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そんな理由で求婚されましても。〜憑いてる令嬢と憑かれすぎの騎士〜

作者: 22
掲載日:2025/12/13

貧乏伯爵令嬢アリアの屋敷に、ある日突然〝座敷童〟が現れた!?

前世の記憶を取り戻したアリアは、他にも日本の怪異が異世界に現れていることに気づき、憑かれすぎな近衛騎士団のレオと怪異調査をすることになるが――?


プロポーズ理由は、「守ってほしいから」!?

座敷童つき伯爵令嬢と、憑かれすぎの騎士による異世界×怪異×ラブコメディです。


 アリア・ラングフォードには、最近悩みごとがある。

通っている女学院が冬季休暇に入り、屋敷にいることが多くなってよりハッキリした。


家の中に──変なものがいる。


我が家は貧乏な伯爵家だ。

屋敷は広いが使用人が少ないので、使っていない部屋が多い。

だから最初は気のせいだと思った。光の加減、影の揺らぎ、風でカーテンが揺れただけ。そう思っていた。


でも、違った。


夜に起きると、廊下を走る足音がする。

ものがひとりでに移動する。食べ物がなくなっている。

小さなことの積み重ねだが、家の中に「何かがいる」という気配がだんだん濃くなっていく。


「小動物でも入り込んでるのかしら?」


病気がちでベットの住人である母は、そんなふうにオットリ構えていたが。

ある日、屋敷の階段を登っていた時。目の端の景色がグニャリと歪んだような気がしてふと目をあげると、はっきりと“誰か”がいた。


「それ」は、2階へと上がる階段の踊り場にひっそり座り込んでいた。

赤くて艶やかだが、見たことのない装束をまとった子供。真っ黒で艶のある髪は、バッサリと肩口で切り揃えられている。


(……どこの子かしら?)


この屋敷に住んている家族は父と母と私だけで、3人ほど使用人もいるが全員老人で通い。つまり、この屋敷に子供がいるはずがないのだ。

私がじっと見つめると、子供はゆっくり顔を上げた。

その目と、視線が──合う。

「……!」

なぜか心臓が跳ね、とっさに逃げようと足が勝手に動きーー私は階段の段差を踏み外した。


ガンッ!


「……っ!」

視界が一気に反転し、背中と頭に鈍い衝撃が走る。世界がぐらりと揺れ、ぐわんぐわんとした耳鳴りが遠ざかっていく。

(落ちた……?)

誰かが駆け寄ってくる気配がしたけれど、それが最後。私はそのまま意識を失った。

次に目を開けた時──私は、自分がかつて“何者だったか”を思い出していた。

(私……アリアじゃなくて、日本ってとこにいて……。え、ちょっと待って。これ…前世の記憶が……全部、戻ってきた?)

かっての自分の名前、家族、職場、友人。そして、子供の頃から大好きだったものの記憶が鮮明に蘇る。

この世に伯爵家の次女・アリア・ラングフォードとして生を受けて16年。まさかここで前世の記憶を思い出すなんて思わなかった。


そして、私の枕元にさっきから見えてる──紅い着物の子供。

(いる……いる! はっきり見えてる!)

紅の着物を着て、こちらの様子を伺っている心配そうな顔に黒髪がサラリとかかった。


「座敷童じゃない!?」


突然叫んだ私に子供はビックリした顔をしたあと、不思議そうに首を傾げる。

「…わたしのこと、しってるの?」

(喋った……!)

私は布団を握って固まった。子供は、日本人形のように整った顔を不満げに歪めている。

「ここにきて、みんなわたしのこと見えないし、しらないみたいだった」

遊んでくれなくて、つまんない。ちょっとむくれたご様子だ。

それもそう、座敷童は遊び好きな妖怪なのだ。


「いやいやいや、それよりなんでこっちに妖怪が!?」


驚きのあまり、寝ていたベッドからガバッと起き上がるが

「あイタタタ!」

落ちた時に打ったのだろう、頭の痛さに思わず声が漏れ、子供が私の顔を覗き込む。

「……おねえ、だいじょうぶ?」

「だ、大丈夫……たぶん。あなた、座敷童……だよね?」

子供は嬉しそうに目を細めた。

「うん。……最近、このおうちにきた」


(えぇ……? 座敷童も異世界転生ってするの?)


頭の上にはハテナマークがいくつも浮かぶが、ひとまず。

「さっきは助けようとしてくれて、ありがとね」

落ちる直前、この子が私に手を伸ばしていたのを見てたのだ。


「うちがいるから、おおきな怪我はしない。けど、痛いの可哀想だから」

日本人形のように整った顔をした子供は、誇らしげに胸を張った。


「うちが、守る。……おねえ、すきだから」


(か、可愛い……!!)

驚きより先に愛しさに胸がぎゅっとなってしまったが、聞き逃せない要素があった。


「大きな怪我をしないって、それって…。

最近うちの家にいいことが立て続いてたのは、もしかして…?」


父が職場で昇進し、飼ってる鶏が産む卵の黄身が2個になり

母の病気も快癒の兆しがあると医師から伝えられ、お祝いをしたところだった。

さらには嫁してしばらく子ができなかった姉にも、懐妊の兆しがみられると内密に連絡がきて、我が家はお祭り状態だったのだ。


「うちがきたから。この家は、幸せになる」

満面の笑みで、鼻の穴がぷくっと膨らむ様が可愛い。

でも、今の発言でまた疑問が追加されてしまった。


──転生者だった自分が記憶を取り戻したこと。

それはいい。まだ混乱してるけど、いずれ整理されそうな感覚がする。


──なぜかうちの屋敷に、座敷童がいること。

この世界で生きてきた16年。これまで「妖怪」らしき現象なんて見聞きしたことがなかった。さっき取り戻したばかっりの前世の記憶を紐解けば、わたしは子供の頃から怪談の類が大好きで、大学では社会学を専攻し、民俗学の研究で妖怪や都市伝説を大量に収集していた。なので伝承や怪異に詳しい自負があるが、これまでのアリアとしての記憶をさらっても、この世界に「妖怪」らしきものの噂は一切なかったと思う。

