7話
近くに停めてあった車に乗せられ、辿り着いたのはコンシェルジュが常駐してる高級マンション。ずっと混乱していた美夜はカイに手を引かれながら、マンション内を見る余裕すらなかった。
カイの部屋の中に入り、ドアが閉まる音が響いた瞬間ドアに押し付けられ気づいたらキスをされていた。初めて、と言った美夜に気を遣い触れるだけの優しいキスから、舌を絡ませ合う激しいものに変わっていく。
「んっ…ふっ…!」
上手く息が出来なくて苦しかったが、寧ろ嬉しい。同情心からだとしても、ちゃんと自分を1人の女として扱ってもらえて。
カイの寝室は大きなベッドと本棚が置かれてるシンプルな部屋だったが、じっくり見る余裕なんて与えられない。性急な手つきで服を剥ぎ取られ、同じく服を脱ぎ捨てたカイの引き締まった身体を前に思わず目を逸らす。
目を逸らすなと、覆い被さってきたカイの無骨な手が美夜の全身を這う。カイの手によって与えられる快感は、強張っていた美夜の身体を開いていく。
「っ!…」
その時が訪れた時、凄まじい痛みが身体を貫いた。目に涙を浮かべ、唇を引き結んで耐える美夜の顔中に優しいキスの雨が落ちてくる。
「痛いか?」
美夜はフルフルと首を振った。痛いけれど厭うものではない。好きな人に与えられた、幸福を齎す痛みだ。泣きそうになる程嬉しかったが、泣いたらまた心配させてしまうだろう。
揺さぶられる中美夜はカイが何かに耐えるように目を瞑り、荒々しく息を吐いているのに気づく。
恐らく美夜を気遣っているのだ。
(好きにして、いいのに)
心の中で呟いたのが口から漏れていたらしい。低く熱を孕んだ声で「煽るな」と言われ、思わず彼の首に腕を回して身体を押し付けた。その瞬間、彼の中の理性の糸が切れたらしい。
そこから先はもう、彼のぶつけてくる激情に翻弄されるままだった。
「美夜っ…」
欲情した男の声で自分の名を呼ぶカイに、離れたくないとばかりに美夜は彼に全身で縋り付く。
(…今死んでもいいってくらい幸せ)
美夜は満たされた心地のまま、意識を手放した。
*********
目を覚ますと知らない天井が視界に入る。身体が怠く、身動きが取れない。後ろを向くと上半身裸のカイの腕がお腹に巻き付いていた。
美夜は自分が何をしたか思い出し、赤面する。
(…そうか、私カイさんと)
夢のようなひと時だった。好きな人に初めてを捧げることが出来て、恋人みたいに優しく時に激しく触れてもらえて幸せだった。
(…帰らないと)
夢は叶った。思い残すことはない。この日を思い出にたとえ希望のない日々であろうとも生きていける。
(…ありがとうございました…本当に好きでした)
心の中で別れを告げ、ベッドから抜け出そうとすると。お腹に巻きつく腕に力が入った。
「…俺を置いてさっさと帰るつもりか、酷いな」
あんなに愛し合ったのに。寝起き特有の掠れた声、気怠げなカイの顔を至近距離で浴びた美夜はドキッとした。今さっき自分の気持ちと決別したつもりだったが、そんな決意が簡単に揺らぐ。が、すぐ我に返り彼の腕の中で踠く。
「あ、あの、私帰らないと」
「帰って、例の幼馴染と婚約するのか」
「はい、そうすれば、丸く収ま」
「駄目だ」
「ギャ!」
逃がさないとばかりに強く抱きしめられて、美夜は色気のない悲鳴をあげる。
「かか、カイさん」
「君が他の男のものになるなんて耐えられない…彼のことが嫌いなんだよな」
「まあ…はい」
「なら、俺と結婚しないか」
「はい⁈」
予想だにしないカイの言葉に美夜は素っ頓狂な声を上げた。笑い飛ばそうとするが、彼の顔がとても真剣で、自分を見つめる瞳に確かな熱を感じ、美夜はカイが冗談を言ってるわけではないと悟った。
「な、なんで、私一度思い出が作れたら良かったのに」
混乱する美夜が震えた声で言うと、カイは徐にこめかみに口付けた。
「俺は一度きりのつもりで君…美夜を抱いたわけではない。確実に俺のものにするために抱いた」
カイは愛おしげに美夜の頬を撫でる。
「初めて会った時から、ずっと美夜のことが頭から離れなかった…俺は7つも上だし、ただの常連に好意を向けられても迷惑だろうと伝えるつもりはなかったんだが…婚約すると聞いて手段を選んでる場合じゃないと思ったんだ」
自分は夢でも見てるのだろうか、と美夜は目の前の光景が信じられなかった。実はさっき死んだ美夜に神様が見せてる夢だと言われた方が納得出来る。
「…夢ですか?」
「現実だ」
カイが頬をやんわりと引っ張る。少し痛い、現実のようだ。
「俺の告白を夢扱いは困る。自分から告白するなんて初めてで、かなり緊張しているんだから」
「カイさんが?…やっぱり夢」
「だから現実だ、疑り深いな」
「だって、好きな人に好きって言われるなんて夢だと思う…」
「…俺のことが好きなのか」
「好きじゃなかったら、抱いてなんていいませ…あっ」
思わず口を手で塞ぐが、時すでに遅し。カイはとても嬉しそうに、そして不敵に微笑んでいた。
「薄々察してはいたが、はっきり好きと言われるのはやはり嬉しいな。お互い好き同士なら問題ないだろう?俺と付き合ってくれないか、結婚を前提に」
夢じゃなくて現実だ、とやっと理解する。一生分の幸せを味わったと思ったのに、それ以上の幸福があるなんて昨日までの美夜は想像してなかっただろう。
「…嬉しいんですけど、私が婚約しないと父が」
「ああ、そのことなら心配いらない。すでに手は打ってる、昼にはカタがつくと思うよ」
「え?」
美夜はカイの顔を見上げた。昨夜の獣のような雰囲気は鳴りをひそめてはいるものの気怠げな色気を纏った彼はとても格好良い。
「手を打ったって、カイさん何をしたんですか。というか、何者ですか…」
乗ってきた車も、住んでいるマンションも凡そ一般人には手が出せないものばかり。カイがただのサラリーマンでないことは薄々分かっていた。
心配そうに訊ねる美夜にカイは悪戯っ子のように笑い、「今は秘密」と告げる。そう言われるとそれ以上追求出来ない。
「美夜、今日大学は?」
「休みです」
「そうか、俺は昼まで少し出てくるからここで好きに過ごしててくれ。それで急で悪いんだがご両親は今日家にいる?」
「土曜なので、家にいます」
「良かった、昼に挨拶に行くからそのつもりでいてくれ」
「挨拶…?」
「美夜と結婚を前提に付き合いたい、と挨拶しに行く」
「あ、挨拶!?き、気が早くないですか!」
恋人?になったと思ったら次は結婚。確かに結婚しないかとは言われた。だがこれはいくらなんでも早すぎる。
「早くない、君は魅力的だから外堀を埋めないと俺が安心できない。変な虫がつくかもしれないからな」
「…私に魅力なんて」
皆まで言う前に鼻を摘まれた。カイが不服そうに、ムッとしている。