第3話 電話は長引かせるものではない
『ん、もしもし?我輩だ、ハジュンだ』
「はい、もしもし。こちら【真っ昼間から仕事サボって電話掛けてきてんじゃねーぞアホンダラセンター】です。御用の際は通話終了ボタンを押しやがれください」
『おい、急にどうした?いつもよりもふざけ倒してるじゃないか。何か気が滅入ることでもあったのか?』
「…………ま、そんなとこかな」
鼻孔の上に絆創膏を貼ったオックリは背中からもう一本の手を生やして電話をしていた。残る二つの腕は先程起こしてしまった同居人へのマッサージに使われている。
竜の他種族【アステル】。かつて行き倒れていた所をオックリに拾われた竜人だ。
「なんてね、冗談冗談。それにしてもずいぶんと久しぶりだね兄弟!こうしてお話できて存外に嬉しい。カミさんは元気かな?」
『あーあーやめろやめろ。地縛霊のくせに元気すぎて参っている。この間も娘たちがまたお前に似てきたと言ってカッカしているのだ』
「プククッ!それは災難だね。ならワタシの介入する余地が無いぐらい……とまでは言わないけれど、少しはあの子たちの相手をしてあげるといい。父親でしょう?」
『できたら苦労はない。仕事はまだまだ山積みなのだ。そもそもイラついている元凶はお前だ。棚上げして煽るな馬鹿者め』
「ほよよ。で?こんな時間に突然なんの用なのさ。こっちはご飯作ったりと忙しかったのに」
電話を続けつつ、マッサージの手は緩めない。というよりも、ぶっちゃけ久しぶりの旧友との電話より重要だ。
間違っても気を抜いてはいけない。少しでも不足があればまた空を飛ぶ羽目になるからだ。
だから電話越しに『いよぉし!』やら『うわ、賭けに勝ったぐらいでそこまで喜ぶかフツー。キモ』とか聞こえても気にしてはいけない。
「後で賭けの件はしっかり説明してもらうとして、さっさと本題に入ろうか。何の用です?」
『あぁ……オックリ。ダンジョンクリエイターに戻るつもりはないか』
「……本気で言ってる?」
マッサージを終えると、彼女はあからさまに不機嫌な声色でベッドに腰掛けた。
「ねえねえ、隠居した旧友を捕まえて何を言うのさ。今更戻ってくれなんて言われてもさ…」
『お前の言いたいことはわかる。我輩たちのために身を引いてくれたお前に頼むのも心苦しいのだ。なのだが……』
「……相変わらずわかりやすいねハジュン。相手のことを思うあまり語気が弱くなる。ワタシのような悪魔にそこまで気にかける必要があるかい?そんなのでは大魔王なんてやってられないでしょ」
『黙れ。お前に気を使われるほど落ちぶれていない』
「ほよ。なら次はもっと頑張ってくださーい?魔王ちゃまぁ…!」
『貴様…!苛立たせて楽しむのも相変わらずだな、変わっていないようで安心したぞ蝙蝠が』
化粧台からヘアブラシを取ってきたアステルがオックリの膝の上に座る。オックリはブラシを受け取ると、慣れた手つきでアステルの髪を梳かし始めた。
「しっかし、ワタシに話が回ってくるとは驚きかな。他に適任はもっといたはず……そうだ、あの双子のスライムがいた!ワタシがいた時でも年若かったんですから、今でもまだまだ現役でしょうよ」
『あれらは……30年前、獣人の娘二人を取り込もうとしてな。娘たちが偶然にも魔法を扱えたために、油断して体内に水魔法をぶちまけられたのだ。その水が膨大な量でな、身体の大部分が溶けてしまって今は療養中だ』
「あの色ボケども……ん?獣人が魔法だって?獣系の他種族は魔法との親和性が著しく低かったはずでは?」
『その獣人の二人、双子だった』
「あぁ……」
双子、三つ子、四つ子。共に産まれた子は魂が混ざり、酷似した才能を得ると言われている。
獣人が魔法の才能を得た奇跡を分かち合った双子となると、あらゆる分野の者たちが求める逸材だろう。
『先程報告が入ってな、人間界の規模の大きいダンジョンがこの一ヶ月で三つも攻略されたのだ。これで地上のダンジョンはお前の物以外は全滅、もはやお前に戻ってきてもらう段階にまで状況は切迫している』
「一ヶ月で三つ?ちょっと冗談はよしてよ。ワタシの『豆の木』ですら攻略開始から十年はもったのに」
