入れ替わった女神と魔女
【異世界転移ファンタジー】
雨の日だった。
黒髪の意地悪そうでシワだらけの女が、一つの鍵を落とした。水晶で出来た硬い鍵だ。お金のない若い男はそれを財布の肥やしにしようとした。しかし、彼の手が止まる。鍵に醜い口があったからだ。
鍵は言う。「わたくしを元の美しい姿に戻して」と。
これは少し奇妙で、夢のような異世界のお話――――
◇
「……あれ。ここどこだ?」
男は訳が分からなかった。見渡す限り草原が広がっている。地面を這うのは虫ではなく、ゲル状のスライム。気味悪がった男はそれを踏みつぶした。スライムはぶにゅっと分裂する。
「うへぇ、きもちわりぃ」
男は周囲を見渡した。赤い鱗のドラゴンやコンクリート壁のようなゴーレム。木の側には見たことのない小人が、男を睨んでいた。
「な、なんだよ。ここ!」
混乱していた男の側に馬車が止まる。小人たちは、サッと何かから逃げるように森の奥に走って行く。男はこれから何が起こるのだろうという恐怖で動けなかった。
しかし、馬車から降りてきたのは、それはそれは美しいお嬢さんだった。
(うへぁ! でけぇ胸!)
氷の様に美しく涼しい瞳に、ブロンドの髪。とてもこの世の者とは思えない。彼女は馬車から降りて、自分に見惚れている男にこう言った。
「わたくしはこの世界の女神。あなたには、この世界の平和のための鍵の番人の役目を与えます」
「鍵の番人……平和?」
「そう。わたくしは魔王を鍵の中に閉じ込めました。魔王が居ると、この世界は濁って、美しくなくなります。そのためにわたくしがあなたを呼んだのです」
「……それは、俺の一生が保証されたってことですか?」
金の無かった男にとって、将来性を語られるのは、美味しい話だった。女神は地面に落ちている水晶の鍵を指さして、「あなたの人生の保証はします。拾ってください」と命ずる。
水晶の鍵は、醜い歯をむき出しにして言った。
「わたくしが本物の女神です! 騙されないで! 拾ったら最後、あなたは魔女の呪いに憑かれてしまう!」
唾が飛び散って気持ち悪いと、男は思った。しかし、将来が保証されているなら良いかと、軽い気持ちで鍵を拾ってしまう。
すると……。
「なんだよこれぇ!」
男はしわくちゃのお婆さんの姿になってしまった。水晶の鍵は男の首からぶら下がって取れない。その瞬間女神は大声で叫んだ。
「きゃー! 虐殺の魔女デス・グリフォルよ!」
その声を聴いた瞬間。空気が淀んだ。待ち構えていたかのように馬車の中から数人の剣士が出てくる。男はその瞬間。自分がとんでもないことに巻き込まれたと確信した。
(こ、殺される!)
――――ピカリッ!
男たちの剣が無抵抗な老婆を切り裂こうとした時。水晶の鍵はエメラルドグリーンに光輝いた。その眩しさのおかげで、老婆は森の中に避難できた。
「くそぅ。エルドラめ。どこまでもちょこざい奴だ」
美しい女神は、目じりをあげて地面に唾を吐き捨てる。それは、地面にうようよいるスライムたちを溶かした。
◇
「はぁ、はぁ。死ぬって。俺死ぬって……!」
「冷静に。グリフォルを倒す術を考えましょう」
「そもそも、どうなってんのか説明しろ。キモイ鍵!」
「しっ。大声を出さないで。気づかれてしまいます」
ここからは鍵と老婆の会話になる。水晶の鍵は、醜い歯を表に出しながら必死に説明をしていた。
「この世界は、エルドラント。わたくしはここの管理者。エルドラ。みなからは女神と呼ばれていました」
「ました……ってことは、何かあったんだな」
「ええ。実は変化の術を得意とする魔女、デス・グリフォルによって、わたくしの地位は貶められました」
「あー、なるほど。それで何とかフォルにハメられて、こんな不細工な鍵になったってことだな」
「……あなたもグリフォルの姿……ぶちゃいくなお婆ちゃんです」
「うっせぇな!」
「静かに……」
老婆は慌てて気配を消した。未だ近くにグリフォルやその手下たちが居る。見つかればきっと殺されてしまうだろう。老婆は水晶の鍵に尋ねた。
「どうしたらこの呪いを解く事が出来るんだ」
