋ねた。

「どこから話すのが一番合理的なのだろうか」

 クロナは軽く目を瞑って、考えを巡らせてから話を始めた。

「かつて地球上には『恐竜』という巨大な生物が存在していた。彼らは海、陸、空の至る所に生息し、世界を支配していた。だが、ある日を境に、彼らは忽然と姿を消す。諸説は様々あるが、大きく分けると次の2つだとされている。一つは、隕石が地球上に落下したことによる絶滅。もう一つは、周囲の環境変化に順応できなかったことによる絶滅」

「そんなことは小学生でも知っている」

「しかし、一般的にはあまり知られていない有力説がもう一つ存在する。それが『神の世界修正(アルタネーション)』。その名の通り、創造主たる神による強制的な世界再建。神はその力を行使して『恐竜』を絶滅させ、そして時を同じくして、神は『人間』を創造した。『神の世界修正(アルタネーション)』は神のみに許された力だ。ちなみにこのときの変革を俗に『第一次世界再建(ファースト・シフト)』という。けれども、どういうわけだか、その力がある人間の手に渡ることになった。その力を手に入れた者達の代表、その名を『カルフ・アダムス』という。彼は『神の世界修正(アルタネーション)』の力を利用して、世界に『天魔獣』を創造した。これが『第二次世界再建(セカンド・シフト)』だ。その後、『神の世界修正(アルタネーション)』に関わった関係者全員が、行方不明となっている」

 男は体内の酸素を全て吐き切るかのような溜息をついた。

「話がブッ飛んでいる」

「『神の世界修正(アルタネーション)』の力は、世界にいくつもある禁止区域のどこかにあると言われている。その力を手に入れた会社をマスター・カンパニーと呼ぶ。そして、禁止区域に入ることができるのは、プレミア・カンパニーだけだ。故に私は、プレミア・カンパニーを設立し、マスター・カンパニーを目指す。そして『第三次世界再建(サード・シフト)』を敢行し、世界を変える」

 男は無防備状態でみぞおちを殴りつけられたかのような深い衝撃を受けた。

「その話が本当だ、っていう証拠はあるのか?」

「ない」クロナはキッパリとした口調で言った。

「何だ、馬鹿馬鹿しい。ただの中二病の妄想かよ」

「だが…………私は存在すると強く信じている」

 その答えに対して、男は否定することも馬鹿にすることもしなかった。

 仕事それ自体には、人間が心に抱く信念なしにやっていく意志も能力もない。何かを信じることのみが、真に何かを成し遂げるための唯一の方法である、と男は知っていたからだ。逆に言うと、何かを信じることなしに、達成できることなど何一つとして存在しえない。正真正銘のプロフェッショナルとは、生涯に渡ってそんな何かを信じることができ、それを達成するために貪欲に進み続けられる人のことをいうのだろう。それを心の奥底では理解していたからこそ、男は内面にひどく重たい葛藤を抱えていた――――

「そろそろ時間だ」クロナは腕時計を覗きながら言った。「もう行かなければならない」

「まだ話の途中だぞ」

「話を続けたければ、私の下で働け。私が再びここを訪れるまでに、返事を用意しておいてくれればいい」

「答えは既に決まっている」と男は言った。「俺は別に今の仕事が嫌いなわけじゃない。ウォーター・サーバーを貸し付ける仕事にも、それなりに誇りを感じている。会社の人間関係も悪いとは思わない。だから、わざわざリスクを冒して転職する理由がない。メリットもない」

「嫌いじゃない、それなりに、悪くはない」とクロナは男が発したセリフの一部を抜粋するように言った。「つまらない生き方だな。たいして満足もしていないが、それほど不満も見当たらないから現状維持を望む…………現状よりも状況が悪くなることを恐れて何もしない…………不安要素なんて犬でも食わないようなものは捨ててしまえ。人生を台無しにするだけだ」

「…………誰しも君みたいに心が強いわけじゃない」と男はポロリと本音を漏らした。

 社会人になってから、素直に思ったことを吐露したことは数えるほどしかないというのに。

「安心しろ。カナン・ドクロア。君は強い。もっと自信を持ちたまえ」

 クロナはそう言うと、スーツの胸ポケットから一冊のメモ帳を取り出した。黒皮で覆われた小ぶりのメモ帳だ。彼女はそれをおもむろにカナンが横になるベッドに放り投げた。

「そのメモ帳には『力』の使い方が印されている」とクロナは言った。「もしも君が私と共に働くことを望むのなら、そのメモ帳に書かれている内容を熟読し『力』の使い方を覚えておけ。もしも必要ないならば、ゴミ箱に捨てておいてくれて構わない。もっとも、君は既に『力』に目覚めているようだがな。しかし、コントロールする術を知らなければ、ただの宝の持ち腐れだ。『力』について知れば、色々なことが分かるようになる。君が常人よりもタフな理由。常人なら死んでいるはずの重傷を負っているにもかかわらず、こうして私と普通に会話ができている理由。君がトラックを大破させることができた理由」

「はっ!? それってどういう…………」と混乱気味に男は言った。

「それに……」と少女はカナンの言葉を遮った。「君自身はそれで満足しているのか? 数字と功績と安定しか得られないような仕事に」

 男は何も言い返すことができずに、ただ奥歯を噛みしめる事しかできなかった。

「カナン・ドクロア。君は何のために生きている?」とクロナは男の目を見ながら言った。「このまま永遠に自分を偽って生きていくつもりか? 何を恐れる? 何に脅える? 何に迷う? 人生は自由だ。君の人生は君だけの人生で、君だけの物語が綴られる。もっと自分を曝け出せ。もっと自分らしく生きてみろ。もっと自分が好きなことをしてみろ。自分が正しいと信じた道は、誰がなんと言おうと突き進め!! どれだけ馬鹿にされようと。どれだけ罵られようと。どれだけ反対されようとも。どれだけ孤独に苛まれようとも突き進め。君はいつまで悩んでいるつもりだ? いつまで立ち止まっているつもりだ? いつまで愚痴を零しているつもりだ? 君の人生はそれでいいのか? 世界はこんなにも自由で満ちているというのに、君はどうして窮屈で退屈な道を自ら選ぶのか? 無意味な人生に価値を与えることができるとすれば、それは君自身が素直になること以外にありえない。だから…………もしも君が望むのなら、私と共に世界を変えよう。私は君のような人間と一緒に働きたい」

 少女は自分の言いたいことだけを捲くし立てるように口にすると、病室から出て行った。


 夢を見ることは誰しもに与えられた権利だ。

 けれども、目には見えない社会の重圧が、そうすることを全力で阻もうとする。

 規則や常識に抗うことを嫌う大人たち。

 前例や風習といった既に敷かれたレールの上を歩きたがる大人たち。

 評判や体裁を気にして行動する大人たち。

 彼らはどこかの過程で落し物をしてしまったのだろう。

 だって、彼らは大人になる前は、そうではなかったのだから。


 男はベッドの上に置き去りにされたメモ帳を、静かにじっと眺めていた。



 ポルト・アリオッシュの物語


 商業都市『ククリ』の住宅街『リーブス・タウン』『ポルトの自室』

 気だるそうにベッドからムクリと起き上がる少年。

 力を失いつつあるオレンジの夕日が、ブラインドの隙間を縫うようにして差し込み、薄暗い部屋をおぼろげに照らしだしている。

 少年は指先で寝癖の具合を確認しながら、そんな光を漠然と眺めていた。

 ――――いつからだろう? 僕が学校に行かなくなったのは。

 ――――いつからだろう? 僕に逃げ癖が染み付いてしまったのは。

 ――――いつからだろう? 逃げることを責めなくなったのは。

 ――――いつからだろう? 面倒な理屈を捏ねて、自分を正当化するようになったのは。

 ――――いつからだろう? こんな生活に慣れてしまったのは。

 ――――いつからだろう? そんな自分にムカつき始めたのは。

 ――――いつからだろう? ムカつくだけで何もできないことに絶望したのは。

 ――――いつからだろう? こんなに苦しくなったのは。

 ベッドの上にいるべきはずの毛布とシーツは、自堕落に床に滑り落ち、薄汚れた枕は歪な形状で転がっていた。ソファの上に目をやると、脱ぎ散らかされた衣類がシワだらけで山積みにされている。その下では、まるで雪崩に巻き込まれた遭難者のようにマンガやDVDやテレビのリモコンが、救助を求めて息をひそめている。勉強机の上には、空になった食器が無造作に並べられ、その周りをティッシュ箱、空き缶、爪切り、耳かき、ゲームのコントローラー、化粧水、ペットボトル……などなどが取り囲んでいる。床では、小さな蜘蛛がポテトチップの破片の上で、両手を擦り合わせている。

 しばらくすると、彼は再び瞳を閉じて、全ての視覚情報を遮断する。

 そして惰眠を貪ること数時間。少年はようやく活動を始めた。

 気分はとても陰鬱で、ブリキのように身体は重い。

 ベッドから抜け出すと、ダラダラとパソコンの起動ボタンをプッシュした。

 そのままインターネットにアクセスすると、気になる速報ニュースがふいに目に留まる。

 商業都市『ククリ』にて『トラックの衝突事故発生』

 少年は記事の内容をただぼんやりと眺め続けた。

 ――――自分には関係のないことだ。

 まるで何かに憑りつかれたように画面に釘付けになっている。

 ――――誰が怪我しようが。誰が死のうが。

 ――――関係ないんだ。

 けれども、その瞳は、無邪気な子供が持ち合わせているようなソレとは少し違っていた。

 ネットサフィンが一段落すると、少年はようやくパソコンをスリープ状態にし、リビングへと駆け降りた。

 リビングの扉を開けると、テーブルの上にはスパイシーな匂いを漂わせるカレーライス、サイドメニューには鶏のから揚げとポテトサラダ、小鉢の中には福神漬けがたっぷりと用意されていた。

 少年は無表情で椅子に腰かけ、何も言わずに黙々と料理に手を付け始める。

「ねぇ、ポルト。たまには一緒に食べようか」

 そう言って、エプロンを外して椅子に座るのは少年の母親だった。

「明日、久しぶりにデパートに行くんだけど、ポルトも一緒に行かない?」

「いい」と少年はボソリと返事をした。

「パール・パークで話題のカフェにも行くつもりなの。テレビや雑誌とかで何度も取り上げられている有名店『カフェ・エス・ミスト』。一緒に来たら、美味しい物食べさせてあげるよ」

「いい」

「何でも欲しいもの買ってあげるって言ったら?」

「いいって」

「たまには外に出なくちゃ、病気になっちゃうわよ。あと、あんまり夜更かししちゃダメよ。早く寝て、早く起きて、お日様の光を体いっぱいに浴びないと」

 テレビ番組の笑い声と共に皿に盛られた料理が胃袋の中へと消えてゆく。

「ねぇ、お母さん考えたんだけど、通信制の学校に行ってみない? やっぱりいつまでも部屋の中に閉じこもっているのもよくないし。それにもっとたくさんの人と接さないとね。ポルトが大人になるためにも」

 バッン。

 少年はスプーンを叩きつけるようにテーブルの上に置いた。

「…………僕なんか生まれてこなければ良かったのにね」

「急に何言いだすの。そんなことないわよ」

「普通に学校行って、普通に勉強して、普通に友達と遊んで、普通に生きて。どうせならそんな子供が良かったでしょ? 残念だったね。生まれてきたのが僕みたいな欠陥品で」

 ――――僕は一体何を言っているんだろう。

「お母さんはポルトが生まれてきてくれただけで幸せよ」

「何で僕なんて生んだのさ。生んで欲しいなんて、頼んだ覚えはないよ」

 ――――最低で理不尽な言いがかりだ……お母さんは悪くないのに。

 ――――悪いのは全部、僕なのに……お母さんを悲しませることしかできなくて。

 少年の母親は唇を一文字に結び、悲しそうな表情を浮かべた。

「…………僕には生きている価値なんてないから」

 少年はそう言って、一目散に部屋に駆け込んだ。

 ――――でも、どうしていいのかわからなくて。

 モニターを眺めつづけること数時間。

 少年はベッドで眠りについた。

 ――――どうせ自分は社会の異邦人。



 クローバー・グローバーの物語


 商業都市『ククリ』のスラム街『ルーザー・タウン』『クローバーの研究室』

 羽を生やしたペンギンの着ぐるみを纏った男は、ベッドの上で失意の底に暮れていた。

 目元から流れ出る洪水のような涙が、施されたフェイスペインティングを洗い流し、絵の具を混ぜ合わせたような濁った水滴が、ポタポタとシーツにの上に零れ落ちる。

 男の掌の中には、数粒のタブレット剤が握りしめられていた。

 そして、それと同じものが床に大量にばら撒かれていた。

 タイル製のひんやりとした床の上には、タブレット剤の他にも、奇怪なものが無造作に散乱している。爬虫類の抜け殻、大型動物のものと思われる生殖器、断首台で切り落とされたかのような人間の生首、半透明のブヨブヨとした小さな生き物、腹を引き裂かれた死体、そこから飛び出した臓器。

 よく見ると、半透明のブヨブヨした生き物が、死体の中で身を寄せ合いながら、各々が体をくねらせている。数にしておよそ数千、数万。彼らは鮮血のプールを満喫しているかのように生き生きとしていた。死人は泣き叫ぶこともしなければ、暴れ狂うこともしない。仮にこの状況で目を覚ますことがあれば、それこそ地獄絵図に違いない。そんな死体の感情を代弁してあげたかったのだろうか。その内の一匹は死人の眼球を食い破るように出てくると、粘着性のある汁を体外に放出した。粘液はドロドロと死人の頬を濡らす。

 そしてベッドの上では、未だに一人のピエロが泣いていた。

 斜面を転がり落ちる鉄球のように、男の落胆はその速度を上げている。

 彼はカオスに満ちた目の前の光景に脅えているのだろうか?

 あるいは、人間を殺めてしまった罪悪感に心を潰されているのだろうか?

 やがて、その鉄球は頑丈な壁の外壁に衝突し、跡形もなく吹き飛んだ。

 それと同時に、男は猛烈に笑い始めた。

「ハッーーーーーーーーハッハッハッ」

 男の頭の中で朦朧としていた視界がクリアに晴れ渡ってゆく。

「私は自分が天才過ぎて嫌になりそうです」

 彼の心に再び情熱の炎が灯された。

「まさか自分の才能に感動して泣いてしまうとは思ってもみませんでした。さぁ、こんなところでジッとしている場合ではありません」

 そう言って、興奮気味にベッドから飛び出した途端、男はズシャリと何かを踏み潰す感触を得た。それは紛れもなく、床に転がる生首だった。

「あとでゴミ掃除が必要ですね」

 男は気に留める素振りも見せないまま部屋を飛び出した。



 ポルト・アリオッシュの物語


 商業都市『ククリ』の住宅街『リーブス・タウン』『ポルトの自室』

 気だるそうにベッドからムクリと起き上がる少年。

 力を失いつつあるオレンジの夕日が、ブラインドの隙間を縫うようにして差し込み、薄暗い部屋をおぼろげに照らしだしている。

 少年は指先で寝癖の具合を確認しながら、そんな光を漠然と眺めていた。

 ベッドの上にいるべきはずの毛布とシーツは、自堕落に床に滑り落ち、薄汚れた枕は歪な形状で転がっていた。ソファの上に目をやると、脱ぎ散らかされた衣類がシワだらけで山積みにされている。その下では、まるで雪崩に巻き込まれた遭難者のようにマンガやDVDやテレビのリモコンが、救助を求めて息をひそめている。勉強机の上には、空になった食器が無造作に並べられ、その周りをティッシュ箱、空き缶、爪切り、耳かき、ゲームのコントローラー、化粧水、ペットボトル……などなどが取り囲んでいる。床では、小さな蜘蛛がポテトチップの破片の上で、両手を擦り合わせている。

 しばらくすると、彼は再び瞳を閉じて、全ての視覚情報を遮断する。

 そして惰眠を貪ること数時間。少年はようやく活動を始めた。

 気分はとても陰鬱で、ブリキのように身体は重い。

 ベッドから抜け出すと、ダラダラとパソコンの起動ボタンをプッシュし、馴染みの動画サイトへとアクセスする。そしてアップロードされたアニメ動画を適当に選択した。

 少年はそれをただぼんやりと眺め続けた。

 まるで何かに憑りつかれたように画面に釘付けになっている。

 けれども、その瞳は、無邪気な子供が持ち合わせているようなソレとは少し違っていた。

 動画の視聴が一段落すると、少年はようやくパソコンをスリープ状態にし、リビングへと駆け降りた。

 リビングの扉を開けると、テーブルの上には何も並べられていなかった。

「…………まだ買い物中か」

 少年は冷蔵庫から魚肉ソーセージを一本取り出し、それを齧りながら部屋へと戻った。

 部屋に辿り着くと、即座にパソコンを操作し、インターネットにアクセスした。

 彼が動画の再生ボタンをクリックしようとしたその時、とある速報記事の見出しが目に留まる。しばらくの間、少年はその記事から目を離さなかった。

 脳のシナプスが伝達を中断し、頭の中が真っ白になる。

 突き詰められたのは現実なのか、それとも虚構か。

 それを確かめるための手段を少年は一つしか知らない。

 画面のカーソルを速報記事の見出しに合わせると、少年はマウスをクリックした。

 ――――何かの間違いだ。そうに決まっている。

 インターネットのページが切り替わるまでの刹那。

 その時間が異様に長く感じられた。

 ――――何かの間違いだ。何かの間違いだ。

『パール・パーク。カフェ・エス・ミスト。爆破事件発生』

 少年は記事の内容をただぼんやりと眺め続けた。

 

 

 オルガ・ヘブラインの物語

 

 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『カフェ・エス・ミスト』

 ブラウン色を基調とした上質な雰囲気を漂わせる『カフェ・エス・ミスト』。

 高級デパートの最上階に店を構え、商業都市『ククリ』の人気店として知られている。

 男はその店の風味豊かなコーヒーを啜りながら、物思いに耽っていた。

 何年も使い込んだような趣のあるテーブルがレトロな質感を演出し、クリスタル加工の照明が大人の雰囲気を醸し出す。店の所々に顔を覗かせる小動物たちの置物は、オーナーの無垢な遊び心だろうか。空席などただの一つも見当たらないその店は、本日も満員御礼のようだ。

「勘定頼む」男はコーヒーを飲み干すと、店員を呼びつけ、そう言った。

 清楚なマダムを顧客対象としたその店で、男の風貌は誰がどう見ても浮いていた。

 オオカミの刺繍が入った皮ジャンにサングラス。頭にはキャップを深々と被っている。

 そんな男に対して、店員は軽い会釈と共に伝票を差し出した。

「高過ぎだろ。たかがコーヒー一杯で」ドスの効いた声で男は言った。

「申し訳ありません」と店員は脅えながら答えた。

「まぁ、いいか。最後の晩餐だと思えば」男はポケットから財布を取り出し、千円札を叩きつけるように机に置いた。「ごちそうさん」

 男は会計を済ませると、逃げ去るように店から出て行った。

 華やかな雰囲気を醸し出したデパート内。

 ピカピカに磨き上げられたショーウィンドウには、流行り物の品々がずらりと並べられている。洋服、腕時計、財布にジュエリー。どれも凡人には理解し難いような独創的な形をしており、値札の桁の多さに困惑する。金持ちの人間にとってみれば、ここは物欲を満たす場所であるに違いないが、そうでない人間にとってみれば、美術館のような場所だった。

 男はエレベーターを使って、一階へと降りた。

 エレベーター内は定員ギリギリの満員状態で、息苦しさを感じたが、先ほどまでの上品な空間と比べると、不思議と居心地は良かった。

 男はデパートを出ると、ガードレールに背中を任せ、ぐったりと道端に座り込んだ。

 栄華を極めたと言わんばかりの巨大建造物の数々。

 高い文明の恩恵に与り、何不自由なく買い物を楽しむ人々。

 そこに存在する自分。

 初めて経験するような気持ちだ。

 ――――なぜだろう。

 ――――わからない。 

 ――――わかるようでわからない。

 ――――あるいは、わかるけれども、表現の仕方がわからない。

 辺りは人の大群が流れ動き、その者達から発せられる雑音で満ちている。

 そんな中、男はゆっくりと目を瞑る。

 次の瞬間。

 ドォォッーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。

 鼓膜を突き破るような凄まじい爆発音が響き渡った。

 人の群れはその動きをピタリと止め、息を飲んだ。彼らの視線が一点に集まる先は――――

 デパートの最上階。『カフェ・エス・ミスト』

 そのガラス窓は沸き起こった爆風と共に消し飛び、中からは溶岩のように燃えたぎる煙が勢いよく噴出される。紅よりも紅い鮮やかな炎がビルに絡みつき、轟々とその支配力を強めてゆく。強大過ぎるその力に抵抗する術を持ち合わせないまま、高級デパートの最上階はその衣を急速に剥ぎ取られる。流行り模様に飾り立てられたオシャレな外装は、数秒の間に鉄骨とコンクリート、という取りとめのない姿へと変貌した。

 喧騒が恒常化したその街は、ほんの一瞬の間だけ、無音になった。

「モルツ、エクレア」と男は携帯電話を耳に当てながら言った。「作戦開始だ」



 ポルト・アリオッシュの物語


 商業都市『ククリ』の住宅街『リーブス・タウン』『ポルトの自室』

 時計の針は休むいとまもなく脈を打ち続ける。チクタクチクタク、チクタクチクタク。

 時間というものは、まったくもって休むことをしない。ともすると、彼らは大海原を泳ぎ回るマグロと同じような特性を持って生まれてきたのかもしれない。ひとたび動くことを止めてしまえば、窒息して死んでしまうのだ。

 チクタクチクタク、チクタクチクタク。

 時間がただ漠然と流れてゆく。そういえば、時間の感覚が麻痺してきたのは、いつごろからだっただろうか。幼かったころは、時間がやってくるのを、指で数えながら待ちわびていた気がする。けれども、ある日を境に、時間に追い越されて、置き去りにされてしまった。彼らの歩くペースが速くなったのか、自分のペースが遅くなったのか、それはよくわからない。

 チクタクチクタク、チクタクチクタク。

 ただ一つだけ確信を持って言えること。時間というものは、生き物だ。とてもひねくれた性格を持つ生き物だ。楽しい時間を短くし、苦しい時間を長くする。少年にとって時間とは、必ずしも平等の概念を成すものではなかった。

 いつにもなく引き伸ばされた長い長い時間を、落ち着かない様子で過ごす少年。いくら待っても母親は帰ってこなかった。彼はいつものように薄暗い部屋で動画鑑賞に浸っている。内容はまるで頭に入ってこない。その間、ひっきりなしにリビングの電話が鳴っていたが、彼は受話器を取ることをしなかった。怖かったのかもしれない。リアルに触れることが。

 もちろん現実を確かめる方法は理解している。

 つい先ほど、インターネットの速報記事に被害者リストがアップデートされたところだ。

『カフェ・エス・ミスト。爆破事件。負傷者リスト。死亡者リスト』

 それを確認すれば、真実を知ることができる。

 頭ではどうするべきかわかっているのに、マウスを持つ右手がそうすることを拒み続ける。

 まるで精神と肉体が分離しているかのような感覚だった。

 パソコンの画面が時折、チカチカと強い光を放ち、部屋を明るく照らそうとする。

 残念ながら、少年の陰鬱な気分を照らすことはできない。

 スピーカーからは活気にあふれた台詞とBGMが紡ぎ出されている。

 残念ながら、少年の耳に届くことはない。

 やがてエンディングロールを終えたその動画は、ピタリと動きを止めた。

 それと同時に部屋に静寂が訪れる。

 シンと静まり返った部屋。

 微かに聞こえてくるのは、電化製品たちのひっそりとした鼓動だけ。

 部屋の温度が急激に落ち込んだのかと勘違いするほど、体の芯から寒気を感じた。

 少年は無表情で再生停止中の画面を見つめ続ける。

 頭の中の自分の声がゴチャゴチャと錯綜し、

 自分が何を考えているのか、それすらわからなくなる。

 少年は顔を掻き毟った後、大きく深呼吸をした。

 ――――大丈夫。

 光を浴びることを恐れ続けた少年の臆病な心が、固く閉ざされた扉から少し顔を覗かせる。

 ――――大丈夫。大丈夫さ。

 少年は右手でマウスを動かし『事件の被害者リスト』にカーソルの標準を合わせた。

 ――――大丈夫に決まっている。

 そして、人差し指に力を入れ、マウスのボタンをクリックした。

 

 ポルト・アリオッシュの物語


 商業都市『ククリ』の住宅街『リーブス・タウン』『ポルトの自室』

 真っ暗闇の物音一つしない静かな空間。

 ひんやりと硬い床の上で、訳も分からず小さく体操座りをする少年。

 少年は蛍光塗料が塗布された壁時計をただ漠然と眺めつづけていた。

 秒針が一定のリズムで行進を続け、分針の背中をゆっくりと押す。

 その小さな箱庭の中で、調和を乱す者は誰一人としていない。

 それは永遠とも形容できるような濃密な時間だった。

 しばらくすると、一つの大きな目玉が黒い空間に浮かび上がる。

 それを皮切りに、目玉は一つまた一つと、目覚めるように見開き始める。

 気が付くと、無数の目玉が全方位するかのように少年を取り囲んでいる。

 彼らは何も言わずに、たまに瞬きをしながら少年を眺めつづける。

 ――――一体、どうしたらいいんだろう?

