6話
連れて行かれたのは近くの公園。時間が時間なので誰も居ないようだ。カイは美夜をベンチに座らせるとその隣に自分も腰を下ろす。距離が近い、と美夜はこんな状況にも関わらず胸が高鳴っていた。
カイは美夜が泣き止むまで何も言わずにただ隣にいてくれた。差し出されたハンカチで涙を拭うとマスカラやらアイシャドウが付いている。
「あ…ごめんなさい。洗って返します」
「良いよ、あげる」
「そんな、いただけません…」
当然美夜は固辞した。結局カイが折れて「会った時返してくれればいい」と。ホッとしてハンカチを握り締める。
「で?泣くくらい嫌なことがあったんだろう」
カイは表情こそ変わらないが、目が「話せ」と促している。美夜もここまで醜態を晒しておいて、何もなかったで通せるとは思ってない。成り行きでこんな話を聞かされるカイに申し訳ないと感じつつ、美夜は和樹のこと、両親のこと、和樹との婚約話が持ち上がり断った場合父に何をされるか分からないから受けるつもりだと、包み隠さず話した。
カイの纏う雰囲気が一瞬冷ややかなものに変わったがすぐ元に戻る。
「…君は本当にそれでいいのか?」
「…本当は嫌ですけど、私の意思関係なく話が進んでるみたいで。私が我慢すれば上手くいくのなら…」
受け入れるしかない。そう語る美夜の瞳には諦念の色がある。
美夜に自覚はないが、かなり追い詰められていた。
「…あのカイさん…」
「何?」
「…とても非常識なことを言ってる自覚はあります…あるんですけど…一度だけでいいんで私のこと抱いてもらえませんか」
「………は?」
常に冷静な態度を崩さないカイがポカンと口を開けて絶句していた。追い詰められた人間は時にとんでもないことを言い出すのである。
「な、何言ってるんだ。冗談でもそういうことを言うのはやめろ、自分を大事に」
「冗談じゃありません、本気です」
美夜は今日、初めてカイの顔を真正面から見据えた。さっきまでの生気の無さは消え、その瞳には強い意志が宿っている。覚悟を決めた者の目だ。カイは美夜の目力を前にたじろぎ、息を呑む。
「…和樹くんと婚約したらいずれはそういうことをしないといけないじゃないですか?私キスもそれ以上も経験ないんですけど、初めてが和樹くんなのは絶対嫌なんです、だから」
初めてはカイが良い、と美夜の瞳が切実に訴える。カイは眉間を指で抑え、天を仰ぎ何かを考える。そして美夜の方に向き直った。
「…何で俺なんだ?」
「前も言いましたけど、カイさん大人だし格好いいので私の中では『あり』なんですよ。カイさんみたいな人といつか…って憧れてたんです」
追い詰められた時に無意識にカイがいるかもしれない場所に向かうくらいには、彼のことが好きだった。そんなことは絶対に言えない。カイからしたら迷惑だろうから。既に多大な迷惑をかけているけれど。
優しい彼は哀れな美夜の願いを汲んでくれるのか、それとも真面目な性格から突っぱねるのか。
「…良いよ」
「…え?」
「君の初めて、俺がもらう」
いつも通りのクールな表情のまま告げたカイは呆然とする美夜の手を取ると、ベンチから立たせた。
「スマホは持ってる?ご両親には友達の家に泊まるとでも伝えておいた方が良い」
「え、あ、何故…」
「ん?このままうちに連れて行く。今夜は帰すつもりないから」
「……っっっっ!」
発言の意味を理解して顔を真っ赤にした美夜にカイはクスリ、と笑いかけると。
「顔真っ赤にして、可愛いな」
徐に空いてる左手で頬に触れた。その瞬間、美夜の脳は許容範囲を超えてショート寸前に陥り流されるがままの状態になっていた。