なのに突然我が家に、である。さらには。


──座敷童の能力がこの世界でも有効である様子であること。

座敷童の特徴は「家に幸運をもたらす」という能力だ。

それがどうやら、この世界でも有効らしい。

確かに、すでに階段から落ちた時にできた頭の痛みは消えている。私は深く息を吸い込んだ。


「……よし。落ち着こう。私はアリア・ラングフォード、十六歳。

まずは座敷童ちゃん、あなたのお名前を教えてくれる?」


「…ユキ。ずっと前にいた家の人が、つけてくれたの」


きっと、この子の透き通るような白い肌を愛してつけたのだろう。

しっくりくる名前に、名付けた人と心の中で固い握手を交わしていると、ユキが袖を引っ張った。

「おねえ、……きをつけて。わるいのも、きた」

「悪いの……?」

ユキは怯えたように窓の外、その遠くを見た。

その時はまだ──私がとんでもない出会いをするなんて思いもしなかった。


◇◇


ユキが現れてから、1ヶ月が経った。

最初こそ驚きの連続だったが、今ではすっかり一緒にいるのが当たり前になっている。


まず私に認識されたことで、ユキは実体を得て家の誰にでも見える存在になった。

そこで困ったのは、家族と使用人への説明である。

嫁に出ている姉はいいとして、ユキの「家に幸運が訪れる」デバフで昇進した父に寝込みがちな母、そして伯爵家にしては驚くほど少ないが、使用人である料理長とメイド長に執事(合計3名)に、いきなり現れた子供をどう説明しようかと思ったが「とおい親戚からあずかったこども」とユキ自ら説明すると、全員がすぐに納得してしまった。

あんぐり口を開く私に、ユキは


「この家の中なら、多少は…できる」


とニヤリと悪そうに笑った。そこからユキとは色んな話をした。

我が家にくる直前に、日本からこの世界にきたこと。その前までは、東北の里山の家に憑いていたこと。

そこの家が売られることになり、居場所がなくなったところで

気がついたら、こちらの世界にいたそうだ。


(どうも、昭和の終わりかけくらいの時代からきてるっぽいのよね…)


最後に憑いていた家の主人について聞くと、そんな様子があった。

私が死んだのは、令和をとっくに超えてから。


(日本の時間の流れ通りに飛ばされるわけではないのねぇ)


そんなことを考えなら、屋敷の廊下を歩く私の後ろを、すっかり我が伯爵家に馴染んだ座敷童であるユキがついてくる。家の修繕が必要な場所がないか、2人で歩きながらチェックをしているのだ。


「おねえ、きょうのおやつ、なに?」

「今日は小豆の甘煮。作り置きを温めたら食べられると思うわ」

「やった!」


ユキは飛び跳ねて喜ぶ。この世界には小豆がある。あまり好む人はおらず少量しか流通はないが、我が家では昔からこの豆を異様に好んでいた私のために、料理長が畑で栽培してくれていたのだ。

前世の記憶が蘇ったいまならわかる。

米がないこの世界、私の中に埋め込まれていた日本人の記憶が小豆に異常な執着をさせたのだと。


(しかし、座敷童の好物が小豆ってほんとだったんだ)


厨房を訪ね、料理長におやつをもらい嬉しそうにアンコもどきを頬張るユキを眺めて感心してしまった。

こちらの甘味なんかも嬉しそうに食べるけど、1番は小豆のようだ。

しかも最近、座敷童効果なのかこのあたりの小豆の相場が変わって、家で消費しない余剰分が高値で売れるらしい。貧乏な伯爵家として有名な我が家には、ありがたい話である。


「最近、いいことが増えたわ」


私はユキの髪を撫でながら言うと、ユキは誇らしげに胸を張る。


「うちがいるから! おねえのまわり、わるいの、こないようにしてるの!」

(頼もしい存在だわ)

そう思っていると屋敷の執事が、厨房へ息を弾ませながら入ってきた。


「アリアお嬢様。急で恐縮ですが──旦那様から連絡がございまして

ラングフォード家を代表して、今夜のパーティへご出席をとのことです」

「えっ、今夜!?」


今夜のパーティは、とある公爵家が主催で、伯爵家以上の家の顔合わせを兼ねた冬の季節の恒例行事だ。本来は父と母が行く予定のはずだった。


「旦那様が急なお仕事で向かえず、奥様はあいにく今日は体調が思わしくなくて……。旦那様から、お嬢様だけでも出席をと」

「まじか!」


思わず、伯爵令嬢らしくない一言が出てしまい慌てて口を閉じる。

長らく閑職に就いていた父が出世したことで、こういった抜けられない仕事があるようになった。なので母は病を押して社交を頑張っていたが、その疲れも出たのだろう。


パーティは苦手だ。華やかな場も人の思惑が入り乱れる会話も、私を疲れさせる。

その辟易した感情が顔に出たのか、ユキが不安そうする。


「おねえ、ぱーてぃ、いや? わたしがいるのに、いやなことあった?」

泣きそうな顔をするユキに、私は慌てて笑顔を向ける。

「とんでもない!パーティって、ご馳走がたくさんでるのよ?嬉しいわ!!」

いかんせん無理やり作った笑顔なので、引き攣ってない自信はない。

「ユキ、心配してくれてありがとう。お土産を買って帰ってくるわ」

「うちもついていけたらいいのに」


座敷童は、家に憑く妖怪だ。一度住まいを決めたら、その家を見捨てるまでは

家から出られない決まりがある。

この1ヶ月で何度か試したが、やはりユキも家の敷地から出ることはできなかった。この世界でも座敷童は言い伝え通り、敷地から一歩も出ることができないらしい。


「ありがとう。でも、ユキが来ると、他の人がビックリしちゃうでしょ? 」


ユキは不満げに唇を尖らせながらも、袂から出した巾着を私に持たせ渋々送り出してくれた。

 パーティ会場は、夜のランプを油を惜しんで減らしている我が家に慣れた目には

煌びやかが過ぎていた。


(ユキが憑く家にうちを選んだのも、暗くてかくれる場所がたくさんあったからって言ってたもんね…)


伯爵家の凋落ぶりにとほほと思いながら、人波を泳ぐ。

シャンデリアの光が反射して、ドレスや宝飾がきらきらと輝いている。華やかな香り、人々の笑顔──けれど、私はどこかで感じていた。


(……空気が少し、重い?)