 ――――ねぇ、誰か教えてよ。

 ――――ねぇ、誰か助けてよ。

 ――――ねぇ、苦しいんだよ。

 ――――ねぇ、わからないんだよ

 ――――ねぇ、誰か。

 ――――ねぇ、誰か。

 ――――誰でもいいから答えてよ。

 それが無駄な問いかけであることを理解しているにもかかわらず、少年はそうすることを止められずにそうする。何らかの答えを見つけなければならない、という強迫観念に苛まれているかのように……別にそうしたいわけじゃない。そうすることしかできないだけなのだ。

 出口のない迷宮を彷徨うもどかしさ。

 幾度となく自問しようとも、答えなど出てこない。

 少年は泣いた。そして悔やんだ。

 ――――美味しかった、そう言えなかった。

 ――――ごちそうさま、そう言えなかった。

 ――――ありがとう、そう言えなかった。

 ――――ごめんね、そう言えなかった。

 ――――もらってばかりで、何もしてあげられなかった。

 ――――心配させて。

 ――――暴言吐いて。

 ――――迷惑かけて。

 ――――無視して。

 ――――感謝もせずに。

 ――――当たり前だと思って。

 ――――洗濯も掃除もアイロンも。

 ――――炊事もゴミ捨ても。

 ――――笑顔でいてくれることも。

 ――――声を掛けてくれることも。

 ――――応援してくれることも。

 ――――見守ってくれることも。

 ――――それにも関わらず僕は、

 ――――黙れって。

 ――――ウザいって。

 ――――あっそ、って。

 ――――暴言を吐くことしかできなくて。

 ――――僕なんて生まれてこなければ良かったんだ。

 ――――僕みたいなのが子供で、

 ――――ごめんさない。

 ――――ごめんさない。

 ――――ごめんさない。

 手厳しい現実が暴虐の限りを尽くして、少年の心に傷をつける。

 ある時は紙ヤスリを使って外膜を激しくこすり、ある時はピーラーを使って身を削いだ。またある時は鈍器のようなもので激しく叩き、またある時は爪で無造作に掻き毟る。一通り虐めることに満足すると、遊び飽きた玩具を扱うように、まったくもって興味を示さなくなる。本当に現実とは惨たらしいことをする。

 少年の目からは止めどなく涙が零れ落ちる。

 その涙に反応するように、少年を取り囲んでいた大きな目玉たちは、

 ゆっくりと静かにその瞳を閉じていった。



 ジュラール・バウティスタの物語


 穏やかな生活が約束された住宅地帯『リーブス・タウン』の『リーブス公園』

 人は誰しも死ぬ時は独りだ。

 友がいようとも、恋人がいようとも、家族がいようとも。

 人間は蒼き球の上でどんどん膨らんでいる。

 今、この瞬間にも。

 それにも関わらず、世界は孤独で満ちている。

 人と惑星は似ている気がする。

 互いに引き合うことはするが、ある一定の距離を保つ。

 けれども、やはり、寂しいのだろうか。

 彼らは惹き合うことを止めはしない。

 なぜならば、人は孤独に脅える生き物だからだ。

 それにも関わらず、人は孤独を自ら欲する。

 人間とは生まれながらの天邪鬼なのかもしれない。

 

 ライオンの鬣のような毛をヘアバンドでまとめ、無精ひげを生やした中年の男。

 男は公園のブランコに揺られながら、一升瓶を片手に星を見上げていた。

 輝くことで自己主張するだけで、誰一人として歩み寄ろうともしない。

 互いに語りかける様子もない。

 だからこそ、空は完全なる静寂を貫いていた。

 継接ぎだらけの衣服が様になった男は、酒気を帯びた溜息を何度もついた。

「よぉ。ケルベロス。お前の人生は幸せだったか?」

 男は手に握る鉄クズに向かって優しく問いかけた。

「こんなことになるんだったら、お前が欲しがっていたブルーのフォグライト。買ってやればよかったな。そういえば、結局、洗車にも連れて行ってやれなかった。プラチナホワイトパールに塗装して、海沿いの道を走りたいって夢も叶えてやれなかった。俺は、お前に何一つしてやれなかった。ダメな男だな…………俺は」

 男は一升瓶の注ぎ口を銜え、酒をグビッと胃に流し込んだ。

「でも、お前は幸せじゃなかったかもしれないが、俺は幸せだった。初めて店でお前を見たとき、一目惚れだった。体中に電気が走ってよ。このチャンスを逃したら、この先、絶対後悔するって。有り金掻き集めて一括買いよ。初運転の夜はドキドキだった。アクセルの踏み方からサイドブレーキの掛け方から何もかもが初めての体験でよ。緊張して、どうしていいのかわからなくて、ハンドルの中央部を触ったら、お前、顔を赤らめながらすごく怒ったよな。変なとこ触るな。スケベ野郎って。あれからずっと一緒だったんだな。今振り返れば、山道カッ飛ばして見に行った夜景も、ハイウェイ真っ只中のエンストも、信号無視してポリ公に怒られたのも全部いい思い出だ。誰とでもできる経験じゃない。きっとお前だから楽しかったんだ」

 男は鉄クズを膝に乗せて、小動物を扱うように優しく撫でつづけた。

「恥ずかしくて、一回も言ってやれなかったけどよ、俺はお前の澄んだ窓ガラスが大好きだったんだ。お前のこと悪く言ってばかりだったけどさ…………恥ずかしかっただけなんだ。俺はたぶん、この先、お前以外を愛せる自信がない。なんかよ、お前の窓ガラスを通して景色を見るとよ、世界が少しだけ綺麗に見えたんだ。俺が俺らしくいられたんだ。俺はお前に死ぬほど感謝している」

 男は勢いを付けてブランコから飛び降り、公園内をプラプラと徘徊した。そして、その公園で一番大きな木の根元に辿り着くと、そこに小さな穴を掘り、鉄クズを埋めた。

「一度でいいから……お前と一緒に酒を酌み交わしてみたかったなぁ。まぁ、お前は絶対に許してくれなかっただろうがな。飲酒運転反対って、ずっと言っていたもんな。まぁ、そう言うな。今日ぐらい付き合えよ。こんな綺麗な満月の日に飲まないのはもったいない」

 男はそう言うと、鉄クズを埋めたその場所に酒をチョロチョロと流した。

 そしてその場所に、空になった一升瓶をそっと供えた。

「俺が他の相棒を見つけても、ヤキモチなんて焼くなよ。じゃあな」

 酒が回るにつれて全身の筋肉が解きほぐされる。

 真夜中の公園は防音加工を施された密閉空間のようにシンと静まり返っており、それ故に冷風が奏でる乾いたメロディがより一層切なく聞こえた。

 男がその場から離れようとした時――――ドンッと、何かにぶつかった。

 鉄クズを埋めた木のちょうど反対側だ。

 男とぶつかったその対象物は、振り子のようにブランブランと揺れている。

「…………何だよ、こんなところに……………………………………………………えっ!?」

 男は瞳に映る光景に、目を丸くさせる事しかできなかった。



 ポルト・アリオッシュの物語


 穏やかな生活が約束された住宅地帯『リーブス・タウン』の『リーブス公園』

 深夜0時を過ぎた肌寒い気温の中、少年は丈夫な木の枝の上で腰を据えていた。

「生まれてきたことが最大の悲劇だ」と少年は言った。

 自分だけが世界に弾き飛ばされたような孤立感。

 自分だけが世界に取り残されたような焦燥感。

 自分だけが世界と繋がっていないのではないかという不安。

 社会は孤独に満ちており、氷のように淡く冷たい。

 どこにも属さないということは、これほどまでに苦痛を伴うことなのだろうか。

 助けて欲しい時に、誰も助けてはくれない。

 この時、少年は一つの決心をしていた。

 悪魔によって導かれし破滅への道だとわかっていながらも、

 その道を歩まないわけにはいかなかった。

 ――――僕は無力だ。

 なにもできなかった無力な自分に対する苛立ち。

 ――――僕は無力だ。

 払っても、払っても、体に纏わりついてくる虚脱感。

 ――――僕は無力だ。

 そんな感情が入り乱れた無限旋律の絶望の声。

 ――――僕は無力だ。

 まるで何かに誘惑されているかのように、内側へ、内側へ、内側へ、引きずり込まれる。

 ――――僕は無力だ。

 世界はとても残酷なんだ。

 ――――もう自分の居場所なんてどこにもない。

 ――――もう自分はどこにも所属していない。

 ――――もう自分の帰る場所は存在しない。

 ――――もう誰もそばにいてくれない。

 ――――もう自分が生きている理由もない。

 ――――意味もない。

 自分は社会の不適応者で、世間のお払い箱。

 少年は自身に問いつづけた。

 世界から忌み嫌われる自分は、人間足り得るのかと。

 世界から存在を拒まれる自分は、一体何者なのかと。

 自分は果たして、何のために生まれてきたのだろうかと。

 需要者である世界に放棄された自分は、どんな名詞で表現すれば適切な個体なのだろうかと。

 きっと一般的にはこう呼ぶのだろう。

 そう、人々はソレをゴミと呼ぶ。

 ――――僕は生きていたいのか。

 ――――………………………………………それとも、死んでしまいたいのか。

 ――――死にたくないのか。

 ――――なら、どうして死にたくないのか。

 ――――………………………………………特に生きたい理由が見当たらない。

 そのような救われない想いが、少年に一本のロープを握らせた。

 ――――自分と接してくれる人間はもういない。

 ――――でも、誰かと接したいとも思わない。

 ――――でも、誰かそばにいて欲しい。

 それはまるで傍若無人な王様の叶うはずもないわがままな欲求。

 とても騒がしいノイズが混じった冷涼な声が、少年の耳元で何かを囁いている。

「少し黙って」

 少年はおもむろに立ち上がり、呟くように言った。

「静かにして」

 少年は木の枝にロープを括りつけ、頭が通るくらいの輪を作った。

「…………」

 そして、ゆっくりと輪に首を掛け、身を投げうった。

 目には見えない誰かたちが、惜しみない拍手で少年の行動を讃えた。



 ジュラール・バウティスタの物語


 穏やかな生活が約束された住宅地帯『リーブス・タウン』の『リーブス公園』

 人知を超えたワンシーンを目の当たりにすると、人は何もできなくなる。声を発することすらままならない。いや、表現の仕方が分からない、というのが的確な表現かもしれない。陳腐な言葉でソレを表現すると、現実が色褪せてしまうような気がするからだ。言葉とは所詮、人間が作り出した産物。理解を超える事象を形容する言葉など、存在しえないのだから。

「…………自殺?」と男は声を漏らした。

「…………したつもり」と少年は答えた。

「…………まだ生きている?」と男は声を漏らした。

「…………残念ながら」と少年は答えた。

 男の眼の前には、疑う余地もなく、縄で首を吊っている少年の姿があった。少年は苦しむ素振りも見せず、ミノムシのようにただ空中でブラブラと揺れている。だが、彼の瞳は明らかに生気を欠いていた。それはまるで脱皮を終えた後のセミの抜け殻のようだった。

「すぐ助けてやる」

 男は混乱の色を隠せないまま、とにかく少年を助けようとロープに手を掛けた。

「助けたいなら、殺してよ」

「冗談言ってる場合かよ!!」

「放っておいてよ」

「それは無理な相談だ」

 ロープの結び目は固く結ばれ、素手で解くのは困難だった。そこで男は、先ほどまで手にしていた一升瓶を手に取り、地面に思い切り叩き付けた。バリンッと乾いた音を立て、ガラスの破片が飛散する。それと同時に、一升瓶は鋭利な刃物へと姿を変えた。

「一人にさせてよ」と少年は消沈気味に言った。

「それも無理な相談だ」男は手にした刃物をロープに擦りつけながら言った。

「僕に…………構うなよ」

「一人でいることが好きな奴はたくさんいる」と男は刃物を強くロープに押し付ける。「が、孤独に耐えることができる人間はどこにもいない。自殺しようなんて考える人間の大半は、その孤独に耐えられなくなった奴らだ」

「…………」

 ブチッ、という歯切れの良い音と共にロープが切れた。それと同時に、少年は地面へと落下し、その弾みで尻餅をついた。

「おじさんに話を聞かせてくれよ。これでも…………孤独の意味は知っているつもりだ」



 ジュラール・バウティスタの物語


 穏やかな生活が約束された住宅地帯『リーブス・タウン』の『リーブス公園』

「大丈夫か?」と男は尋ねた。

 それに対して、少年はじっと虚空を見つめるだけだった。

 先ほどまで縄がしっかりと巻きつけられていた少年の細い首。その全体重を一点で支え続けていた少年の首。それにもかかわらず、その首には傷どころか一切の縛り痕すら残されていなかった。まるでベテランの詐欺師のように狡猾に平静を装っている。けれども、問題がないのは首だけで、当の本人は確実に変調をきたしているようであった。先程からずっとベンチの上で体育座りをし、ただ一点だけを見つめている。瞳孔は常に開いたままで、時折、口をパクパクと動かしているが、それを声に出すことはなかった。

 男は、かけるべき言葉を色々と模索し、それを言った場合の少年のリアクションを頭の中で何度もシュミレーションし、慎重にセリフを選んだ。未遂に終わったが、自殺に踏み切ったほどの重荷を抱えている少年だ。何がNGワードになり、何が爆発のトリガーになるのかわからない。そして、あれこれと熟考を重ねた末、ある一つの質問が男の頭に浮かんだ。その質問を舌の上で何度も転がし、入念なリハーサルを終えた後、男はその質問を口にした。

「死にたかったのか?」

 少年は静かに頷いた。

 結局、口から出たのは、あまりにも当たり前の質問だった。

 もちろん、聞きたいことは山ほどあったし、諭したいことも山ほどあったし、励ましたい想いも山ほどあった。でも、そんなものに意味などないのだ。結局のところ、その人が抱えているものは、その人だけのもので、その人にしかわからない。どれだけ自殺の理由を聞いたところで、その苦しさを受け止めてあげられるわけでもなく、どれだけ綺麗な言葉で倫理を説いたところで、ちゃんと伝わるわけもなく、どれだけ熱っぽく励ましたところで、相手の気持ちが晴れるわけでもない。

 死にたかった。

 それは、大の男が大粒の涙をポロポロ流すのには、十分すぎる答えだった。

 男は何も言わずに少年を力一杯に抱き寄せ、そして歯を食いしばりながらシクシクと声を上げて泣いた。男なのにもかかわらず、大人なのにも関わらず、脇目も振らずに涙を流した。

「何で泣いているの?」と少年が言った。

「お前が泣かないからだ」と男は言った。

「おじさん、少しお酒臭い」

「大人はつらい時、酒臭くなる生き物なんだよ」

「おじさんもつらいの?」

「大切なものを失ったばかりだからな」

「そうなんだ。僕と同じだね」

「…………そうか」



 ジュラール・バウティスタの物語


 穏やかな生活が約束された住宅地帯『リーブス・タウン』の『リーブス公園』

 辺りには、男と少年以外、誰もいなかった。

 そよ風が吹くたびに木々が揺れ、おどろいたコオロギ達が悲鳴を上げる。けれども、そんな雑音が2人にとっては心地良かった。もしもこの場がシンと張りつめていたならば、声を出す事すら億劫になっていたことだろう。幸いなことに、街灯の光もまた、優しく2人をサポートしてくれている。そんな彼らの気遣いの中、小さな会話が生まれた。

「坊主、名前は?」

「ポルト」と少年は言った。

「ポルトか。いい名前だ。俺はジュラール。カッコイイ名前だろ」

 2人は木製のベンチに座りながら、時間を掛けてお互いの身の上話をした。

 男は長距離トラックの運転手として様々な地域を回った話。それと大切なトラックを失った話をした。少年は学校を休んで部屋に引き籠りがちだった話。それと母親を失った話をした。男の話は僅か5分で完結したが、少年の話は一時間にも及んだ。そのほとんどが、長い沈黙によるものだった。それでも時間を掛けるうちに、少年の口数は少しずつ増えるようになった。やがて、話は『少年がなぜ死ねなかったのか?』という謎へとシフトしていった。

「苦しくなかったのか?」と男は尋ねた。

「全然」とポルトは首を横に振る。

「何か思い当たる節は?」

 ポルトは再び首を横に振った。

「…………そっか」と男は天を仰いだ。

 どうして死ねなかったのか? 男はその理由について一つだけ思い当たる節があった。正直なところ、確証はない。けれども、ソレ以外に説明がつかないのだ。男は自分の頭の中にあるソレについて説明するべきかどうか決めかねていた。

 ソレを説明することは、少年の人生そのものを壊すことになりかねない。

 ソレを説明することは、少年を不幸にすることになりかねない。

 ソレを説明することは、少年を戦いの道へと誘うことになりかねない。

 その結果、男はソレについて語ることを止めた。

「これから……どうするつもりだ?」

 男は話題を変えるべく、質問したつもりだったのだが、

 ポルトから返ってきた言葉は、男が予想だにしていなかったものだった。

「母さんを殺した奴を探す」

「探してどうするつもりだ?」

「母さんと同じ苦しみを与えるんだ」

「殺すってことか?」

 ポルトは黙って頷いた。

「やめとけ。復讐なんて」

「…………」

「復讐は何も生まない。お前が不幸になるだけだ」

「…………」

「お前が余計に苦しくなるだけだ」

「それでも、そうしないと、僕は前に進めないから…………」

 男は参ったとばかりに頭を抱えた。不運なことに、ポルトの決意は固いようだった。どれだけ止めたところで、その決意が揺らぐことはないのだろう。ポルトの眼はそういった種類の眼をしていた。さりとて、ただ闇雲に復讐に赴けば、間違いなくポルトは殺されることになるだろう。結局のところ、男はソレについて語らなければいけないのだった。

「バカか!! お前みたいな奴が、爆弾魔のところへ行ったって、返り討ちに合うだけだ」

「それでも…………」と反発しようとするポルトに対し、

「ただし、方法がないわけでもない」と男は優しい口調で言葉を紡いだ。

「本当に?」

「本当だ。俺が短期間で、お前を強くしてやる」

「おじさんが?」半信半疑で不安な顔を浮かべるポルト。

「こう見えても、実はおじさんは、めちゃくちゃ強いんだ。ただし、一つだけ約束だ。相手を殺すな。これが条件だ。この条件を守るのなら、お前に『力』の使い方を教えてやる」

「『力』?」

「お前が死ねなかった理由もここにある」

「……………………わかった。約束する」とポルトは弱弱しい声で言った。

 そして2人は指切りをして誓いを立てた。



 この世界の物語


 商業都市『ククリ』の主要駅から、新幹線で2時間ほどの距離に位置する自然地帯『ミルジャム』。この『ミルジャム』という土地が『アルヒ禁止区域』と呼ばれるようになってから、まだそれほどの年月は経っていない。

 面積は800平方キロメートル。乾燥した砂地とゴツゴツとした岩山で形成されるその場所は、人が生活するにはあまりにも過酷な環境であった。『ミルジャム』沿岸沖には寒流が流れているため、水蒸気の発生も少なく、雨雲が形成される確率が低い。それに加えて、複雑な地形が織り成す特殊な風により、常に高気圧が保たれている。そのような影響により、その地域にはほとんど雨が降らなかった。雨がほとんど降らないその乾燥地域には、当然のことながら、ほとんど水がなく、人間どころか野生動物すら生きていくのが難しい。

 このような場所で生きていけるのは、水分をほとんど必要としないごく限られた植物か、特殊な動物だけだった。そんなわけで、この自然地帯『ミルジャム』は、人間の干渉をあまり受けることなく、長きに渡って、ありのままの自然の姿を保っていたのだが………………………ある日を境に、この土地は変わった。

 数年前、ファゴット・カンパニーに目を付けられた、その瞬間から。

 その日。ファゴット・カンパニーはメディアを通して、この土地の買収を宣言した。

 当然、動植物愛護団体とか、自然推進協議会といった連中が、血相を変えて猛反発したが、結局は莫大な金と権力の前に、成す術なく沈黙した。

 自然地帯『ミルジャム』を買収したファゴット・カンパニーは、その土地の外周に巨大な壁を建造した。壁の建造は凄まじい勢いで推し進められ、800平方キロメートルを誇る広大な敷地は、僅か3年で分厚い壁に囲われるようになった。いったいどれほどの金と人が動いたのか、まるで見当もつかない。ファゴット・カンパニーは、人と時間と金を惜しみなく注ぎ込むことで、その場所にドデカイ『檻』を作った。800平方キロメートルもある巨大な檻だ。

 それが完成するや否や、彼らは世界に散らばる禁止区域で捕獲した『天魔獣』を、自らが作った檻の中に格納し始めた。種類にもよるが、天魔獣には水や食料を一切必要としないものもいる。連れて来られた天魔獣が、苛酷な『ミルジャム』の環境に溶け込むのに、そう時間は掛からなかった。

 そしていつからか自然地帯『ミルジャム』は『アルヒ禁止区域』と呼ばれるようになった。

 この施設は開発当初、社会的な大問題にまで発展した。連日にわたりニュース番組で物議が醸し出され、全国各地で『アルヒ禁止区域』の廃止を求めるデモ活動が盛んに行われた。『アルヒ禁止区域の撤廃求む』と書かれたプラカードを掲げ、何万もの人々が街を行進するといった光景もまだ記憶に新しい。時にエスカレートしたデモ活動も行われ、過激派と警察の間で血を流すほどの争いが繰り広げられたこともある。

 けれども、有名な教授やら博士やらが、壁の安全性を理論立てて立証すると、『アルヒ禁止区域』はたちまち人々から認められるようになった。その用途は、『研究者による天魔獣の観察や実験』から『観光者のための天魔獣見学』に至るまで多岐に渡っている。

 単なる自然地帯『ミルジャム』が、これほどの価値ある土地になることを一体どれだけの人が予想できただろうか。実際、この施設は毎年、多額の営業黒字を計上するほどの金を生む鶏と化している。

 もちろん成功には必ず理由がある。今回の場合は『天魔獣の希少性』がその成功の最たるものと言っていいだろう。というのも、本来、天魔獣というのは、一般の人間が、おいそれと御目に掛かれるようなものではないのだ。この施設ができる以前までは、プレミア連盟から許可を得た者『プレミア業務関係者』しか天魔獣を見ることができなかった。それまでは、一般の人々は教科書や雑誌でしか、その存在を知ることができなかったのだ。それを身近なものにしたのが、この『アルヒ禁止区域』というわけだ。

 では天魔獣とは、どこに生息している生き物なのだろうか。それは、世界各地の至る所に点在する不思議な『門』というのがこの世界における常識となっている。この『門』の内側にのみ生息する生き物。それが天魔獣だ。『門』に関しては、頭の良い科学者たちによる研究が、日夜世界中で繰り広げられているが、正直なところ、ほとんど何もわかってはいない。動作原理や構造が全く解明されていない未知のブラックボックスなのだ。

