13 光導院
ラグは半分眠ったような状態で朝を迎えた。冒険中よく、木の上でそうしていたことを思い出す。睡眠不足は感じなかった。
リナの家や家族を狙われるような可能性も考えていたが、そうはならなかった。
まだ夜明けに近いうちに、リナのおじは一階で料理の仕込みを始めている。
リナはどうだろうか。
夜明けを迎えて念のため、ラグは警備団に向かった。
「あ、おはよう!」
リナは食堂にいた。忙しく、団員の食事の用意を手伝っている。
その動きはなんとなく華があり、食事中、ぼんやりと目で追っている団員も多かった。
「なにをしているんだ?」
「準備。昨日は泊めてもらったし、ちゃんと手伝わないとね」
「リナちゃーん、ずっとここで働いてよー」
団員が言うと、どっと笑い声が起きた。
「ずいぶん早いんじゃないのか」
街の音を聞いていたかぎり、相当早い。
「夜働いてた人が終わる時間なの。ラグはどうする? ご飯」
「金は……」
「団員は無料だぜ」
近くの団員が言った。
「なるほど食べよう」
「はーい」
リナはウインクをして配膳を続けた。
そういえば、と見回したが、エルドはいなかった。
朝食を終えて、ラグとリナは警備団を出て光導院へ向かった。
街の外れ、金をあまり持たない住民が暮らしている場所に近いところに教会はあった。
白い建物で、前には広場がある。広場では大きな鍋に野菜やわずかな肉を入れたスープを作っている人たちがいた。
「あ、もう炊き出し始めてますかー!?」
リナは小走りで向かった。
「ここが光導院か」
ラグはまわりを見た。
街の大通りにいる人たちと比べて、汚れている服装が多い。髪の毛が乱れていたり、靴も半分壊れているような人も多かった。
「悪くはないにゃ」
というノワールだったが、視線は用心深い。
院の建物から、白装束のやわらかな笑みを浮かべた女性が出てくると、周囲の視線が向いた。
その服の白さは、他の人間の薄汚れた色とは一切異なる、純白に輝いていた。
「こんにちは。こんにちは。あらあらにぎやかね、そちらの方は……?」
女性がラグを見た。と思われるが、目が閉じているかのように細い。
「メリダさーん!」
鍋の近くでリナが手を振った。
「その人はラグです! うちの宿にいま泊まってる人です!」
「まあまあメグさん、いらっしゃいませ。ようこそ光導院へ」
名前が違っている。
「どうも、ラグです」
ラグは軽く訂正した。
「メリダ様は、すぐ名前をまちがっちゃうんだよ」
近くの子どもが言った。
「あらあら、ごめんなさいね」
「教会の中は自由に入っていいのかにゃ?」
ラグはノワールの言葉を伝える。
「ええ、ええ、どうぞ! 光導院の教えにご興味が?」
「教えとは?」
メリダは胸元から首飾りを出した。
小指だけが立てられた、手のデザインだ。
「小指は最も細く、弱い指です。でも、天を指し示し、正しい道を歩むことができるという教えですわ。小さな力に思えるものでも、多くの力が集まれば力になるというものです。いかがです? 光導院の教えに従いませんか?」
その言葉に、ノワールがわずかに肩で反応した。
「なるほど。興味がないですね」
「まあ、正直な方」
メリダはくすくすと笑った。
「リナさんにも振られてしまっているんですよ」
「メリダさん! 私は家が忙しいだけって言ってるじゃないですか!」
リナが耳ざとく反応すると、メリダはくすくすと笑う。
「それでは失礼」
メリダはゆっくりと一礼して、他の住民に声をかけていた。
名前を間違えていることを何度も指摘されているが、そのやりとりは周囲の空気をやらわかくしていた。
「勧誘に、軽い強制力があったにゃ」
ノワールが言った。
「強制力?」
「あの女の言葉にゃ」
ノワールはメリダを見ていた。
「普通の人間は抵抗できないだろうにゃ」