そう、私はユキと出会って以来、そういった気配に少し敏感になった。

暗い顔をした人の肩に、暗い裏道に、タールのような黒いものがへばりついているのも見えるようになったのだ。

ユキに尋ねると、「悪いモノのかたまり。おねえにはよってこれないから、だいじょうぶ」とのことだった。

悪意や悲しみ、死んだ人の無念なんかが、そういった型で固まることがあるそうだ。


父母の代わりに主催者に挨拶をすませ、急遽エスコートをしてくれた姉の旦那様と別れ、ようやく役目が済んだと息をついた時だった。

(ちなみに姉は妊娠が発覚したので、婚家で安静の身だ。)

ふと、会場の奥から繋がる廊下に目が吸い寄せられる。

廊下の先の闇に──黒々としたロングの髪が、ゆらりと揺れた気がした。

よく目を凝らすと、暗闇の中にコートから伸びた細くてスラリとした足首が、白く不気味に浮かび上がっている。それは初めてユキを見た時の違和感と、とても似ていた。

逃げ水のような景色の歪み。

(……もしかして)

ユキが言っていた、“悪いの”。

(あれって…)


私は会場を1人離れ、ある予感と共に暗い廊下へと踏み出した。



 廊下に備え付けれらたランプの炎は細く弱く、暗闇を照らすどころか闇をより深くしているようだった。

私はユキにもらった巾着をとり出し握ると、赤い絨毯を踏み締めて慎重に廊下の角を曲がる。


すると、そこにはやはり、いた。


黒いワンレン、ロングのトレンチコート、そしてマスク。


「ワタシ、キレイ…?」


私の頬は、きっと興奮で薔薇色に染まっていることだろう。

前世で通った大学で、さんざん扱った都市伝説の代表格、口裂け女が目の前にいるのだ。興奮するなという方が無理な相談だ。

伝説のシーンを前に身を乗り出すと、今にも口のマスクを完全に取ろうとしていた口裂け女の前に、長身の騎士がいるのに気付く。

その騎士は足にも肩にも、ベッタリとタールのような例の黒いものをへばりつけてなお、勇敢にも剣を手にし、女に向かって構えている。

その姿をみて私は、衝撃に打ち震えた。


「え!よくその人にその質問したね!?」


思わず漏れた声に、騎士の目がパッとこちらを捉える。

一目でわかる、選ばれた者の持つ研ぎ澄まされた美貌。

銀糸のような髪が薄灯りを受けて淡く輝き、切れ長の灰青色の瞳は、冬の空のように澄んでいる。

整った顔は彫像めいて無駄がなくて、立っているだけでも優雅な気配をまとっていた。

だから私は更に言わざるを得なかった。


「その人の顔、みた!?

黒いベタベタ憑いてるけど、この世の者と思えぬ美しさだよ!?

もっと相手、選ぼうよ!!」


おそらくその騎士は、近衛騎士団副団長レオネル・ヴァレンティア様だ。

あまりの美しさに、訓練場に婦女子が集まりすぎるので立ち入りが厳しく制限されたと、王城に勤める父から聞いたことがある。

私の通う女学校でも常に話題になっていた有名騎士で、誰にも優しく微笑みを絶やさぬことから完璧王子のあだ名で呼ばれていた。王室にはいま王子がいないので見逃されているけど、不敬ギリギリのあだ名だなぁと思っていたが、ただ単にしっくりきすぎてるので見逃されてるだけかもしれない。目があったら即恋だから気をつけろと友人に言われ笑っていたが、笑い事じゃなかったのが、今わかった。

その言葉に偽りなしの、目が潰れるくらいの美形だ。


「ワタシハ、キレイデハナイ…!?」


私を見る口裂け女の濁った白目が、みるみる血走っていく。

騎士のあまりの美しさに本音がダダ漏れてしまったが、口裂け女に美醜の話は絶対N G。


(やば!)


禁句中の禁句を口にした自覚に、私はそーっとヒールを脱いで、いつでも逃げられるようにスタンバイし、手にユキが「お守りに」と渡してくれた巾着の中にはいっていた小豆を握りしめる。


「どうか……効きますように!!」


女に向かって勢いよく小豆を投げつける。

ぱらぱらぱらっ。

頼りない音と共に投げつけられた豆に女がビクリと震え、黒髪をうねらせながら後退した。


「ギィ……!」

(お!効いた!)


まるでむずがる子供のように、女は壁の隙間へ溶けて消える。

残されたのは転がった赤い豆と、呆然と立つ騎士。

男は、信じられないものを見るように私を見つめた。

灰青色の瞳が、揺れている。


「……貴女が。今のを?」


騎士はじっと私を見つめた。


「え、ええ?……ナンのことか分かりませんね~! では、ごきげんよう~!」


耐えきれず、私は逃げるように走り出した。


(……どうか、身バレませんように!)


胸の奥で、妙なざわめきが渦巻いていた。


◇◇


その夜は、パーティが終わって家に帰ってきても、心臓のドキドキがおさまらなかった。


「口裂け女、本当にいたし……。ていうか、やっぱよりによってあの人の前に現れる?」


ベッドの上で大の字になりながら、さっきの光景を思い返す。

黒いワンレン、トレンチコート、マスク。「ワタシ、キレイ…?」なんて、テンプレみたいなセリフまで完備した口裂け女。

その正面に立っていたのは、近衛騎士団副団長レオネル・ヴァレンティア。


「あの顔面に「ワタシ、キレイ?」って聞けるメンタル、逆に尊敬するよ……」


思い出しただけで、枕に顔を埋めたくなる。

「おねえ、かえってきてから、ずっとゴロゴロしてる」

いつの間にか、ユキがベッドの上に正座していた。小さな手で私の頬をぷにっとつついてくる。


「だって、色々あったのよ。口裂け女出るし、近衛騎士団の副団長様はいるし、

うっかり本音言っちゃうし」


「“めっちゃかおいい”っていってるやつ?」


「やだ、私、そんな言い方でつぶやいてた?」


あんまり幼な子に、変な言い回しを覚えさせるのはよくない。気をつけねば。

……でも、否定はできない。

レオネル様の顔面偏差値は、もはや犯罪級だった。あの場で取り乱したのは、仕方ない。うん、たぶん。

ユキは少しむくれたように、私の枕元で体育座りをした。


「うち、そのひと、すきくない。ぱーてぃに“わるいの”きたの、そのひとのせい」

「そうなんだ?」


そうなのだ。あの廊下、ただ暗いだけじゃなかった。空気が重くて、影が濃くて。

その1番濃い闇の気配の中に、レオネル様はいたように見えたのだ。


(あの人、きっと憑かれやすいんだろうな)