 『門』について、唯一、わかっているのは、次の5点だけである。


① 『門』は『人間の住む世界』と『天魔獣の住む世界』をつなぐ役割を果たしている

② 『門』には『特殊な障壁』が施され、『人間』のみ自由に行き来することができる

③ 『門』はそこに住まう『天魔獣』の(おさ)を倒さない限り、いかなる手段でも消滅しない

④ 『門』は寿命が近づくと、青紫色の光を放つ

⑤ 『門』は寿命を過ぎると、『障壁』の効果を失い、『天魔獣』も行き来できるようになる


 この『門』は『禁止区域』として政府やプレミア連盟によって厳重に管理されている。

 ちなみに、現在世界中で確認されている『門』の数は数千を超える。

 つまり、簡単に言うと、こういうことになる。

 誰かが『門』に入って『門の中の支配者』を倒さないと、『天魔獣』が『人間世界』に溢れ出てきて大変なことになる。そして『門』の破壊こそが、プレミア・カンパニーに求められる一番の仕事なのだ。

 少し脱線してしまったので、話を元に戻そう。

 ファゴット・カンパニーが『アルヒ禁止区域』を建設した一番の理由についてだ。

 それは、より優れた人材確保のため。

 ファゴット・カンパニーは、これまでの『BTS』(バトル・テスティング・サービス)本位の試験をとり止め、この『アルヒ禁止区域』で天魔獣を使った実技試験を取り入れた。

 BTSはあくまでも対人戦闘を主体としたテストだ。もちろん、その判定基準は大いに信頼できるものなのだが、それが必ずしも天魔獣に通用するものかといえば、必ずしもそうではない。実際、BTSの成績が良かったのにもかかわらず、実践では使い物にならない、というケースもたくさんある。けれども、この『アルヒ禁止区域』を用いた実技試験を導入することによって、ファゴット・カンパニーは より優秀な人材を確保することができるようになった。

 さらに、この『アルヒ禁止区域』は、もう一つの副次的効果を世界にもたらした。

 人々が天魔獣を身近に感じることができるようになったことから、プレミア・カンパニーで働くことを希望する若者が、近年、増加している、ということだ。



 リク・ギルフバッシュの物語


 ファゴット・カンパニーが所有する特別施設『アルヒ禁止区域 城門前』

 ここにいる全ての若者たちも、大なり小なりこの場所の副次的効果の影響を受けている。

 それは間違いないだろう。

 もちろん、大剣を背負うオレンジ髪の少年も。

 今、少年の目の前には屈強な城門が立ちはだかっていた。それは城門というよりはむしろ、山のように威圧感のある鉄の壁だった。どれだけ外装を剥ぎ取られようとも、絶対に脆さを見せることはないであろう巨大な壁。

 少年はそこにひしめく同世代の若者たちを見回して溜息をついた。アバウトに言うと、500人くらいだろうか。試験日は何も今日だけじゃない。噂によると、3週間に分けて二次試験を行うらしい。単純計算すると、二次試験に駒を進めたのは1万人と少々。さすがは超大企業といったところか。ぐるりと周りを見渡すと、修学旅行気分で自分の武器について熱弁する者、天魔獣の特性について知識をひけらかす者、一次試験の感想を述べ合う者など様々だった。

 間もなくして、城門の前にマイクを持ったスーツ姿の男が現れた。

 前髪はオールバックで、襟足はウェーブパーマ。顎には整えられた髭が携えられており、解放されたカッターシャツの隙間にはドクロのペンダント。眉間には深い皺が刻まれている。

「ルッチン・クライファー」と少年は言った。それとほぼ同時に

「セクハラ人事」と隣の誰かが言った。

 少年が自分の右隣に目をやると、そこには黒髪ショートカットの少女が立っていた。一次試験で知り合った少女、クロナ・イヴニスだった。

「また会ったな」とクロナが言った。

「おう、二次試験も頑張ろうぜ」とリクは笑顔で返す。

 クロナは黙ってコクリと頷いた。 

 ルッチンはマイクのスイッチを入れると、以前と同じく傲慢な口調で話を始めた。

「ここはファゴット・カンパニーが所有する『アルヒ禁止区域』。お前らには、今からここで狩りをしてもらう。二次試験の通過条件は、4種類の『スタージュエル』を1つずつ集めること。つまり、4種類の天魔獣を狩ってこいということだ。武器や道具の使用は自由。ジュエルを集め終ったら、その時点で戻ってきて構わん。制限時間は日没まで。日没と同時に狩りを中断し、それから一時間以内に4種類のスタージュエルを持って、この場所まで戻ってこい。それができなかった奴は不合格だ。説明は以上。質問があるやつは手を上げろ」

「スタージュエル以上のジュエルでもいいんですか?」と志願者の一人が、質問をした。

「さっきも言ったが、ここは人工的に作られた禁止区域だ。生息する天魔獣のランクも極めて低い。よって、スタージュエル以上のジュエルを排出する天魔獣も存在しない。ただしランクが低いといっても、中にいるのは本物の天魔獣だ。試験中に何が起ころうと、当社としては、一切の責任を負わん。ここから先は自己責任だ。質問は終了。武運を祈る」

 ルッチンは他にも質問しようと手を上げている志願者たちを無視し、強引に話を終えた。

 それと同時に、巨大な門が軋むような唸り声を上げながら、ゆっくりと開き始めた。

 少年の胸の鼓動は自ずと加速を始める。



 リク・ギルフバッシュの物語


 ファゴット・カンパニーが所有する特別施設『アルヒ禁止区域 城門前』

 巨大な城門がギシギシと音を立てながら開門すると、そこには広大な荒野が広がっていた。乾いた砂地を風が蹴飛ばし、土埃が微かに舞っている。遥か彼方に見える地平線の上には、大小様々な岩山が密集しており、その上空には大きなヒツジ雲が気持ちよさそうに空の散歩を楽しんでいた。水気の乏しい草木は力強く大地に根を張り、降り注ぐ太陽の光を全身に浴びている。ここがファゴット・カンパニーの二次試験の舞台『アルヒ禁止区域』。

 試験開始の合図として、鐘の音が鳴り渡った。

 ほとんどの者たちは視界に広がる圧倒的な光景に気圧され、その場に立ち尽くした。そんな中、少年は何の尻込みもすることなく、前へ前へと荒野を真っ直ぐに進み続ける。そして歩き続けながら少年は大きく伸びをし、空気を極限まで肺に送り込んだ。器官が洗われるような気持ち良さが全身を突き抜けると、思考がクリアに冴えわたる。そこには都会の町中に跋扈するギスギスとした時の流れは存在しなかった。あるのは、誰の指図も受けないマイペースな太陽とその動きを黙って見守る大自然。それだけだ。そこは城門を隔てるか否かの違いであるはずなのに、まったくもって形相が違う別世界だった。

――――俺が本当に吸い吸いたかった空気。

――――感じたかった世界。

――――ずっと求めていたもの。

――――ここが俺の生きたかった世界。

 少年は胸の高鳴りを押さえることができずにいた。そして一時間ほど歩き続けたところで、少年の興奮は絶頂を迎えることとなる。突如として、少年の目の前に、天魔獣の『ゴブリン・ブレーカー』が現れたのだ。

 ゴブリン・ブレーカーは尖った耳と大きな鷲鼻が印象的な天魔獣で、どこにいくにも欠かさずノコギリのような刀を携帯している。普段は物静かで大人しい性格なのだが、武器を持つ人間を見ると狂暴化し、襲い掛かってくるという習性を持つ。

「これが天魔獣か」と少年が感嘆の声を漏らしたところ、

「君の首を切り落としたそうな顔をしているな」と誰かが話しかけてきた。

 何やら聞き覚えのある声がする方へと少年が後ろを振り返ると――――そこにはまたしても黒髪の美少女、クロナの姿があった。

「何でお前がここにいるんだ?」と少年は呆れたように尋ねた。

「今年、ナンバーワンルーキー様の実力とやらを拝見させて頂こうと思ってな」とクロナは嬉しそうに髪を掻き上げた。

 荒野に煌めく一輪の花は、落ち着き払った態度で腕組みをし、大きな瞳を少し細めた。ベテラン監督が備える千里眼のような鋭い眼差しを浮かべながら、天魔獣と少年の間の空間を一点に見つめ続けるクロナ。その光景は、初めて天魔獣を目の当たりにした衝撃よりも、ずっと強い印象を少年の心に刻んだ。

「ご勝手にどうぞ」と言って、少年は天魔獣に向きなおる、

「君のご理解に深謝する」とクロナは礼を述べた。

「とりあえず、俺から離れるなよ。ゴブリン・ブレーカーは見かけによらず狂暴だ。気を抜くと、首を持っていかれる」

 息を荒げながら飛び掛かる天魔獣ゴブリン・ブレーカーは、少年の懐に潜り込むと、躊躇うことなく刀を大振りした。それに対して少年は、狼狽する様子もなければ、逃げる素振りもみせない。彼が選択した行動は、親指と人差し指の二本の指で天魔獣の刀を受け止める、というものだった。そのまま相手の片足を軽く払い、大外刈りの要領で地面に叩き付けた。

「おみごと」とクロナは唸った。

「どうも」と少年は言った。

 すると、目を回しながら地面に倒れ込むゴブリン・ブレーカーの体から、光り輝く蒸気が立ち上り始めた。黄金の粒子が天に向かって上昇するにつれ、それを発する本体は風船がしぼむみたいに小さくなる。天魔獣はくすぐったそうに身をよじらせながら、自身の変化を静観し続ける。その表情はどこか嬉しそうにも見えた。蒸気の発生がピタリと止んだ頃、天魔獣は掌サイズのクリスタルと化していた。

 少年はゴブリン・ブレーカーの形をしたフィギアのようなクリスタルを拾い上げると、不思議そうにそれを観察した。

「…………噂には聞いていたが、本当に天魔獣が結晶化するんだな」

 と言って、少年は手に入れたジュエルをズボンのポケットに突っ込んだ。

 ――――楽しくなってきた。狩りの始まりだ。



 リク・ギルフバッシュの物語


 ファゴット・カンパニーが所有する特別施設『アルヒ禁止区域』

 大剣の少年と黒髪の少女は、微妙な距離感を保ちながら荒野を歩いていた。

 ゴツゴツとした岩山は沈黙を決め込み、無骨な態度で地に佇んでいる。その姿は地位と名声にがんじがらめになり、身動きが取れなくなった政治家に似ている。墓穴を掘らないように、揚げ足を取られないように、失敗しないように。そのような保守的な気持ちが、彼らに強制的な静寂を課するのだ。そんな彼らとは対照的に、

「いつまで付いてくるんだ?」と少年は尋ねた。

「私のことは気にするな」とクロナは答えた。

 恐れを知らない男女二人の会話は弾む。どれだけ不器用でも、どれだけ無意味でも、どれだけ無駄が多くても、2人は純粋に思ったことを口にし、感じたままに行動する。失敗することを恐れない若者たちは、ただ前だけを向いて進み続ける。だからこそ2人はどこまでも革新的であり、そしてどこまでも自由でいられるのだ。

「先に言っておくが、俺は協力するつもりはない。二人で力を合わせてジュエルを集めるつもりなら、他を当たってくれ」と少年は突き放すように言った。

「安心しろ。そんなつもりは毛頭ない」とクロナも突き放すように言った。

「じゃあ、何で俺に付きまとってくるんだ?」

「気にするな。ただの人間観察だ」

「人間観察!? お前は一体、何しに二次試験に参加したんだよ」

「君には関係のないことだ」

「観察対象にされて関係ないことはないだろ」

「安心しろ。観察する価値がないと判断した時点で、すぐに撤退を決断する。君が役立たずだとわかれば、私は即刻にでも君の下から離れよう」

「それはそれでお前が離れていったら、俺の気分が悪いだろ」

「ならば、私を失望させないでくれ」

「……………………」

 ――――何だ? こいつ? 絶対に性格悪い。

 ――――可愛い女には裏があるっていうけど…………そんなのは嘘だ。

 ――――この女…………裏も表も真っ黒だよ。

「おい」とクロナは声を上げた。「どうやら次の獲物のご登場みたいだぞ」

 クロナは人差し指で進行方向の先を真っ直ぐに指差した。

 それに促されるまま、少年は目を見開いて50メートル先の景色を眺めた。

 そこには大型戦車ほどの体躯をした亀のような天魔獣の姿があった。どういうわけだか、その天魔獣は自分の身体を岩山に叩き付けている。丸太のような四本足にザラザラとした皮膚。そこまではまぎれもなく普通の亀と遜色ないのだが、その天魔獣が背中に背負っているのは、甲羅ではなく巨大なボーリング玉のような鉄球だった。何かに憑りつかれたかのように、一心不乱に鉄球を岩山に打ちつけている。

「あれは『鉄球タートル』だな」とクロナは言った。

「へー」と少年は相槌を打つ。「何をやっているんだろうな?」

「おそらく鉄球を鍛えているんだろう」

「鉄球を鍛える?」

「鉄球タートルの背中の鉄球は、強い衝撃を加えれば加えるほど、硬く、大きくなる。鉄球は彼らにとっての強さの象徴。大きければ大きいほど異性にモテる」

 ――――なんだかエロい説明に聞こえるのは、俺だけだろうか?

「どうした? 耳が赤くなっているぞ」とクロナは目を細めた。「まさか今の説明で不適切な想像を掻き立てたわけではないだろうな?」

「バッ、バカ。そんなわけあるか」と少年は図星をつかれて少しうろたえた。「話、話を戻すが、あ、あの鉄球タートルは、モテるために鉄球を岩山にぶつけているってことか?」

「そういうことになる」とクロナはコクリと頷いた。「だが、いいことばかりではない。過度に肥大化した鉄球の重みに耐えきれず、彼らはペシャンコに潰されて生を終える。適正寿命まで生きられるものは半分ほどしかいないらしい。バカな生き方だな。ジッとしていれば、長生きできるというのに……………………」

 クロナはふいに悲しげな顔を浮かべた。

 鉄球タートルは、そんな自分の運命を知ってか知らずか、地響きを立てながら体を岩山に叩きつけ、自分自身を磨き続けていた。泥に塗れ、傷だらけになり、苦痛を伴い、それでも己の欲求を抑えることができずに、狂気の沙汰に身を投じる。

「気に入った」と言って少年は肩をグルグルと回した。

「ほう」と言ってクロナは頷いた。「君がやろうとしていることは察しが付く。が、気に入った相手の命を終わらせるというのも如何なものか、と私は思う?」

「ただ生き長らえることに意味はない。少なくとも、俺はそう思っている。どうせ死ぬのならば、何かを成してから死にたい。きっと…………こいつも俺と同じ口さ」

 そう言うと、少年はニコリと微笑み、ゆっくりと天魔獣に歩み寄っていった。

 鉄球タートルは少年の姿を視界に捉えると、ピタリと動きを止めた。そして鋭い牙を携えた口を開くと、耳をつんざくような唸り声を上げた。大気を振動させるその声は、少年の魂をも激しく震わせる。少年は真っ直ぐに天魔獣の瞳を直視しながら、前進し続ける。ふたりの距離感が狭まるにつれ、安全領域が剥ぎ取られ、研ぎ澄まされた空気が抽出される。

「覚悟はいいか?」

 少年がそう問いかけると、鉄球タートルは静かに足をたたんで地面に寝そべった。

 まるで少年の言葉が通じたかのようだった。

 天魔獣の中には人間の言葉を理解できるものもいる。

 けれども、鉄球タートルはそれができる部類には属していない。

 だとすれば、考えられることは一つしかなかった――――

 少年は息を吐きだしながら、精神を整え、腰を低くし、拳を構えた。そして天魔獣の鉄球目掛け、渾身の力で正拳突きを繰り出した。煌めく軌跡を描いて打ち出された少年の拳は、容易に風を切断する。

「うらぁぁぁぁぁぁ!!」

 ドッンッッッッッッッ。

 少年の凄まじい一撃は、天魔獣の鉄球を激しく打ち震わせた。まるで檻の中に閉じ込められていた空気の塊が、檻を蹴破り脱獄を試みたかのように噴出され、大きな衝撃波を生成する。その直後、天魔獣の鉄球は、パン生地が膨張するかのように、みるみる大きく膨れ上がっていった。天魔獣は四本の足でしっかりと立ち上がり、つま先をビクビクとさせながら急激な自己成長に喚起した。

「ボォッッーーーーーーーーー!!」

 鉄球の成長が臨界点に達っした頃、鉄球は元の大きさの三倍になっており、天魔獣は激しく吠えた。そして、光り輝く蒸気に包まれながら、鉄球タートルはジュエル結晶化した。

 もちろん、大きな鉄球を背中に携えたままの姿で。

 少年は賞賛の念を抱きながら、ジュエルを優しく地面から拾い上げた。

 ――――きっと2人とも馬鹿な男だったのだろう。

 ――――生きるよりも大切なことがあると信じて止まない大馬鹿者だったのだ。



 リク・ギルフバッシュの物語


 ファゴット・カンパニーが所有する特別施設『アルヒ禁止区域 南部』

 放浪者のように当てもなく荒野を歩きまわる少年と少女。大剣を背負った少年が前を歩き、その大剣を眺めながら3歩後ろを少女が歩く。傍から見れば、容姿が整った黒髪の美少女を従わせる少年、と誰もが羨む光景なのだが、現実と理想は少しばかり掛け離れていた。

「エロ剣士君。どうして君の剣はそう無駄にデカいのだ?」

「うるさい」

「スケベ剣士君。剣がデカいと鞘に収納する(いれる)のに苦労するだろう」

「うるさい。ついてくるな」

「ムッツリ剣士君。何でもデカければいいと勘違いしていないか?」

「…………」

「チンカス剣士君。また耳元が赤くなっているぞ。まさか……また厭らしい話と勘違いしているんじゃないだろうな?」

「…………」

「〇〇〇〇(ピーーー)剣士君。デカ過ぎる○○○(ピーー)は女が嫌がる。私はそういう類の話をしているんだ」

「あぁ~~~!!」と少年は発狂し、オレンジ色の髪の毛をクシャクシャに掻き毟った。「本当に卑猥な話だったのかよ!! さっきから何なんだよ。何がしたいんだよ!!」

「私は他愛もない会話で互いの距離を縮めようとしているだけだ」

「一気に縮めようとしすぎだ!! 会ったばかりの人間にする話じゃない。それに……微妙に呼び方を変えるのはやめてくれ。俺には『リク・ギルフバッシュ』っていう、ちゃんとした名前があるんだ。だから俺のことは『リク』って呼んでくれていい」

「私を誰でもかれでも下の名前で呼ぶアバズレ共と一緒にするな。会ったばかりの人間を呼び捨てにするだと? そんなモラルのない女と私を一緒にしないでくれ」

「ハハハ」と少年は擦れた笑い声を発した。「…………そうですか」

「私は、私が認めた人間の名前しか呼ばない。だが、確かに統一性のない呼び方は、あまりよくないな。これからはチェリー剣士君と統一しよう」

「…………もう好きにしてくれ」

 そうこうしていると、2人は荒野のど真ん中に建造された謎の建物の前に辿り着いた。野球場のドームのような形をした大きな建物。大自然の景観を損なわないための配慮かどうかはわからないが、その建物は岩山のような土色をしていた。どうやら2人は、その施設の正面玄関に立っているらしく『政府関係者以外立ち入り禁止』と書かれた表札が掲げられていた。

「なんだここは?」と少年は呟いた。

「天魔獣の研究施設か何かだろ」クロナは『天魔獣・第3施設研究所』と書かれた表札を手で撫でた…………ちょうどその時。

 何やら遠くから一台のトレーラーが、こちらに向かって走ってくるのが見て取れた。

 トレーラーは時速20㎞ほどのノロノロとしたスピードで、ゴトゴトと砂利を跳ね除けながら走行中。そしてよく見てみると、そのトレーラーは長方形の鉄の檻を牽引していた。そのまま少年と少女を気にも留めずに、トレーラーは玄関口のゲートから施設の中へと消えていった。しかし、それは2人が檻の中に格納されている物体を確認するには、十分すぎるほどの時間だった。

 角の生えたヘルメットを被り、生えたばかりの乳歯を光らせる小さなドラゴンの姿。

「あれは……『バルバトス・プチ・コドラ』」とクロナは声を漏らした。

「あれも天魔獣なのか?」

「そうだ。凶悪な天魔獣だ」

「さっきのチビすけが? まさか」

「君は本当に天魔獣について何も知らないんだな。プレミア・カンパニーで働くことを望んでいるのなら、もう少し勉強をした方がいい」

 ――――つい先日、同じようなセリフを俺はこの女に吐き捨てた気がする。

 ――――その仕返しのつもりなのだろうか…………。

「俺は強くなりたいだけだ。そんなことを勉強している時間があったら、強くなるためのトレーニングをする」

「はぁ」とクロナは残念そうに溜息を漏らした。「私の見込み違いなのかもしれないな。君は」

「何か言ったか?」

「いや、何でもない」とクロナは言って、先ほどの天魔獣の説明を続けた。「さっきのは『バルバトス・プチ・コドラ』だ。幼い内は可愛いが、成長すると『バルバトス・ドラゴン』という天魔獣になる。伯爵級の凶悪な天魔獣だ」

「へー」と少年は興味深そうに微笑んだ。

「そう言えば、新聞で読んだことがある。先日、新進気鋭の新興企業『The Heal』によって、天魔獣『バルバトス・ドラゴン』が狩られた、と。その際、その近くで子供の『バルバトス・プチ・コドラ』が発見された。生まれて間もない子供だったらしい。凶悪な天魔獣の子供は、研究資源としての価値が高く、『The Heal』は子供を生け捕りにして連れ帰った後、高値で政府に売りとばした。そして政府はこれまた高額な金をファゴット社に支払い、この『アルヒ禁止区域』で研究を始める、という内容の記事だった。ちなみに政府が両社に支払った金は、国民の税金ということだ」

「でも、変な話だな」と少年は首を傾げた。「天魔獣を『門』から出さないために……平和な世界を作るために戦っているはずのプレミア・カンパニーが、自分たちの手で天魔獣を『こっちの世界』に連れてくるっていうのは…………」

「敵を倒すためには、敵を知らなければならない、ということなのだろう」

「でも、何かおかしいよ。たぶん」と少年は食って掛かるように言った。

「みんながみんな君のように単細胞なら、世界はどれだけ平和なことか」

「なっ!?」

「だが、残念なことに、世界はとても複雑にでき、世界は矛盾で溢れている。私たち人間が、どうしようもなく不完全な生き物だからな。仕方がない」

「いちいち嫌味だな。お前は」

 2人は引き続き、荒野を歩き始めた。



 クローバー・グローバーの物語


 ファゴット・カンパニーが所有する特別施設『アルヒ禁止区域 天魔獣・第3施設研究所』

「ようやく。届きましたね。『バルバトス・プチ・コドラ』。待ち侘びましたよ。はい」

 男は檻の中を舐めまわすように見つめながら言った。

 首から上がキリンで、体がペンギン、背中の部分から翼を生やした摩訶不思議生物。

 そんな着ぐるみで全身をコーディネータした男だ。

 頑丈な檻の中では、ドラゴン系の天魔獣が、自分の頭に乗ったヘルメットをコンコンと叩いている。まだ牙や爪と呼べるような立派な器官は発達していない。能天気に己自身をおもちゃにジャレルその様は、ペットショップのゲージにいる犬や猫と同じだった。それは何とも無防備で、危なっかしく、不安定な状態。赤ん坊という生き物は、生きるも死ぬも自分では決められない、他者の助力無しではどうすることもできない弱い存在。誰かによって生かされるか、誰にも手を差し伸べられずにノタレ死ぬか、そのどちらかしかないのだ。

「ドラドラさん。こんにちは」

 小学校低学年くらいの女の子が、鉄の檻にしがみ付きながら言った。

 ぶかぶかサイズの黄色いクマの着ぐるみを着た幼女。その着ぐるみは赤いTシャツを着ており、『Manny-Ga-Paah』という文字が印字されている。幼女はサファイアのような緋色の瞳をパチクリさせながら、じっと中にいる天魔獣を眺めていた。