「リナは断っています」
「おじに対する感謝が強いのか、それとも……」
ラグは言葉の続きを待ったが、ノワールはゴロゴロとノドを鳴らしているだけだった。
「なぁにその腕、すっげーでかい!」
配膳を終えたあと、子どもたちが興味津々にラグへ近づいてきた。
最初はすこし遠巻きに見ていたが、ノワールが肩に乗っているのをおもしろそうに近づいた子どもをきっかけに、すっかり囲まれている。
「鍛えると、腕は腕はどんどん太くなる」
「どれくらい鍛えるの?」
「重いものを持つといい。こういう」
近くにあった、ベンチ代わりの、上下を切って平らな面を作っただけの丸太を持ち上げた。
「えーすげー!」
「鍛えればお前たちもこうなる」
「うそー!」
ラグはずっと真顔でにこりともしなかったが、子どもたちは警戒心なく、にこにこと笑っていた。
「ここはみんな笑顔だな」
「笑ってないとだめだもん」
小さな女の子がぽつりと言った。
ノワールの耳がぴくりと動いた。
その場の人間が、さっと、笑っているような、笑っていないような顔になる。
それは一瞬のことだった。すぐみんなが笑顔になる。統一感のある笑顔だった。
広場の入り口から数人の白衣の男女が歩いてくる。
穏やかな笑みを浮かべた神父が、ゆっくりと歩み寄ってきた。
覚えのある顔だ。
「新しい領主か」
イリアスだ。
近くの人たちがイリアスに気づくと、みんな歓声を上げる。
「やあ、みんなのイリアスだよ!?」
イリアスが大きく手を振った。
ラグがあっけにとられていると、イリアスがラグを見つける。
「あれあれー? 見ない顔だね!」
「……リナの家で世話になっています」
こんな人間だっただろうか。領主就任のあいさつを思い出すが、イメージが重ならない。
「リナさんはとってもいい子だね! 僕らの手伝いを熱心にしてくれてる、ありがたいよねー!」
他の人たちもうれしそうに笑っていて、リナは顔を赤らめ居心地が悪そうだった。
「……ここは無料で世話をしているんですか?」
「そうさ!」
「街では、お金がないといけないと最初に強く言われたんですが」
「ん? ん?」
イリアスは不思議そうにする。
「ラグは、最近までずっと山にいたみたいですー!」
リナが離れた場所から大きな声で言った。
「ああ」
イリアスは大きくうなずいて、手をぽーん、と打った。
「街はどうかな?」
「人が多くて騒がしいですね」
ラグの言葉にイリアスは笑った。
「それに生活の差があります」
ラグが言うと、イリアスは、うんうん、とうなずいた。
「そうなんだよ。山なら貧富の差もなくて平等だよね? 僕は、きちんと仕事をしても、貧富の差が生まれてしまう。そういうことはできるだけなくしたいんだよ!」
イリアスは力強く言った。
ラグの視線を受けて、イリアスが照れたように笑った。
「領主決定の場面を見てたのかな? 印象がちがって驚いただろう?」
「ええ」
「みんなの前ではそれなりの態度を取るよ。場面に合わせた振る舞いってあるじゃない?」
「そのようですね」
ラグはまだよくわからない社会的な振る舞いだった。
「かわいい猫ちゃんだね。さらわせてもらえるかな?」
イリアスが、ノワールに手をのばす。
ノワールは肩から降りて走り去った。
「イリアス様、かっこわるーい」
子どもが言うと、イリアスは照れたように笑った。
物陰から視線を感じた。
ラグが気づいてそちらを見ると、人影はさっと引っ込んだ。リナの友人のエルドだ。
昼過ぎにも炊き出しを行った。人の数は増えて、光導院のおかげで飢えずにすむと喜んでいる声も多かった。
食事が終わり、そろそろ帰るかと話をしていたときだった。
「リナさん、ちょっといいかしら」
メリダがやってきた。
「かんたんなお手伝いをしてほしいの」