霜降りの青空
【純文学】
空の青さが解るのは心が疲れている人や心がキレイな人だけだと言う。でも、僕をいじめているいじめっ子は言った。
「今日いい天気だなぁ!」
って。
僕は空を見て何の感情も湧かなかったのに。机の上の落書きを拭きとる。涙も出ない。先生も助けてくれない。生徒たちは見ないフリ。教室の中に見えない壁が存在する。大きく高くて分厚い壁が。
(結局。いじめられっ子には何も残る物なんて無いんだ)
僕は息苦しくなって、教室を走り出てしまった。背後から聴こえる「逃げやがったぜ!」という笑い声。悔しさも何も感じなかった。我武者羅に走った。とにかく学校から出ようと、閉じられた校門をよじ登ろうとする。
失敗して膝をすりむいた。
「――――大丈夫かい?」
庭師のおじさんが走ってやってきた。おじさんは、真っ黒に焼けた手で僕の手を握ってくれる。「あぁ痛そうに」って声を掛けてくれた。でも学校から出たかった僕はもう一度同じことをしようとする。
当然止められた。
「君。危ないよ」
「ここに居ることの方が危ないんです」
「……いじめられているのかい」
僕はおじさんの質問に、息を詰まらせて、「はい」と言った。おじさんは、「そうかぁ」とだけ言って、僕に、内緒で缶コーヒーを買ってくれた。ミルクたっぷりのやつ。
――――キンコンカン……、
チャイムの音が鳴る。授業が始まってしまった。今までいじめられながらも皆勤だったのにな。なんて思ってたら、おじさんが、
「難しいことを考えずに、この庭を観てごらん」
そう言った。
きれいな松が一本と、低木がキレイに並んでいる。近くの池にはコイが泳いでいた。
「庭がどうかしたんですか」
「おや君は何も感じないのかい?」
「まぁ、キレイだなくらいには」
「それじゃあいかんよ。俺たちの仕事が報われない」
「おじさんはお金のために働いてるんじゃないの?」
僕がそう言うと、おじさんは「もちろんそうさ」と答えた。その後で、缶コーヒーをぐびぐび飲みながら、こうも言った。
「……学生の時は、成績とか顔とかスタイルとか、比べられたりするけどよ。結局は自分が何をしたいかだ。それを持っている奴は強い。俺だっていい歳した大人だが、いびられることはある。でもな。やりたいことについては譲らねぇ。そう決めてんだ。もし君がいじめられてる中でやりたいことさえ考えられなくなっちまってるなら、大変なことだ。日常の風景にはやりたいことが沢山隠れている。ワクワクすることや、ドキドキすることがな。それを見出すのが庭師の仕事だと俺は思って働いている」
長台詞だなと思ったけど、確かに僕にはやりたいことがない。いじめから逃れるために生きるので精いっぱいだった。僕はもう一度。学校の庭を見渡した。
池の水が太陽を反射してキラキラしている。そこに泳ぐコイが優雅に見えた。きっと僕がそこに缶コーヒーを注げば、コイの神秘性は失われてしまう。そんなことはしないでおこう。そう思った。
風が吹いた。
生ぬるい風だったけど、冷たい缶コーヒーを飲めば気にならなかった。ふと見上げた空は、霜が降っていて眩しい。
おじさんが僕に「2時限目はどうする?」と訊いた。なんとなく気分の良かった僕は、
「いじめに縛られて生きるのはもう嫌だな。自分の好きなことを見つけたい。だから、いじめっ子たちのことを無視します」
そう言う。缶コーヒーを飲み終えた僕に、おじさんがひとこと言ってくれた。
「いじめなんて、生きる目標がない奴の足引っ張りだ。気にすんな」
「……ありがとうございます」
――――キンコンカン……、
チャイムが鳴る。
僕は教室に向かって走った。学校という檻の中で、僕として生きる目標を見つけるために。いじめっ子は変わらずに僕に嫌がらせをしてきた。だけど、庭師のおじさんの言葉が僕の胸の中にある。
いじめっ子とは違う人生を歩むために。僕は今日を生きる。
見上げた霜降りの空は、まるで僕を応援するかのようにゆっくり優しく流れていた。