09 新領主記念祭
翌日、朝から街がさわがしかった。
ラグは通りの様子を屋根の上からながめていた。やけに人が多い。それに店の数も増えている。
「ちょっとなにしてるの!」
通りからリナが見上げていた。
ラグが飛び降りると、リナの軽い悲鳴。それから音もなく着地したことで見ていた人の拍手が起きた。
しかしそれすら、この日の景色の中ではそれほど違和感もない。
広場では、口に強い酒を含んで火を吹いている者さえいるのだ。
街の人々はそれを自然に受け入れている。
「にぎやかだにゃ」
ノワールがラグの肩で、尻尾を揺らす。
ラグの頭に電撃が走った。
「……祭り。そうか、これは祭りだな?」
ラグはにやりとした。天才的発想だとすら自己評価していた。
リナは不思議そうにした。
「そんな時期じゃないけど」
「な、に……?」
ラグはがくぜんとした。
限られた情報から導き出した答えが、ちがっていた、だと……?
「あ、そうだ、あれだ!」
リナが指さした先では仮設の屋台が並び、人が群がっていた。
木の札には大きな文字で、新領主就任記念祭、とある。
新領主の似顔絵も描いてあった。横にはなにかマークが描かれている。
「祭りにゃ」
「ふふ、祭りか。ふふ、ふふふ」
ラグは力を取りもどした。
「イリアス様になったんだ」
リナが首をかしげる。
「イリアス様?」
「うん、光導院っていう、困ってる人の手伝いとかしてるところの人だよ。前の領主さんの体調不良で交代するっていうから、その息子さんがなるって聞いたんだけど」
「リナはその、光導院とは仲がいいのか?」
「仲がいいっていうか、炊き出しとかするときに手伝ったりしてるよ」
「炊き出し?」
「食べるものがない人に、料理を出してあげたりすることだよ」
「料理屋を手伝っているからか」
「お店とは違うから、無料だよ」
「無料」
無料とは、金銭を必要としないということだろう。
いったいなにを言っているのか。
「街のルールが永遠に理解できない気がするが」
ラグは遠い目をした。
「炊き出しは特別なの。困ってる人を助けるから、材料は、期限ギリギリのものを使ったりするし、味は正直、お店よりは落ちるけど」
「なるほど」
屋台には菓子、飲み物、ちょっとしたアクセサリーが並び、活気づいている。
片手の、小指を立てた意匠が刻まれた首飾りを見かけた。イリアスの似顔絵の横に描かれていたのと同じデザインだ。
「それは、光導院のマークだよ」
「そうか」
ラグはあまり美術品への関心はなく、興味はひかれなかった。
「みんな楽しそうだな」
「うん。ラグも行こう」
リナが明るく言って、ラグの腕を引く。
「イリアス。光導院……」
ノワールがつぶやいていた。
裏路地。
大通りの声は遠い。
物陰で、エルドはじっと立ち尽くしていた。
手のひらには、青白く光る小さな石。
「信頼……」
エルドは自覚せずつぶやいた。
どこかで、水たまりに落ちる水滴の音がした。
そのとき、細い路地の奥からフードの男が現れた。
エルドは石をポケットにしまう。
「やあ」
男は軽く手をあげた。
エルドは軽く頭を下げる。
「また、頼みたいことがあるんだ」
男は言って、巻物を取り出した。
それは、街の防衛網に関する簡単な図だった。
「実は、ちょっと防衛網に不安があるところがあってね。詳しい話を教えてほしいんだ」
「防衛網、ですか」
「我々も、家を持たない人や親を持たない子に、安心して生活をしてほしいと思っているんだ。もしなにかがあったとき被害が出ないようにしたいんだが、この話題、あまり警備団は協力的でない」
「それは、そうかと……」
光導院に対して提供する情報ではない。
「お願いできないかな? 街の人たちのためなんだ」
エルドはためらった。
しかし。
「街の人たちの、ため」
「そう! 我々の利益のためではないよ。だって本来、我々には関係のないことだ。それを、警備団が協力してくれないから、勝手に、街の安全について考えなければならないだけなんだからね?」
「そうですね」
そうだ。エルドは拳を握った。
光導院は、たびたび、街の人を助けるための活動をしている。
それに僕は警備団のために生きているわけでもない。
街の人たちのために生きているのだ。
「……わかりました」
「ありがとう」
男は満足そうに言い、エルドの肩を軽く叩いた。
「じゃあ、期待してるよ」
フードの男は角を曲がり、すぐ見えなくなった。
エルドの肩に、いま触られた重さがじわじわと染みていった。
ぶつぶつと、なにか自分に言い聞かせながら、エルドは逆方向に歩いていった。