もう少しだけ
ずっと手を繋いでいて。安心できるまでずっと、手を繋いで傍にいて。
あたしが欲しいのはそれだけ。
ゆっくり、指を握った。きつく握ったり、優しく握ったり、遊んでいるのに当の本人は夢の中に行っちゃって、全く気付かない。
思わず顔が緩む。ソファーに寝っ転がる姿は相変わらず子供っぽい。悪戯好きのあたしが、何をしたって起きない。そういう可愛い彼を見せるのは、あたしだけじゃないのについつい喜んでしまう。
手を握っても、握り返さないのに繰り返し、繰り返し手を重ねる。
「明美さんが来たら、どうするんだよ」
彼には、最愛の人がいる。それが彼の従姉妹の明美さんだ。あたしも何度か会ってるし、二人が相思相愛でしあわせそうに並んでる姿を何度も目にしている。そして、誰もそこに入れない。あたしはそれを知ってるのに、どうしても彼の側を離れられずにいる。彼しかいらない、彼しか愛せない。
その思いは時々、憎しみに変わることがある。このまま眠ってる彼を閉じ込めて、ずっと寝顔を眺めていたい。そんな事考えてしまうのは、彼が優しすぎるから。あたしの傍になんて、いたくないくせに突き放すことができないんだ。優しいけど、それが辛いよ。
だから憎い。時々、あたしは彼の喉元に手をかける。太くて、厚みのある首はあたしの両手でようやく収めることができる。ゆっくり力を入れる。どのくらいまで力を入れると、死んでしまうのかな? ぼんやり考えていると、彼の目がうっすらと開いた。
驚かなかった。手もどけなかったし、力も緩めなかった。思っていたより、あたしは力を込めていない。本当は、憎くても殺したいとは思ってないから。それを彼も分かっている。
「知香」
小さくて、吐息に混ざるような苦しげな声で名前を呼ばれた。そこでようやく、あたしは彼の目の前でひどい顔をしているのに気付いた。涙が、視界を遮るように滲んで霞んでいく。彼の顔がよく見えない。
彼の手がゆっくりとあたしの手に触れた。
「触らないで。そんな風に、触らないでよ」
彼の首から手を離して、ソファーからはなれた。上着を着て、鞄を持つ。何しにきたのか分かんない。いや、分かってる。顔が見たかった。声が聞きたかった。名前を呼んで優しく触れてほしかった。それから、キスもしてほしい。でも、欲なんて持っちゃいけない。
あたしが欲張れる立場じゃない。迷惑な存在なんだ。最愛の人がいるのに、彼の傍にいたくて無理矢理、隣に座るなんて。浮気なんてするタイプじゃない。そんな器用な人間じゃない。だけど、優しいからあたしを傷くけることができない。哀れだよ。
「・・・来てたなら、起こせばいいのに」
あたしは彼に背を向けたまま、言った。
「疲れてたみたいだし、起こすの悪いと思ってさ」
玄関まで、早足で歩く。といって近い距離なので、数歩ですぐに玄関だ。
「せっかくだし、夕飯食べてく?」
靴を履いているのに、わざわざ気を使う。そういうのも、優しさだね。
「いいよ。あたし手ぶらだから、せっかくの食材使うのもったいないでしょ。貧乏学生」
彼が後ろで少し笑った。その笑顔見たかったかも。そう思って、振り向いても多分見れない。あたしは靴を履き終えると、息を吐いて彼に向きなおった。
彼はあたしを見下ろしていた。玄関の段差で自然とそうなってしまうだけなんだけど。
「じゃぁ、またね」
彼は、おう。という軽い返事をしてあたしを見送った。マンションの分厚くて重い玄関を開けて、それから閉めた。閉まってく扉の隙間から、彼の顔を見た。ちょっとだけ笑顔になってる。これも、優しさか。
閉まって。何も見えなくなってから、あたしは手で顔を覆った。
涙が瞳の中で、止まったまま動かない。好きなのに、愛してるのに、彼の心はあたしのものじゃない。声をかけられるだけで、手が震える。話をするだけで、膝が崩れそうになる。触れられたら、心臓が止まってしまいそうになる。
何もかもが、うれしい。だから、傍にいられるだけで幸せなんだ。でも、こんなこといつまでも続かない。いつか別れはやってくる。きっとそう遠くない未来に。
だって彼は結婚できる歳になってるし、明美さんの手には独占の証である指輪がついてる。あたしの指には、何もない。哀れだ。自分が哀れで、みっともない。
そろそろ、彼の部屋の前から立ち去ろうと動き始めた時、キィという小さな音でドアが開いた。そうね、いつも通りだね。あたしのこと気づかって、気にして、玄関の前で待ってたんだよね。
「寒いんじゃない?」
「寒いよ」
「・・・昨日に誰かさんが持ってきたシチュー粉があるんだけど」
あたしが黙っていると、彼はゆっくりあたしに近付いてきた。そんなに距離はない。手を伸ばせばすぐに腕を捕まえられるぐらいの位置に立ってる。
「それから、今朝に隣の野尻から野菜おすそ分けしてもらったんだよね。実家から一年分は保たせるようにってさ」
くすっと、笑った。それからあたしの手を握った。思わず肩が震えて、涙が流れるかと思った。
「だから、お金の心配とかいらないんだ。それでも夕飯一緒に食べるのヤダ?」
「ヤじゃない」
「じゃぁ、作ってよ。俺のへぼ料理何回も食べてるだろ?」
そんな風に、誘わないで。誘惑に負けるのは、本気で好きだからなんだよ。その本気を、優しさで包もうとしないでよ。
繋いだ手に力を込めた。
それから、頷いて。震える体を動かして痩けるように、前のめりに彼の体に抱きついた。
それでも体は震える。崩れてしまいそうだ。でも抱きとめてくれる彼の腕の中では、そんなこと考えられない。
好きです。こうして抱きしめられると、もう死んでもいいと思えるぐらい。こうして過ごす二人の時間は、二人だけのものだよね。こうして会ってる時間は、あたしだけの彼なんだよね。もう少し、もう少しだけあたしに時間を下さい。
ちゃんと、別れを理解できるまで。
それまでこの手を離さないで。
短編は苦手です。短いストーリーの中に伝えたいことを詰め込むのは本当に苦手で、いつも短編にして出したい話は長くなることが多いです。今回も、うまくかけているかどうか、自分ではよく頑張った方だと思います。また、意見などありましたらなんでも書いてください。参考にさせていただきます。
ここまで読んで下さってありがとうございました。また短編を書けたらいいなぁと思います。