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35話 此花姫香  ――避難――

「現在、日本国は謎の武装勢力のテロ攻撃を受けております。現在のところ攻撃は奈良県内と局地的で、自衛隊及び警察組織が確実に防いでおりますが、今後、テロの矛先が一般市民に向かう可能性も否定できません。そこで、奈良県と大阪府の一部に居住する国民全ての県外避難を要請するものです」


 日本政府が奈良県民と大阪府の一部に避難勧告を発したのは、二上山で大規模な戦闘があった翌々日のことだった。


 姫香はホテルでその会見を見ていた。


「ジングウ、何が目的なのかしら?」


「社会のパニックを狙っているのでしょう。そして、次に狙うのは、カリスマの座だと思います。部下がいなくては、国の統治は不可能ですから」


「ジングウは本当にその方向で動いているのですか?」


 神野が訊いた。Tシャツとチノパン姿だった。今日、彼は休日らしい。なのに、比呂彦と話したくて来たと言っていた。正式な監視役はロビーで待機しているのだという。


「間違いないと思います。道具は違っても、やり方は昔と同じです」


「上京し、総理の命を狙うということはないかな?」


「この数日で、民主主義的な手法で権力を掌握することは不可能だということは理解していると思います」


「すると、地方政権の独立みたいなことを画策していると……」


「可能なのはそれぐらいでしょう。しかし、武力で地方を独立に導いたとして、国際社会はそれを認めないでしょう」


「すると、ジングウはすでに詰んでいる?」


「ええ。僕はそう考えています。だからこそ、彼女を目覚めさせたくなかった」


 その言葉に、比呂彦の愛情を感じた。……なんだか、もやもやする。


「現場は大変なことになっているはずです。何か、僕に要請はありませんでしたか?」


「今のところは何も……」


 神野が恐縮したように答えた。


「何があったのか、教えてはもらえないことが多いのでしょうね?」


 比呂彦が露骨に嫌味を言ったが、「申し訳ない」と詫びる神野も楽しげだ。


「神野さんも、サラリーマンだなー」


 その指摘には、神野も嫌な顔をした。


 比呂彦と姫香のスマホが鳴った。比呂彦に掛けてきたのは清海で、姫香の相手は母親だった。『早く逃げなさいよ』二人は同じことを言った。


「そっちはどうなの?」


 姫香が訊くと『東京の街はいつもと同じよ』と母親は応じた。いつもの様に新宿に買い物に出ているけれど、市民は落ち着いているという。ビルの壁に掲げられたハイビジョンテレビは緊急避難のニュースばかりを流していて、それを見上げる市民がいるけれど、他人事らしい。


「宗像博士は?」


 比呂彦が清海に訊いた。


『ママなら、そっちに行ったままよ。でも、今日か明日には帰るって』


 清海は、まるで同じ部屋に比呂彦がいるかのように答えた。


『避難って、大変ね。すごい渋滞。テレビでやってるわ。電車も大変みたい。ヒロ君も早く戻っておいでよ』


 そう言うと電話を切った。


 奈良県内のテレビに流れるのは、避難の映像ではなく避難を促す鈴木官房長官の渋い顔だ。


『自衛隊は最善の対策を行っております。国民に危険が及ぶことはないと考えておりますが、不測の事態に備えて奈良県内から早急に非難することを要請します』


 官房長官は、まるで葬式の弔辞を読む調子で繰り返した。


 姫香たちは避難するつもりなど少しもなかった。しかし、ホテルが閉鎖されることになり、移動せざるを得なくなった。


「避難先は、大阪か、京都か、どちらが良いですか?」


 神野が訊くと比呂彦が大阪と応えた。


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