「ドラドラさん。ドラドラさん」

「こらこら、危ないから下がっていなさい。ミス・コルク」

 男はコルクと呼ばれる幼女を檻から遠ざけた。

「あぁぁ。ドラドラさん」

「ダメです」

「ドラドラさん。わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん」

 最終的には大きな声で泣きだすコルクを見て、男はやれやれと項垂れながら、モタモタと首の着ぐるみ(キリンパーツ部)を取り去り、それをコルクに手渡した。

「ミス・コルク。これを貸してあげますから、しばらく静かにしていてください」

「キリンさん。キリンさん」

 山の天気のようにコロッと機嫌が良くなったコルクは、キリンの着ぐるみの耳を引っ張りながら、ケラケラと笑った。

 真っ白なファイスペインティングで覆われた男の顔からは、安堵の表情が滲み出る。

「ミス・コルク。聞きなさい。ドラドラさんは、貴重な商売道具なんですよ」

「ドラドラさん。キチョウ?」

「その通りです。はい」

「博士、またお仕事? 仕事ばっかり」

「ミス・コルク。私は働き続けなければならないのです。人々が新しい刺激を欲する限り、科学者はその声に応え続けなければならないのですから」

「博士、いつも、意味わかんない」

「ミス・コルク。何度も言わせないでください。『意味がわからない』などという単語は科学者にとってタブー。『わからないこと』を『わかるようにする』。それが科学者というもの。よく覚えておいてください。はい」

「博士、うるさい」

 アッカンベー、と舌を出し、コルクはキリンの着ぐるみを使って遊び始めた。

 男はそんな無邪気な幼女を眺めながら、優しい顔で問いかけた。

「ミス・コルク。キリンさんは好きですか?」

「うん、好き」とコルクは元気よく返事をした。

「そうですか」と男は満足気に頷いた。「キリンさんの首は、昔はもっと短かったと言われています。けれども、生きていく過程でエサを巡る争いが生じてしまい、その結果、首の短いキリンさんが死んで、首の長いキリンさんが生き残った。そして生き残った首の長いキリンさん同士が結婚し、子供を産む。その子供のキリンさんもエサを巡る争いに巻き込まれ、首が短ければ死に、首が長ければ生き残るんです。世の中というのは、そういったプロセスで成り立っています。そして生き残るためには、他人と競争しなければなりません。その時代の、その国の、その地域の、その場所の、その環境に適合しなければいけません。でなければ……死んでしまうんですよ。はい」

「博士は、いつも、意味わかんない」

「ミス・コルク。生きるということが、どういうことか、その眼によく焼き付けておいてください」

 男は握りしめていたタブレット剤を、檻の中へと放り投げた。

 バルバトス・プチ・コドラは投げ入れられたタブレット剤を、何の警戒心もなく口でキャッチし、ゴクリと飲んだ。しばらくすると、その天魔獣の様子が急変する。体から湯気が立ち上り始めたかと思うと、口の中から何かドロリとした液体を吐き出した。クリクリとしていた可愛らしい瞳が赤く充血し、風船を割ることもできないような丸い爪が鋭利に尖りはじめた。そしてチャーミングポイントだった黄色いヘルメットが黄金の兜に変化すると、おもむろに鉄格子を叩き始めた。

「さぁ、ここは危ない。そろそろここから離れますよ」

「博士。ドラドラさんは?」

「ドラドラさんはね、生き残るために強くならなくてはいけないんです」

「強く?」

「そう。強く」

 男とコルクが研究所から脱出して間もなく、『天魔獣・第3施設研究所』は壊滅した。



 リク・ギルフバッシュの物語


 ファゴット・カンパニーが所有する特別施設『アルヒ禁止区域 南部』

 試験開始から半分が過ぎ去ろうとしている正午。

 大剣の少年とクロナは、岩山にポッカリと開いた小さな穴の中で休息を取っていた。ワンルームほどの広さしかないが、2人の人間が一時的に骨を休めるのには十分な場所だった。入口の方は太陽の光と結びついた岩々がその表情を赤らめているが、奥の方は光とまみえることなく薄暗い。

「それにしても、天魔獣もたいしたことないな」と少年は携帯食を食べながら言った。

「あまり天魔獣を甘く見ない方がいい」とクロナもレーズンを口に運びながら言う。「この『アルヒ禁止区域』に出現する天魔獣は、あくまでファゴット・カンパニーが入社試験用に用意したものだ。天魔獣のランクも極めて低い。本当の禁止区域ではこうはいかない」

「俺はもっと強い天魔獣と闘いたい」

「そうか」と言って、クロナはレーズンを親指で弾き、器用に口でキャッチした。「残念ながら、早死にするタイプだな。君は」

「大丈夫だって。俺は強いから」少年は笑顔で携帯食の包み紙を握りつぶした。「さぁ、休憩は終わりだ。そろそろ行こう」

 そう言って、少年が立ち上がろうとしたところを、

「いや、その必要はない」とクロナが制止させた。「どうやら私たちが今いる洞穴は、天魔獣の住処だったらしい…………残念ながら、今回も君の望むような相手ではないようだがな」

 クロナが目配せをする方向に視線を向けると、少年は口をポカンと開けた。

 そこには一匹の天魔獣がノソノソと洞穴の中へと入ってくる姿があった。

「…………これ以上……俺を失望させないでくれ……」と少年は嘆いた。

 赤と白のストライプのパジャマを身に纏い、へしゃげたニット帽を頭に被った小さなパンダ。ふかふかの枕と毛布を大事そうに抱きしめながら洞穴の奥へと歩を進める。人間への警戒心がないのか、少年とクロナを気に留める様子はない。

「『おやすみパンダ』だ」とクロナは言った。

「こいつも天魔獣なのか?」

「もちろんだ」

「こいつも……相手しないといけないのか?」

「もちろんだ。試験に不合格になりたいのなら、話は別だがな」

 少年は落胆に満ちた溜息をついた。

「手荒な真似はしたくないが、仕方ない」そして背中の大剣を抜剣しようと柄を握る。

「ちょっと待て。何をする気だ?」とクロナは瞳を細めた。

「何って……ブッた切るんだ」とケロリとした顔で言い放つ少年。

「チェリー剣士君。こいつは特殊な方法でしかジュエル結晶化できない天魔獣だ」

「はっ? 何だソレ?」

「君は本当に天魔獣に対する知識がないんだな」

「…………俺は強くなりたいだけだからな。切っちゃいけないなら、どうすればいい?」

「その天魔獣に添い寝して寝かしつけてやれ。それだけだ。おやすみパンダは自分のテリトリーに入った者のオーラを吸い取る特性を持つ。オーラを吸い取る際はかなりのエネルギーを消費するらしく、キャパを超えるオーラを吸い取ろうとすると、疲れて途中で寝てしまうんだ。熟睡した時点で、そいつはジュエル結晶化する」

「断る!! 俺は強くなるためにここに来たんだ。子守ごっこをしにきたわけじゃない」

「まぁそう言うな」とクロナは腕組みをした。「人助けならぬ、天魔獣助けだと思ってやればいい。外見通り、おやすみパンダは眠ることをこよなく愛する天魔獣だ。正確に言うと、眠ることは彼らの願望であり、憧れであり、夢でもある。というのも、彼らには眠るという習慣がない。睡眠欲とは食欲や性欲に並ぶ生物の三大欲求の一つだ。けれども、彼らは眠ることができない。彼らは一度でいいから眠るということが、どのような行為なのか経験してみたいんだ」

「羨ましい悩みだな。俺は睡眠なんてものがなければいいのに、って思ってるってのに。眠る時間さえなければ、もっと効率的に強くなれるからな」

「それはきっと君にとって、眠ることが当たり前になっているんだろう。あまりにも眠ることが当たり前すぎて、それが幸せであることが、わからなくなってしまっているんだ」

「どうだかな」

「眠ることを既に知っている人間が、眠ることを知らないものの気持ちを理解することはできない。経験しなければわからないということは、世の中にはたくさんある」

「はぁ」と少年は溜息をついた。「仕方ない。俺が眠ることの馬鹿馬鹿しさを教えてやるか」

「気を抜くなよ。同じ布団に入った時点で、オーラがどんどん奪われる。もしもその天魔獣が眠りにつくよりも早く君のオーラがつきてしまったら…………」

「どうなるんだ?」

「食い殺される。そんな可愛い身なりをしているが、肉食系の天魔獣だ」

「命がけで寝かしつけろってわけだな」

 おやすみパンダは洞穴の奥に布団を敷いた。そして枕の上に頭を乗せ、仰向けの態勢で毛布を被った。眠る用意は完璧に整っている。しかしながら、その天魔獣は大きな瞳を見開いたまま、薄暗い天井を見つめ続けるだけだった。数秒ごとにパチパチと瞬きを繰り返し、何かの物思いに耽っているようだった。

 少年はそんなおやすみパンダの横に静かに添い寝し、様子を伺った。天魔獣の布団に潜り込んだ途端、体から少し力が抜ける。少年は構わずに天魔獣の身体を優しく一定のリズムで叩いてやった。ポン、ポン、ポン、ポン…………。しばらくすると、先程までギラギラとしていた天魔獣の瞳は、トロンとまどろみを帯び始めた。

『眠ることを欲する天魔獣』と『眠らない体質に憧れる少年』。

 世の中には努力だけではどうにもならないことが数多く存在する。少年は天魔獣の姿を眺めながらそんなことを考えた。どれだけ本人に意志があろうとも、どれだけ本人にやる気が漲ろうとも、どれだけ本人が望もうとも、どれだけ本人が努力しようとも、それでも叶わぬ夢というのはあるものだ。反対に、たいして意志がなくても、たいしてやる気がなくても、たいして望んでいなくても、たいして努力していなくても、それをいとも簡単に手に入れてしまう者もいる。それが現実というものだ。おそらく、少年とその天魔獣は決して分かり合うことができないだろう。自分が望むものを持っている者に対して、少なからず憎しみの気持ちを抱いてしまう。それが生き物というものだ。だからこそ、彼らは仲良くはなれないのかもしれない。けれども――――

「眠るのなんて時間の無駄だ。そのせいで短い人生の三分の一が無駄になるんだからな。だから俺はお前の気持ちがわからない」と少年は言った。

 この時、天魔獣は安定した呼吸で瞳を完全に閉じてしまっていた。おそらく少年の声はもう届いてはいないだろう。それでも少年は囁くような声で話を続けた。

「ただし、頑張っている奴が報われないのはもっと嫌だ。努力した奴は皆報われて欲しいし、報われるべきだ。俺はそう思う」

 少年がそう言い終えると、天魔獣は寝具と共に蒸発し、光り輝くジュエルと化した。

 一仕事終えると、少年は名一杯に伸びをし、大きな欠伸をした。

「ずいぶん眠そうだな」とクロナは言った。

「あれだけ気持ちよさそうに眠られるとな。悪いが、ほんの少しだけ仮眠をとる」

「わかった。見張りは私に任せておけ」


 彼らは仲良くはなれないのかもしれない。けれども――――

 ――――歩み寄ることはできるのかもしれない。



 カナン・ドクロアの物語


 商業都市『ククリ』の『カモミール大学附属病院』『B506号室』

 男は先程からしきりにベッドの上で考えていた。クロナと名乗る謎の少女の言葉について。

『私と共に世界を変えよう』

『君自身はそれで満足しているのか?』

『数字と功績と安定しか得られないような仕事に』

「…………別に満足なんかしてねぇよ」

 株式会社ホープで、ウォーター・サーバーの営業マンとして働き始めてから、早3年。

 男には何かが足りないという想いがずっとあった。

 その足りない何かの正体に、男はうすうす気づいていた。でも、気付かない振りをした。

 世間の常識的な風潮が、男にそうすることを強要させたのだ。

『仕事というものは、噛めば噛むほど味が出てきて美味しくなる』とどこかのだれかが言っていた。『3年間働けば、社会人として一人前になり、仕事の楽しさが見えてくる』と何かの本に書いてあった。

 男はそのような言葉を信じて、来る日も来る日も、ただ一心不乱に働いた。眠い目を擦りながら、誰よりも早く会社に出社し、溺れてしまいそうになるほどの書類の山を、深夜まで掛けて処理した。客にキレられ、上司に怒られ、後輩からは不満をボロボロ零される。それでも踏ん張ってこられたのは、信じていたからだ。会社というものに、仕事というものに、何かしらの光を見出していたからこそ、これまで頑張ってこられたのだ。

 けれども、3年という月日が流れ去ろうとした頃、男は痛感させられた。

 自分が手に入れたかったものは、このようなものではない、と。

 男は会社における努力と貢献が認められ、若くして係長に昇進した。年収は700万クレジットに届き、社会的なステータスが上がった。少し贅沢な食事ができるようになり、少し高価な買い物ができるようになった。ブランド物のスーツをオーダーし、新車で車を購入した。それに伴い、親や親戚、ご近所さんからは、ちょっぴり尊敬の眼差しを向けられることになった。

 しかしながら、それに対して、男は曇った笑顔を浮かべるだけだった。

 ――――違う。違う。違う。

 一方、社内では、以前よりも男の意見が通るようになった。男が意見を口にすると、周りがそれに同調するようになった。下の者がどうしても自分のいう事を聞かなかった場合、『命令』という名の伝家の宝刀をもって、強制的に己の意に従わすことができる地位と権限を得た。その分、仕事の量は以前よりも増した。責任が増え、人を叱り飛ばすことを求められる場面もでてきた。それに伴い、周囲のものがちょっぴりだけ離れていくことになった。自分の時間はどんどんなくなり、ふいに孤独が押し寄せてくる。

 ――――俺が欲しかったのは、こんなもんじゃない。

 頑張れば頑張るほど、自分の生活水準は向上していった。でも、

 頑張れば頑張るほど、自分が望んでいない方向へと進んでいく。

 どれだけ良い数字を叩いても、心は打ち震えなかった。

 どれだけ周囲に尊敬されても、心は乾いたままだった。

 どれだけ心が安定していても、心は満たされなかった。

 そして、ある時、男は気付いた。

 自分の望んでいるものは、ここにはないのだ、という事実に。

 それに気付いた瞬間、全てがどうでもよくなった。

 けれども、夢と希望と光を失い、カラッポになったスカスカの心には、ベットリとした大人の常識が既に染み付いてしまっていた。『転職に失敗すれば、人生が台無しになる』と世間が男に囁きかける。『働かなければ、仕事を辞めれば、死んでしまう』と世間が男を脅迫する。心はわかっているのに、損得勘定を叩きこまれた脳が、身体を羽交い絞めにする。結局、そんなモヤモヤとした気持ちを取り除くために、また一生懸命に今の仕事を頑張った。けれども、働けば働くほど、男の虚しさは増していった。

 これは全ての大人が経験する通過儀礼なのかもしれない。

 この試練に耐えることができた者だけが、立派な大人、立派な社会人になることができるのだ。もしかすると、子供が大人になるということは、夢と希望と光を宝箱にそっと仕舞い込むことなのかもしれない。そうしなければ、大人になることができないのだ。

 この時、男の中の天秤が僅かながらにピクリと揺れた。

 ちょうどその時だった。病室の扉がバタリと開いた。

 そのままスーツに身を包んだ長身の金髪男が、身をよじりながら部屋へと入ってくる。

「先輩。トラックに轢かれたって聞きましたけど、大丈夫っすか?」

「まぁ、なんとかな」と男は笑みを浮かべながら言った。

「デキるサラリーマンは打たれ強いって本当なんすね」

 尻を押さえながら忍び足で歩くのは、男の会社の後輩、ビッチーだった。

「ビッチー、お前の方こそ大丈夫なのか? ケツの具合は?」

「大丈夫じゃないっすよ。ケツがバナーで炙られている感じっすよ。まぁ、先輩の痛みに比べたら全然マシなのかもしれないっすけどね」

「どうだかな。実際のところは、お前の方が痛いかもしれないぞ。人の痛みや苦しみっていうのは、その人間にしかわからないものだからな」

「深いっすねーー」とビッチーは浅い感じで言った。「まぁ、少し遅くなって申し訳ないですけど、これ、会社の皆からっす」

 ビッチーは手に持っていたフルーツの入った籠を机の上にドサリと置いた。

「あと……今日は見舞いの品と一緒に朗報を持ってきたっすよ」

「朗報? なんだ?」

「なんと!! あのファゴット・カンパニーとの契約が取れちゃいました!! 今、会社中、すんごいことになってるっすよ。『株価がアップだぁ』とか『会社が10年は安泰だぁ』とか『特別ボーナスだぁ』とか」

「そうか……それは良かった」と男はぎこちない笑顔を無理矢理に作った。

「それで課長が部長。先輩が課長。そしてこの俺がなんと係長に昇進っすよ」

 ――――業績アップ……昇進……なんだろう。

 ――――なんだろう。この虚しい感じは。

「ビッチー、昇進できて嬉しいか?」と男はふと後輩に尋ねてみた。

「ったり前じゃないっすかー。給料アップ、地位もアップ。最高じゃないっすか。前から欲しかった物もかえるようになるし、みんなからスゲー尊敬されるし。なにより女の子にモテモテっすよ」

「そう……だよな」

 ――――どうして俺はこんなにも、冷めているんだろうか。

 ――――どうして嬉しいと感じないのだろうか。

「先輩なんて課長っすよ。課長。俺なんかよりずっとスゲーんすよ」

「ああ。そうだな…………」

 ――――そうか。そういうことか。

 ――――きっと俺の欲しいものは……………………

「これから頑張らなくちゃな」と男は言った。

 この時、男の中の天秤はガシャリと音を立てて傾いた。

 男は布団の中に潜り込ませていた手帳。クロナが置いていった手帳を強く握りしめた。



 リク・ギルフバッシュの物語


 ファゴット・カンパニーが所有する特別施設『アルヒ禁止区域 南部の洞穴』

 そよ風が波を打ち、少年の肌をそっと撫でた。乾いた砂の匂いが鼻腔をまさぐる。

 そんな感触に刺激を受けて、少年はゆっくりと眼を覚ました。

 疲れの色を覗かせる太陽が心もとない陽光を降り注いでいる。

 紅色に染まった荒野をおぼろげに眺める少年。ここはどこで、自分は何をやっているのだろうか。活動を休止していた脳がソフトに働き始め、状況を整理し始める。脳内の電気信号が記憶の軌跡を辿り、緊急アラートを発動させるのにそう時間は掛からなかった。そして少年は地べたに横になっている上体を慌てて起こした。

「俺は何時間くらい寝ていた?」と少年は声を上げた。

「さぁ」とクロナは首を傾げた。「だが、あと一時間もしない内に日が暮れる」

「何で起こしてくれなかったんだよ!!」

「起こしてくれと頼まれた覚えはない。私は見張っててやると言っただけだ」

 少年は険しい表情を両手で覆った。

「時間がない。行くぞ!!」

 少年は吐き捨てるようにそう言うと、地面を力強く蹴り出し、ジェット機が飛翔するかのように走り始めた。いくぶん冷たくなった空気を全身に浴びながら、鬼神のごときスピードで荒野を直進する。途中、巨大なサボテンの密集地帯やモアイ像に似た人口彫刻が目に入ったが、そんなものには眼もくれずに走り続ける。眼球を左右に動かしながら、天魔獣を探す。この一帯は既に他の受験者に狩り尽くされた後なのだろうか。全くと言ってよいほど、天魔獣が見当たらない。ともすると、天魔獣という生き物は、日没を迎えると巣の中に隠れてしまうのかもしれない。時間がない。時間がない。時間がない。その焦りが少年の人間離れした脚力をさらに加速させる。凄まじい風圧がゴーゴーという唸りを上げ、少年の髪の毛を逆立てせる。そしてついに―――――

「いた!!」

 少し離れた場所に位置する枯れ木の下。まぎれもなく天魔獣だ。

 無事に天魔獣を見つけ出し、少年はいつもの冷静さを取り戻した。

 そこでようやく少年はあることに気が付く。

「…………アイツは…………」

 焦りに感情を支配され、行動を共にしていたクロナを置き去りにしてきてしまったのだ。今頃、先ほどまでいた洞窟付近で一人、天魔獣の存在に脅えながら震えているのかもしれない。傲慢無礼で小生意気な性格ではあったが、それでも細腕で非力な女の子なのだ。それに、これまで苦も無くスタージュエルを集めることができたのは、他の誰でもなく彼女のおかげだ。天魔獣の知識が乏しい自分だけでは、3つものジュエルを集めることができたかどうか。現に目の前にいる天魔獣をどうすればジュエル結晶化できるのか見当もつかない。少年は後悔の念を表情に滲ませながら後ろを振り返った。

「…………なんで…………」と少年は声にならない声を漏らした。

 そこには腕組みをしながら、目の前の天魔獣を観察するクロナの姿があった。

 ありえない、と少年は思った。

 ついてこられるはずがないのだ。自分は全力で走ったのだから。

 自分の全力についてこられるはずがない。

 他の誰でもない自分が全力で走ったのだから。

 少年は現状を上手く呑み込めずにいた。そんな少年の気持ちを知ってか知らずか、クロナは汗ばむ様子もなく、呼吸を乱すこともなく、クールに言葉を発した。

「『ヘル・ザ・バッファロー』だな。油断するなよ。さっきまでの天魔獣とは違い、好戦的なタイプの相手だ。とはいっても、直線的で単調な攻撃しかしてこない。しっかりと相手の動きを見極めれば勝てるはずだ」

 せっかくの詳細な説明も少年の耳には入ってこなかった。

 意識が小道に迷い込み、出口を探して彷徨っている。

「おい。ちゃんと聞いているのか?」とクロナは怪訝そうに言った。

「う、うん」そこでようやく少年の意識が戻ってきた。「ただのデカい牛だろ。問題ない」

 通常のバッファローの3倍はあろう大きな体をした天魔獣。瞳は車のフォグランプのように不気味に輝き、鋭い牙を携えた下アゴからはボタボタとヨダレが垂れ流れ出ている。顔は柔らかそうな茶色い毛で覆われているが、それとは対照的に、ボディーは隆々とした筋肉の鎧で形成されている。頭に生えた立派な二本の角にはベッタリと血がこびりついている。

「こいつを結晶化する条件は?」と少年は尋ねた。

「ただ倒せばいい」とクロナは答えた。

「それだけ?」

「ああ。強いて言うなら、倒すのが条件だ」

「こういうのを待ってました」

 少年はそう言うと、笑みを零しながら前進し始めた。

 ヘル・ザ・バッファローは少年を敵と認識すると、白い息を吐き出しながら蹄で土を蹴った。ほの暗い荒野を照らす天魔獣の目玉が猛スピードで少年に迫りくる。まるで軽トラックがアクセル全開で突っ込んでくるような威圧感だ。少年は逃げるどころか、どっしりと腰を据え、その猛威を受け止める態勢をとった。不安におののくような素振りはない。真正面からの力比べだ。

 天魔獣は少年に接触する直前に大きく顎を引いから角で突き上げるように体当たりした。ズシリと重いインパクトが身体を吹き抜けた直後、少年は宙に舞い上がり、ズシャリという鈍い音を立てて地面へと落下した。天魔獣は興奮しながらフンと鼻を鳴らす。

 少年は大の字で地面に倒れたままピクリとも動かない。それを確認した天魔獣はライトのような眼光を少年からクロナへと移した。体を反転させ、尻尾をしならせながら先程と同じ攻撃をするべく足を上げたその時――――。

「それがお前の全力か?」

 そう言って、少年はムクリと立ち上がった。

 天魔獣は再び少年の方へと向きなおり、苛立つように草を踏みつけた。狂ったように興奮した様子の天魔獣の角は、付根から先端に向かって急激に赤みを帯び始める。それはまるでガラス棒の温度計を熱湯に浸したかのような光景だった。

