3.花 ~tomodachi~
「いつここに来たの?」
まずクラリスが訊ねたのはそれだった。ミナーヴァはクラリスの故郷であるキルシュブリューテという街にいたはずだからである。
「昨日。あたしも用があってこの街に来たんだ」
ここでクラリスは気づく。ミナーヴァが、後ろに何かを隠しているということに。彼女は彼女で、妙に嬉しそうだ。
「何持ってるの? ミナーヴァ」
「ん? これはねえ……」
クラリスが聞いてみると、ミナーヴァはますます嬉しそうな顔になった。いたずらっ子にも似た微笑み。
「はいっ!」
そして隠していたそれを――思いっきりクラリスに突き付けた。
間近に突きつけられた〝それ〟に、クラリスは思わず少しのけぞり、きょとんとしてしまう。懐かしい春の匂い。故郷の匂い……。
「……花束?」
それの答えをクラリスがつぶやく。なんでそんなものをミナーヴァが渡してくるのかわからないまま、ミナーヴァが言葉を紡いだ。
「16歳のお誕生日おめでとう」
「え……?」
16本分の花に見つめられたまま、クラリスはぽかんとしてしまっていた。
「今風の月――6月の意――だよ。クラリスの誕生日でしょ? しばらく帰ってきてないし、故郷の花――ちょっとだけ摘んできたの」
多分、半分は嘘だなとクラリスは思った。
彼女が摘んできた花は、キルシュブリューテの中でも一等希少価値の高い花だ。一年中桜の花を咲かせている大樹の近くにしか咲かず、夜に淡い光を発する、まるで夜の星が地上に咲いたかのような花。
そしてクラリスが今いる街とキルシュブリューテはかなり遠い。枯らさないように持ってくるのは相当大変だったに違いない。
そういう友達がいてくれることが、ほんの少し嬉しい。
「うん。……ありがと」
胸に友達の贈り物を抱えて、クラリスはポツリとつぶやいた。
花束から染み込んでくる、温かい気持ちを感じながら。
ミナーヴァが、クラリスの部屋を見渡しながら聞いてきた。
「中入っていいかな?」
「もちろん」
ミナーヴァは歩を進める。
それからは「大婆様元気なの?」とか「ほかの人もみんな元気だよ。でもミトおばさんが腰痛めてたかな最近」といった他愛ない故郷の話に花を咲かせ始めていた。
ふたりの時間の共有を、扉という名の蓋でそっと閉じ込める……。
扉が開く。
クラリスは、百回以上も繰り返してきた友達の来訪を出迎えていた。
「久しぶり。クラリス」
今や聞きなれたハスキーボイス。
誕生日を祝ってくれたあの日からほぼ半年。
あの日と比べて、ミナーヴァは都会の洗礼を受けてだいぶ垢抜けた格好になっていた。
「ミナーヴァ、帰ってきたの?」
彼女はここ最近は遠い国――フィノ・クォートと呼ばれる街の遺跡をを旅していたはずだ。
そして気づく。いつの間にか〝来たの?〟ではなく〝帰ったの〟と聞くのが当たり前になっている自分に。故郷を離れて一人暮らしを始めて、今や居場所が故郷ではなくこの街へと移り変わっている。
「今から遊びに行かない?」
勝手知ったる我が庭と言わんばかりにミナーヴァが告げる。彼女もすっかりこの街の住人だ。
今は氷の月――12月の意――だがさほど寒くはない。この街は一年中温暖な気候に包まれている。
「いいよ。ちょっとだけ待ってて」
支度をしようとして、クラリスは気づく。
ミナーヴァの胸元――右の乳房に刻まれた紋様に。
少なくとも、遺跡を旅する前にはそんなものなかった。
「ミナーヴァ」
「そのタトゥー、何?」
ああ、これ? と、ミナーヴァは困ったと言いたげに苦笑する。
そして、告白した。
「魔法使いになったの」