4話
△ 前のページへ
幼馴染から助けてくれた常連さんに囲い込まれました。
7月の頭、すっかり暑くなってきたある日。テスト期間が近づいてきたのでバイトのシフトを減らし、友人と図書館で勉強して帰った時のこと。珍しく既に帰宅していた父に帰って早々、リビングに呼び出される。
「…ごめん、今なんて言ったの?」
美夜は話の内容が理解出来ずに聞き返す。
「青山社長から和樹くんと美夜を婚約させてはどうかと言われたんだ」
(……は?)
婚約、和樹…美夜はその単語が耳に入った瞬間思考が停止してしまった。だから聞き返したのだが、残念ながら聞き間違いではなかったらしい。瞠目して固まってる美夜を尻目に母は笑顔で相槌を打っている。
「…何でそんな話が?」
かろうじて口に出来たのはこれだけ。父は顎に手を当てて続きを話す。
「和樹くんも大学2年、そろそろ婚約者をという話が出ていたらしい。親族の集まりで改めて婚約者についての話題が出た時、彼が言ったそうだ、幼馴染の美夜と付き合っていて婚約するつもりだと。社長は無理に政略結婚させるより、どうせなら和樹くんの望む相手と結婚させたかったようだからとても喜んでいたよ」
「は?」
美夜は訳が分からず、思わず鋭い声が漏れる。そんな美夜の様子が見えてないのか嬉しそうな両親は互いに顔を見合う。
「俺も社長から聞かされた時は驚いたよ。まさか美夜と和樹くんが」
「私もよ、美夜。あなた和樹くんと付き合ってるならちゃんと言いなさい。あなた達2人だけの問題じゃないのよ」
「…私、和樹くんと付き合ってないし婚約の話も初耳なんだけど」
「え?でも和樹くんは美夜とは相思相愛だと」
とんでもない嘘に美夜のこめかみが引くついた。相思相愛どころか美夜は彼のことが正直苦手である。しかし、ここで母が恐ろしいことを言い出した。
「美夜ったらまたそんなこと言って。昔から和樹くん相手だと恥ずかしがって素直になれないんだから」
母が呆れた眼差しを自分に向けた時、美夜の心が急速に冷めていく。母は昔から美夜が和樹に酷いことを言われたと泣きついても「和樹くんは素直になれないだけ」「大袈裟に騒ぎすぎ」「和樹くんがそんなこと言うわけないでしょ」とまともに取り合ってくれなかった。和樹の外面は完璧で実の両親ですら気づいてないのだから、美夜の両親が信じてしまうのも仕方ない。いや、両親は和樹と美夜の仲が良い、と思い込みたいのだ。
両親は勤め先の社長の息子である和樹と美夜の関係が、そのまま自分達の将来に直結すると思っている。実際常々和樹と仲良くと言い聞かされて育ったから、両親のためと苦手な相手でも我慢して友人付き合いしてきた。が、結婚はとてもじゃないが受け入れられない。美夜のやることなすこと全てが気に入らない彼と結婚したら、四六時中嫌味を聞かされ続ける。想像しただけで息が詰まるし心身共に削られ疲弊する未来が見えた。
「私は和樹くんと…婚約したくない」
今まで耐えて、嫌なことは全部飲み込んできた。そんな美夜が初めて両親の前で和樹を拒絶した。
が、両親は深く溜息を吐き母は美夜を見つめた。失望の色を纏った瞳で。
「我儘言うんじゃありません。何が不満なの、うちみたいな普通の家庭から次期社長の妻になれるのよ?大学卒業後は美夜を青山フーズに入社させてくれるし、お父さんだって良いポストに就けるのに」
(…ああ、本命はそっちか)
青山家と縁戚関係になることで父は重役の席を約束される。美夜が受け入れれば家族皆が幸せになれる、と母は言っているのだ。
多分その幸せの枠内に美夜は入っていない。
(お父さん達は私が苦しもうがどうでもいいんだ)
美夜は今すぐ叫び出したい衝動に駆られるが、寸でのところで耐え「考える時間が欲しい」と告げた。母はすぐ承諾しない美夜に難色を示してたが、父は了承してくれた。
父ならば話せば分かってくれるか、と一瞬希望を見出すもすぐ諦める。美夜と和樹が婚約することで1番恩恵に預かれる立場の父が、美夜の意思を尊重してくれるとも思えなかった。
結局のところ、元凶と話をつけるしかないのだ。部屋に戻った美夜はすぐさま電話をかける。相手はすぐに出た。
『なんだよみ』
『どういうこと!婚約とか付き合ってるとか!なんであんな嘘つくの?お父さん達乗り気なんだけど!』
開口一番怒りを露わに叫ぶ美夜に、電話の向こうの和樹が面倒くさそうな溜め息を吐いた。
『そのことか?親戚連中が婚約者を決めろって取引先の令嬢や自分の娘を勧めてきて、鬱陶しかったからお前の名前を出した』
『なんで』
『親戚が勧めた相手と結婚したら将来的に口を出してくるのが分かりきってる。お前なら面倒なしがらみがないし、今更取り繕って相手の機嫌を取る必要もなくて楽だろ』
(何それ)
和樹は昔から外面が完璧だった。実の両親相手でさえ優秀で聞き分けのいい人間を演じてきた。その反動で親の立場から逆らえない美夜に辛く当たって鬱憤を晴らしてる節がある。
青山フーズの次期社長の婚約者となれば、然るべき家柄の然るべき教育を受けたお嬢様だろう。そんな相手に美夜に対してと同じ態度を取るわけにはいかない。結婚したらずっと外面の良い人間として接し、相手の家からの干渉にも対処する必要がある。
美夜はそんな彼にとって実に都合が良い。父はポストを約束すれば必要以上に経営に口を出さないだろうし、取り繕う必要のない美夜を今まで以上にサンドバッグに出来るのだ。