「気を付けろ。その灼熱の角は鉄をも溶かす。刺されたら終わりだ」

 クロナの忠告に軽く頷くと、少年は背中の鞘から大剣を引き抜く。

 天魔獣は先程よりも勢いよく駆け出した。壊れたスピーカーのノイズ音のような雄叫びを上げながら、その距離をグングン縮めてゆく。両者の距離が1メートルを切った時、少年は薙ぎ払うように刀を一振りした。そして――――

 天魔獣『ヘル・ザ・バッファロー』はグラリとふらつき、前のめりにドスンと倒れ込んだ。

「たいしたことないな」

 少年は何事もなかったかのように大剣を鞘に収めた。

 さんさんと輝くオレンジ色の太陽が、今まさに沈まんとしている。一日の仕事を終えた満足感に浸りながら、太陽は地平線の彼方から姿を消そうとしていた。

 少年は唇を噛みしめながら、その残り火をじっと眺めた。

「どうした? 二次試験通過の切符を手にしたというのに浮かない顔だな」クロナは少年の背中をポンと叩いて言った。

「不合格だよ。2つ足りない」と少年は項垂れながら言った。

「チェリー剣士君よ。合格ラインは4つのスタージュエルの確保だ。既にノルマは達成している。それとも、どこかで落としたか?」

「半分はお前のだ。協力して集めたんだから当然だろ」

「協力はしない。君は確かにそう言っていた。私もそれに同意した。故に、君が持っているジュエルは全て君のものだ」

「いや、お前がいなければ集められなかった。それは事実だ。だから、ここは平等に分けるのが、筋ってもんだろ」

「律儀だな。だが、別に私はジュエルはいらない。それは君のものだ」

「ずいぶん簡単に言うんだな」と少年は唇を噛みしめながら言った。「お前にとってファゴット・カンパニーは、そんなにすぐに諦められる程度のものだった、ってのか?」

「ああ。その程度のものだ」さも当たり前かのようにクロナは言った。

「なっ!?」と少年は思わず奇声を上げた。

「そもそも前提条件が間違っているんだ」とクロナは面倒くさそうに溜息をついた。「私はファゴット・カンパニーに入社する気がない。二次試験に参加したのも今年度のナンバーワンルーキーと評価される『Sランク』の君の実力を確認するのが目的だ。正直なところ、この程度のものかとガッカリさせられたわけだが…………参考にはなった。私はもう満足している」

「はっ!?」と少年は再び奇声を上げた。「お前は一体、何がしたいんだよ?」

「私は…………」

 クロナが話を続けようとした刹那。

「ガッッッァ―――――――――――――」

 何かの雄叫びが『アルヒ禁止区域』の全域にまで轟いたかと思うと、青白い雷が2人のそばに位置していた枯れ木を直撃した。枯れ木は、青い炎を身にやつしながら真っ二つに割け、ドスンと地面に倒れ込んだ。

 吹きすさぶ突風が黒々とした雨雲のカーペットを引き連れ、一瞬の内に空を支配した。今にも泣きだしそうな雨雲の出方を伺いながら、大地はフルフルと小刻みに震える。

 針でつつかれるような痛みと重力が増したようなプレッシャー。

 少しずつではあるが、それらの感覚は確実に増してゆく。

 やがて、雲の隙間から現れたソレを見て、少年は絶句した。

「なんだよ……あいつ…………」





 オルガ・ヘブラインの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク 六等地』

 パール・パークという街は、衛星写真などで真上から見てみると、ピラミッドのような四角錐の形をしている。その一番の理由は、都心に近づくにつれて、より大きなビルが建てられているところにある。『ビルの大きさ』と『ビルを建てる立地』は、その企業の権力の大きさを示している。よって、多くの企業が『より都心に、より大きなビルを建てる事』を目標に日々の営利活動を行っている。それ故に、パール・パークという街は、ヒエラルキータウンやピラミッドタウンと呼ばれることもある。

 そんな中『株式会社レッド・ウルフ』のオフィスは、ビルが数多く建ち並んでいる都心部ではなく、そこから離れた外円部に構えられている。そこはもっとも地価の安い『六等地』と呼ばれる場所だった。それほど大きくもない華奢なビルの中にたくさんの企業が混在している。もちろん自社ビルなどではなく、数多くある部屋の一つを会社のオフィスとして間借りさせてもらっている。

 彼らのオフィスは10畳一間ほどの小さなものだ。けれども、そこはオフィスとは名ばかりの乱雑とした一室で、どちらかというと不良高校生たちが集う部室のような感じだった。エクレアの趣味で金属バットと白球が無造作に転がり、壁には達筆な文字で『甲子園に行こう』と書かれた決意表明が掲げられている。ちゃぶ台の上には雑誌と麻雀パイが転がり、ポテトチップの袋が開けっ放しで放置されている。唯一整理整頓された部屋の隅には、何だかよくわからない精密機器や科学薬品がズラリと並べられていた。

「言っただろ? 俺の言う事に間違いはないって」

 男は大きな布袋を叩きながら満足気に言った。中には、鮮やかに輝く宝石を始め、ネックレスや指輪、その他高級ブランド品がギュウギュウに詰められていた。

「サヨナラ満塁ホームラン」

 エクレアは中世ヨーロッパ風の格好をしてバント練習に勤しみながら言った。

「まさかこんなに上手くいくなんて」と部屋の隅でトンガリ帽子を被ったモルツが言った。

「あとは、この財宝を持って海外に高飛びすれば、俺たちは自由だ」と男はいつになく上機嫌で言う。「おい、モルツ、高跳びの算段はできてんだろうな?」

「は、はい。できています。明日の夕方6時に港から海外行の船が出ます。その船の貨物庫に忍び込んでしまえば、次の日にはもう海外ですな」

「オーケー。完璧な計画だ」

「盗みが目的で40人も殺してしまいましたね…………」

「仕方ねぇだろ。あれくらい派手にやらねぇと、厳重な高級デパートを襲うなんてムリだっつーの」

「そう…………ですよね」と言って、モルツは口許に笑みを浮かべた。

「さぁ、お前ら」男は気だるそうに腰を上げると、身近にあった金属バットを手に取った。「プレミア連盟の奴らが、俺たちを血まなこになって探し始める頃だ。この場所も時期に危なくなる。船が出発するまでの間、俺たちは港近くに身を隠すことにする。短い間だったが、この部屋ともお別れだ」

「引退セレモニー」とエクレアは言った。

 株式会社レッド・ウルフの一行は、名残惜しそうに自分たちのオフィスを後にした。



 リク・ギルフバッシュの物語


 ファゴット・カンパニーが所有する特別施設『アルヒ禁止区域 南部の平原』

 突如、天空より姿を現わした一匹の天魔獣。

 ビルのように巨大な体躯とそれを支える特大の翼。

 研ぎ澄まされた角を有する頭部は、黄金の兜ですっぽりと覆われており、豪胆な筋肉を有する胴体には、黄金の鎧が身に付けられている。ところどころささくれ上がった皮膚は、ナイフのごとき危うさを備えており、鋭いカギ爪はそれ以上の暴力性を秘めている。

「バルバトス・ドラゴン…………」とクロナは呟いた。

「アレがさっき言っていた伯爵級の凶悪の天魔獣か?」」

「…………何でこんなところに」

「別に何でもいいだろ。楽しくなってきやがった」と少年はブルリと武者震いをした。

「馬鹿か。逃げるぞ」とクロナは大きな瞳を見開いた。「相手は伯爵級だ。お前が戦って勝てる相手ではない」

「強い天魔獣なんだろ? こんなチャンスは滅多にない」

 ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、まったく動じる素振りを見せない少年。

 バルバトス・ドラゴンが降り立つと同時に、地面が悲鳴を上げて振動した。そして恍惚と輝く眼光の照準を小さな少年に合わせた途端、大きな口を最大限に開いた。口の中では燃え上がる炎が渦を巻いて凝縮され、瞬く間に火炎弾が生成される。

「威勢がいいのは結構だが、挑戦と無謀を履き違えるな。まだ間に合う。行くぞ!!」

 クロナは少年の服の袖をグイッと引っ張り、その場から離脱しようとした。

 けれども少年は力強くその手を振り払った。

「俺は戦う。誰が何と言おうとも」

 苛立ちを隠せない様子のクロナに悪びれる様子もなく、少年は自分のポケットをまさぐり始めた。そして、持っていたスタージュエルを全て取り出し、強引に彼女の手に握らせた。

「落とすといけないから、これはお前に預けておく」

 クロナは不服そうに唇を噛んだ後、強く腕組みをした。

「死亡フラグがビンビンだな」

「俺は死なない。目標を達成するまでは」

「なら、こうしよう。君が死んだらこのスタージュエルは私が、生きて戻れたら君がもらう」

 その瞬間、バルバトス・ドラゴンは口に含んだ火炎弾を吐くように飛ばした。

「いいよ。交渉成立」

 少年は迫りくる火炎弾を自身の大剣でブッた切ると、そのまま相手に突っ込んだ。枯草を踏みしめながら風のように荒野を駆ける。天魔獣の威圧感から放たれるトゲトゲしい空気が、少年の進撃を阻もうとする。天魔獣は低い声で唸ると、先ほどの火炎弾を連発で発射した。そんな炎の流星群を時には回避し、時には剣で薙ぎ払いながら、グングンその距離を詰めていく。真っ赤な火炎弾は大地を焼き焦がし、ほの暗い荒野をパッと照らし出した。8発目の火炎弾をスルリと避けると、少年は火花が飛び散るくらいの勢いで地面を蹴り出し、天魔獣の懐に飛び込んだ。

「うらぁぁぁぁぁぁ」

 叫びながら少年は天魔獣の腹部に渾身の初太刀を浴びせた。

 けれども、直後、少年は苦虫を潰したような表情を浮かべた。全身がビリビリと痺れ、鈍い衝撃が骨にまで響いてくる。まるで重々しい金属の塊を叩いたような感覚だった。それに追い打ちをかけるかのように、天魔獣は硬い翼で少年を殴打した。隕石が落下するかのような勢いで地面に叩きつきられた少年。地面には大きなスプーンでひとすくいされたかのような穴があき、灰色の砂塵が辺りに立ち込めた。そんな中、棺桶から出てくるようにヨロヨロと立ち上がる少年。口から噴き出された血が、黄土色の砂の一部分を紅く染め上げた。

「やっぱり一筋縄ではいかないな」

 少年は口元を拭うと、小さくそう呟いた。

 バルバトス・ドラゴンは一撃の破壊力こそ凄まじいが、動きはそれほど速くない。敏捷力という点では少年に分がある。つまり致命的な攻撃を回避し、隙をみて相手の懐に飛び込み、一撃をくらわすことは十分に可能なのだ。しかし問題は、バルバトス・ドラゴンの並外れた防御力にある。生半可な攻撃では奴にダメージを与えることができない。ダメージを与えられなければ、先ほどのように攻撃直後の隙を狙われ、猛烈なカウンターを受けることになる。それを防ぐための方法は一つしかない。相手をノックバックさせるほどのパワー。そして反撃する意志すらも削り取るほどのダメージ印加。

 綺麗だったオレンジ髪の毛は土埃でくすみ、破れた衣服からはスリ傷が顔をのぞかせる。口元からは今もなお、鮮血が滴り落ちている。このような状況下で、少年は不気味な笑顔を浮かべた。

「ようやく体も温まってきたことだし、ここからだ」そう言うと、少年は大剣を地面に突き刺した。「本当の俺の力…………見せてやるよ」

 少年は右手を天にかざし、静かに呼吸を始めた。すると青黒い蒸気のようなものが、少年の全身からこくこくと噴き出し始めた。闇よりも闇色をした禍々しいオーラが少年を包み込む。少年が放つ黒々しいオーラの正体は、俗に『呪力(じゅりょく)』と呼ばれる力である。

「暗黒魔剣。カオス・ブレード」

 少年がそう唱えると、体を覆う呪力の一部が変形し、みるみるうちに剣の形を成した。まるでメラメラと燃え盛る黒い炎を鷲掴みにしているような光景だった。少年はカオス・ブレードと呼ばれる呪力の結晶体を構え、一呼吸置いた。

 クロナは遠くからその光景を見て生唾をゴクリと呑み込んだ。

「チェリー剣士君……これほどの呪力を隠し持っていたとは」

 バルバトス・ドラゴンは尻尾をしならせながら、少年の動向を警戒している。

「行くぜ!!」

 少年は声を上げると、先程までとは比にならない閃光のような速さで、天魔獣に接近した。とっさの出来事に相手を見失った天魔獣は、キョロキョロと目を左右に動かす。その隙をついて少年は先程と同じ腹部をカオス・ブレードで斬りつけた。

「ガァァァァ!!」

 鼓膜が破れそうなほどの咆哮に、少年は確かな手ごたえを感じた。天魔獣は痛みに悶えて態勢を崩し、反撃をしてくる様子はない。そのまま少年は巨大な壁のような天魔獣の体に、怒涛の攻撃を仕掛けた。相手に反撃の狼煙をあげさせまいと、切って、切って、切りまくる。剣を見舞った傷口からは、一閃の禍々しい暗光が解き放たれる。少年が攻撃を続けるにつれ、天魔獣の体には闇のラインが刻み込まれ、その輝きの総量も増してゆく。

「グガァァァァァァァ!!」

 天魔獣の悲鳴が荒野の微風に流される。暴れる天魔獣の足踏みによって砂が飛散し、大地は強力な爪で抉られる。時の流れと共にどんどん疲弊していく平原。夜時を迎えた空は、そんな地形の変化を冷ややかに静観するばかりだ。そして――――

 少年が攻撃を開始してから、およそ10分が経とうとしていた。

 精密機械さながらの一定のリズムで何度も剣を振り下ろす。その全てが、腕がちぎれんばかりの大振り。並みの天魔獣なら一振りで体が粉々に砕け散るほどの猛撃だ。それでも倒れないのが伯爵級。苦痛に悶え続けるものの一向に倒れる様子がない。

 ――――どれくらい剣を振っただろう。

 ――――わからない。

 ――――あと、どれくらい剣を振るえば、目の前の敵は倒れてくれるのだろう。

 そんな不安が脳裏をよぎったほんの一瞬のことだった。

 ふいに天魔獣の尻尾が少年の身体を捉えた。グラリとよろけて、攻撃の手が止まる。この時を待っていたとばかりに天魔獣は口を開き、火炎弾を少年に向けて放った。少年はとっさに剣を盾代わりにして致命傷は避けたものの、上半身が灼熱の業火に焼かれ、火だるまになりながら地面に落下した。その熱さに悶えながらゴロゴロと地面を転がる少年。身体を砂に擦りつけることで、何とか炎を鎮火することには成功した。けれども、上半身の服は塵と化し、見るも無残な大火傷を負ってしまった。少年の上半身に残ったのは、大剣を収める大きな鞘とネックレスのように首からぶら下げた短剣だけとなった。

 青黒い呪力の蒸気は、依然として少年の身体から迸り続けているが、カオス・ブレードはその形を保つことができなくなり、霧が消え去るように跡形もなく消え去った。体を動かそうとすると、激痛を知らせる電気信号が身体中を駆け巡る。少年は苦痛に顔を歪めながら、天魔獣の様子を目の端でチラリと伺った。瞳に映る世界はひどくぼやけて霞んでおり、よもや完璧に状況を把握することはできないが、どうやら天魔獣は自分に止めを刺すべく、力を溜めているようだ。天魔獣の口の中では、マグマのように煮えたぎる最大級の火炎弾が、今か今かと発射の時を待っていた。

 この時、少年は生まれて初めて『挫折』という感覚を知った。想像を遥かに上回る伯爵級の攻防力、気ちがいじみた強さに、少年の自信は、泡のように儚く消えていった。

 ――――結局のところ、自分は井の中の蛙だったということだ。

 ――――周りの人間よりも少しばかり優れているからといって、調子に乗っていた。

 ――――自分には何でも成せる力があり、自分だけは特別な存在であるのだと信じていた。

 ――――自分よりも優れた人間なんて、世界にはごまんといるというのに。

 ――――たまたま近くにいなかっただけなのだ。自分よりも強い人間が。

 ――――何が『Sランク』だ。何がナンバーワンルーキーだ。何が最強だ。

 ――――自惚れているにも程がある。

 ――――……自分は他の人間とは違う……。

 ――――……自分にしかできないことがある……。

 ――――……自分にはできる……。

 ――――夢だけはデカいのに、現実はこんなもので。

 ――――そんな夢と現実とのギャップが嫌で。

 ――――強くなるためなら、何でも捨ててきたというのに。

 ――――遊ぶ時間も、デートする時間も、眠る時間も。

 ――――強くなるために必要なもの以外は全てかなぐり捨てて、己を信じて進んできた。

 ――――それなのに…………。

 自分の全てが否定されたような気分だった。

「俺は……間違っていたのかな」

 少年は一粒の涙を零しながら、自分の人生を嘲笑うかのように笑った。

 そしてバルバトス・ドラゴンは、己が作り出せる最大級の火炎弾を発射した。

 ゆっくりと瞳を閉じ、人生の終末を受け入れる少年。

「君は死ぬには惜しい逸材だ」

 そんな言葉と共に、誰かが自分の前に立ちはだかった。それは華奢な身体で仁王立ちするクロナの姿だった。バルバトス・ドラゴンの放った火炎弾が巻き起こす暴風によって、クロナの髪の毛は縦横無尽に暴れ狂っていた。スパークを帯びた赤色球が、目の前のクロナに接触しようかという刹那。クロナはハエをあしらうかのようにバルバトス・ドラゴンのアルティメット・ウエポンを素手で薙ぎ払った。その火炎弾は吸い込まれるように夜空に消え去り、やがて天空で大爆発を引き起こした。

「君はまだまだ強くなる」

 それだけ言うと、クロナはバルバトス・ドラゴンがいる方へと歩き始めた。

 少年はもはや声を出すこともできないほど衰弱していた。白いまぼろしを見ているかのように視界が霞む。まどろみを求める瞼を少年はどうにか開き続ける。一度目を閉じてしまえば、もう二度と開くことがない気がした。

 クロナが巨大で凶悪な天魔獣の下へと歩いてゆく。

 そして彼女がバルバトス・ドラゴンの目の前で立ち止まった次の瞬間、少年のぼやけた視界から巨大な天魔獣の姿が消滅した。

 何が起こったのか考える力もない。

 少年の意識はここでバッサリと途切れた。



 クロナ・イヴニスの物語


 商業都市『ククリ』の『カモミール大学附属病院』『B505号室』

『人間』と『人形』の境界線はいったいどこにあるのだろうか。ベッドの上で人体模型のように横たわる瀕死の少年、リク・ギルフバッシュを眺めながら、少女はそんなことを考えた。

「神は肉という粘土を捏ねて器を作り、血というガソリンでそれを動かそうとした。けれどもそれだけではダメだった。決定的な何かが欠けていた」

 少女は病室の壁を指でイジくりながら、乾いた声でそう呟いた。

 リクはプラスチック製の酸素マスクを装着しながら、生と死の狭間を彷徨っていた。彼の傍らには、大きな愛剣が安置されている。まるで彼氏を労わる恋人のように、ピッタリと密着して離れようとしない大きな剣。

 伯爵級の天魔獣バルバトス・ドラゴンの火炎弾を被弾し、リクの五臓六腑は壊滅的に焼け爛れてしまっているらしい。医者が言うには、生きていることが奇跡、というよりも有りえない状態とのことだ。きっとその理由は、彼の『特異な体質』と『大剣』との関係に起因するものなのだろう、と少女は考えた。

 バルバトス・ドラゴンを粉砕した直後、少女は慌てて死にかけているリクを担ぎ上げようとした。急いでスタート地点へと戻り、適切な処置を受けさせなければ、命が危ない状態だ。けれども、少女がリクの身体に触れようとした途端、静電気が発生したかのように、バチッと火花が散った。よくよく観察してみると、完全に意識を失っているはずのリクの身体からは、止めどなく呪力が放出され続けていた。

 通常、呪力というものは、体内に内在する『陰のエネルギー』を使用者の意志によって、必要な際に必要な分だけ引き出すものとされている。意識を失ってもなお放出され続ける、などという話は後にも先にも聞いたことがない。

 そして何よりも問題だったのが『少女が持つ力』は『少年が持つ力』とは正反対に位置づけられているという点だ。彼女の力の源である『祈力(きりょく)』は、『陽のエネルギー』と呼ばれており、少年が扱う陰のエネルギー『呪力』とは対極を成す。その力は強ければ強いほど反発し、まるで磁石のS極とS極、あるいはN極とN極のように交わることを拒む。

 このような事情により、少女はリクに触れることすらままならない状態だった。

 ――――しかし、このままでは…………。

 少女は考え抜いた末、自力での救助は諦め、他の誰かの助けを呼んでくることにした。自分の足を持ってすれば、スタート地点に戻り、試験官を連れてくるのに30分あればこと足りるだろう。

 問題はそれだけの時間、リクの命の灯が持つかどうかだった。けれども、考えている時間はもはやなかった。少女は地面に突き刺さっていた大剣を引っこ抜き、大剣に向かってこう言った。「私が戻るまでの間、こいつを見守ってやってくれ」と。少女は願掛けをするかのようにそう言うと、リクの背中の鞘に大剣を収めてやった。すると次の瞬間――――

 リクの身体から泉のように湧き出ていた呪力の放出が、どういうわけだかピタリと止んだ。死んでしまったのではないか? という不安が過り、少女は恐る恐る手を彼の口元に翳してみた。幸いなことに、弱弱しいが、そこには確かに生命の息吹が感じられた。少女は釈然としないモヤモヤとした蟠りを振り払い、呪力の放出が治まったリクを抱き上げ、電光石火のようなスピードでスタート地点へと戻った。

 その後、リクはカモミール大学附属病院に運ばれ、現在に至っている。

「なんて惨めな姿を晒しているんだ。仮にも最強を志す男が」と少女は軽く毒づいた。「このまま死ぬつもりか? 何も成し遂げないまま」

 そんな少女の言葉を聞いて、少年の瞼がピクリと反応した。

 

 リク・ギルフバッシュの物語


 商業都市『ククリ』の『カモミール大学附属病院』『B505号室』

 少年はゆっくりと目を開けた。視界に映る景色がやけにぼやけて見える。金縛りの中、夢を見ているかのような感覚だった。自分がベッドで横になっているのは理解できるが、体はピクリとも動かない。どういう経緯でこのような状態に至ったのか? 考える力すらないほどひどく疲れていた。正直なところ、自分が生きているのか、死んでいるのか、それすら判断できない。

「おい、おい、大丈夫か?」と誰かの声が聞こえてきた。

 ――――誰かが俺を呼んでいる。死神?