「……放っておくのも、気がひけるのよねぇ」


今回彼を襲っていたのは、口裂け女。

なんとなく、同郷の者がよそ様に迷惑をかけているような居心地の悪さがある。

例えるなら海外旅行先で、傍若無人に振る舞う日本人を見たような気持ちだ。

ぽつりと呟くと、ユキがぱちぱち瞬きをした。


「おねえ、たすけたいの? その“めっちゃかおいい”ひと」

「……豆を投げるくらいしか、できないけど」

「でも、“わるいの”にげた。おねえ、えらい」


そう言って、ユキは私の胸の上にゴロンと転がり、そのまま眠ってしまった。

現実の子供ではない、ふわふわとした重みが心地いい。その温かさを感じながら、私はぼんやり考え込んだ。


(あの人、また“悪いの”に狙われる気がするんだよね……)


嫌な予感だけが、じわじわと胸に染み込んでくる。

──そして嫌な予感は、残念ながらよく当たるのだ。

翌朝。

学園が休暇中の私は、遅めの昼食を終えユキと一緒に屋敷の小さな菜園で農作業をしていた。

貧乏伯爵家の数少ない収入源である、季節の野菜と小豆の世話だ。


「小豆、もっと植えたらいいのに」

「今でもだいぶ多いのよ。あまり増やすと、商人が

“なんでここの家だけこんなに豆が育つんだ”って不審がるから」

「でも、小豆はせいぎ」

「その意見にいは、賛成」


そんな他愛もない会話をしていると、屋敷の入口のほうで来客を告げるベルの音がした。

寂れた我が家に客人とは珍しい。なんだろうと思っていると、ほどなくして慌てた顔をした執事が庭に顔を出す。


「お嬢様。至急、応接室へお越しください」

「なにかあったの?」

「近衛騎士団副隊長、レオネル・ヴァレンティア様が……お見えです」

「っ」


スコップを落としそうになった。


(え、早くない!?)


昨夜、口裂け女に豆を投げつけたの確かに私だけど。あれから一晩しか経っていない。


「ユキ、どうしよう」

「“めっちゃかおいい”ひと?」

「だからその呼び方、やめなさい?でも、たぶん、そう」


私が顔を青くしていると、ユキは応接室の方をみてむぅっと頬を膨らませた。


「いかないほうがいい。やっぱりそのひと、“わるいの”よせてた」

(うわ、やっぱそうなんだ……)


だけど、近衛騎士団の副隊長様の来訪を無視するほど、うちの家も私も偉くない。

「大丈夫よ。ちょっと話すだけだから。変なことになったら、すぐ呼ぶわ」

「ほんとう?」

「本当」

そう約束すると、ユキはしぶしぶ頷き、私の袖をぎゅっと握った。

「じゃあ、ここにうちの気配、のこす」

「え?」

そう言って、ユキは私の袖口に小さな指でそっと触れた。ほんのり、あたたかなものが染み込むような感覚がする。

「おねえに、わるいの、さわりにくくなる。……たぶん」

「“たぶん”は不安なんだけど」

それでも、無いよりはずっといい。

私は深呼吸をして、屋敷の中へ戻った。

応接室の扉の前までくると、中から執事が顔を覗かせた。

「お待ちでございます」

扉を開けると、そこに──昨日、廊下で女と対峙していた騎士が座っていた。

陽の光の下で見ると、その美しさは夜の会場よりもむしろはっきりしている。形よく整った鼻梁、切れ長の灰青の瞳、整いすぎていて少し冷たく見える口元は

微笑みを浮かべることで親しみやすさが増していた。

明るい場所でみるとなお、美しさに目が潰れそうだ。


(やっぱ勝負を挑んだ口裂け女、ツッコミいれられてしかるべしでしょ……)


心の中でだけつぶやく。絶対に口には出さない。昨晩、学習はした。

レオネル・ヴァレンティア様は立ち上がり、礼儀正しく一礼した。


「昨日はどうも。ラングフォード伯爵令嬢」


逃がさないという気持ちが漏れた笑顔に、私はシラを切り通すプランを諦め挨拶を返す。


「アリア・ラングフォードです。どうぞアリアとおよびください。こちらこそ、昨日はご挨拶もせず失礼いたしました。その…豆とか」


「豆は……助かりました」

レオネル様の微笑みが、少し引き攣ったような気がするのは気のせいか。


「私はレオネル・ヴァレンティア。近衛騎士団第三部隊の副隊長を務めています」

「存じ上げております」

その名乗りに、父のぼやきを思い出す。

『とんでもない美形がいてなあ。第3騎士団の訓練日は、見学希望の女性の対応で入口が混乱して職場になかなか辿り着けないんだ』と疲れたように言っていた。それで結局、見学禁止になったらしい。大袈裟な……と思って聞いていたが、騎士団の副隊長に任命されるほどの剣の腕前に、長男でないにしても公爵家の次男という家柄、誰にも優しく浮わついた噂の一つもないとなれば、貴族の未婚女性の間で争奪戦が苛烈になるのは必至だ。相当数の婦女子が、殺到したのだろう。


(あんまりにも美しいと、周りも本人も大変なのねぇ…)


そんなことを思いつつ、私はレオネル様と向かい合うように席へ座る。


「ヴァレンティア公爵家の方にご足労頂いたにも関わらず、

あいにく父は王城での仕事で不在、母は床に伏せておりまして

私しかご対応が叶わないことをお詫び申し上げます」


「いや、こちらここそ突然の訪問で申し訳ない。

昨晩、廊下に残っていた靴を作った店にいったら、持ち主はたぶん君だろうと。」


切り出し辛そうにしながらレオネル様がそっと差し出した箱の中には、

私が昨日、逃げる時に脱いだ靴がはいっていた。

帰りの馬車に飛び乗ってから、靴を忘れたのには気がついていた。


(だって、こんな高いヒール履いてダッシュできないし)


昨晩は早く走るという実利をとってしまったが、淑女としても証拠という意味でも悪手だったようだ。


「こちら、既製の品で申し訳ないが。昨日のお礼として受け取っていただきたい」


もう一箱、差し出された箱の中には真新しいヒールが入っていた。

私の履いていた靴の、たぶん四倍くらいの値段のやつ。

ありがたく受け取ると副騎士団長は、ようやく本題にはいった。


「どうしても……貴女に聞きたいことがあって」

「聞きたいこと」

「昨日の、“あれ”について」


レオネル様の目が、真剣な光を帯びる。


「……貴女には、“あれ”が見えていましたね?」


嘘をつくこともできる。

ただの勘違いだったと笑い飛ばしたりしてみてもいい。

でも。


(憑かれて困っている相手に嘘をつくのは、やっぱりなんか違う気がするなぁ)


