第7話 ランプの絨毯
食事を終えたオックリはハジュンに連れられ城の広場へと向かっていた。
彼女の最初の仕事は神鳴蜘蛛アラグラーの砦を完成させること。その砦までの足を用意してくれたという。
「それで、神鳴蜘蛛さんとやらの拠点はどこに?」
「奴は魔界の最西端に位置する密林、その中心にある【雷台地】に砦を築いている。魔王城からとなると馬車を用いても優に数ヶ月はかかる距離だ」
「へえ。でも鬼気迫る状況なわけだし、呑気に馬車でとか言わないよね?」
「無論だ」
ハジュンは広場の中央まで進むと、懐から黄金のランプを取りだした。そして輝くランプを磨く……のではなく大きく振り上げ広場の床へと叩き付けた。
「わお。これってランプの魔人ってやつかい?」
「惜しいな。これは魔人ではない」
割れたランプから大量に吹き出した煙がハジュンの足元に収束し、ひらひらと浮かぶ絨毯へ形を変えた。
「ランプの絨毯だ」
「なんで微妙に間違えさせようとしてくるんだ」
オックリが足を乗せてみれば、布一枚だというのに地面に立っているかのように安定する。まだ現役だった頃には無かった代物のため、彼女も少々胸が高鳴る様子。
目を輝かせている様子のオックリを見て踵を返すハジュン。しかし何か思い出したのか、一歩踏み出した後にすぐさま振り返った。
「オックリ、一つ言い忘れていた」
「ほよ」
「そやつ、かなりのじゃじゃ馬だから気を付けた方がいい」
「へ――」
気を付ける暇などなかった。絨毯は瞬時に加速、尋常でない速度に達し、オックリを遥か上空へと連れ去った。
遅れて聞こえてきた彼女の悲鳴に呆気にとられ、頭を掻きながらハジュンは城内へと戻っていくのだった。
「クククッ。情けない声だ」
たぶん確信犯かもしれない。
◆
「……ぁぁぁあああああああッッ!!!」
絨毯は飛ぶよどこまでも。
その辺の怪鳥など優に超える速さで空を裂く絨毯。必死に手で掴まっているオックリは上下左右に振り回されながら雲を突き抜けていった。
彼女は叫びながらも、雷台地特有の稲妻が迸る雲に入ったことに気付く。
「目的地に向かってるってことは、言葉はわかるって認識でいいんだよね!?お願いだから速度を落としてくれないかな!」
『生憎俺は主である哭空様か大魔王様の命令しか聞けない契約になっていてな!台地を囲む森の手前で下ろしてやるからな!』
「シャベッッタァァアアアッ!?ゲホッ!ウェホッ!」
叫んだ拍子に雲を大きく吸い込み咳き込むオックリ。品の無い大笑いをしながら、絨毯はますます速度を上げていく。
『前にシートベルトを付けほうがいいって進言したんだけどよ!空飛ぶ絨毯は布一枚以外いらねぇってんで主に却下されちまった!だから命の保証はねえぞ!』
「アナタの主人ってそんなことにこだわるんだね!いつもなら好きって言えるタイプだ!」
『それでいざ使う時に危なかったらただの馬鹿としか言えねえだろ!』
「ああ!アナタの言ってることは正しい!!」
上空高速飛行のために大声での応酬をする一人と一枚。そうして飛んでいると、急に絨毯の加速が強まった。
「うわっ!?なに、なんでまた早くなった!?」
『やっべー……俺の声、主に聞こえてるの忘れてた!ギャッハッハッハッハッ!』
「アハハハ……これって笑えるの!?」
『目的地周辺ですってな!さあ下りるぞ覚悟しろ!』
「ウヤァァァアアアアッッ!!?」
突如下降を始めた絨毯。先程まで以上にかかる負荷に耐えながら、オックリは薄目を開ける。
そこには、いつの間にか雲を突き破り、目の前まで迫っている地面があった。
「こんなのメチャクチャだぁぁあああッッ!!」
絨毯は速度を緩めることなく一直線に進んでいく。その次の瞬間には、黒いシミが地面に一つできたのだった。
服の切れ端や割れた身体の破片がドロリと溶け、一箇所に集まっていく。やがて黒い泥は盛り上がり、オックリの姿をとった。
「…………あー、ちくしょう。砦を全部完成させたら今度こそ隠居だ。泣き疲れても追い返してやる」
身体の修復が終わったオックリは周囲を見渡す。しかし先程まで自身を載せていた絨毯は見当たらず、ランプから出ていたものと同じ煙が漂っては消えるのみだった。
「主人のもとに帰ったみたいだね。絨毯を通して嫌味でも言ってやろうかと思ったんだけど……」
凄まじい速さで地表に衝突したはずなのにクレーターが無いのは、オックリが液状化し絨毯は煙となったからだろう。
文句は言いつつも諦めて森へ入ろうとした時、彼女はふと近くの池に自分の姿が映ったことを確認した。
「……あー、せっかく気を付けていたのに。やっぱりクセはいつまで経っても抜けないな」
右腕と髪の内側が青く染まっていた。元の肌色と黒に戻すと、彼女はいよいよ雷台地へと続く森へ入っていった。
森は高い木々によって薄暗く、根も地表に顔を出している部分が多いため獣道すら見当たらない。
しかしオックリは涼しい顔で越えていく。少し細いが、その肉体は通常の魔物など平気で吹き飛ばすほどの強度を持つ。この程度は御茶の子さいさいだった。
「んー……程よい暗さに程よい険しさ。常に空を覆う雷雲は音すらも妨害するか。それに……」
オックリは立ち止まり、懐からメダルを取りだして目の前に投げる。メダルが地面につくと、木々のざわめく音とともにその姿が消えた。
見えない糸による罠だ。
メダルは糸に攫われ、糸網が高枝まで吊り上がった。その勢いたるや、足や腕が絡め取られてしまえば脱臼、首では即死に繋がってしまうだろう。
蜘蛛の巣状のものであったり、地面に張り巡らされたものであったりがそこら中にある。強度もかなりのもので、オックリの魔力を流した腕による一閃でさえ断ち切るには至らなかった。さらには糸に含まれた毒が懸命に腕を侵食しようとしている。
「ふむふむ、流石は蜘蛛と言うべきかな。トラップや状態異常についてはプロフェッショナルというわけだ」
しかし何か物足りないのか、彼女は手に瞳の意匠が拵えられた杖を取り出すと天へと掲げた。
「でも雨が降っていないのはいただけない」
杖から魔力が解き放たれ、雷雲へと立ち上っていく。魔力は雲に作用し、凄まじい雨風を引き起こした。
「土砂降りの雨で視界の悪さをさらに悪化させ、嵐の轟音で周囲の情報をシャットアウト。これで罠もより効力を発揮するだろうね」
勝手に砦付近の環境までも改めていくオックリ。こんなことをされてしまったら流石に出てこざるを得ないようで、地面からは幾つもの虫型魔獣が顔を出した。どれも姿などは異なるが、神鳴蜘蛛の眷属であることは間違いない。
「どーも、皆さん。私はオックリ、アナタ方の主人が受け持つ砦を完成させろと命じられここに来ました。伝言をお願いしよう。『ワタシは手直しをしながら向かうので、それまでに全ての罠や魔物の配置を完了させておくように』とね」
数体が再び地面に潜り、残った魔獣たちは遠巻きに彼女を監視する。言った通りにしてくれたと、オックリは神鳴蜘蛛の眷属たちの有能さに頷き進んでいくのだった。