 ――――いや、この声には聴き覚えがある。

「……………………ここは?」死の淵より帰還した少年は、しわがれ声でそう言った。

「病院だ」と言ったのは、クロナだった。

「……………………俺は…………」

「待っていろ。すぐ医者を呼んできてやる」

「必要……なぃ。剣を……どかし…てくれ」

 ミイラが御経を唱えるような声で、少年は病室を出ようとするクロナを引き留めた。

「しかし……君の体は」

「ぃぃ……から」

「どうなっても知らんぞ」

 クロナは言われるがまま、少年に寄り添うように横たわる大剣を引き離した。すると、黒々とした呪力の衣が再び少年を包みこむ。先にバルバトス・ドラゴンと戦った時とは、比べものにならないほど桁違いの呪力が湧き出てくる。呪力のオーラは解放されたことを喜んでいるのだろうか。少年の皮膚の上で自由気ままに躍動していた。

 クロナは目を疑うようにまじまじと少年を静観している。

 しばらくすると、少年の焼け爛れた皮膚がみるみるうちに癒えていった。ミミズが這っているかのような水ぶくれが首元からスっと引き、筋肉が剥き出しになったブヨブヨの腕が元通りに回復した。先程まで瀕死の状態であったことが、まるで白昼夢であったかのように、完全回復を遂げた少年。

 少年はムクリとベッドから起き上がると、すかさず大剣を握りしめた。その途端、呪力の噴出はピシャリと収まった。

「プハ―――ッ」と少年はビールを一気飲みしたサラリーマンのような声を上げた。「今回は本当に死ぬところだった。本当にヤバかった」

 少年はグー、パー、グー、パー、と手を動かし、自分が生きていることを再度確認した。

 その一部始終を見物していたクロナは、食い入れように少年を眺める。

「興味深い力だ」とクロナは言った。

「悪いが、あまり詮索はしないでくれよ」と少年は返した。

「安心しろ。能力者にとって能力の発動条件は、重要機密事項なのは承知している」

「そんなことより…………剣、剣、俺の短剣を見なかったか?」

 そう言いながら少年はキョロキョロと辺りを見回し、どこかにあるはずの自分の所持品を探した。ソレは幸いなことに、テーブルの上に置かれていた。少年はテーブルの上から『チェーン付きの短刀』を手に取り、ネックレスを付けるかのようにソレを首からぶら下げた。

「大事なものなのか?」とクロナは質問した。

「まぁな」と少年は手短に答える。

「まぁいい」そう言って、クロナは紙袋の中から衣類を取り出し、少年に差し出した。「いつまでも病院服ではシャキッとせんだろう。着替えを持ってきてやった」

「おお。気が利くな。ありがとう!!」

 礼を述べてから衣類を受け取り、クロナの目を気にすることなく、少年は着替えを始めた。

「そう言えば……バルバトス・ドラゴン……あいつは?」

 そう言って、少年は折りたたまれたTシャツを手に取った。

「私が倒した」とクロナが返事をした途端、

「ジョーダンだろ!?」と少年は絶叫した。

「ジョーダンではない。本当に私が倒した」

「いや、すまない。俺が驚いたのはお前がバルバトス・ドラゴンを倒した、と言ったからじゃない。お前の服のセンスにだ」

「君のためにあるような服だ。これでも必死に探した」

 クロナの真剣な顔に溜息をついてから、少年はそのTシャツに袖を通した。

 黄色い下地に力強いフォントで『最強』と書いてある。

「似合うじゃないか。世界最強を目指す剣士君」

「絶対に俺のことを馬鹿にしているだろ」

 少年はブツブツと文句を言いながら、ボトムに青いジーンズパンツを履いた。



 クロナ・イヴニスの物語


 商業都市『ククリ』の『カモミール大学附属病院』『B505号室』

「バルバトス・ドラゴン。伯爵級を本当にお前が殺ったのか?」とリクは尋ねた。

「ああ。その通りだ」少女はそう言うと、シルバー色に輝くジュエルを鞄から取り出し、リクに投げ渡した。「それはバルバトス・ドラゴンのシルバージュエルだ」

 自分でそう言いつつも、少女には気になる点がいくつかあった。

 1つ目の疑問。『シルバー禁止区域』にしか存在しないはずのないバルバトス・ドラゴンが、なぜあのような場所にいたのかということ。

『シルバー禁止区域』への立ち入りが許されるのは、『シルバーライセンス』の資格を有するプレミア・カンパニー社員のみと連盟によって定められている。それぞれの禁止区域はプレミア連盟が厳重なセキュリティーをもって管理しているため、どこかの『門』が寿命をきたして崩壊し、バルバトス・ドラゴンが『門』から飛び出した、などという線は考えにくい。万が一、そのような事態が起ころうものなら、緊急避難警告が発令され、大規模な事件としてニュースに取り上げられることだろう。けれども、もちろんそのようなニュースは報じられていない。

 2つ目の疑問。バルバトス・ドラゴンは、新進気鋭の新興企業『The Heal』によって、既に狩られたはずだということ。バルバトス・ドラゴンのような爵位を持つ天魔獣は、世界に一体しか存在しない、というのがこの世界の通説となっている。現に今まで、同種の天魔獣が、同時に2匹以上観測された、という事例は報告されていない。もちろん、『貴族級』に成長する可能性を秘めた子供が観測された事例は多々あるが、子供が成長するには、何百年もの長い長い時間を要すると聞いたことがある。

 つまり、バルバトス・ドラゴンの出現は、通常ならば絶対にありえないのだ。

 一つだけ引っかかるのは『アルヒ禁止区域』で見かけたバルバトス・ドラゴンの子供。バルバトス・プチ・コドラ。ひょっとすると、通説を覆すような何かが、あの研究所内であったのかもしれない。

「おいおい、本物だろ。どう見ても」とリクはシルバージュエルを上下左右に方向を変えながら眺めていた。「あんな凶悪な天魔獣をどうやって?」

「詳しいことは言えないが、私も君と同じく能力者だ」

 巨大な坩堝の中を覗き込んだかのような表情を浮かべるリク。けれども、彼はクスリと笑うと倒れ込むようにベッドに腰掛けた。

「本当は意識を失う直前、お前がバルバトス・ドラゴンを倒すのを見たんだ。別に疑っていたわけじゃない。が、お前の口から直接聞くまでは信じられなかったんだ。俺は全く歯が立たなかった。その相手を同い年の女の子があっさり倒した。現実逃避もしたくなるだろ。世界は広いし、俺は小さい。まだまだ鍛錬しないとな」

 リクはスッキリとした表情で天井を見上げた。

「ところで、試験はどうなった?」とリクは話題を変えた。

「おっと、忘れるところだった」

 少女は胸ポケットから茶色い封筒を取り出すと、リクに差し出した。

「ファゴット・カンパニーの三次試験の招待状だ」

「どういうことだ?」

「もう約束を忘れたのか? 君が死んだらスタージュエルは私が、生きて戻れたら君が、という賭けをしていただろう。君はこうしてバルバトス・ドラゴンと戦い、現にピンピン生きている。賭けは君の勝ちだ」

 リクは両手で壁を作り、その封筒を受け取ることを拒んだ。

「納得いかない。倒したのはお前だ」

「賭けの内容は君の生死だ」

「納得できないことは他にもある。どうして真面目に試験を受けなかった? どうして俺に付きまとっていた? お前ほどの力があれば、楽に試験はパスできたはずだ。それにお前の方が俺より強い。強い者こそがファゴット・カンパニーに相応しい。ファゴット・カンパニーは世界有数の規模を誇る大企業だぞ。富も名声も権力もその気になれば全て手に入る。保障も手厚い。プレミア・カンパニーの仕事は常に危険と隣り合わせだ。そのへんのプレミア・カンパニーなら、怪我して働けなくなろうものなら即刻クビを宣告されるが、ファゴット・カンパニーなら保険金が山ほど出るし、戦えなくなったら事務職に移動させてくれる。一度入ってしまえば安心安泰だ」

「まさか君からそんな言葉が出てくるとはな」と少女は皮肉交じりに言った。

「大きなお世話だ」とリクは少しだけ耳を赤らめながら言った。

「私は…………大企業なんかに興味はない」

「意味わかんねぇよ。じゃあ、何のためにファゴット・カンパニーを受験したんだ?」

「仲間を探すためだ。強い仲間を」



 リク・ギルフバッシュの物語


 商業都市『ククリ』の『カモミール大学附属病院』『B505号室』

「仲間?」と少年は言葉を繰り返した。

「私はプレミア・カンパニーを立ち上げる。そのために必要な強い仲間を探している」

 思いがけない返答に少年は唖然と瞬きをすることしかできなかった。

「リク・ギルフバッシュ。私と一緒に働かないか?」

 ――――あれ? 今、俺の名前を…………

 思えばクロナに名前を呼ばれるのは初めてのことだった。それに気付いた途端、照れくさい気持ちが込み上げてきて、一瞬にして少年の耳は紅く染まった。そんな事には気付く様子もなく、クロナは話を続けた。

「バルバトス・ドラゴンに無謀に立ち向かい、勝手に死にかけている様を見たときは、落胆させられた。だが…………」

「俺の秘められた力の虜になった、ってことか?」

「いや、君以外の志願者と接する機会がなかっただけだ」

 少年はガクリと態勢を崩した。

「おい、そこは嘘でも俺を持ち上げるところだろ!!」

「それに一次面接でセクハラ人事が言っていた」とクロナは少年のツッコミを無視して自分の話を続ける。「君は今年のプレミア・カンパニー志願者のなかでも、ナンバーワンの呼び声が高い天才なのだろ? 私から見れば、バルバトス・ドラゴンすら倒せない虫けらのような存在だが……志願者の中で強い方と謳われているならば、あそこでどれだけ仲間を探しても、君以上の人間とは巡り合えないという道理だ。従って、私は君を仲間として勧誘することにした。私には君が必要なんだ」

「全然、必要とされている感じがしないんだが…………」

 少年は小さく口をすぼめながら、ボソリと呟いた。

「もちろん無理にとは言わない。だから、こうしてファゴット・カンパニーの三次試験の切符も一緒に持ってきた。君はどちらでも自由に選択することができる。ファゴット・カンパニーの三時面接に進むことも。私と共に働くという道を選ぶことも」

 少年は眉を軽く寄せながら、難しい顔を作った。

「話の腰を折るようで悪いが、一つだけ言わせてくれ。お前は強い。それは認める。だが、それだけじゃ、プレミア・カンパニーは成り立たない。どこかのプレミア・カンパニーで数年間働いて、ノウハウを学んで、人脈を作って、しっかりと実力をつけてからにするべきだ、と俺は思う」

「もっともらしい話をするじゃないか」

 クロナは病室の壁に背中を預けながらシニカルに頷いた。

 少年はベッドの端に座り込みながら、そんな彼女の瞳を真っ直ぐに見つめながら言う。

「プレミア・カンパニーの起業にはそれだけリスクがあるってことさ」

「だが、リスクを取らなければ冒険は始まらない」とクロナは反論した。「冒険がなければ、そこに夢や希望は存在しない。そんな人生はつまらない。生きている時間には限りがある。動かなければ何も始まらない。けれども、勇気を出して動きさえすれば、物事は動き出す。望む方向か否かはわからないが、物事は必ず動き出す。夢や希望を失うくらいなら、死んだ方がマシだ。一つ聞く。リク・ギルフバッシュ。なぜ君はファゴット・カンパニーを目指すんだ?」

 少年は少し考えてから咳払いし、クロナの質問に答えた。

「それが最強になるための一番の近道だからだ。一流の人間が揃うファゴット・カンパニー。そこで腕を磨けば必ず強くなる」

「強くなる……か。私はそうは思わない。正直なところ、怖いんだろ?」

「怖い?」と、さすがの少年も苛立ちを隠せずに舌打ちをした。

「そう。自分に自信がない。だから大企業。だから安定。だから安心」

「違っ」と少年が反論を口にする前に、クロナは捲くし立てるように言った。

「本当に最強になる覚悟があるのか疑問だな? 人間が蟻を何万匹倒そうとも、英雄にはなれないぞ。不可能と思えることを成し遂げることで人は英雄になれるのだ。人生は重要な選択の連続から成り立っている。よく考えることだ。これは君が世界最強になれる唯一のチャンスかもしれない」

「お前と働けば世界最強になれるっていうのか?」少年は不愉快そうにクロナを睨みつけながら、投げやりぎみに言った。

「そうだ。私と働けば世界最強になれる」とクロナは迷うことなく断言した。「私はマスター・カンパニーを目指す。世界を変えるために」



 クロナ・イヴニスの物語


 商業都市『ククリ』の『カモミール大学附属病院』『B505号室』

「マスター・カンパニーだと?」とリクは電撃が走ったみたいに身震いをした。

「そうだ」

「自分が何を言っているのか、わかっているのか? 天魔獣だけじゃなく、他のマスター・カンパニーを目指す企業とも敵対することになるんだぞ? もちろん、ファゴット・カンパニーとも。リスクが大きすぎる。そこまでして世界を変えたい理由でもあるのか?」

「ある。私はこの世界が大嫌いだ」と少女は力強い口調で言った。「生きることに幻滅し、自らの命を絶つ者は世界で年間、約100万人。飢えに苦しみ、命を落とす者は世界で年間、約1000万人。天魔獣やプレミア・カンパニーの抗争、国同士の戦争に巻き込まれて死ぬ者は世界で年間、約2000万人。それにも関わらず、世界には苦しむ者を横目に自己の利益しか考えない者で溢れている。こんな薄汚れた社会で育つ若者の心は、当然の如く物悲しい虚無感で膜を形成する。汚い心が循環する負のスパイラル。どうしようもない世界だ」

「…………そんなもの変えられないって」とリクは鬼気迫る表情を浮かべながら言った。

「残念な事に、本当の意味で世界を変えられる人間は少ない」と少女はリクを一瞥した後、病室の窓際へと移動し、外の景色を眺めながら話を続けた。「なぜならば、よほどの器と覚悟を持った人間でなければ、壮絶なる逆風に耐えることができず、志半ばで潰れてしまうからだ。数多くの人々に抵抗され、否定され、道端のゴミを眺めるような眼差しで嫌悪され、針を刺すような言葉で罵られることになるだろう。圧し掛かるストレスも並大抵のものではない。それにも関わらず、自分が得るものは極めて少ない。それでもなお、世界を変えることを望み続ける者だけが、それを実現させることができる」

「そんなもん……どうしようもないだろ……どうしようもないんだよ……」

 少女の言葉に気圧され、少年は低く擦れた声で言った。

「そうやって不満ばかりを口にして、周囲が変わるのをただジッと待つ。誰かが変えてくれるのを願って待つ。それが普通の人間だ。だが、残念な事に、誰も動いてなんかくれやしない。なぜなら、世界を変える器を持つほどの人間は、たいていにおいて皆一様に強者であり、弱者ではないからだ。弱肉強食の成果主義の昨今、弱者を喰らって登り詰めた強者が、弱者に手を差し伸べるようなマネはしない。強者は弱者に言うだろう。努力が足りなかった結果だ、と。そして弱者は強者に言うだろう。社会は冷酷だ、と。そして世界は平行線を保ち続ける。不完全な人間の集合体である社会が、完璧に作られているわけがないんだ。だからこそ、私は決意した。私が世界を変えると。私がこの世界の神になると」

「わからないな。何でそうまでして…………お前が世界を変えたがるのか」

「なぜだろうな」

 少女は右手で顎を覆いながら思考を巡らせた。『なぜ世界を変えたいのか?』という問い掛けにすぐに答えることができずにフリーズする少女。思えば、その動機について論理的に考えたことは一度としてなかった。もちろん『この世界が嫌いだから変えたい』と一言で片付けてしまうことは可能だった。けれども、それはクリティカルな答えにはなりえないのだろうと、と少女は考えた。そもそも本当に世界が大嫌いならば、世界に興味を示さなければいい。見たくないものから目を背ける方が、改善することよりもずっと楽な道なのだから。ならばなぜ、自分は『世界を変えたい』などと考えるようになったのだろうか。少女は考えた挙句、一つの結論に辿り着いた。

「たぶん…………私はこの世界を愛しているんだ」

「嫌いって言っていただろ。さっき」とリクは腑に落ちないといった表情を浮かべる。

「ああ。その通りだ。私はこの世界が憎いほどに嫌いだ。だが、愛とは決意であり、覚悟なのだ。それは自分に課した十字架であり、例えそれを好ましく思う要素が消えた時でさえ、守り抜かねばならない誓いのようなものだ」

「意味不明だな」とリクは少女の言葉に対して呆れていた。

 それとは対照的に、少女は唇を綻ばせながら、自分の出した答えに満足していた。

 ――――そうか。私はこの世界を愛していたんだ。

 ――――この世界の誰よりも。

「まぁいいや」とリクは諦めたようにスッキリとした口調で言った。「難しい話はよくわからないが、一つだけハッキリとしたことがある。マスター・カンパニーを設立した後に、お前を通せば、文句なく俺が最強。何か間違っているか?」

「いや」と少女は透き通った声で返事をした。「やっぱり…………君は単純だな」

 その答えを耳にした途端、リクはファゴット・カンパニーの三次試験の要項が入った封筒をビリビリに破り去った。

「目的を達成する手段はシンプルなものに限るだろ? ファゴット・カンパニーを敵に回して倒す…………考えたことすらなかったけど、よくよく考えてみると、そっちの方がわかりやすい。これからよろしくな。イヴニス社長」

「ああ。こちらこそ」

 少女はそう言いながら手の指の骨をポキポキと鳴らし始めた。そして、次の瞬間、少女は自分の拳を脈絡なく壁に叩き付けた――――。



 カナン・ドクロアの物語


 商業都市『ククリ』の『カモミール大学附属病院』『B506号室』

 ドッカーーーーーーーーーーン。

 手榴弾が投げ込まれたかのように、突然、病室の壁が木端微塵に吹き飛んだ。壁に使われていた木材の破片が、勢いよくベッドの上に飛散する。巻き上げられた土煙が、鼻を伝って器官に入り込み、男は激しく咳き込んだ。コホン、コホン、コホン、コホン。その度に、全身に激痛が迸る。男は涙目を浮かべながら、無残にも粉砕された壁をじっと眺めた。

「また……君か………」

 と、男が言い放ったのと同時に、開通したばかりの薄いトンネルを経由して、一人の少女が男の病室へと入ってきた。つい先日、男にプレミア・カンパニーで働くことを持ち掛けてきた少女…………確か、名をクロナといった。

「カナン・ドクロア。この前の返事を聞きに来た」とクロナは言った。

 前回とは違い、彼女の背後には一人の少年の姿があった。『最強』という文字がプリントされたTシャツを着た少年。彼は大きな剣を床に引きずりながら、恥ずかしそうにクロナに付き従い、剣先で瓦礫の破片をつつきながら言った。

「わざわざ壁を壊さなくても、普通に廊下の扉から入れば良かったんじゃないか?」

「ああ。必要なかったな。テンションに身を任せ、ついノリでやってしまった」

「ノリ……?」と少年は口許を引き攣らせながら無理矢理に笑う。

「リク・ギルフバッシュ。悪いが、病院の関係者に事情を説明し、謝ってきてくれ。修理代はちゃんと支払う。これは社長となる私が、部下となる君に課する初仕事だ」

「俺が理解できないこの状況を、どうやって説明したらいいんだ?」

「リク・ギルフバッシュ。これは業務命令だ。君の裁量に期待する」

 それを聞いて、唖然とした表情をたっぷりと浮かべた後、リクと呼ばれる大剣の少年は、ぶつくさと不平不満を漏らしながら部屋を出て行った。

 2人の掛け合いが一段落すると、男は冷めた顔を浮かべながら言った。

「証拠隠滅のつもりか?」

「何の話だ?」とクロナは首を傾げる。

「とぼけるなよ。もともと卵一個分の不自然な穴が開いていたのは知っていた。開けたのは君だろ? おかげで君とさっきの少年の会話は、隣の部屋にいる俺の耳に筒抜けだ。君が何を考えていて、何をしようとしていて、何を目指しているのか……だいたいの事情は呑み込めている。まぁ、意味の解らないこともあるが、7割近くは理解できたつもりだ。同じ説明を俺にする手間が省けたわけだ。これで満足かい?」

「さすがだな」クロナは嬉しそうに言った。「馬鹿のアイツとは違って、話が早い」

「これでも大手企業の課長だぜ」

 痛みを堪えながら、男はベッドに横たわる上体を起こした。その際、ジャリン、ジャリン、と両腕の自由を奪う手枷が声を上げる。

 ――――この手枷は、不自由な俺を見て喜んでいるのだろうか。いや…………

「ならば改めて聞こう」とクロナは毅然とした態度で言った。「地位、名誉、安定、今までに積み上げてきたものを全て投げ出し、私と一緒に働いて、世界を変える気はあるか?」

 男はこの時、ようやく理解した。どれだけ一生懸命に働いても、どれだけ精一杯に生きていても、自分の人生が満たされなかった理由について。

 自分の満足感を満たすことができるものは、他の誰でもない自分にしかわからない。それにも関わらず、人々は世間一般が欲しているものを得ることで、自分の乾いた器を満たそうとする。そして人々は、そんな世間一般が欲しているものを得るために、頑張って、頑張って、頑張って、頑張り続ける。けれども、残念なことに、それで全ての人々が幸せになれるのか、といわれれば、そうではない。

 人間という生き物は、生まれながらの狩人だ。自分が真に狙った獲物のためならば、どのような苦労をも厭わない生粋のハンター。だけれども、いや、だからこそ、極上の獲物が存在しなければ、輝くことができない生き物でもある。獅子を喰らいたい野兎が、どれだけ雑草を喰らって生き長らえたところで、満たされることは決してない。けれども、その野兎は獅子と闘う恐怖に脅え、また他の野兎は雑草を好んで食しているので、自分も雑草が好きな自分を演じるようになる。そんなことをしていても苛立ちが募るだけなのに。心というものは、常に自分が欲しいものを教えてくれている。けれども、恐怖や規範遵守といった防衛本能が、己の欲求や衝動を強引に捻じ伏せる。でも、やりたくないことを続けた最期に待っているのは、きっと後悔と惨めさと屈辱感だけだ。その野兎は、死ぬ前に思うことだろう。死を覚悟してでも、獅子の肉に噛みついておけばよかった、と。そうすれば、こんなにモヤモヤとした気持ちで最期を迎えずに済んだのかもしれない、と。男はまさにそんな野兎そのものだった。

 生まれて、老いて、死んでゆく。これは誰しも例外ない生物の摂理だ。

 せっかく生まれたこの命。どうせ最後は死ぬ命。

 それならば、生きているうちは……………………………………………………………………

 どうせ、嫌なことを、いやいや続けることは、生き地獄に等しいのだから。

「今、俺の手に嵌められているのは、手枷じゃない」と男は言った。「情けない自分が自分に嵌めた呪縛なんだ」

 男はゆっくりと息を吐いて集中し、自分の内なるものとの対話を試みた。

 すると、徐々に痛みの感覚が和らいでゆく。

 それと同時に、男の身体から、赤いオーラが迸り始めた。男はさらに意識を集中し、その赤いオーラを両腕の一点に集めた。その瞬間――――重たくて冷たい手枷がクラッカーのようなポップ音と共に弾け飛び、消滅した。

 ――――自分を縛っていたのは、手枷じゃない。

 ――――他の誰でもない自分自身の弱さだった。

「俺も君と世界を変えたい。イヴニス社長」と男は言った。

「『力』の使い方の予習はしていたようだな」とクロナは満足そうに言った。

 

 

 クロナ・イヴニスの物語


 商業都市『ククリ』の『カモミール大学附属病院』『B506号室』

「ほう、カナン・ドクロア。君は『耐力(たいりょく)』系の能力者か」と少女は言った。

「タイリョク?」とカナンは首を傾げた。

「『耐』える『力』と書いて耐力。君が能力を発動するために必要なエネルギーのことだ。君の身体から放たれる赤いオーラは、君が耐力系の能力者であることを意味している。耐力系の能力者は、特定の何かを我慢することでエネルギーを貯蓄し、そのエネルギーを使うことで能力を発動することができる」

「ふうむ」とカナンは自分の掌をしきりに眺めつづけた。「あれ? そう言えば……身体の痛みが消えた。もうそんなに痛くない」

「力の解放は自己治癒能力も向上させる。だが、ここまで治りが早い奴らは見たことがない。君といい、リク・ギルフバッシュといい、良い意味で私の期待を裏切ってくれる」

 ちょうど、その時、リクが病院の関係者を引き連れ、病室へと戻ってきた。院長と思しき白衣の男は、部屋に入って来るや否や、怪訝な顔を浮かべ、頭に湯気を立ち上らせながら抗議を始めようとした。けれども、少女が小切手を手渡すと、顔を綻ばせ、スキップをしながら病室を出て行った。

「いくら支払ったんだ?」とカナンは恐る恐る尋ねた。

「1億クレジット」と少女は涼しげに答えた。

「おい、そんな大金どっから…………?」

「悪いが、説明している時間はない」と少女はカナンの質問を一蹴した。「これでようやく会社を興すのに必要な人員が揃った。けれども、我々がプレミア・カンパニーを設立するためにはもう一つやらなければならないことがある」

「そこのベッドで横になっているお兄さんも、俺たちと一緒に働くことになったのか?」とリクは状況を察して言った。「ということは、俺たちが次にやるべきことは一つしかないな。決起会。つまり……飲み会だ」

