8話
「自分を卑下するのは良くない。君は真面目で努力家で、いつも楽しそうに仕事をしてた。君の姿が見たくて無意識にシフトの日を選んで通ってたくらいだ。それに柏木はああ見えて不真面目な人間が嫌いでな。今まで雇ったバイトで自分や客に色目を使って言い寄ったり、仕事を押し付ける人間は容赦無くクビにしていた。アイツに気に入られているんだから相当だ」
その話は美夜も知っている。オーナーは理不尽に厳しいわけではないが、甘いわけでもない。辞めていった人も知っている。が、美夜は普通のことだと思っていた。
「自分の良いところは自分では気づきにくいものだが、俺も美夜の友達も美夜の良いところは分かっているはずだ。もっと自分に自信を持って」
「そう、ですね…努力します」
歯切れの悪い美夜にカイは何処か悲しそうな顔をした。
「例の幼馴染に酷い言葉を投げかけられていたと言っていたが…もしかして人格を否定されるようなことを?」
「…服や化粧、身につけるもの関して似合わない、そんなのつけて恥ずかしいと思わないのかと言われたことは…婚約の件も私みたいな取り柄のない奴をもらってやれる物好きは自分だけだと…カイさん⁉︎」
カイの纏う雰囲気が一気に冷ややかなものに変わる。「ろくでもないな…」と吐き捨てた
「美夜が自分に魅力がないと思ってるのは幼馴染が元凶か…彼のような人間は一定数いる。距離を取るのが1番いい、彼は君にとって害しか齎さないだろうからな」
正直和樹とは関わり合いになりたくない。が、そうしたら父が…と不安に駆られると優しい声が降ってくる。
「心配することは何もないよ…取り敢えずシャワーを浴びるか。一緒に入る?」
「え?む、無理です!」
揶揄うカイをどうにか躱しながら美夜は散乱した服を身につけて洗面所に向かう。カイは美夜が寝ている間にトラベルセットや下着を買っていてくれたらしく、それが洗面所に用意されていた。至れり尽くせりで感動した。
美夜がシャワーを浴びているうちに簡単に朝食の準備をしていたカイが、入れ替わりでシャワーを浴びに行った後2人で朝食を食べる。カイが出かける時間になるまで…イチャイチャしていた。彼が出かける頃には色んな意味で美夜はグッタリしていた。
そして今、美夜はカイの車に乗って自宅へと向かっている。友達の家に泊まると連絡したが、あれの直後だったので変に疑われたのか物凄い数の着信があった。全て無視していたが。
(カイさんは何も心配いらないって言ってたけど)
カイを信じてないわけではない、だが何も教えてくれないので一抹の不安があるのだ。
自宅近くの駐車場に車を停め、2人で歩く。カイは今日もきっちりとスーツを着込んでいる。そのスーツの下に隠された肉体を知ってしまった今、妙に変な気分になってしまう。
(私こんな変態だったの…!)
自分の嗜好に密かに絶望する。頬を赤らめた美夜に気づいたカイはニヤリ、と笑う。
「何で顔赤くなってるんだ?ああ、もしかして思い出した?」
急に身を屈め、美夜の耳元に口を近づけると。
「意外といやらしいよな、昨日も俺に必死にしがみついて」
「わー!」
とんでもないことを耳元で囁かれ、耐えられなくなった美夜は叫ぶ。これから大事な話をするのに、カイはこちらは揶揄ってばかりだ。
「…もっと大人な人かと思ってました」
「好きな子には構いたい性質なんだ、理想と違った?」
「いえ…カイさんのことを知るほど…す、好きになってます」
ただのバイトと常連客のままでは知り得なかった彼の新たな一面…まだまだ知らないことがたくさんあるだろう。けど好きになるのとはあれど、幻滅することはあり得ないと分かっている。
「…」
カイは食い入るように美夜を凝視すると、大きく息を吐いた。
「…終わったら朝まで抱き潰すから覚悟しておけ」
「なんで!」
理不尽な宣告に美夜は悲鳴をあげた。理由を問いただすも、カイは決して教えてくれなかった。
自宅に戻った美夜は深呼吸をした後ドアに手をかけた。とても緊張するがチラっと振り返ると、後ろにはカイがいる。大丈夫、と美夜は自分を鼓舞しドアを開けた。
「…ただいま」
恐る恐る家の中に入ると、奥からドタドタと乱暴な足音が聞こえてくる。やって来たのは血相を変えた母だ。
「っ!美夜、どこに行ってたの!」
「と、友達の家…」
メールで送っておいた言い訳を口にするも、母は無視して美夜の目の前に迫り肩を掴む。
「あなた、和樹くん…いえ青山社長に何を言ったの!社長がついさっき連絡してきて、婚約の話は無かったことにして欲しいって!まさか直接断りに行ったんじゃないでしょうね?折角のチャンスを棒に振るなんて!」
(無かったことに?どういうこと?)
美夜は全く状況が読めなかった。昨日の今日で何があったのだ、と美夜は視界の端で後ろにいるカイを捉える。