5.優 ~succubuse~
ミナーヴァ・キスはサキュバスである。
とある農民一族の末っ子としてこの世に生誕し、若者なら誰もがするように、実力だめしに人の集まる大都会に身を投じたティーンエイジャー。
彼女の外見は、少々目立つ。
サキュバスという特性上、背中から生えたコウモリのような大きな翼は隠しようがなく、また種族にそれを隠すという概念も特にないのでそのままあけっぴろげにさらされている。
顔はまあ、美人の部類に入るだろう。
野生動物に似たしなやかで強靭な美しさが彼女には感じられる。
白い髪をオールバックにして、赤のメッシュが入った右の前髪だけをわざと垂れ下げさせていて、海を溶かしたような青の瞳は目尻がわずかにつり上がっているが、威圧的な印象はない。
ミナーヴァの服は、ほとんどブラに近いトップスに、腰骨で引っ掛けたパンツ。当然首元も鎖骨もお腹もむき出しで、コートに袖を通しているものの、ボタンを留めることなく全開にしているため、防寒の役には立っていない。黒地をベースにしているだけに、所々を飾るピンク生地の色が妙にうるさかった。
なぜか左の袖が肩からすっぱり無くなっていて、右の靴と左の靴がちぐはぐになっているなど、左右非対称になっているところが多く、常任のセンスと比べると、彼女の格好は少々――いや、かなり――変わっていた。
しかしそうした奇抜なファッションも、身長167セルトマイス――ティル・ナ・ノーグにおける長さの単位であり、1セルトマイス=1センチメートル――で股下86セルトマイスという驚異的な足の長さと、メリハリの効いた七等身モデル体型のおかげで格好がついている。よりラフな言い方で例えるならそう――キマっていた。
左右の腕にはバングル。右手の五指にはごてごてと大げさな指輪がくっついているし、耳にもいくつかのピアスが開けられている。
首にぶら下がったいくつものネックレスがだらりと彼女の鎖骨を這い、末端に至っては90のGという規格外なバストの谷間に埋もれていた。右乳房の丸いラインに合わせて歪んでいる魔法使いとしての証が、妙に性的だ。
こうした彼女の服装を端的かつ簡潔に表すなら、そう――チャラい。
もしこれが遥か遠い未来なら、冒険者というよりエレキギターをかき鳴らすヴィジュアル系ロックバンドにでもいる方が、よほど似合っているような出てたちである。
なんと言うか、頭の悪そうないかつい悪党の太い腕に寄り添って「キャハハー、それチョーマジぃ?」とか笑ってそうな女っぽい――世紀末の香りが漂っている気さえしてくる――そういう格好なのだ。
しかし、必ずしも第一印象と性格が一致しているとは限らない。
もしミナーヴァの性格が第一印象通りなら、そういう人間は風邪をひいている友達の家にのりこんで掃除して洗濯して、ましてやお粥を作ったりなんてしないと思う。
そう、例えばこんなふうに。
「クラリス? お粥できたよ? 食べる?」
不良スタイルの上にエプロンを装着しているミナーヴァが不安そうに話しかける。
手に装着しているくまさんミットで大事そうに持ってきた土鍋から、粥の暖かい香りがじんわりと広がってきていた。
「うぅ……食べる」
息も絶え絶えにクラリスがつぶやく。喉が腫れているのでしゃべるのも辛い。
ちなみに今のクラリスの体温は39.5℃
なかなかにハードな湯加減である。
一年中温暖な気候であるティル・ナ・ノーグなら、氷の月――12月の意――だからってタオルケットの1枚や2枚蹴飛ばしたって余裕で寝られるとタカをくくっていたらこのザマだ。
そんな油断していたクラリスに、ミナーヴァはいそいそとお粥の入った土鍋を近くに降ろし、お椀によそってくれている。そのまま粥の入ったお椀とスプーンを一緒に手渡してくれた。「熱いからちゃんと冷ましてね」と声をかけておくことも忘れない。
「ありがと……」
ぼうっとする頭で、クラリスはそれだけつぶやいた。
どうにも体が重い。本音を言うなら、しゃべるのもスプーンを動かすのも億劫だ。
「桃とリンゴ、氷水で冷やしてるから食べたくなったら言って」
それだけに、何かと世話を焼いてくれるミナーヴァの存在がありがたかった。