『だから、お前が必要なのだ。今のを聞いただけでも事の重大さがわかるだろう』
「……う〜ん」
髪を梳かし終われば、次は着替えの時間だ。
眼孔を閉じ、パジャマを脱がしてお出掛け用の服に着替えさせる。この時に目を開けることは勿論、少しでも肌に触れると冥府への急行列車に乗ることができるぞ。
『まだ足りないか?』
「逆効果なんですよ。今更っていうのもありますが……そこまで程度が低いと、もうワタシがやってやるって気持ちも湧かないというか。食指が動かないというか」
オックリが隠居した理由は二つある。
一つは、戦争の要となるダンジョンを数多く作成したから。
元々あまり政を好まない彼女は手本を見せ、後は後輩たちが好きにダンジョンを作成させることで自身は自由に動けるよう取り計らっていた。すなわち、魔王軍の中で彼女がやるべき事は無くなったのだ。
二つは、彼女が生粋の外道であったからだ。
なぜ彼女が悪魔と呼ばれたのか、それは敵味方問わず掻き回し破滅へと追いやってきたからに他ならない。
隠居する前は名のある魔族や英雄、さらには天使、神々までも彼女の毒牙にかかり、凄絶な死に顔を晒した。
さて、ここで必然とも言える問題が発生した。
災いの数々をもたらした悪魔がダンジョンマスターなどと持て囃され、大魔王や相談役の夢魔と仲睦まじく居る。それが面白くない者も当然出てくるわけだ。
中にはハジュンに直談判するような者まで出てくる始末。ただの内輪揉めでは済まないぐらいには膨れ上がってしまった禍根。戦争中にあってはならないもの。それを除くために、彼女はハジュンの命令によって渋々魔王軍を去った。
つまるところ、ただの自業自得である。
『相も変わらず外道だな……だが、これを聞けば、お前も重い腰を上げるはずだ』
「なにさ、これ以上はもうお腹いっぱいなんだけど。恋人の通話じゃないんだから、あんまり長い時間取るんじゃ――」
『【迷宮が入り組みすぎて多数の味方が行方不明になった】』
「…………なんだ、それ」
『先程のダンジョンが攻略された理由だ』
「……ねえ待って、待テ。イヤな予感がスる。ソレ以上は言うナ…!」
オックリの髪がざわめき、メキメキと角が成長していく。歯が青く鋭くなった口からは黒い液体を垂らし、背は盛り上がり不気味に揺れる触手が顔を出す。
彼女はダンジョンクリエイターとして天性の才がある。そして人一倍の誇りを持っていた。奪うことが人生であった彼女にとって初めて何かを残せたが故にだ。
その感覚が警鐘を鳴らした。彼女にとって数少ない誇れる仕事、その矜持がこれから来るであろう衝撃に耐えられないと泣き叫ぶ。
『まだまだあるぞ?【秘密の最下層直行エレベーターを付けたら勇者たちに発見され利用された】、【ダンジョン自体の構造が薄くて階層に穴を空けられた】などなど』
「ヤメロと言ったハズだ黙れハジュンッ!!…………あっ」
まず断っておこう。彼女はダンジョンの作成に関しては一家言ある。
ダンジョンにかける熱量は凄まじく、先程話題に出た双子のスライムなど多くのダンジョンクリエイターを育て上げた。だからこそ、その色が薄くなった今のダンジョンクリエイターの失態に凄まじいショックを受けた。
そして、現状を確認しよう。
彼女は電話を片手間にしながらアステルを着替えさせている。そして、今はちょうど新たに生やした複数の腕で上着を着せながら、ショートパンツを履かせているところだ。
触れている。
異形となっても柔らかい感触を正確に伝える手が、慎ましやかな胸部と丸みを帯びた臀部に。
自分の世話を焼いてくれているオックリのために、電話中は言葉を発さずじっとしていたアステル。その健気さを、彼女は最悪の形で裏切った。
前述の通り、彼女はダンジョンに一家言ある。決して邪な気持ちなど微塵も無かった。
しかしそれで済めば警察はいらないのである。
「うっ…ま、待て……」
「………………」
『ダンジョンマスターのお前には耐えられないだろう?その気になったら城まで来い。待っているぞ』
電話が切られると同時に、笑顔を貼り付けたアステルによって彼女は星になったのだった。