私は、ゆっくり頷いた。


「見えていました。あなたの前にいた“女”も、あなたの周りについていた“黒いの”も」


今日はついてないが、昨日は肩に足にと黒いタールが彼にはへばりついていた。

これだけの高スペック男子だ。嫉妬や羨望、人から色んな悪いものも向けられて

それが憑いてしまうのだろう。

私の言葉を聞くとレオネル様は目を伏せ、長く深い息を吐いた。

それは安堵とも、諦めともつかない、複雑な吐息だった。


「……そう、ですか。貴女にも見えましたか──」


彼は一瞬、言葉を探すように黙り込む。

そのためらいには、長い年月の重みがあった。

私もこれまでの16年間見えていなかったから、ほとんどの人にはあの黒いタールは見えないんだと思う。

そう思うと、これまで彼が1人で背負って来た苦悩の切れ端くらいは察することができた。私は思わず尋ねる。


「副騎士団長様は、ずっとあんなのがみえてたんですか?」


「物心ついた頃から。自分は「影」と呼んでますが、暗闇から伸びてきて触られたり。耳元で色んなことを呟かれたり…。

影が体につくと調子を崩すので、小さい頃は病がちでした。近づいてくる“何か”の気配を感じて、眠れない夜も多かったので」


母にも心配かけてしまいました、と苦笑いする。


「小さい頃に家族に相談したこともあったんですが、そのうち他に見えてる人はいないのがわかってきて。それからは、誰にも言えませんでした。言えば、正気を疑われると。

……騎士を目指してからは余計に」


私は胸が痛くなった。


(この人、本当にずっと1人だったんだ)


「昨日も、影が俺にまとわりついてきました。

人が集まる場所では絶対に憑いてくるんで、あまり人混みには行かないようにしてるのですが、昨日のパーティは、どうしてもと言われてしかたくて」


「ああ、昨日の主催の家…年頃の娘さんがいらっしゃいますもんね」


おそらく、その娘との顔合わせをさせたかったのだろう。

レオネル様はそれに少し困った顔をする。


「女性と話すと、いつもよりベットリした影がつくことが多くて苦手で。

昨日もそれで人気のいない場所に向かったら、あの女が急に現れたんです。

剣を振るっても怯まず、斬っても形を保ったままで。……でも、貴女が豆を投げた途端、女が逃げた」


レオネル様の灰青の瞳が、まっすぐ私を捉える。

「一体、何をしたんですか?」


(いや、小豆投げただけなんだけど……。しっかし、刃物って口裂け女には通用しないんだ。

日本で、口裂け女に物理反撃で斬ろうとしたって話は聞かないから、興味深いわ)


困惑しつつも、私は正直に答えた。


「小豆を投げました。“そういうもの“に効く可能性があったので」

「小豆が……?」


私は背筋を伸ばし、しっかりと頷いた。

「はい。うちにいるエレメントに教えてもらったんです」


「……この家に?エレメントが?」

この世界には妖怪はいないが、エレメントという自然の力を操る存在がいるという概念がある。

荒天が続く、豊作になる、そんな人知の及ばない事柄を「エレメントの仕業」と言うのだ。


「うちのエレメントが言うには、それは異なる世界からきた“怪異”というもので、

昨日のあれは、“口裂け女”というらしいです。小豆は、“怪異”が嫌うものなんですって」


説明できない部分は、全部ユキに背負ってもらうことにした。

あとでたっぷりと、小豆のお菓子を献上せねばなるまい。

副騎士団長は、信じられない話を聞いているという顔をしていた。

長い沈黙のあと、ぽつりと呟く。


「……最近、今まで視たことがない影が王都に現れ始めたんです」

「はぁ」

「これまで自分が見てきたのは、体力を削いできたり、人の悪意を耳元で囁いたり

暗闇に引きずりこもうとする影だけだったんですが。

ここ最近は、ハッキリと獣や人の形を取る影がいる気がするんです」


レオネル様の眉間に、グッとシワが寄る。


「貴女は、エレメントから与えられた知識でそれらの正体や対処法を知っている、と」

「大雑把に言えば、そうなります」

レオネル様は、腕を組んで考え込んだ。


「……貴女の知識があれば、これ以上の被害を防げるかもしれない」


まっすぐに頭を下げられた。

「アリア嬢。どうか、俺に力を貸してくれませんか?」

「えっ、頭を上げてください!」


慌てて立ち上がる。近衛騎士団副隊長に頭を下げさせる伯爵令嬢なんて、絵面が怖すぎる。


「力を貸すも何も。私だって、この世界に悪いものが蔓延るのは困りますから

王国の民の一員としてできることは、なんでもいたしますわ!」


私は自分でも驚くほど、すんなり口にしていた。

半分は真実、もう半分は。


(この人にひっついていれば、もっと妖怪が見れるかもしれない!)


繰り返すが、私は前世で民俗学を研究していた、もっぱらの「怪異」好き。

文献で散々見聞きした怪異伝承が、座敷童と口裂け女以外にもいそうだと匂わせる彼の言葉に俄然、前のめりになってしまった。


(座敷童に口裂け女…ほんとうに見る機会がくるとは思わなかった。

他の妖怪も見れるモノなら…絶対に見たい!)