こうしてクラリスがぼんやりしているあいだにも、ミナーヴァはてきぱきと掃除をしてくれているし、クラリスの汗と風邪の菌をたっぷり吸った衣服を片っ端から洗って日干ししてくれていて、食材まで買ってきてくれたのだ。
なんという献身。執事だってここまでしてくれないのではと言いたくなる働きっぷりだ。
「…………」
クラリスは、はむ、とお粥を口にする。
暖かい熱量と、柔らかいお米の食感と、ほんのりと効いた塩味が口の中に染み渡ってくる。
ところどころに見える野菜らしきものは、きっとミナーヴァが選んできた薬草なのだろう。彼女の気遣いが、今のクラリスにはありがたかった。
「おかわりいるなら言ってね」
言いながら、ミナーヴァは濡れたタオルを振り回していた。どうやら部屋に浮遊しているホコリを取り去っている最中らしい。
そういえば周りに干されているたくさんの濡れタオルは、部屋の湿度をなるたけ上げるためのものなのだそうだ。
セクシーな八の字体型をしているくせに、口を開けばお母さんだ。
しばらくして、クラリスがお粥のご飯を平らげると、ミナーヴァは軽めに片付けを終えて外出の準備をし始めていた。
「どこ行くの?」
「病院」
「グラッツィア施療院?」
「ううん。あそこの専門は外科だから……ちょっと、ね? あたし、内科でウイルス学に詳しい医者知ってるから、その人から抗生物質もらってくる。いい? しっかり寝てなきゃダメだからね?」
「……うん。わかった。ありがと」
すぐ戻るから、と言って、ミナーヴァはドアを優しく閉めた。
…………。
静けさで耳が痛い。
クラリスは、ぼうっとしたまま天井を見つめる。
鏡が無いから見られないが、きっと今の自分は顔が真っ赤になっているのだろう。それくらいに体が火照っていた。
風邪で体温が上昇するのは、ウイルスを蹴散らすために熱で追い出すための防護機能だと言われているが、それなら早いところ追い出して欲しいものである。熱いし喉は痛いし、いい加減しんどいのだ。
頭がぼうっとするからか、まるで自分が夢の中にいるような錯覚を感じてしまう。
あれほど騒がしかった掃除の音がもう聞こえない。
まな板で包丁をトントンと叩く音が聞こえない。
洗濯物をパンッと振るあの音が聞こえない。
ミナーヴァは、きっともう遠くにいるのだろう。
――彼女の声が届かない……。
風の音だけが静かに響く。遠くから、どこかの誰かさんたちの歓声と足音。
こんなふうに何もしないでぼんやり一日を過ごすのは随分と久しぶりだ。
何もすることがないというのは暇なものだが、もしもミナーヴァがいなかったら、掃除も洗濯もすんでいなかっただろうし、食べるものさえ満足に摂れなくて今頃泣いていたかもしれない。
…………。
…………。
何もすることがないし、寝ることにしよう。
クラリスはそう考える。
眠れば楽になる。起きたら大抵、体は苦しんだことを忘れてくれる。そうやって人間は、新しい一日を生きるのだ。
心が眠りにつくその直前、クラリスは静かに考えた。
片付いた部屋を見つめ、面倒見のいい親友を頭に思い描きながら、ぼんやりと。
――お母さんが生きてたら、こんな感じだったのかな?
数日後。
抗生物質が効いたのか、クラリスの体調はすっかり良くなっていた。
自分の部屋でうーんと背伸びをしてみせる。
一方のミナーヴァはというと……。
「クラリス? この布団干すけどいい?」
普通に元気だった。
しかもわりと当たり前のように掃除をしてくれている。
「……ミナーヴァ」
「何?」
「馬鹿なの?」
「……干しちゃマズかった?」
思いがけない言葉に、ミナーヴァは涙目になる。
どうしてこうも悪者な格好なのに腰は低いんだろうか。
「そうじゃなくて、風邪ひかないの?」
「ん? あぁ! ……あぁ……〝馬鹿〟って、そういう意味ね……。馬鹿は風邪ひかない……ってことね」
わりかしひどいことを言われていることに気づいたからか、ミナーヴァの声が沈んでいく。
とはいえ、質問には答える義務があるという彼女の生真面目さが、気落ちしていた心に喝を入れて立ち直らせる。
「どうなのかな? サキュバスって平熱がけっこう高いから気づいてないだけなのかも」
「どれくらい?」
「42℃」
「っ!?」
サキュバスの体温は相当高いらしい。