9話
(カイさんが何かしたんだ)
「っ!何やってるんだ!」
玄関での騒ぎを聞きつけ、奥から父親も出てきた。実の娘を相手に恫喝にも勝る勢いで迫る母を引き剥がす。
「美夜、帰ってきたのか…?後ろにいる方は?」
母と違い冷静な父はカイの存在に気づき、美夜に問いかける。美夜が紹介する前にカイが口を開いた。
「突然お邪魔してしまい、申し訳ございません。私こういう者でして」
人好きする笑顔を一瞬で貼り付けたカイはカバンから取り出した名刺を父に差し出す。
「…清宮グループ本社営業部部長、清宮海斗…!清宮ってあの!」
美夜は初めてカイの本名を知り、父、父に抑えられている母と同じく仰天していた。
清宮グループは旧財閥を全身とする金融、食品、メーカー、不動産等幅広く展開する巨大総合企業。国の中枢を担う、大企業。比べるのも失礼だが青山フーズとは格が違う。
(名字が同じ、カイさんはもしかして創業者一族の…)
「ええ、現社長は父なので私は次期社長という立場に。またまだ若輩者なんですが」
(やっぱり!)
美夜は知らなかったとはいえ、大企業の御曹司相手に数々の醜態を晒した上に多大な迷惑をかけたことに背筋が寒くなる。
「そ、そんな方が何故美夜と…ここでする話ではありませんね、どうぞ」
父は動揺を隠しつつ、カイを家に上げリビングに案内する。美夜は困惑しつつもカイの後をついていく。
ソファーに座ったカイは緊張した面持ちの両親と対照的に笑顔だった。営業スマイルというやつだろうか、何故か恐ろしさを感じる。
出されたコーヒーを飲んだカイはこう切り出した。
「改めまして、清宮海斗と申します。美夜さんとは彼女のバイト先で知り合いまして、7歳も下の彼女に好意を抱いたのです。彼女の生き生きと働く姿、笑顔を見ると癒されるようになりました。ただの客に好意を向けられても迷惑だと思いを告げるつもりはなかったのですが、美夜さんが涙を流しながら苦手な幼馴染と婚約するよう強要されたと訴えるので力になってあげたい、と」
「っ強要なんて、私たちはそんなつもりでは!美夜、あなた清宮さんに誤解させるような言い方をしたんでしょ、和樹くんのこともそうだけど、大袈裟に騒いで事を大きくして!」
母は心外だと言わんばかりに声を荒げる。そんな母を冷たい目で一瞥したカイはカバンからファイルを取り出し父に渡す。
「こちらは青山和樹さんについての調査書です。彼について美夜さんから再三訴えがあったのではありませんか?酷い言葉を投げかけられる、彼とは関わりたくない、と」
「それは、この子が大袈裟に騒ぐだけで」
「私が聞いただけでも、和樹さんは子供の頃から美夜さんが逆らえない立場なのをいいことに、自尊心を傷つける発言を繰り返していたようです。それに加えて、これです」
パラパラとファイルに入った書類を読んでいる父の顔がみるみる怒りに染まっていく。
「何だ、これは…」
「和樹さん、美夜さんが仲良くなりそうな男性に裏から手を回して彼女から距離を取るよう、買収もしくは弱みを握って脅していたようですね。見るからに両思いな男性に告白すれば必ず振られ、親しくなった男性からは突然距離を取られる…こんなことが繰り返されれば自分には魅力がない、と自信を無くしてしまってもおかしくありません。しかし、彼の執念には恐れ入りますね」
カイの口調には明らかに皮肉が混じっている。美夜は衝撃の事実を知り言葉を失っていた。
(私がずっと振られていたの、和樹くんのせい…)
いつしか紗奈の言っていた、作為的が当たったいたことになる。それと同時にこんなことをずっと続けていた和樹に対し、嫌悪感と底しれぬ不気味さが湧き上がってきた。
「な、何故そんなこと」
「それは本人に聞かないと何とも、まあなんとなく想像はつきますが…お2人は長年精神的に虐げるような人間と結婚して美夜さんが幸せになれると思いますか?」
「思いません!そんな歪んだ人間に娘はやりません絶対に」
父は強固に主張し、さっきまでの勢いをすっかり無くした母も父に賛同して頷いている。一応親としての情は残っていたようでホッとした。
カイは両親の言葉に満足げに微笑んだ。
「その言葉を聞いて安心しました。ご安心ください、青山社長には御子息についての調査書を既に渡してます。和樹さんが美夜さんにしてきた数々の仕打ちを知り大層悔やんでおいででした。婚約の話は白紙に戻し、桜井家に決して不利益を齎さないと約束してくれるそうです。ああ、和樹さんですが人間性に問題があると後継者から外されるとか」
(和樹くん…)
彼は次期社長という地位に固執していた。プライドもかなり高い。自分に下された社長の判断に納得がいかない、と暴れているかもしれない。が、可哀想だとは思わない。美夜がカイを頼ったことで事が大きくなってしまったが、自業自得だ。
「そうですか…失礼ですがあなたは美夜のためにここまで?」
「はい、私は美夜さんが他の男のものになるのが耐えられなかった。だから手を打ったのです…私は美夜さんを愛していますしいずれは結婚したいと思ってます、どうかお許しいただけないでしょうか」
カイが深々と頭を下げる。そんなカイに父が焦り出す。
「頭を上げてください…私は美夜の苦しみに気付かず最悪の選択をするところだった。美夜があなたとのことを望むのなら反対は致しません。娘の意思を尊重します、が…ご覧の通りうちは一般的な家庭で。とても清宮グループの御曹司に嫁げるような教育は受けておりません。本当に娘で良いのですか?」
「美夜さんが良いのです、人生を共に歩んでいく相手は彼女以外私には考えられません」
カイは父の目を見てはっきりと、強い口調で言い切った。美夜は彼の隣で泣きそうになるのを必死で堪える。涙脆くはなかったはずなのに、すっかり涙腺が緩くなってしまった。