「違う。少し黙っておいてくれ。リク・ギルフバッシュ」と少女はリクを睨みつけた。「プレミア・カンパニーを設立するためには、連盟に我々の強さを証明しなければならない。既にBTSで『Sランク』を取得しているバカは必要ないが、私とカナン・ドクロアは連盟に強さをアピールする必要がある。そこで認めてもらわなければ、会社を設立することはできない」

「強さをアピールって、どうすればいいんだよ?」とカナンは顔を顰めた。

「段取りはできている。ブラック・リスト企業である『株式会社レッド・ウルフ』のメンバーを倒せば、認めてくれるそうだ」

 そう言うと、少女はベッドの上に3枚の写真を並べた。それぞれの写真には、とある人物の顔写真が映し出されていた。眉毛に剃り込みが入り、左腕にオオカミの刺青が入った男。大きなリボンを頭に載せた人形のような女。怪しげなゴーグルを身に付け、パーティー用のトンガリ帽子を被った男。

「刺青の奴とは俺がやる」と言って、リクは一枚の写真を選び取った。

「君は戦う必要はないのだぞ?」と少女は言った。

「戦わせてくれ。プロのレベルを肌で感じたい」

「わかった。許可しよう。では、カナン・ドクロア。君はリボンの女と戦え。私がゴーグル男をやる」

「ちょっと待て。何で俺の相手が女なんだ!? 女をいたぶる趣味はないぞ」

「リボンの女が一番弱そうだからだ」と少女は実直に答えた。「君はまだ自分の能力を自由にコントロールすることができない。それに、耐力を使えるようになったことで少しは傷が癒えたかもしれんが、君の体は万全には程遠い。無理して死なれても困るからな。これが理由だ。異論はあるか?」

「わかったよ」カナンはベッドからゆっくりと起き上がり、首の骨をポキポキと鳴らした。「そいつらは今、どこにいるんだ?」

「商業都市『ククリ』の港『ケープ・ハーバー』の立体駐車場に隠れている、との連盟からの情報だ。奴らは今日の夕方6時の船で海外逃亡するつもりらしい。だが、逃がしはしない。彼らには私の夢のための礎となってもらう。さぁ、行くぞ。私たちの初仕事だ」



 オルガ・ヘブラインの物語


 商業都市『ククリ』の港『ケープ・ハーバー』『立体駐車場 3F』

 株式会社レッド・ウルフの一行は、港近くにある立体駐車場の中で、ひっそりと身を隠していた。その立体駐車場は、開発段階で資金繰りが滞り、あと3割で完成というところで建設に待ったがかけられた。建設計画自体が白紙となり、取り壊しが決定したものの、解体業者がいまだ決まらず、放置されたままとなっている。誰も寄りつこうとしないその場所は、彼らにとって絶好の隠れ家となっていた。

 日中は雲一つない青空で、気候はポカポカと暖かかった。カモメの鳴き声と貨物船の汽笛が穏やかな海をより穏やかに装飾していた。夕方時を迎えると、大きな雲が吹き流され、潮の香りがいくらか増した。たいした変化もなく、日が暮れようとしている。

「そろそろ出向の時間だな」

 男は橙色に染まった海を眺めながら言った。

「いえ、残念ながら、あと1時間はあります」と隣にいたモルツが答えた。

「マジかよ? 俺はもうジッとしているのは限界だぜ」

「我慢してくださいな。連盟の連中がいつ襲ってくるとも限りません」

「襲うつもりなら、もうとっくに襲ってきているはずだろ」

「いや、しかし用心するに越したことは…………」というモルツの忠告を無視して、

「ちょっと外に行ってジュースでも買ってくる。エクレア、お前も行くぞ」と男は言った。

「指名打者、エクレア、行きまーす」

 モルツは毎度のことながら深い溜息をついた。

「こっそり行ってきてくださいよ。くれぐれも見つからないように」

「大丈夫だって。もしも連盟の奴らに出くわしたら、半殺しにしてやるよ」

 男は金属バットでポンポンと肩を叩きながら言った。

 男は、エクレアを連れて階段まで歩き、ライトも何もない真っ暗な階段を、一段一段ゆっくりと駆け降りてゆく。ひと言も会話を交わすことなく、1Fへと辿り着く。そのままガランと殺風景な通路を横並びで歩き続けた。やはり会話はない。もしかしたら誰かに狙われているかもしれない、という緊張感でとても世間話をする気にはなれなかった。やがて光溢れる出入口まで辿り着くと、男が抱いていた不安は少しマシになった。もう少し、もう少しで自分はこの大海原のように自由になれるのだ。

 そして男が建物から一歩出たまさにその時だった。

「オルガ・ヘブラインだな?」黒髪の少女がカラー写真を突き付けながら言った。

「エクレア。逃げろ!!」

 男はとっさに状況を理解した。プレミア連盟の刑罰執行人(エクスキューショナー)がやってきたのだと。

 エクレアは廃墟となった立体駐車場のもと来た道を全力で戻る。

 それを確認した男は、外国人強打者のように豪快にバットを振り構え、躊躇うことなく黒髪の少女の顔面目掛けてバットを振った。有無を言わせぬ先制攻撃。

 確実に捉えたと、思ったのだが――――

 オレンジ髪の少年がその一撃を大剣でガードし、少女を守った。

 大剣の少年は10Mほど吹き飛ばされたが、何の問題もなく地面に着地した。

「俺はリク・ギルフバッシュ。お前の相手は俺だ」

 律儀に名前を名乗る少年は、ヘラヘラと笑みを浮かべながら言った。

「やるじゃねぇか。連盟の犬のくせに」

「お前もな。今の一撃はなかなかのもんだ」

「若いな? 新人か?」

「ん~~」とリクと名乗る少年は頭を捻った。「今のところは就活生って肩書になるのかな」

「就活生? 連盟もついに焼きが回ったな」男は腹を抱えて笑い始めた。「俺は若い芽を摘み取るような悪趣味な男じゃない。黙って見逃してくれたら、こっちからも手荒なマネはしない」

「お前を倒せば立派な社会人になれる」

 と言って、少年は静かに大剣を構えた。

「意味わかんねぇが、とにかく気に食わねぇ。上等だ。コラッ!!」



 カナン・ドクロアの物語


 商業都市『ククリ』の港『ケープ・ハーバー』『立体駐車場 2F』

 もの影の多いコンクリート製のビルのワンフロア。ビルを懸命に支えているのは、等間隔に設置された四角い柱。天井からは何本もの配線が、だらしなく垂れ下がっており、床は瓦礫と砂利で埋め尽くされている。そんな中、ヒューヒューと音を立てながら、物悲しげなビルの隙間を潮風が吹き抜けてゆく。車で埋め尽くされるはずだったその立体駐車場は、ただガランと広いだけの廃墟と化していた。

 男はそんなフロアの柱にもたれ掛かり、ひっそりと息を殺していた。

「全然…………話と違うじゃねぇか」と男は小さく呟いた。

 物音を立てないよう細心の注意を払いながら、息を吸い、そして吐く。しかし、どれだけ意識をしようとも、自分の心臓の鼓動だけは制御できなかった。和太鼓を叩くような衝撃が、脈打つたびに全身に走る。今だけは止まってくれと命じても、心臓は生真面目に己の仕事を全うする。男は深い溜息をつきながら左胸を鷲掴みにした。

 やがて、コツコツコツという甲高いヒールの足音が聞こえてきた。その音は、アンプで増幅されたかのような力強いトーンで、フロア内を駆け巡った。音はどんどんそのボリュームを増して男に近づいてくる。

 男は体を強張らせながら唾の塊をゴクリと呑み込んだ。そして柱の物陰から、身を乗り出さないよう注意を払い、目の端だけで音の出どころを確認した。

 純白のロリータドレスに身を包み、大きなリボンを頭に乗せた女、ブラッディ・エクレア。彼女の手には黒光りする一丁の自動拳銃が握られていた。彼女はトリガーとトリガーガードの間に人差し指を通し、まるで輪投げの輪を回すかのように、愛銃をクルクルと回していた。金属の重量感を感じさせないほど、上手い具合に弧を描く拳銃。

「ねぇ~~早く出てきて撃たれちゃいなよぉ。人生が楽になるかもよぉぉぉ」

 無防備に周囲を見回しながらゆっくりと歩くエクレア。

 数分前。男は逃げるエクレアを追いかけ、建物の二階で捕まえた。最初、男はエクレアを説得し、大人しく捕まることを勧めた。「抵抗しなければ手荒なマネはしない」と。やはり、仕事とは言え、女性に手を上げることは、男としてのプライドが許さなかった。けれども、どれだけ説得を試みても、エクレアの口から返ってくるのは、謎の野球用語ばかりだった。男はほとほと困り果て、ほんの少しの隙を見せた刹那、エクレアはスカートの中に忍ばせていた拳銃を手に取った。その瞬間、彼女は豹変した。少女漫画のような大きな瞳は、不気味な白目に変わり、性格も攻撃的になった。そして形成は大逆転してしまい、いつのまにか、エクレアを追っていたはずの男が、追われる立場となってしまっていた。

 男は柱の物陰に隠れながら、「本当に話と違うじゃねぇか」と再び呟いた。

 自分は丸腰なのに対して、相手は拳銃を所持している。誰がどう見ても、絶体絶命の圧倒的不利な状況。だが、それでも男には勝算があった。

 ある程度の距離を詰めさえすれば、耐力で脚力を強化し、一気に間合いを詰め、相手が引き金を引く前に一撃を食らわすことができる。

 耐力のコントロールが上手ければ、鋼のように体を強化し銃弾を弾くこともできるし、動体視力を強化し銃弾を避けることも可能であるらしいのだが、男はまだそのレベルには達していない。むしろ、能力に目覚めてからの数時間の間に、これほどまでの耐力のコントロールを身につけることができたバトルセンスを賞賛するべきなのだ。

 そして30メートルほど離れた地点で、エクレアはピタリと歩を止めた。

「見っーーーーつけた」エクレアは拳銃を回すのを止めると、手早くスライドを引き、トリガーに指を添えた。「アウト。体隠して、服隠さず」

 男は僅かに柱からはみ出す服の裾を慌てて隠した。

 エクレアは先程までの隙だらけの状態から一転、不気味な白目を細め、銃口を男が隠れる柱に向けている。臨戦態勢に入っている拳銃使いが、意識を研ぎ澄ませて銃を構える中、30メートルの間合いを走って詰めるのにはリスクがある。いくら耐力で身体能力を強化しようと、銃弾の速度を上回る自信はなかった。せめて半分……15メートルくらいまで接近することができれば――――

「かくれんぼは得意みたいだな」と男は意を決し、どっしりとした四角いコンクリート製の柱に隠れながら声を上げた。「俺はもう逃げるつもりはないし、撃ちたければ撃てよ」

 おそらくエクレアが持つ拳銃の射程距離は50メートル。そして男とエクレアの距離は30メートル。男を撃ち殺すのに必要な射程距離は十分に確保できていることだろう。だが、それはあくまでも何も障害物がなかった場合の話だ。今、男とエクレアの間には決定的な隔たりが存在する。頑丈で大きな柱だ。この柱がある限り、男が弾を被弾することはない。仮に角度がないところから弾を放ったとしても、柱がブロックしてくれる。また、当たる角度に回り込まれたとしても、柱を軸として男が当たらない方向に隠れ直せばいい。つまり、エクレアが男を撃つためには、必ず接近しなければいけないのだ。その時が男にとっての千載一遇のチャンス。男は殺気を漂わせるエクレアの動向を静かに伺った。

 一方、エクレアはというと、銃口を構えながら、ピクリとも動く様子がない。

「我慢比べなら負けねぇよ」

 と男は小声で呟いた、まさにその時。

 パッァァァ―――――――――――――――ン!!

 耳の中を抉るような銃声が、シンと静まり返った無音空間を貫いた。

「うぐっ!!」

 低い呻き声を漏らすと、男は突如として、地面にへたり込んだ。

 男が左足のふくらはぎを撃たれたという事実に気づいたのは、風穴の開いたインディゴブルーのデニムパンツが、紅く染まっているのを確認してからだった。燃えるような痛みに顔を歪めながら、エクレアに目をやると、彼女はまだ先程と同じ場所に立っていた。

 その場所から被弾するなんてことは物理的にありえない、と男は思った。

「ストライクゥゥゥ」

 そしてエクレアは嬉しそうに小躍りし、満面の笑みを浮かべながら、仕留めた獲物を確認するべく歩き始めた。

 片足を破壊された男は、攻勢に転じることもできず、逃げることもできず、ただ撃たれた傷口を押さえながら、歯を食いしばることしかできなかった。

 やがてエクレアは男の前に立つと、ニンマリと笑いながら言った。

「9回裏ぁぁ、ツーアウトでランナーなしぃ。点差は5点。ラストバッターのカウントはぁ、ワンストライクぅ、ノーボールぅ」

 そしてエクレアは銃口を舌でペロリと舐めた。

「野球が好きなのか?」男は強がるように強引に笑顔を作って言った。

「野球好きぃ」とエクレアは飛び跳ねる。「私の愛銃『ダルペッシュ』。7つの弾種ぅ。撃ちわけるぅ」

「7つの弾種?」と男は繰り返した。

「ストレートぉ、スローぉ、スライダーぁ、カーブぅ、フォークぅ、ナックルぅ、ジャイロカッターぁ」

 無邪気な子供のようにハシャグ女は、再びトリガーに指を構えると、男の顔面に標準を合わせ、なんの合図もしないまま弾丸をブッ放した。しかし、放たれた弾丸は、男の眼と鼻の先で急激に軌道を左に変更し、コンクリートの壁に激突した。そのままカラカラと乾いた音を立てながら、非力に地面に転がる。

「これは何かのデジャブですか……?」

 つい先日、とあるSM店で似たような経験をした男は、そう呟いた。


 ――どうして人は他人を傷つけることが好きなのかしら――


 その瞬間、男の頭の中にそんな言葉が過った。

「スライダーぁは、ボールぅ。カウントぉ。ワンワン」とエクレアは言った。「次ぃ、ナックルぅ。いきまぁぁすぅ」

「ちょっとタイム!! タイム!! 代打交代!!」

 男は両手で大きくTの字を作ったが、投球モーションに入ったエクレアは躊躇うことなく引き金を引いた。

 パッァァァ―――――――――――――――ン!!

 彼女が放った弾は、思春期の青少年のようにブレながらでも力強く前進し、己の個性を主張するかのような奇抜な弾道を描いて男の横腹を直撃した。

「痛っっぅ」

「ツーストライクぅ。ワンボールぅ」

 血管の何本かが破裂し、ふくらはぎに引き続き、横腹からも血がドッと流れ始めた。

 体を少しでも動かすと、体中から沸き起こる痛みの群れが、大群を成して脳に押し寄せる。

 全身は燃えるように熱いのに、なぜだか震えるほどの寒気を感じる。


 ――どうして世界から『傷つける』という行為がなくならないのかしら――


 どこかの誰かが発した言葉が、男の脳裏にフラッシュバックされる。

「なぁ……どうして人間は…………互いに傷つけ合うんだろうな」と男は呟いた。

 思わずむせかえるような血の香りは先程よりも強くなっている。

「人間。場外乱闘。好き」とエクレアは答えた。

「俺は思うんだ。それは………………」

「ラスト投球ぅ。スローボールぅぅぅ」エクレアは男の話が終わるのを待たずに、銃弾を発射させた。「試合終了。ゲームセットぉ」

 弾丸は、カタツムリが動くほどのノロノロとしたスピードだった。空中に浮かんでいるのが不思議なその物体は時間を消化しながらターゲットに向かって迫りゆく。

「…………それはきっと、人は他人の痛みを知ることができないから、だと俺は思う」

 この瞬間、男の類まれなるバトルセンスが、彼に新たなる力を開花させた。 

 男は手をかざして、弾丸の進行を阻止しようとした。

「速度遅いぃ。威力ぅ、同じぃ。弾ぁ、危ないぃ」

 けれども、弾は前に進むことを止めなかった。弾は回転運動を続けながら、男の掌にジワジワと力を加えて前進する。やがて男の皮膚はその圧力に耐え切れずに突き破られ、ボタボタと血の滴が漏れ始めた。

「ぐあっっっっっっっ」「キャッ――――――――――」

 手に大型のネジを埋め込まれているような激痛を感じ、男は苦しみ喘いだ。しかし、それと同時に、なぜだかエクレアも金切り声をあげながら悶え苦しみ始めた。彼女は右手の拳を硬く握りしめながら、泣き叫び続ける。

 男はもう片方の手で弾丸を排除しようと試みたが、激しく回転を続けるソレを摘もうとしただけで、指先の皮が吹き飛んだ。まるで高速で動くヤスリを触ったかのような破壊力。結局のところ、男は自分の掌にゆっくりと弾が潜り込んでいく様を、指をくわえながら眺めることしかできなかった。

「ぐあっっっっっっっ」「キャッ――――――――――」と2人は喘ぎ声を上げた。

 それは銃というよりもむしろ拷問器具に近い代物だった。人を威嚇する、あるいは殺傷するという本来の用途が完全に忘れ去られてしまっている。

 肉片が僅かに飛び散りはするが、血はそれほどでなかった。だが、ピークに達した激痛が持続することのなんたるや。あと何分、何十分、この痛みに耐え続けなければならないのだろうか。弾丸はなおも回転を続けながら、柔らかな洞窟を掘り進む。肉が焦げるような臭いを感じながら、黙って奥歯を噛みしめる男。

「うっ。うっ」「痛いよぉ。痛いよぉ。痛いよぉ。痛いよぉ。痛いよぉ。痛いよぉ」

 エクレアは大粒の涙をポロポロ零しながら、顔をグチャグチャに歪めている。

 しばらくすると、反対側の手の甲から弾丸の頭が、ようやく顔を表した。対象を撃ち抜くことを行動指針とする弾丸は、寸分ともゴールから目を背けることなく邁進し、肉と血で象られたゴールテープを迷いなく駆け抜けた。ようやく男の手から弾が貫通すると、防波堤が決壊したかのように勢いよく血が流れ出した。

 そしてエクレアは――――白目を向き、泡を吹きだしながら地に倒れていた。

「痛みの運命共同体(ダメージ・シェアリング)」と男は言った。「俺の痛覚と他人の痛覚を共有する能力。安心しな。死にはしないさ。お前は体感として、俺と同じ痛みを受けただけだからな。これに懲りたら、拳銃なんて危ないもん、むやみやたらと使うなよ。すげぇ、痛てぇんだから。人の痛みがわかるようになれば、世の中はもっと平和になるだろうに。何で神様は、こんなにも不器用な世界を作ったんだろうな」

 男はエクレアを引きずりながら、病院を目指した。


 男はまだ知らなかった。

『痛み』こそが、人を生に執着させる最大の要因の一つであるということに。

 もしそれが存在しなければ、誰もが死を恐れることもない。

 死を恐れることがなければ、生を最大限に謳歌することもない。

 ともすれば、痛みとは、ある意味においては、神が与えし優しさの産物なのだ。

 

 

 ポルト・アリオッシュの物語


 商業都市『ククリ』の港『ケープ・ハーバー』『立体駐車場 3F』

「やっと見つけた。モルツ・グレイシス」と少年は静かな声で言った。

「見つかってしまいましたか」モルツは双眼鏡のような形をしたゴーグルのピントを合わせながら言った。「先程から下の階層が騒がしいと思っていたので、もしやとは思っていましたが…………さすがはプレミア連盟の回し者ですな」

「何を言っているの?」と少年は言った。

「とぼけないでください。あなたがプレミア連盟の命を受けた刑罰執行人(エクスキューショナー)であるということは明明白白。ハクハクメイメイですな。わかっていますよ。ライセンス料の未払い、高級デパートでの窃盗、そして爆弾テロによる殺人。ボクたちを捕まえに来たんでしょう?」そう言ってモルツはパーティー用のトンガリ帽子を被り直した。

「違うよ」と少年は静かに言った。

「隠しても無駄です」

「捕まえに来たわけじゃない……………………………殺しに来たんだ」

 たっぷりと間を開けてからそう言い放った後、少年は手にしていた出刃包丁の柄を震えるほどに握りしめた。少年の顔はひどく陰っており、その表情を伺うことはできない。

「母さんの仇……………………………死を持って償え」

 少年は沼底にある沈殿物の塊を引き上げるかのように言った。

「ふうむ、ふうむ」とモルツは首を小刻みに振った。「爆弾テロの復讐というわけですな。それならば、納得がいきます。君には僕を殺す権利がある」

「お前のせいで母さんが死んだ。それで間違いないな?」

「まぁ、間違ってはいないですな」

「どうしてそんなことをした?」

 少年は顔をしかめながら歯を食いしばり、モルツを思いっきり睨みつけた。

「さぁ」それに対してモルツは悪びれる様子もなく首を傾げた。「上司の命令ですからな。理由とか必要性とかの話は、ボクにはわからない。どうしても聞きたいというのなら、ボスに直接聞いてみてください。ボクはただ命令されたから爆弾を作った。ただそれだけですな」

「そんな理由で僕が納得できるとでも?」

「やらなければ、ボクが殺されていたかもしれません。社会経験もない子供に、大人の込み入った事情はわからないでしょうが、社会というものは弱肉強食なんですな。強い者の意見が正義で、弱い者が何を言ってもどうにもならない。世界はそうやって成り立っているんですな」

「そんなの僕には関係ない!!」

「おやおや」

「僕の気持ちは変わらない。僕はお前を殺す」

 少年は出刃包丁の刃先をモルツに向けて、3歩ほど前進した。

「わかりました。君の気持ちはよくわかりました」モルツは両手をパタパタと広げて反抗の意志がないことを示す。「でしたら、ゲームで決着をつけましょう」

「ゲーム?」

「もちろん、ただのゲームじゃありません。互いの命を賭けたデス・ゲームです」

「断わる」と少年は即答したが、

「断われば……私は最終手段に打って出ます」とモルツは言った。

「どうするつもり?」

「全力で逃亡します。こう見えても足には自信があります」

 少年はふと握りしめている出刃包丁を見た。そこには、殺意が剥き出しになっているバーサーカーの姿が、ステンレス製の刃に映し出されていた。それは日常的な少年の姿とは似ても似つかぬものだった。鬼が憑りついているかのような自分の姿を見て、少年は少しばかり冷静にならなければならないと知覚した。

「一応、話だけは聞いてやる」

「感謝します。さて、ここに2つの爆弾があります」

 モルツがポケットから取り出したのは、2つの懐中時計だった。1つは金色の懐中時計。もう1つは銀色の懐中時計だ。高級そうな両方の懐中時計の裏面には、なぜだか怪しげな吸盤が取り付けられている。

「見た目はただの懐中時計ですが、ボクが作った特殊な爆弾です。これらの爆弾には振動計が内蔵されています。そしてこの金と銀の爆弾は、互いに連動しており、同時に一定リズムの周期を検知することによって、タイマーのカウントダウンが始まる仕組みになっています。ゲームはこの爆弾を互いの左胸に装着することで始まります。まぁ、何が言いたいかというと、お互いの心臓部に爆弾を取り付けた時点で、爆弾のタイマーが作動する、ということですな」

 モルツは爆弾に付いている吸盤部を指差し、次に自分の左胸を指差した。

「この金と銀の爆弾はハードウェアこそ一緒ですが、ソフトウェアが異なります。さて、それでは今からそれぞれの爆弾の特性について説明しますな。金色の爆弾はタイマーが起動してから、5分で爆発します。銀色の爆弾はタイマーが起動してから6分で爆発します。爆発を止める方法は一つだけとなっています。どちらかの心臓が止まれば、もう片方の爆弾のタイマーは止まります。つまり、ボクの心臓が止まれば、君の爆弾は爆発しない。君の心臓が止まれば、ボクの爆弾は爆発しない、ということですな。ちなみに、一度タイマーが起動した状態で、無理矢理に吸盤を外そうとすると、それも爆発のトリガーになります。気を付けてください。では、金と銀、どちらの爆弾を選ぶのか? その選択権は君に上げましょう」

