第七章 エピローグ
それから一年後。
「月と花」の窓際の特等席には、今日も二人の姿があった。
志保は新商品の企画書を、蓮は新作小説の原稿を、それぞれ広げている。二人の膝の上には、変わらず猫たちが丸くなっていた。
「ねえ、蓮さん」
「何ですか」
「もし、あの時、私が猫カフェに来なかったら」
「それは、考えたくないですね」
蓮は、眼鏡を押し上げて、志保を見た。
「でも、きっと、別の形で出会ってたと思いますよ」
「そうかな」
「ええ。だって、僕たちは──」
蓮は、志保の左手を取った。そこには、シンプルな指輪が光っている。
「運命だったから」
志保は、幸せそうに微笑んだ。
先月、蓮からプロポーズされた。場所は、もちろん「月と花」。猫たちと、常連客たちと、オーナーさんに見守られながら。
来月には、小さな結婚式を挙げる予定だ。もちろん、猫カフェで。
「志保さん」
「うん?」
「幸せですか」
「とっても」
志保は、蓮の肩に頭を預けた。
「猫に嫌われてた私が、こんなに幸せになるなんて、思わなかった」
「猫に嫌われてたんじゃないです。ただ、猫との距離の取り方を知らなかっただけ」
「人との距離もね」
志保は、膝の上の「たま」を撫でた。
「蓮さんに出会って、いろんなことを学んだ。待つこと、観察すること、ゆっくり関係を築くこと」
「僕も、志保さんに学びました」
「何を?」
「変わる勇気です」
蓮は、原稿に目を落とした。
「僕は、いつも観察者でいようとした。物語の外側にいようとした。でも、志保さんが教えてくれたんです。本当の物語は、自分が飛び込んでいかなきゃ始まらないって」
志保は、蓮の手を握った。
店内には、猫たちの穏やかな時間が流れている。
窓の外では、新しい季節が始まろうとしていた。
二人の物語は、これからも続いていく。猫たちと、この温かな場所と共に。
「ねえ、蓮さん」
「何ですか」
「私たちの家、猫飼ってもいいかな」
蓮は、少しだけ驚いた顔をして、それから優しく笑った。
「いいですよ。でも、志保さん、またあの特訓を──」
「もう大丈夫!」
志保は胸を張った。
「今の私は、猫マスターだから!」
「猫マスターって……」
二人は笑い合った。
その笑い声に誘われるように、また一匹、猫が志保の膝に乗ってきた。
志保は、猫を撫でながら、幸せを噛み締めた。
かつて猫に全力で嫌われていた自分。香水にまみれて、効率ばかり追い求めていた自分。
その自分が、今は猫に囲まれて、大切な人と共に、穏やかな時間を過ごしている。
人生は、本当に不思議だ。
でも、その不思議こそが、人生を豊かにしてくれるのだと、志保は今なら分かる。
「志保さん」
「ん?」
「愛してます」
蓮の言葉に、志保は顔を赤らめた。
「もう、お客さんがいるのに……」
「いいじゃないですか。僕たちの物語なんだから」
志保は、蓮の唇に、軽くキスをした。
「私も、愛してる」
猫たちは、そんな二人を見て、満足そうに目を細めた。
猫カフェ「月と花」は、今日も、たくさんの物語を紡いでいる。
人と猫の物語。
出会いと成長の物語。
そして、愛の物語。
陽だまりの中で、志保と蓮は、静かに寄り添っていた。
これから先、どんな物語が待っているのか、二人にも分からない。
でも、どんな物語でも、きっと幸せなものになる。
だって、隣に、大切な人がいるから。
そして、たくさんの猫たちが、見守ってくれているから。
──おわり──
あとがき
猫カフェという癒やしの空間で紡がれた、小さな恋の物語。
志保と蓮、二人の出会いは、猫に嫌われる女性と猫に好かれる男性という、コミカルなすれ違いから始まりました。
でも、その過程で二人が学んだのは、猫との付き合い方だけではありませんでした。
相手を理解すること。自分を変える勇気を持つこと。結果だけじゃなく、過程を大切にすること。
そして、誰かと共に歩む幸せ。
読んでくださった皆さまの心に、少しでも温かな気持ちが残れば幸いです。
そして、もし猫カフェに行く機会があったら、志保と蓮のことを思い出してくれたら嬉しいです。
あなたの人生にも、素敵な出会いがありますように。




