幸せな気持ち
「……ガートルード?」
落ち着いた声で名前を呼ばれ、ハッと我に返る。
対面席にはフルーリエン伯爵の姿があり、インペリアルトパーズのようなオレンジの髪が、美しく陽光を反射していた。
ガートルードは意識して深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。そして現状を改めて認識して、不思議な安らぎを覚えた。
……もう五年たつ。ここはあのガーデンパーティ会場ではないし、私はもう大人だ。
……大丈夫。大丈夫よ、ここにロブソン公爵はいない。
「ごめんなさい、色々思い出してしまって」
ガートルードが微笑んでみせると、フルーリエン伯爵が気遣うようにこちらを見つめて、口を開いた。
「――寄り道はやめにして、君を先にグラッドストン大聖堂まで送り届けます」
「え?」
「宝石店がすぐ近くだから、君を連れてついでに寄ってしまおうというのは、少々横着でした」
フルーリエン伯爵がそんなことを言うので、ガートルードは虚を衝かれた。
……彼ってクールに見えて、びっくりするほど親切だわ。
ガートルードが挙動不審になる直前、『あの宝石店に一度だけ行ったことがある』『十五歳の時、初めてガーデンパーティに出ることになって』と口にした。
たったそれだけの情報で、たぶん彼は悟ったのだろう――ロブソン公爵と出会った時のことを、ガートルードは思い出したのではないか、と。フルーリエン伯爵はこちらの事情にかなり通じているようだから。
過去の忌まわしい思い出に宝石店が関係しているなら、ガートルードをそこへ連れて行くのは良くないと彼は考えた。
忙しい身だろうに、ガートルードをグラッドストン大聖堂まで送り、その後またここまで戻って来るつもりなのだろうか? それでは行ったり来たりだ。
けれどフルーリエン伯爵は『面倒だな』と苛立ってもいなそうだし、スマートにこちらを気遣ってくれる。
少し血の気を失っていたガートルードの頬に赤みが差し、零れるような笑みが浮かぶ。
フルーリエン伯爵はそれを見て、微かに目を瞠った。
「……ガートルード?」
「大丈夫です、フルーリエン伯爵」
「しかし」
「このイヤリングを見てください」
ガートルードは右手を持ち上げ、自身の耳を指で軽く撫でた。――そこには鮮やかなターコイズのイヤリングが。
「これは、そのガーデンパーティで着けていたものなんです」
「そうでしたか」
「決して悪いことばかりではなかったわ。このイヤリングを見ると、ロブソン公爵に絡まれて怖い思いをしていた時に、父が血相を変えて駆けて来て、助けてくれたことを思い出すの。――だからこれは私のお気に入りで、たまに身に着けることにしているんです」
話に耳を傾けていたフルーリエン伯爵は、物柔らかにこちらを見つめたあとで、少しだけ小首を傾げた。
「ふぅん……それは僕のために選んでくれたのかと思っていました」
「え?」
「ほら、瞳の色と同じだから」
瞳の色……? ガートルードは彼の青緑色の虹彩を覗き込んだ。
「言われて気づいたわ――ああ、だけど、あなたの瞳はもっとクリアよ」
ターコイズは確かに青緑系ではあるけれど、白が混ざったパステルな色だ。
「気のせいでは? ほとんど一緒ですよ」
そんな馬鹿な。
ガートルードは可笑しくなって、お腹を押さえてくすくす笑い出してしまう。
彼もまた悪戯に微笑んでいて、ガートルードはそれで幸せな気持ちになれた。