第8話 死グモの洞窟攻略
神鳴蜘蛛アラグラーは雷台地の中心に存在する洞窟【死グモの洞窟】の中で、眷属から伝えられたオックリの言葉に思考を巡らせていた。
【アイズデーモン】
その名を聞く時は決まって悪い噂ばかり。
ダンジョンマスターと呼ばれるほどのダンジョン作成術を持ちながら、その作成目的は全て自分の欲を満たすためという怪人。
『豆の木』と呼ばれた天を衝く樹木型ダンジョンも、表向きは大きさに比例した攻略難易度の高い砦の一つとして有名であった。
しかしその実態は彼女に刃向かった巨人族の戦士たちを幽閉する監獄であり、年に一人ずつ巨人が落とされる処刑場でもあった。
先代の勇者一行が十年の月日を経て攻略し巨人族を解放したことで役目を終えたが、その凄惨な有様については魔王軍内でさえ箝口令が敷かれている。
そんな悪名高き悪魔が、『全ての罠や魔物を配置しておけ』という伝言を送ってきた。そして眷属は黒い液体を身体中から吹き出し絶命。
それはすなわち、『今からこのダンジョンを攻略してやるぞ』という意思表示に他ならない。
「アラグラー様。総員、戦闘配置につきました」
「そうですか。ならあなたも持ち場に戻りなさい。隠居したといえど相手は伝説の存在、気を引き締めるように」
「はっ!」
しかしそんな怪物からの宣戦布告があったからとはいえ、彼女は微塵も敗北するつもりはなかった。アラクネやモスキートといった虫の他種族は他と比べ弱点が非常に多い。
そのため戦争で最も被害の出る種族であり、迅速に戦力を削りたい人間側からすれば格好の的である。彼女自身も、先代の勇者に故郷を焼かれた身。その復讐のため、今や三魔将の地位となるまで上り詰めた自信はアイズデーモンが相手でもそうそう揺るぐものではなかった。
アラグラーは玉座に座し、眷属からの報告を待つ。台地の上空には翼を持つ虫たちが飛び交い、オックリが現れた時にすぐさま対応ができるように巡回している。この洞窟は異空間でコーティングしているため、外部から入るには入口からしか不可能。
久しぶりの実戦だと息巻く彼女は雷の魔力を迸らせ、ふと、目の端に映ったものに気を取られた。
「お姉ちゃん」
「…………はい?」
目の錯覚か。故郷とともに死んだはずの妹の姿が見えた。
まだ人型の部分も未成熟な小さな蜘蛛。それは覚束無い足取りで近付いてくると、弱々しく笑顔を浮かべた。
「あなた、なんでっ……!」
「お姉ちゃんどうしたの?お顔が真っ青だよ」
動悸が激しさを増していくにつれて、夢にまで見た妹はさらに身を寄せてくる。玉座から崩れ落ち、それでも目の前の出来事が信じられないアラグラーは身体を引きずりながら距離を取り続けた。
「なんで離れるの?近くに来てよ」
「いやっ、だめ…来ないで…!」
「ねえ早く。おいで。早く。お姉ちゃん」
脳裏に蘇るかつての記憶。魔王軍に入隊して間もない頃、勇者襲来の急報を受けて出動した。しかし、戦火に包まれた里に辿り着いた時には手遅れだった。
「早く。なんだか暑いよ、お姉ちゃん。早く。熱い、熱イィィィ」
そう、まさに目の前で発火しだしたその姿で妹は転がっていた。全身を炎に包み、血の涙を乾かしていた真っ黒な身体で。
「ナンデ早ク来テ来レナカッタノ?兵隊サンナノニ、早ク助ケニ来テクレナガッタガラ!ワダジモ、パパモママモ死ンダ!」
「違っ、いやっ…!許してっ」
「オマエノヨウナ裏切リ者ガ許サレルコトハナイ!オ前ガ憎クテ堪エラレナイ!!」
黒い身体がドロドロに溶け、触手となって鞭のようにしなる。薙ぎ払いは壁を抉りながら放心した神鳴蜘蛛へ向かった。
「アラグラー様!」
「ッ!なっ!?」
その時、眷属の一人がアラグラーを突き飛ばす。その衝撃で我に返るのと、目の前で眷属が真っ二つにされたのは同時だった。
「うご…アラグラー様!突如巡回していた者たちからの連絡が途絶え、入口から未知の黒い液体が津波のように押し寄せています!」
虫の驚異的な生命力によって状況を報告する眷属。彼は触手の二振り目によってついに絶命したが、それだけの時間があればアラグラーは心を持ち直し体勢を整えていた。
触手の動きが途端に停止する。よくよく見れば、透明な糸が彼女の手から伸び触手を絡めとっていた。
「キィイイエエェェアアアッ!!」
「失せなさい、亡霊」
触手の表面に無数の目玉が開き、この世のものとは思えない奇声を発する。対しアラグラーはただ腕を振り、糸によって触手をバラバラに切り裂いた。触手は床に落ちると、形を崩し泥となって染み込み消えていく。
「……ああ、そうでしたね。アイズデーモンは何よりもまず相手の心につけ込む外道だということを忘れていました。さて……まずはあれから止めなければ」
地面が重く揺れ出す。上階へと続く階段へ視線を向ければ、猛り狂う黒の激流が何もかもを飲み込み流れてくるところだった。
◆
「……おや、やられちゃったのか?」
地面から染み出た泥を取り込みながら、オックリは薄ら笑いを浮かべながら心底驚いた表情を見せた。彼女の予想では過去の影に何もできず死ぬはずだったのだが、これは思わぬ収穫だ。
いつの間にかできていた三魔将とかいう地位。そこに収まっている者たちがどれほどのものかを探るには、相手が最も心を傷つける方法で対峙するのがいい。
この程度で終わるならば三魔将は皆殺しにする予定だったが、それは杞憂に終わった。
そう感心していると、何やら空が騒がしくなってきた。何事かと上を向けば、迸っていた稲妻が落雷となりちょうどこちらへ向かってくるところ。彼女は右の手を液状化し盾に変えることで危なげなく雷を防いだ。
それと同時に、濁流を流し込まれていた洞窟が輝き一条の光が飛び出す。雷の魔力を纏ったアラグラーだった。
「あなたがアイズデーモン。随分と派手にやってくれたものです」
「どうせなら派手にやる方が楽しいから。贈り物は気に入って頂けました?」
「はい、素晴らしかったです。反吐が出るほど」
「それは良かった」
アラグラーが辺りをざっと見渡してみるも、眷属の姿は見当たらない。既に死んでいると考えた方がいいだろう。
「それにしても、情けないねぇアラグラーさん。三魔将と呼ばれながら、なかなかに無様な姿だったじゃないか」
「……そうですね。眷属を一人犠牲にしなければ危ういところでした」
「おお、思ったよりも素直だ。ならこれから起こることも素直に受け入れてくれると嬉しい」
オックリの背から黒い触手が次々と生える。先程の一件で顔を苦々しく歪めるアラグラーへ、彼女はすっきり簡潔に述べた。
「これから襲いかかりますので、ちゃんと抵抗してくださいね。さもなくば死んでください」