「一緒に調べましょう!この世界で“何が起きているのか”、どうすれば被害を減らせるのか。私にも情報をください。王城で起きていることとか、影の噂とか!」


欲望まみれの女の言葉に、レオネル様の笑顔が引き攣ったのを私はみた。

たぶん、ちょっと引いていると思う。


「……あ、ありがとう」


その笑みは、完璧王子の仮面の下に隠さた人間らしい温度が滲みでている気がした。

(ちょっと可愛い)

そのとき、私の袖を引っ張る感触があった。


「おねえ……」

振り返ると、いつの間にかユキがわたしの隣に、ちょこんと座っていた。私の部屋で待ってるはずだったのに。


「来ちゃったの!?」

すると、ぷくぷくのほっぺをさらにプクッと膨らませた。


「そのひと、“わるいの”いっぱい、よせてた。外で、そのひとまってる。教えにきてあげたのに、おこられた」

ぷんぷんと怒るユキにレオネル様は、驚いたように目を瞬かせる。

とつぜん部屋に現れたからには、ユキが人間でないことに気づいたのだろう。


「……この子が、エレメント?」


私はユキの肩に手を置き、紹介した。


「この子はユキといいます。座敷童というエレメントでこの家を守ってくれている、私の大切な家族です」

「おねえの、かぞく」

ユキが胸を張る。


真っ黒い影や、口裂け女のような禍々しさはないから大丈夫だろうとは思いつつ

昔から影に悩まされていたレオネル様が、ユキをどう思うかハラハラしながら観察する。

レオネル様はしばらく黙って、その小さな存在を見つめていた。やがて、とても静かな声で言う。


「……初めてなんだ」

「え?」

「影が、俺をまったく脅かさない空間にいるのは」


そういって部屋を見回すと、大きく息を吐いて伸びた背筋の力を抜いた。


「この家に入った瞬間から、おかしいと思っていたんだ。この家が……“静か”なのは、君のおかげか?」

「うん!」

「ありがとう。久しぶりに、息がつけた」


お礼を言われて、誇らしそうにユキは頷く。

わたしはレオネル様の言葉に、胸がツキンと痛んだ。


(影が耳元で囁いてくるって言ってたもんね。

この人にとって、“静かさ”すら贅沢なものなんだわ)


「改めましてようこそ、ラングフォード家へ。……エレメント付きの、貧乏伯爵家ですが」


冗談めかして言うと、レオネル様は少しだけ目を細めて笑った。

「金よりも、よほど価値があるよ」

正直、目が潰れるかと思った。良い顔の良い笑顔は、爆弾だ。

そろそろ王城の仕事に行かねばならないという副騎士団長を送るため玄関に向かったが、ユキが泣きそうな顔でレオネル様の袖を掴むので、彼が屋敷を出るまで少し時間がかかった。


「……ほんとにいくの?外にこわいの待ってるよ」


心配そうにユキは、チラチラと窓の外をみている。


「ああ。誇れることではないが、慣れているから問題ないよ」


安心させるように微笑むレオネル様をみて、ユキは渋々といったように手を離した。


「アリア嬢」


玄関に立ちながら、レオネル様が振り返る。


「昨夜のあれに似た女が、王都で複数回目撃されている。これから現場を調べる予定なんだが……俺にはわからない解決法があるのかもしれない。調査でなにかわかったら、協力してほ」


「行きます!」


即答だった。

レオ様の目が、わずかに見開かれる。


「……いまから一緒に、かい?」

「当然です! 王国民の勤めです!」

思わず前のめりで言ってしまった。


「……その熱量は理解しがたいが……助かる」

(あ、さらに引いてる……)


でも気にしない。

だって、影を引きつけやすい体質の彼が、口裂け女の出現現場に行くのだ。

再度、目の前に出て来てくれる確率が高い気しかしない。

怪異の出現を目の前にして、大人しくなんてしていられない。


(だって本物の怪異よ!? 異世界で!前世ではフィールドワークで類話を大量に集めて分類して…それも楽しかったけど、まじの!リアルな観察ができるのよ!?)


もちろん危険だと分かっている。でも見たい。この世界でなにが起きているのかも確かめたい。


「おねえ…」

ユキは私もついて行くこうとしているのに、衝撃をうけたようだ。

「王都で怪異が出るなんて、見に行かない理由がないわよ」

「ない……の?」

ユキが首を傾げる。

私は真剣に頷いた。


「ユキがこの世界にきて、口裂け女も現われた。

ここ数ヶ月で、2つも日本の怪異がこの世界に現れてる。

副騎士団長様が仰るには、他にもいるみたいだわ。」


その言葉に、ユキは頷く。


「…ねえ、ユキ。理由がわからず現れたものは、理由もなくいなくなるかもしれないの。わたしは、ユキが突然いなくなっちゃうのは悲しい。

だから怪異がでたなら見に行って、その仕組みをはっきりさせたいの」


ユキはその説明に、ニッコリ笑って納得してくれた。

これも半分、本当。

残りの半分。怪異に興奮してしまうのは、死んでも治らなかった私の性分だ。



「おねえ! ぜったい暗くなるまえにかえる! やくそく!!」


ユキの大きな声に、私は明るい声で返事する。

「もちろん!」

「へんなのに、あんまりちかづいちゃだめ!」

「それは、近づきます!」

「ばか~!」


家から出られないユキは、玄関から身を乗り出して叫んでいる。

その声に見送られながら、わたしとレオネル様は中心街へ向けて馬車を走らせた。


(ごめんユキ……これはいわば、癖なの……)


レオネル様はそのやりとりを見て、苦笑を浮かべていた。


「……貴女は本当に変わっているね」

「副騎士団長様こそ。嫌いなのに、影がでた場所に自ら行くんですから」

「仕事だからね」

「私は趣味です」

「……趣味」

そのちょっと呆れた声に

「ずっと嫌がっていたものを、興味本位で騒ぎ立てるなんてご不快ですよね」

ごめんなさい、と謝っておく。


「気にしないで。解決してくれようとする人間を厭ういわれはないよ。

それに貴女にはユキの加護があるのか、一緒にいると外でも影が近づきずらいようだ」


外に出たのにまだ影が近づいてこない、とレオネル様様はご機嫌そうだ。

先ほど屋敷の外でレオネル様を待っていた影も、近づいたものから弾けて消えたように見えた。


(たぶん、庭でユキが私につけてくれたおまじないの効果だ)


我が家の座敷童は、思った以上に有能妖怪のようである。



ほどなくして到着したのは、王都のはずれにある路地裏。

陽が当たらない古い壁、湿った石畳。ねばつくような気配が漂っている。


「ここが……?」

「ええ。最初に“口を切られた”という兵士がいた場所だね」


私は息を呑んだ。それを聞いたレオネル様は、顔を曇らせる。

「怖かったら、やはり馬車で休んで…」


「なんて…口裂け女が出るのにピッタリなの!」


暗くて細い路地。いっさい日が差さないのもポイントが高い。

感動する私を、奇妙な生き物を見るような目でしばらく見たあと

気を取り直したようにレオネル様は説明を再開する。


「ここは、前から影をよく見掛ける場所だったんだ。

そのせいか犯罪も多かったので、兵士の巡回に入れていたんだが」


路地を進みながら、レオネル様は兵士が襲われた日のことを教えてくれる。


「その日、街の巡回をしていた兵士によると、

路地に入ったところで、話しかけられたような気がして振り返ると

娼婦のような格好の女が路地を塞ぐように立っていたと」


(た、たしかに日本のスカート丈だとこっちの世界では足出し過ぎなんだよね…)


