07 団長の興味
詰め所の建物は、正面の階段を上がった二階が執務室になっていた。
机が並ぶ。事務作業をしている横を通り、一番奥の応接スペースへ移動すると、ラグはひときわ貫禄のある人物と対面した。
「おう。これが山から来たってやつか」
ソファの団長は太い声で言った。
黒の制服に肩章をつけた男。四十代半ばの大男は、いかつい眉と優しげな目元が印象的だった。
「ラグといいます」
「うん。その猫はなんだ」
「同居人です」
「ふん、そうか」
団長は腕を組んで、少し考えるように目を細めた。
「おれはギラン、警備団の団長をやってるもんだ。で、あんたの話が耳に入ってきててな。盗賊をひとりで捕まえて、連れてきたってのも、なかなかにおもしろい話だが」
ギランはあごをなでながら、にやりとした。
「そうですか」
おもしろさがどこにあるのか、ラグにはよくわからなかった。
「ひとつ、いいか」
ギランは部屋の隅にあった大剣を引きずり出した。床をこすれる音が響く。
「これを、持ってみてくれ」
リナが息をのむ。
剣の厚みはレンガほどもあり、長さはラグの身長を越えていた。
剣というより特殊な美術品を思わせる。だが美しさというよりは、切り出しただけの丸太のような無骨さが目を引いた。
「持ってみろ」
「なんの話ですか? 忙しいのですが」
ラグはリンゴの味を思い浮かべていた。
形状のちがい、皮の色のちがい、味のちがい、香りのちがい。
興味は尽きない。
「ラグ君よ。身元を確かにしたいんだろう? 話によっては、うちがそれを保証してやろうじゃないか」
「さっきもそれは言われた。現在はリナが保証してくれている」
「リナちゃんはあくまで宿に泊めてくれてるだけだ。いつまでもってわけにはいかない」
「では他の街に行けばいい」
ラグはギランの、ここに所属すべきという態度に不満を感じていた。詳しい話を知らぬまま、ということもあるし、これまで所属していた組織がなかったかもしれない、と自己分析する。
「えっ」
リナが意外そうな声を出した。そしてリナ自身、そんな声を出したことが意外だった。
「そうかな? 他の街だってそうさ。警備団みたいな組織か、あるいは住所を持つか、ギルドに入るかしなきゃならない」
「他の街なら平気だと言われたが」
「なんらかの条件はある。条件が楽なら、その街で暮らすメリットがすくないってこともある」
「では旅を続ける」
「どっかの組織になんらかの形で入れなきゃ、どこか隠れるような生活になっちまうぞ」
ラグは山での生活を思い出していた。
長距離を移動したこともあった。あきらかに、人間が住んでいる場所よりも、そうでない場所のほうが広い。隠れて生きているのは人間の方ではないか。
「そういう話ではないにゃ」
察したノワールがぼそりと言った。
たしかに、子作りをするために街へ来た。その第一目標が失われては意味がない。
「警備団で十年以上鍛えてきた団員でも、これを持ち上げられるのはほとんどいない。ちょっと持ってみてくれ」
ラグの思考には気づかず、ギランは話を続けていた。
ラグは置いてあった剣の柄を受け取り、そのまま片手で持ち上げた。
地面に刺さっていた棒かなにかを抜くように、垂直に引き上げ、ゆっくりと先端で円を描くように構えた。
声とも息ともいえない音が、部屋にいた人たちから漏れた。
「ただの金属にしては重いな」
ラグは言った。密度の高い鉱物で修行をしたことがあった。見た目には石ころなのに、岩ほどの重さがあるのだ。
この剣にも似たようなものを感じる。
「片手で……」
「両手か? そうか」
ラグは両手で中段に構えた。
「なるほど。これほどの長さ、重量があれば……」
ラグは、剣を使ったことはあるが、細かな剣術というものは学んでこなかった。人間相手に使うもの、という印象が強かったからだ。魔物相手なら長い武器のほうが便利だし、ドラゴンレベルになると相手の硬さに保たない武器が多い。
だが充分な耐久力があるなら、武器であり盾として活用できるかもしれない。
満足げにうなずくラグの後ろで、ギランは鼻を鳴らした。
「ラグ、お前、正式にうちに入らねえか?」
「興味ないですね」
「早ぇな!」
そう言いつつも、ギランは嬉しそうに手を叩いた。ラグは不思議だった。
「ま、無理強いはしねえが、非正規の団員としては入ってもらう。じゃなきゃあ、身元保証はできないからな?」
「かまいませんが」
「おい、だれか」
「エルド!」
団員が声をかける。
「……あれ? さっきいた気がしたけどな。気が利かねえやつだなあ」
ぶつぶつ言いながら他の団員が書類を取りに行った。
そのとき、テーブルで丸くなっていたノワールが、ぴくりと耳を動かした。
「む」
「なにか」
とたずねるラグの肩にぴょんと乗り、ノワールは低くつぶやいた。
「この建物、すこし見たい」
「なぜです?」
ノワールはあくびをして体をのばす。
リナは笑みを浮かべてながめていたが、ラグは、ノワールの動作に緊張感を感じ取っていた。
「おいエルド、どこ行ってた?」
一階では、エルドが団員にどやされていた。
「す、すいません先輩!」
「さっさと帳簿まとめろ!」
「すいません!」
小さくなって頭を下げると、ぶつぶつ言いながら団員が去っていった。
エルドは詰所の書類棚の前で、ため息をついた。
仕事はしている。
毎日誰よりも早く来て、誰よりも。
しかし剣の腕が上がらない。それだけだ。さっきの先輩も、仕事が終われば酒を飲み、女と遊んでいると聞く。エルドは毎日自主練をしていた。しかし勝てない。
真面目にやってもバカにされるだけだった。
それなのに、あいつは……。
二階から声が聞こえる。
すこしのぞきにいくと、団長と話すラグが見えた。横に立つリナ。
その三人が笑っているのを見ているだけで、エルドの握りしめた手が小さく震えた。
「あいつ……。なにしてやがる……」
僕の席だ。
僕がいるべき場所なのに……。
そのとき。
エルドの隣にフードをかぶった白いローブの男が立っていた。
間近に迫るまで気づかなかったエルドは、あやうく声をあげるところだった。
それから、仕事にもどらなければという焦りが襲ってくる。
こんなところでサボっているのか? そんなこと絶対に言わせない。
僕は、誰より、真面目にやってるんだ!
「君、エルド君だったかな」
早足で去ろうとしたエルドに声がかかった。
「……誰です?」
フードで口元しか見えない。
笑みを浮かべている。
「いや、以前、君に仕事を手伝ってもらった者さ! 君は真面目で素晴らしいと感心したんだよ」
妙に明るい口調だった。
服装からすれば、光導院の人間だろうが……。
「他の団員は乱暴者が多いが、君はとても理性的で、会話をしても落ち着いていて助かる」
「あ、いや……」
「ちょっとだけ時間あるかい? また手伝ってほしいことがあってね」
「でも……。他の誰かを呼んできましょうか」
どうせ他の団員をさがしていたのだろう。調子の良い男だ。
「いや、それならいい。君が良かったんだ。君じゃないなら、ひとりでがんばるさ」
彼はゆっくりと体を反転させ、歩き出す。
「……待ってください」
エルドは声をかけずにはいられなかった。
「なんだい?」
立ち止まって顔だけ振り返る。
「……すこしなら手伝います」
「おお、そうかい? 助かるよ」
男の唇がきれいな弧を描いた。何度となく練習された表情だった。