五年前(キース殿下とカリディア侯爵)②
しかしまだ一縷の望みが残されている――聖女枠がちょうどひとつ空くところだ。そこに娘を滑り込ませてしまえば、もう手出しはできまい。
ところが。
このひと枠が、目の前で掻っ攫われてしまった。
聖女に決まったのは、エスメ王女殿下。
十一歳の美しい娘で、これを聞いた時、カリディア侯爵は『ああ、確かに』と呻き声が漏れそうになった。――『私が親族ならば、エスメ王女殿下をここで聖女にしておく、絶対に』と。
そしてエスメ王女殿下には、『夢見』や『癒しの力』など不思議な能力が備わっていたので、条件的にも完璧だった。
対し、ガートルードは無能力者。
通常ならば無能力であっても、侯爵家のコネを駆使して押し込めたはず――しかし相手が上位のエスメ王女では、どうしても勝てない。
これで四枠すべてが埋まった。ほかの三名の聖女たちも、入ってからまだそんなに時間がたっていないので、任期満了するのはだいぶ先の話だ。
――キース殿下は『話はこれで終わりだ』と考えた。カリディア侯爵は気の毒だと思うが、どうしようもない。
しかしここで、カリディア侯爵が起死回生の奇策を持ち出す。
「――キース殿下。グラッドストン大聖堂の規約を見ていただけないでしょうか。今日、写しをお持ちしました。後日、原本のほうはご自身で確認なさってください」
そして提示された一枚の紙片。
目を通し終えたキース殿下の口角が思わず上がる。
「ふぅん……なるほど、面白い」
キース殿下は紙片から目を上げ、相手の考えを探るようにカリディア侯爵を真っ直ぐに見つめた。
「それで貴殿は、私がこの話を呑むと考えているのか?」
「ええ、そのとおりです」
「こちらからすれば、リスクしかないが」
「けれどキース殿下はこれを受けます」
「なぜ?」
「そういう方だからです。ですから私は国王陛下ではなく、あなたにこの話を持ちこんだ」
……くそ、やられた。話を聞いた時点でこちらの負けだったな。
キース殿下は舌打ちしたい気分だったが、それでも彼の表情は珍しく物柔らかである。
「確かに規約にうたってあるのだから、これを実行すれば、ロブソン公爵はどうにもできない。しかし私は相当恨まれることになる――宣戦布告とまではいかないが、明確に一線は超えるからな」
「妹君に対する思いやりを、ほんの少しばかり、我が娘にも向けていただけないでしょうか」
「――いいだろう。これは大きな貸しだぞ」
「承知しています。命に代えても、この恩は必ずお返しいたします」
こうしてキース殿下は気まぐれのような顛末で、カリディア侯爵とその娘を助けてやることにした。
* * *
大聖堂規約にはこう記されていた。
『聖女の定員は四名とする。――ただし、聖女に選ばれた者が王族である場合に限り、この者は特別枠として一名、新たに聖女を指名し加えることができる。この五名体制は、当事者の王族が聖女でなくなった段階で消滅する』
キース殿下の推測であるが、この特例はおそらく、大昔に王族が今より力を持っていた時代、聖女に決まった王女が『寂しいから友達を入れたい』とゴネたか何かして、その場しのぎで作られたのではないか。
誰も規約など隅々まで読まないので、以降、この特例が使われることはなかった。
しかしカリディア侯爵は娘のためにこれを見つけ出した。執念だろう。
そして規約を発見しただけでなく、その後の運びも見事だった。――国王陛下には願いを聞いてもらえないと判断して、一番望みがありそうなキース殿下に交渉を持ちかけたのだ。
――キース殿下は王族の中では、少し特殊な立ち位置にいる。『王太子』ということではなく、彼の存在そのものが特殊なのだ。
キース殿下はカリディア侯爵のやり口が気に入った。
元々少女好きをこじらせたロブソン公爵のことは気に入らなかったし、そろそろこちらも腹を括って対処すべき時だと考えてもいたので、キース殿下は人助けがてら、危険を冒すことにしたのだ。