私は無自覚な部分で誤解をうけてる口裂け女に、少し同情する。


「女が顔を覆った布を取ると、口が耳の横まで裂けており

驚きの声をあげたところ、女に斧で切り付けられて口元に怪我を負ったそうだ」


「他に3名ほど、同様の女に襲われたとの報告があり警戒していたところ、

昨晩、自分の前にも現れたというわけだね」

「今日も、出てくれるといいんですが」

私がそういうと、レオネル様は本当に理解できないという顔をした。


「騎士としてはそう思うけど、貴女は…怖くない?」


ーーー『怪異は、研究室に出てくれない』。

これは、私が尊敬する教授の言葉だ。

だから、怪異の研究はフィールドワークに頼るしかないのだと。だから。


「だって怪異が“向こうから来てくれる”なんて滅多にないんですよ?」


レオネル様の目が一瞬、本気で呆れたように見開かれる。


「……正直、理解を超えている」

「それに、たぶんそんなに危険はないと思ったから来たんですよ」


私の言葉に、レオネル様は不思議そうな顔をする。


「いいですか、副騎士団長様。“怪異”は、絶対のルールに縛られているんです。副騎士団長様がずっと見えてて迷惑していた影は、また別だと思うんですけど。

最近出てるっていう女が“怪異”なら、姿形は怖いけど、存在そのものが“決まりごと”でできています。そのルールさえ見抜ければ、倒せなくても――対処ができるんですよ」


「例えば、私のいたせか……いえ、ユキに聞いたんですが

“花子さん”という怪異は、“学園の女性用のトイレの三番目の個室からしか出てこない”というルールがあります。そこで名前を呼ばれない限り出現できないし、場所が違えば名前を呼んでも絶対に現れません。怪異は、場所と状況に縛られるんです」


「じょ…。な、なんでそんな面妖な条件が…?」


意味がわからない、とレオネル様はつぶやく。それはそう。

日本人にも訳がわからなかったから、異世界の人には更に謎だろう。


「諸説あるんで、ハッキリとは言えませんが。そういった細かいディテールの順守が、その怪異を怪異たらしめてるからだと思います。

他の凡百の「怖い話」と差別化して、固有の怪異として伝わり、

拡まる原動力となっているから、破れない制約なんだろうと私は思ってますが」


学校に子供の霊が出る、というなんの特徴もない話と花子さんの差は

「固有の名前」と「女子トイレ」という出現場所、そしておかっぱ頭というビジュアルだ。

それがなければ、ただの「学校に出る子供の幽霊」に成り下がり、ここまで拡まることはなかったはずだ。逆に言えば、花子さんは女子トイレにしか出れないし、おかっぱ頭以外にイメチェンはできない。


「要するに、怪異は“理不尽”なようでいて、実はものすごく“理屈っぽい”んです。発生条件、好む場所、弱点……必ず手がかりがあります。昨日の怪異も、ただの影じゃなくて〝口裂け女〟なら、決まりに従って動いているはずなんです。

今日、それが実際に確認できたら怪異で確定!だから、楽しみで…」


いいさしたところで、路地に降りた暗闇がゆらりと揺れた。

空気が、ひんやり冷たくなる。


来た。


レオネル様が剣を抜き、銀の刃が暗闇に鈍く光る。


「大丈夫…あれが、口裂け女なら突然襲われることはないから」


自分に言い聞かせるようにつぶやいている間に

路地の壁から、まず女の顔だけがぬっと現れこちらを覗き込んだ。

レオネル様が息を呑んだのがわかる。

こちらを見つけた女は、嬉しそうに目を細めるとヌルリと壁から全身を現わした。

長い髪、マスク、トレンチコート。手には斧を持っている。


口裂け女だ。


(さあ……本格的な調査だ)


私は一歩踏み出すが、レオネル様がその背に私を庇うようにサッと前に出た。

口裂け女が、手に持った斧をブラブラと揺らしつつ、こちらへ向けて歩き出す。

我々の目前までくると、マスクに手をかけて外しながら女は口を開いた。

耳まで裂けた大きな口が本当に集めた資料の通りで、感動する。


「ワタシ、キレイ…?」


お決まりのセリフに、私は大きな声で返した。


「綺麗と言うより、カワイイ系です!!」


あまりの声量に、狭い路地に私の「カワイイ系です!」という声がウワンウワンと反響する。

そう、口裂け女の対処はいくか方法があるのだ。

綺麗かどうかに言及するのは絶対NG。イエスでもノーでも、ペナルティがくる。

かといって返答をしないでいると、これもまた口裂け女の逆鱗に触れ口を裂かれてしまう。怪我をした兵士はこれに該当したのだろう。正しい対処として伝わるのは、

『ポマードの匂いが嫌いだから、ポマードと3回言う。』『べっこう飴が好きだから、差し出す。』

との説だが、私は別の1番好きだった対処法を試してみたのだ。


「は?」


レオネル様から、完璧王子とは思えないような間抜けな声が漏れる。

それはそうだろう。

でも、口裂け女に綺麗かどうか聞かれたらカワイイ系だと答えるというのは、正当に伝わっている解決法なのだ。

嫌いなものを言ったり食べ物で誤魔化すより、美醜に関する問いに正面から答えて満足させるという解決法が1番好みだったので採用した。一応、飴も持参してはいる。


言ってはみたもののシーンと静まった路地に不安がつのり、そっとレオネル様の背中から様子を伺うとカランと斧が口裂け女の手から落ちたのが見えた。


「……ッ!」


口裂け女は大きな口を両手で覆うと、顔を真っ赤にした。

(完全な照れ顔だわ)

その顔をみて私は、勝利を確信した。


(相手のルールは、これで壊れてしまった。美醜に対する恨みを原動力とする彼女にとれる手は、もうないはず)


そう思った瞬間、女の背後の空間がグニャリと歪み、そこに吸い込まれるように口裂け女は消えてしまった。その後は残された斧が空気に溶けるように消えていくのを、呆然と見守るしかなかった。