「この森に一つだけある鏡です。あなたがそのぶちゃいくな姿を見て『私はデス・グリフォルだ』と言えば、すべての呪いは解けます」
「それ。向こうも知ってたら、もれなく付いて来るじゃねぇか」
「あら」
「あら、じゃねぇよ。そんなだから姿かたち入れ替えられちまったんだろ」
「むっ」
「かわいくねぇよ、そんなブッサイクな口元見せられても」
とまぁ。このような会話をしながら泉を発見することはできた。しかし、やはりグリフォルの手下たちが陣取っていて近づけない。
あるのは木漏れ日のみ。
(水晶はチカチカして困るぜ……)
老婆は、鍵の反射を遮るようにぎゅっと握った。そこである作戦を思いつく。
「お前自体を鏡にしたら良いんだよ」
「えぇ?」
「気味わりぃけど、磨けばもっと光って鏡みたいになるはずだ」
「うーん……」
「だからここから離れよう」
――――ぽきっ……。
老婆は木の枝を踏んでしまった。
「むっ。そこに居るのかい? エルドラ!」
聖女の姿をしたグリフォルが目を吊り上げてやって来る。その手下たちにも囲まれてしまった。万事休す。
その時。
泉の中から一角獣が水しぶきをあげながら出現した。どうやらこの泉の主らしい。
「我の寝床を荒らすな。即刻立ち退け。さもなければ、この角でお前たちを貫くぞ」
そう言って、威嚇してきたのだ。
真っ先に口を出したのはエルドラの姿をしたグリフォルだ。
「わたくしは女神です。悪い魔女が居たので懲らしめていたのです」
「違うわ! わたくしが本物の女神です!」
続いて本物のエルドラ。汚い鍵の姿を捉えた一角獣は、ある提案をした。
「ならばこの角に触れてみよ」
「うっ……」
エルドラの姿をしたグリフォルは、一歩泉から遠のく。
「どうした、私は古来より彼女の全てを知っている。触れれば一発で本物かどうかが解るはずだ」
「あらやだ!」
水晶の鍵は、分厚い舌を出して唾をまき散らした。
(汚ねぇ……)
「そうしようぜ、な。本物のエルドラさんよ?」
老婆は、一角獣の提案に乗ろうとした。しかし、先回りしていた男が、彼女に斬りかかろうとしてきたのだ。水晶の鍵は再びエメラルドグリーンに光輝く。
「ダメ! 間に合わない!」
エメラルドグリーンの輝きが途絶えた。水晶の鍵の分厚い舌が斬られたのである。
「エルドラーーっ!」
――――にょき!
斬られたはずの舌が蘇生した。その速さに、老婆は、「なんだよ、復活すんのかよ!」とツッコんだ。彼女が『エルドラ!』と叫んだのを、一角獣は聞き逃さなかった。
「どういうことだ。エルドラ?」
「ぐ、ぅう」
「美しい顔をしていても、そのウシガエルを潰したような声だけはどうしようもないようだな」
「ま、待て一角獣。話をしよう。わたくしと一緒にこの世界を牛耳ろうじゃあないか!」
「うるさい。私の恋したエルドラのカラダを返せ」
「あぁああああ!」
一角獣の角から、雷のような光が出た。それはエルドラと水晶の鍵(を持っている老婆)にも落っこちた。
「どうして俺まで巻き添えになるんだぁああああ!」
一角獣の雷撃で、二人の姿は入れ替わった。水晶の鍵は、グリフォルの杖となる。元の姿に戻った男は、「これはお返しだ!」と、油断していたグリフォルの手下から剣を奪った。それを彼女に向かって勢いよく放り投げたのだ。
彼女に当たることはなかったが、まさか男が動くとは思わなかった魔女は、体勢を崩す。その隙を見た女神エルドラは、自身の力を持ってグリフォルを封印したのだ。
その姿は、黒髪の意地悪そうでシワだらけの女。まさに、現実世界で男が見た老婆そのものだった。
「ごめんなさい。巻き込んでしまって。今すぐあなたを元の世界へお返しします」
「ま、待ってくれ女神! 俺、巻き込まれただけでお礼なんもなくね!?」
――――びゅう!
◇
荒い風が吹いた。
男の目の前には、かつて恋した幼馴染の女が立っている。
「あれ、リュウ君。こんなところで何してるの?」
「え、あ。アケミこそ。こんなところで何してんだよ」
「ま。良いじゃん。どっかで話そ♪」
「相変わらずマイペースだな……」
「良いじゃん。そこが私の良い所だし!」
◇
彼らが紡ぐ物語はまた、他の誰かに語り継がれていくだろう――――