「そんなの…………」と少年は眉を顰めながら不安げに言った。

「だだし」と、モルツは少年のリアクションを見越していたかのように言った。「普通に考えれば、6分で爆発する銀の爆弾の方が有利です。そこで、5分で爆発する金の爆弾を選んだ者には、遠隔操作式のリモコンをもれなく付けるようにしましょう。そのリモコンのスイッチを押せば、6分で爆発する銀の爆弾をいつでも爆発させることができます」

「えっ!?」

 罠に違いない、と少年は思った。モルツの話が本当ならば、5分の爆弾+リモコンを選択する方が得策に決まっている。問題なのは、モルツが嘘を言っている場合だ。実は爆弾が爆発するまでの時間を偽っているのかもしれない。例えば、5分で爆発する金の爆弾が、実は5秒で爆発するといった具合だ。それに、もしかすると、6分で爆発する銀の爆弾にはごく少量の火薬しか入っていないのかもしれない。仮にリモコンで爆発させても、致死量の火薬が備わっていないのなら殺すことはできない。つまり、モルツは誰もが5分の爆弾+リモコンを選ぶという心理を逆手にとった罠を仕掛けているのだ。ここは裏をかいて6分の爆弾を選ぶべき…………いや、実は爆弾ではなくリモコンに仕掛けがあるのかもしれない。ボタンを押しても6分の爆弾が爆発しないパターンも考えられる。だが、それ言ってしまうと、ボタンを押して5分の爆弾が爆発するというケースも……………………〇×△□☆▽□×☆☆□〇▽△。

 考えれば考えるほど、何が正しいのかわからなくなる。

 けれども、少年はふと冷静になった。

 ――――別にどっちでも問題ない。

 ――――どちらを選んだところで、僕が勝つことに変わりはない。

 ――――今の自分は死なないのだから。

「いいよ。そのゲームに乗る。僕は5分で爆発する金の爆弾とリモコンを選ぶよ」

「わかりました」

 モルツは少年に金(5分)の爆弾とリモコンを手渡した後、自分のカッターシャツのボタンを全て外し、左胸に銀(6分)の爆弾を取り付けた。世の中には様々な種類の時計が存在するが、胸に取りつける懐中時計はどこを探しまわってもここにしかないだろう。まるで奇抜なアート作品のようなモルツの風貌。あまり気乗りはしなかったが、少年もモルツと同様に、自分の左胸に爆弾を取り付けた。そして――――2つの爆弾は、ひっそりと死のカウントダウンを開始した。

「それでは始めましょうか。デス・ゲーム。スタートです」とモルツは言った。

 少年は手に持ったリモコンのボタンをすぐには押さなかった。

「何を企んでいるの?」と少年は尋ねた。

「はい? 何も企んでなんていませんよ」

「こんなのはゲームでもなんでもない。リモコンを所持する者による一方的な虐殺だ」

「はい。その通りです。あなたはボクの胸に取りついている爆弾を起動させるリモコンを所持しています。あなたはいつでもボクを殺すことができる」

「それが事実なら、初めからこれはゲームとして成立しない」

「そうです。これはゲームでも何でもありません。ただ…………ゲームとして割り切らなければ…………あなたはボクのことを殺すことができないでしょう?」

 少年は相手が言わんとしていることが分からず、顔を険しく顰めた。

「何が言いたいの?」

「ハッキリと言いましょうか? ボクはあなたに殺されたいのですな」とモルツは言った。「先程も言いましたが、ボクはボスに脅されて泣く泣く爆弾を作りました。作らなければ、ボコボコにされていたかもしれない。最悪の場合、殺されていたかもしれない。ボクは怖くて反抗できませんでした。でも、ボクが作った爆弾によって大勢の人が死んだのを知ってから、ボクの心は罪悪感で一杯になりました。取り返しのつかないことをしてしまいました。もしもボクに上司の命令に背く度胸があれば、自分の信念に従ってNОと叫ぶ勇気があれば、こんなことにはならなかった。あなたの母親も死ななかった。でも、ボクにはこの重い十字架を背負って生き続けていく自信がありません。ボクの爆弾で亡くなった遺族のあなたに殺されるのなら本望だと、そう思いました」

 爆弾起動まで、あと3分。少年はボタンを押すことができなかった。

 ――――後悔している? 僕に殺されたと思っている?

「さぁ、早くボタンを押してくださいな」とモルツは言った。

 少年は黙ったまま動かない。

 爆弾起動まで、あと2分。少年はボタンを押すことができなかった。

 ――――今、僕は悲しんでいる? それとも恐れている?

「リモコンのボタンを押してください。でなければ、君が死んでしまう」

 少年は黙ったまま動かない。

 爆弾起動まで、あと1分。少年はボタンを押すことができなかった。

 ――――早く爆弾を押さないと僕が死ぬ。でも、押せば人が死ぬ。

 ――――殺さなきゃ、殺される。

 ――――どうしよう…………今の僕では死んでしまう。

「もうボクはボクが作った爆弾で、人が死ぬのは見たくありません」

 少年は黙ったまま動かない。

 爆弾起動まで、あと30秒。少年はそれでもボタンを押すことができなかった。

「このままではあなたが死んでしまいます!! リモコンを貸してください!!」モルツはそう言って、少年に駆け寄り、リモコンを取り上げた。その瞬間、モルツの狂気に満ちた笑い声が、立体駐車場内に響き渡った。「どうやらこのゲームはボクの勝ちのようですな。ボクが思った通り、あなたは人を殺したことがない素人だ。ギリギリまでボタンを押せないことは、明明白白。ハクハクメイメイでした。ゲームはボクの勝ちのようですな。明度の土産にいいことを教えておいてあげましょう。ボスに爆弾を作れと命令されたのは本当です。けれども、依頼された爆弾の10倍の威力の爆弾を作ったのは、このボクです。ボクが作った爆弾で恐怖する人間の顔。ボクは堪らなく大好きなんですな。それでは、サヨウナラ」

 ボォッッッーーーーーーン。

 鼓膜を破る様な爆発音と共に、風の塊が吹き抜ける。辺りは一瞬にして、煙でいっぱいになった。香ばしい火薬のにおいが男の鼻腔を刺激する。モルツは自分の爆弾が引き起こした事象の全てを喚起していた。しかし、すぐにモルツは気付いた。自分の爆弾のタイマーが止まっていないという事実に。モルツは冷や汗を流しながら狼狽した。

「危なかった。君が本性を曝け出して僕を怒らさなければ、死んでいたのは僕の方だった」

「ちょっ、ちょっと意味が…………」

 ボォッッッーーーーーーン。

 先程と同様の爆発がモルツの最後の言葉を遮った。

「母さん、仇を取ったよ」と少年は叫んだ。

 そしてギリリと前歯で唇を噛みしめた。歯は少年の唇に食い込み、そこからダラダラと真っ赤な鮮血が滴り落ちる。

「あれ? おかしいな? 嬉しいはずなのに……どうしてだろう?」

 少年の能力は、彼の感情に起因する。


『喜び』 素手による物理攻撃が効かない

『怒り』 武器による物理攻撃が効かない

『哀しみ』能力による攻撃が効かない

『楽観』 能力が発動できない。

『恐怖』 能力が発動できない。

『絶望』 あらゆる事象全てが無効化される。


 柔らかな唇から血を滴らせる少年は、今現在、どのような感情を抱いていたのだろうか。



 リク・ギルフバッシュの物語


 少年は勢いよく地面を蹴り出し、相手に突っ込んだ。瞬く間に距離を詰めると、大剣を大きく振りかぶり、上方から一息に振り下ろす。オルガは鉄バットを下方から振り上げる形で真っ向勝負を挑んできた。オレンジ色の火花が飛び散ると同時に突風が巻き起こり、建物の外壁に小さなヒビが入る。オルガは含み笑いを浮かべながら奥歯を噛みしめ、下半身にグっと力を入れた。そして力に任せて強引にバットを振り抜いた。少年はその力を後方に宙返りすることで受け流し、間髪を入れずに大剣を地面に突き立てた。そしてそれを軸にして相手の顔面に蹴り見舞った。ヨロヨロと後ずさりし、唇から流れ落ちる鮮血を肘で拭うオルガの眼光からは、戦意喪失の意志は微塵も感じ取ることができなかった。

「器用な奴だ」とオルガは言った。

「タフだな。首を折るつもりでやったんだが」と少年は言った。

「舐めんなよ。コラッ!!」

 オルガはバットの先端を地に走らせながら、猪突猛進してきた。瞳孔が開き、額に血管が浮かび上がっている。ガードをする素振りも見せない。先程の攻撃で完全にキレてしまったようだ。少年は冷静にバットの軌道を予測した。少年のイメージ通りの軌道を描きながらバットが繰り出される。それをスウェーで回避しようとした刹那。オルガはバットを持った逆の手の親指で小石を弾き飛ばした。小石は弾丸のように一直線に少年の右目に向かって飛んでゆく。少年は並外れた動体視力で小石の存在を視界に捉え、反射的に顔の位置をずらし、眼球直撃を免れた。しかし――――

「安心してんじゃねぇぞ。コラッ!!」

 ガラ空きの脇腹を狙い澄ませて、オルガがバットを繰り出した。少年はとっさに自分の身体とバットの間に大剣を挟み込ませたのだが…………

「消し飛べ!!」

 激しいインパクトと共に、体が吹き飛ばされ、矢のように建物の壁に激突した。コンクリートで作られた壁には直径一メートルほどの穴が開き、土煙が辺りに立ち上る。少年は捨てられた人形のようにその場にへたり込む。

「勝負ありだな」とオルガは高らかに唸った。

「同感だ」

 ムックリと立ち上がり、何事もなかったかのように服の汚れを払い落とす少年。

「今の攻撃で致命傷を与えられないようじゃ、俺には勝てない」

「調子に乗るなよ!!」

 オルガは少年との間合いを一気に詰め、バットを大きく構えた。力強い腰の回転と絶妙なる体重移動が成せる渾身のワンスイング。少年は応戦する素振りも見せなければ、避けようとする様子もない。バットは少年の米神を直撃するような軌道を描きながら迫りくる。けれども奏でられたのは肉と鈍器が交錯する鈍い音ではなく、コンクリートと金属片が織りなす破壊音だった。オルガは先ほどまでバットだったガラクタを手に持ちながら戦慄した。彼が手に持っているのはバットのグリップだけで、残りは全てコンクリートの壁にめり込んでいる。

「嘘だろ。超合金製の特注バットだぜ」オルガは折れたバットを眺めながら呟いた。

「最初に得物を交えた時から勝負は着いていた」クールな表情で理由を説明する少年。「驚くことじゃない。単に俺の方が強かっただけの話だ」

 その言葉を耳に入れるや否や、オルガが不気味に笑い始めた。

「久しぶりだなぁ。久しぶりだぜ。こんなに屈辱的な気分はよぉ」

 オルガの纏っている微妙な空気の変化を察知し、少年は素早く距離を取った。オーラの絶対量が先ほどよりも飛躍的に上昇している。それに伴いオルガの身体に変化が見られた。全身の筋肉が盛り上がり、体格が三倍ほど大きくなった。皮膚には群青色の毛が濃密に生い茂り、尾てい骨からは長い尻尾が形成される。肘から手の指先にかけての部位とふくらはぎから足の指先にかけての部位が異常に発達し、十本の指の先端には鋭く磨ぎ澄まされた爪が煌めく。変形した顎回りの骨格からは容易に肉を食い千切れそうな牙が顔を覗かせている。

「俺を舐めるなよッ!!」オオカミの化け物と化したオルガの咆哮が大地を揺らした。」「お前を全力でブチ殺す。俺を怒らせたことを存分に後悔してくれ」

 オルガが右手の掌を水平にかざすと、少年も大剣を構え直した。少年は相手の次なる行動に神経を集中させ、相手から目線を逸らせまいと意識を集中させていた。しかし――――

 突如として少年の背後の建物のガラスが雪崩のように砕け落ちる音が聞こえた。少年は動揺しつつも振り返ることはしなかった。一瞬でも隙を見せれば致命傷を与えられる。幾度となく死線をくぐり抜けてきた経験がそう訴えかけてくる。間もなくして、熱を帯び始めた少年の頬からは血がダラリと流れ出す。攻撃された? という疑問はすぐに確信へと変わった。よく見ると、オルガの右手の人差しだけポッカリと爪がなくなっていた。

「指先の拳銃(ネイルガン)。次は当てるぜ」

 それを聞いた少年は、縦横無尽にオルガの周囲を駆け回り、相手が容易に照準を合わせられないようにした。少年のもくろみ通り、一発、また一発と空を切った爪が周囲の建物を瓦礫へと変貌させてゆく。そうこうする内にオルガの右手の爪が全部無くなった。

「御自慢の爪だ。大事にした方がいい」と少年は軽く挑発を入れた。

「安心しな。一日もすれば新しい爪が生えてくる」

 その言葉を聞いて少年は安堵した。左手の爪、残り5発。それをかわせば勝機がある。相手の攻撃の破壊力は脅威だが、命中率はさほど高くない。このまま適度な距離をとって素早く動き続ければ、いずれ(タマ)切れになる。そう考えていたのだが――――

「指先の無駄使い(ネイルガンフェスティバル)」

 オルガが左足を振り抜いた瞬間、少年は地面に倒れ込んだ。気付けば、足と肩に一箇所ずつ小さな筒状の穴が開いている。おそらく左足の爪全てをマシンガンのように飛ばしたのだろう。下手な鉄砲も数撃ち当たるとはよく言ったものだ。不幸中の幸い、凄まじい威力で放たれた爪は急所を捉えてはいなかった。さりとて、傷口からは止めどなく血が流れ落ち、一転して少年は窮地に立たされることとなった。負傷してしまった以上、持久戦では不利になる。

「もう鬼ごっこは終わりみたいだな」

 オルガはチャンスとばかりに今度は右足を大きく振り上げた。同じく少年も大剣を振り上げる。

「指先の無駄使い(ネイルガンフェスティバル)」

 オルガが足を振り抜くよりも早く、少年の大剣が地面に振り下ろされた。すると小規模な爆発音と共に大地が弾け飛び、一瞬にして辺りが砂埃で覆われた。密度の濃い砂塵のおかげで視界が悪く、寸分先すら見渡すことができない状況。

「クソ。何も見えねぇ。テメェ。どこだ。どこにいる。姿を現わしやがれ」

 目をゴシゴシと擦り、キョロキョロと辺りを見回すオルガ。

 足と肩に風穴を開けられた少年は、苛立ちを募らせ喚く相手の声に耳を傾けた。立つことは叶うが走ることなど到底できないこの状況。一気に決着をつけるべく少年は再び大剣で地面を叩き、その反動を利用して相手の懐目掛けて切り込んだ。

 時間の経過により、砂埃が風に運ばれ視界がクリアになる。闘いの結末は――――――――

 藍色のオオカミが少年の首根っこを掴み、天に掲げている、というものだった。

「悪いが俺は太刀の悪い狼。平気で嘘を付き、芝居が打てる。確かに何も見えなかったが、鼻が利く。起死回生の不意打ちのつもりだったかもしれねぇが、美味そうな血の匂いでお前の位置なんて最初から分かっていた。脆弱な子羊を罠に嵌めるのは実に気持ちがいい」

 オルガは左手の爪で少年の大剣を弾き飛ばした。大剣はクルクルと宙に舞い、地に転がる。

「最後に選ばしてやる。爪で心臓を抉り抜かれるか、牙で首の動脈を噛み千切られるか」

「俺はまだまだ弱い」と少年は呟いた。

「気づくのが少しばかり遅かったようだな」オルガは下品に笑った。

「すまないが、俺のことを許してくれ」

「今さら命乞いして、許されるとでも思ってんのか?」

「たぶん、俺はお前のことを殺してしまう」

「はっ?」とオルガは言ってから舌打ちした。「自分の状況がわかってねぇようだな」

 オルガは怒りに任せて一息に少年の首に噛みついた。相手の息の根を止めに掛かったオルガの牙。しかし、その鋭い牙は、ミリ単位ほどしか食い込まず、彼を動揺させた。どれだけ力を入れようとも、結果は同じだった。それどころか、僅かに食い込んだ部位が徐々に押し戻されてゆく。やがて、黒色の禍々しいオーラが少年の体を包み込んだ。オーラは泉のように溢れ、どんどん強大なものになってゆく。オルガは自分と少年の力の差に恐れをなして、少年の首からパっと手を放した。

「すまない。手加減のできない、弱い俺を許してくれ」と少年は呟いた。

 少年は呪力を右手の拳に集中し、シンプルなボディブローを見舞った。

 その一撃だけで勝負は決した。

 繰り出された拳から放たれたオーラはオルガの腹部を貫通し、その立体駐車場を瓦礫の山に変えた。

 少年は一息ついてから転がっていた大剣を拾い上げる。

 オルガは唾液を含んだ舌を垂らしながら、地面に平伏していた。

「腐ってもプレミア・カンパニーで働くプロなんだな」と少年は笑った。

「テメェ、途中まで手を抜いてやがったのか」血反吐を吐きながら、オルガは言った。「武器を持たない方が全然、強ぇじゃねぇか」

 少年は男の耳元に顔を近づけ、囁くように言った。

「俺の大剣は武器じゃない。自分の身を守るための防具ってとこかな。俺の体内は無尽蔵にオーラを生成する。だが、器としての俺の体が留めておける最大オーラ量には限界がある。一定時間、剣に触れていないと、行き場を失ったオーラが膨張し、俺は死ぬ。俺の剣は特殊でね。俺のオーラを喰らってくれているんだ。俺が死なないように。剣を持たない方が強いのは事実だが、手加減したというのは間違いだ。剣を手放すことは俺にとっては死活問題なんだ」

 少年の説明を聞いてオルガは笑った。

「自分の弱点を他人に晒すとは愚の骨頂だな。今のうちに俺を殺しておかねぇと、後悔することになるぜ。」

「殺しはしないよ。誇り高い狼は俺の弱点を他言するようなことはしない。ましてや、俺からベラベラと喋った弱点を突いてくることもしない。だろ?」

「どうだかな」とオルガは言った。「お前なら…………俺の到達できなかった高みにいけるのかもしれないな。でも、覚えておけ。お前レベルの奴は、プレミア業界にはゴロゴロいる。俺を倒したくらいでイイ気になるなよ。コラッ」

「大丈夫さ」と少年は笑いながら言った。「俺は世界で一番強い人間になるんだから」


 少年の人生は、その他大勢の人のソレとは、少し違っていた。

 生まれた瞬間から、とても不自然で不自由な制約を課せられていた。

 それ故に、彼が選び取れる人生の選択肢はごく僅かだった。

 だからこそ、少年は強くなれたのかもしれない。



 クロナ・イヴニスの物語


 商業都市『ククリ』のビジネス街『パール・パーク』『プレミア連盟支部 商談室』

 少女がこの部屋を訪れるのはこれで2度目になる。代わり映えのしない殺風景な個室だ。アンティークな雰囲気を漂わせる筒状のごみ箱。瞑想にふける修行僧のごとく、ゆっくりとしたリズムで呼吸を奏でる空気清浄器。何も変わっていない。

 職員の女性は椅子に浅く腰掛けながら、書類の内容を精査していた。彼女が確認しているのは、3人分の身分証明書。そして個々人の戦闘能力の調査結果だ。少女は椅子の肘掛けに頬杖をつきながら、職員の仕事ぶりをまじまじと観察する。

 全てのデータに目を通し終ると、職員は机に散らばっていた書類を一まとめにした。そしてコンコンと机に叩き付けて角を合わせ、顔つきをキュッと引き締めた。

「お待たせいたしました。早速ですが、結果の通知をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」

「よろしく頼む」

 女性職員は軽く咳払いをしてから言った。

「まず、カナン・ドクロア様。負傷していたにも関わらず、ブラック・リスト対象者であるブラッディ・エクレア氏を打ち負かした実力は本物です。よって、プレミア・カンパニーで働くに十分な戦闘能力があると判断します」

「それはよかった」と少女はニコリと頷いた。

「次に、リク・ギルフバッシュ様。BTS『Sランク』の資格を所持されている時点で問題ありませんが、ブラック・リスト対象者であるオルガ・ヘブライン氏を圧倒した力には、感服させられました。文句の付けどころもなく、プレミア・カンパニーで働くに十分な戦闘能力があると判断します」

「そうか」と少女は再び笑顔で頷いた。

「最後に、クロナ・イヴニス様。真に恐縮ですが、監査員からの報告書によりますと……本件の刑罰執行(エクスキューション)には関与されていない、とのことですが、お間違いはありませんか?」

「先客に得物を取られてしまってな」と少女は残念そうに言った。

「そうなりますと……」職員は少し言いづらそうに少女の顔色を伺った。「プレミア・カンパニーで働くに十分な戦闘能力があるのかどうか、今回は判断することができませんでした。ですので、ご契約は残念ながら……」

 職員がそこまで言うと、少女はおもむろにあるものを机の上に置いた。

「これは?」と女性職員は息を飲んだ。

「バルバトス・ドラゴンのシルバージュエルだ。これでは戦闘力の証明にはならないか?」

 従業員は滅相もないという風に首を振った後、ルーペを使ってジュエルの鑑定を始めた。

「恐れ入りました。本物のようですね。あなたは……一体?」

「私の名前はクロナ・イヴニス。世界を変える者の名だ」






















――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

今日という日が歴史上で最も大切な一日になるだろう。

なぜならば、ここに偉大なる変革者たる一つの会社が誕生したからだ。

私は人々に問いたい。人生には限りがある。そして人は遅かれ早かれ必ず死ぬ。

そんな揺らぐことのない真理を理解した上で、人々はなぜ挑戦することをしないのだろうか。 

夢を諦める人生に、どんな意味があるというのだ? 

野望を我慢してまで、どうして安定が欲しいのだ? 

ただ生きて、ただ死んで…………それが本当に良い人生なのだろうか?

私なら無難に八十年を生き長らえるよりも、刺激的に三十年を生きていたい。

真に意義ある人生を送るために、

己の欲しい物を掴むために、

我慢をせずに本能で生きていたい。

妥協をせずにこだわって生きていたい。

好きなことをすることの何が悪いのだろうか?

夢に向かって努力することの何が悪いのだろうか?

人生は自由に生きた者が制するのだ。

批判を恐れず、孤独に負けず、明日に脅えず、

自分の生きる意味を、目的を、価値を、貪欲に追い求め続けていたい。

一度の人生を、他人のつまらない価値観で無駄にするのはもったい。

自分の人生の幸せは自分にしか分かり得ないのだから。

もちろん安定も大切だ。

でも……そもそも安定とはなんだ? 

残念なことに、世の中に安定などというものは存在しない。

そんな幻想のために、夢も希望もかなぐり捨てて、

好きでもないものにしがみ付くのは悲し過ぎる。

人は自由を欲する生き物であるはずなのに、

社会はとても不自由を強いる。

自由に生きられない人生は、何をやろうが必ず負けだ。

自由に生きていけないのであれば、それは何のための人生だろうか。

人間はもっとバカになってもいいんだと思う。

バカにされることを恐れなければ、

否定されることに脅えなければ、

人生とは何と自由に生きていけることだろうか。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 株式会社イヴニス 定款 (より一部抜粋)


第1章 総則

 第1条(商号)当会社は,株式会社イヴニスと称する。

 

 第2条(目的)当会社はプレミア・カンパニーに許された営利事業を目的とする


 第3条(本店の所在地)当会社は,『ククリ』の『パール・パーク』に本社を置く。


 第4条(公告する方法)当会社の力能を見せつけるのみ


第2章 取締役

 第1条(取締役の員数)当会社には,取締役1名を置く。


 第2条 (資格)当会社の取締役は,当会社員の中から選任する。


 第3条(社長及び代表取締役)当会社の取締役は,社長とし,当会社を代表する。


第3章 計算

 第1条(事業年度)

     当会社の事業年度は,毎年4月1日から翌年3月末日までの年1期とする。


第4章 付則


 第1条(設立時取締役)

     当会社の設立時取締役は,次のとおりとする。

  設立時取締役 クロナ・イヴニス


 以上,

 株式会社イヴニスを設立するため,この定款を作成し,発起人が次に記名押印する。


   20xx年10月20日


    発起人   クロナ・イヴニス


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