「ああ…消えちゃったぁ」


私から漏れた、心底残念そうな声に、横からぷっと笑いが漏れる。


「そ、そんなに残念そうにしなくても…!!」


レオネル様は、我慢できないというように表情を崩した。


「し、しかもカワイイ系ですって!!それで撃退できるってなんだよ!」


大爆笑するレオネル様を、こんどは私が見知らぬ怪異にであったような目で見つめてしまった。

だって、いつだって微笑みを崩さない優雅な「完璧王子」様が、体を折ってこの大爆笑である。


「これも口裂け女の正式な撃退法なんですよ。出会ったらああ言えば誰にでも退治できるんで、騎士団のマニュアルに入れてもいいかもしれません。また現れるかわかんなんですけど」


涙を拭きながら、レオネル様は頷いた。


「次に襲われるものが出たら、そうしよう。これで2度と目撃情報がでなくなれば

この影は退治できたということだしな」


口裂け女が完全に消えた路地には、ただ夜の始まりの空気だけが残っていた。

レオネル様は笑いすぎて息が上がっている。


「はぁ……っ、まじで……カワイイ系……っ」

「そんなに面白いですか? 真剣だったんですよ?」


まだ笑っている。ゲラゲラ笑う様子と、先程までと打って変わったラフな口調に

女生徒の憧れな優雅な「完璧王子」のイメージが崩れていく音を聴きながら、私は咳払いして気持ちを切り替えた。


「と、とにかく! 撃退できたので帰ります! ユキが心配してますし」

「……ああ。送るよ」

レオネル様はようやく笑いを抑え、剣を収めて歩き始めた。


「それと、俺のことはレオと呼んでくれ」



馬車での移動の間に、いくつかヘドロのような影がレオ様に近づいてくるのを

私は、驚きをもって見ていた。口裂け女の悪い気にあてられて、ユキのおまじないの効果が薄れてしまったようだった。


「すごいですね」

「これでも、少ない方だ」


レオ様は口数少なく、まとわりつく影を見ている。

おそらく普段の「完璧王子」は、影にも人にも隙をみせないための彼なりの鎧なのだと私は理解した。


(この人、影の影響がないと割とゲラなのでは…?)


そんな疑惑を抱きつつ屋敷へ戻り、門をまたいだ瞬間。

“影”が一斉に退き、空気の変化があった。レオ様が、ホッと息をつく。


「……はぁ……マジで助かる。ここ、本当に影がこねぇ」


(ほら、完全に完璧王子が解凍モードだもん……!)


馬車から降りると、玄関からユキがぴょこっと飛び出してきた。


「おねえ!!おかえり!!」


次の瞬間、ユキはレオ様を指さす。


「レオも、よかった。かぞくじゃないと、まもれないから」


「家族?」

レオ様はユキの発言に不思議そうに頭を傾げる。


「ああ、座敷童は屋敷神なので。家系の幸福を約束するけど、それ以外の力はないからね」

というと、ユキはちょっとムッとする。


「レオがかぞくになったら、わるいのよせつけないの、できる!」

ユキは無邪気に続ける。


「かぞくじゃないから、むりなだけ!」


半ギレするユキがかわいくて、ごめんごめんと慌てて謝る。

一族を幸せにするという最強クラスの妖怪だが、かわりに一族のみという厳しいルールがあるのが座敷童だ。

あとで口裂け女対策に一応持参してた飴を貢がねばと思っていると、隣のレオ様は何かに衝撃を受けた表情をしていた。


「……家族は守れる……?」


ユキが誇らしげに頷く。


「うん!かぞくみんな、しあわせにできる」


レオ様の視線が、ゆっくりと私へ向いた。

銀髪が揺れ、その灰青の瞳がまっすぐに射抜いてくる。


「…………」

その“決意しました”みたいなのは、なんですか。

レオ様は深く息を吸い、そして――


「アリア嬢」

「は、はい?」

「……一つ、確認したい」

「な、なんですか……?」

「座敷童は、家に幸福をもたらし、その家の“家族”を守るんだな?」

「え、ええ……まぁ……そう、ですね……?」

「なるほど」


レオ様は一歩、私に近づいた。


「……なら俺も、“家族”になれれば、守ってもらえることになるな?」

「ん? まあ、そうですね。家族のカウントに入れば」


すると彼は、躊躇いなく私いの前にさっと跪いた。

客人を迎えるために出てきていた執事が、それをギョッとした顔で見る。

レオ様は、まるでさっき剣を抜いた時と同じような真剣さで言った。


「アリア・ラングフォード嬢。結婚して、俺を守ってくれませんか?」

「いや、そんな情けないプロポーズの言葉ある!?」


美しい騎士が、自分にひざまづいて結婚を申し込んでいるビジュアルと言葉のギャップに、思わずツッコミが出た。

「影をに怯えず眠れる家を……家族の立場を手に入れたい。

つまり、君と結ばれたいんだ」

「本音が建前より先に出ちゃってますけど!!??」


私が悲鳴を上げる横で、ユキはぽかんとしたあと――

「レオ、おねえとけっこんするの? かぞくなら、うち、まもれる」


その言葉にレオ様は真面目そのものの顔で、さらに続ける。


「もちろん君の返答はすぐに求めない。だが――俺は本気だ。

絶対、君に惚れられてみせる」

「はぁぁぁあああああああ!!!???」


「お、奥様〜〜〜!一大事です!」

執事が屋敷の階段を駆け上がっていく声が遠ざかっていく。


王都イチの美男子に熱い思いで結婚を申し込まれるなんて、全貴族令嬢の夢だろう。

でもそれは、下心が全く隠れていなかったとしても?


「そんな自信満々な男、願い下げたい〜!」

「生憎、顔よし家柄よし将来性よしで欠点ないからなぁ、俺。惚れられる自信しかねぇわ」

「その表と裏の性格の差は、十分欠点では!?」

「外だと影の声にウッカリ反応しちゃった時とかに、周りに変人だと思われないように、必要以上に完璧でいなきゃって気ぃ張ってるだけで、別に裏表ってわけじゃないし」


今が気抜いて素なだけ、とレオ様は楽しそうに笑っている。

ユキはそんな私たちのやりとりを、ニコニコしながら眺めている。


(その顔は、可愛いかもしれない)


完璧王子の微笑みよりも、もっと良い顔を見て

私は顔を覆って座り込むしかなかった。



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