第六章 新しい物語
翌朝、志保は目覚まし時計より早く目が覚めた。
昨日のことが夢じゃないかと思って、スマホを確認する。蓮からのメッセージが届いていた。
「おはようございます。今日も、猫カフェで待ってます」
志保は、思わず枕に顔を埋めた。恥ずかしさと嬉しさで、顔が熱い。
会社に行って、いつものように仕事をこなした。でも、心の中では、ずっと時計を気にしていた。早く、蓮に会いたい。
定時に会社を出て、急いで「月と花」に向かった。
店に入ると、蓮がいつもの席で、パソコンに向かっていた。志保を見つけると、彼は立ち上がった。
「志保さん」
「蓮さん」
二人は、少し照れくさそうに笑った。
「原稿、進みましたか?」
「ええ。昨日、一気に最後まで書きました」
「本当ですか!」
「志保さんのおかげです」
蓮は、隣の席を指した。志保は座り、いつものように「たま」が膝に乗ってきた。
「どんな結末になったんですか」
「主人公が、自分を変えた先で、大切な人と出会う話です」
「素敵ですね」
「モデルに、許可もらってないんですけど」
蓮は、少し申し訳なさそうに言った。
「いいですよ。むしろ、嬉しいです」
志保は、膝の「たま」を撫でた。
「私の経験が、誰かの物語になるなんて」
「志保さんの物語は、これからも続きます」
蓮は、志保の手を取った。
「僕も、その物語の一部になりたいです」
志保は頷いた。
「私も、蓮さんの物語の一部になりたい」
二人は、猫たちに囲まれながら、静かに時間を過ごした。
それから数ヶ月後。
志保の企画した新しい香水「whisper」が発売された。「そっと寄り添う香り」をコンセプトにした商品は、SNSで話題になり、予想以上の売れ行きを見せた。
「志保ちゃん、すごいね!」
美咲が、雑誌の特集記事を見せてきた。「今年注目の新商品」として、「whisper」が大きく取り上げられている。
「みんなのおかげだよ」
志保は謙遜したが、心の中では、蓮への感謝でいっぱいだった。彼が教えてくれた「待つこと」「観察すること」が、この企画の核になった。
その日の夕方、志保はいつものように「月と花」に向かった。
店に入ると、蓮が待っていた。そして、彼の隣には、一冊の本があった。
「これ……」
「今日、見本が届いたんです」
蓮は、本を志保に手渡した。表紙には、猫のシルエットと、こう書かれていた。
「猫が教えてくれたこと」
志保は、ゆっくりとページをめくった。そこには、見覚えのある光景が描かれていた。
猫に嫌われる主人公。猫に好かれる謎の男性。猫カフェでの出会い。商店街の散歩。そして、二人が惹かれ合う過程。
「最後のページ、読んでください」
蓮に促されて、志保は最終ページを開いた。
『彼女は気づいた。猫に好かれようとして変わったのではなく、変わろうとしたから猫に好かれたのだと。そして、自分を変える勇気をくれたのは、いつも隣で見守ってくれた、あの人だったのだと。』
『物語は、ここで終わらない。二人の新しい物語が、今、始まろうとしている。』
志保は、本を閉じた。目には、涙が浮かんでいた。
「素敵な物語ですね」
「まだ途中です」
蓮は、志保の手を取った。
「これから先は、二人で書いていきましょう」
志保は頷いた。
窓の外では、夕日が沈みかけている。店内には、猫たちの穏やかな寝息と、コーヒーの香りが漂っている。
志保と蓮は、猫たちに囲まれながら、これから始まる新しい物語に思いを馳せた。