五人目の聖女
「医務室までお送りします」
しばらくたってからふたたびそう促され、ガートルードはハッとしてティナから離れた。
振り返ると、傍らにフルーリエン伯爵が佇んでいる。立ち去らずに待っていてくれたようだ。
彼の瞳には知性の輝きがあり、物腰はとても落ち着いていた。――ガートルードは彼の凪いだ瞳を見つめたことで、少しだけ冷静さを取り戻すことができた。
内心では、フルーリエン伯爵は大層困惑しているに違いなかった。
――侯爵令嬢が階段を踏み外したので親切心で受け止めてあげたら、本人はここがどこかも分かっておらず、挙句の果てに声を荒げて侍女を呼びつけ、目の前で子供のように泣き出してしまったのだ。どうかしてしまったんじゃないかと、気味悪がられても仕方ない。
けれど彼はそういった負の感情を一切表に出さなかった。
内心どう思っているかは分からないが、少なくとも表面上は、フルーリエン伯爵は紳士的な態度を崩していない。
「いえ……大丈夫です」
ガートルードは首を横に振ってみせる。
「しかしあなた方は、誰かの助けを必要としているように見えますが」
「本当に大丈夫なんです。ありがとう」
気遣ってくれているフルーリエン伯爵には申し訳なかったが、早くティナとふたりきりになりたかった。色々と確認しなければならないことがある。
「男性の私がそばにいると落ち着かないなら、女性を呼んで来ましょうか」
「それには及びません。だってすぐに自室に戻れるんですもの。実は私、ここ――グラッドストン大聖堂に住んでいるんです。十五歳の時からで、もう五年になります」
知らないだろうと思ってそう告げたら、フルーリエン伯爵が口の端を僅かに上げた。
なんだろう? と小首を傾げると、
「存じていますよ」
「え?」
「――ほら、修道服」
彼が悪戯な仕草でガートルードの服を指差す。
ああ……なるほど、確かにそうだわ。確かにそうだけれど……
ガートルードは自身の格好を見おろし、修道服を軽く摘まむ。――彼は『修道服』と言ったけれど、貴族令嬢に対する配慮なのか、一般に認知されているものよりデザインが洒落ている。ダボッとしていなくてタイトだし、リボンやレースなどもついていた。
フルーリエン伯爵が続ける。
「それにあなたは有名人ですからね。五人目の聖女だ」
五人目の聖女……それは決して良い意味ではない。
ガートルードは表情を曇らせる。
「私……長いあいだずっと追いかけっこをしてきたのかもしれないわ」
「あなたは五年間、見事に逃げ切りました」
フルーリエン伯爵の言い方は、事情を知っている者のそれだった。
ガートルードは不思議に感じた。……友人でもない相手に、自分のことを色々知られているというのは、なんだか変な感じがする。
「達成できたのかしら?」
「そうでしょう? あなたは賢く逃げたし、もうすぐ自由になれる。聖女になって五年目だから、お務めも終了して、いつでもここから出られますよ」
「それは良いこと?」
「おそらくね」
「……本当は私、まだ逃げきれていないのかも。一生ここから出るべきではない気がする」
この言葉には最大限の注意を払う必要がある――フルーリエン伯爵は瞳を細め、素早く考えを巡らせた。
とはいえ彼は表向き思い遣りのある態度を保っていたので、相手に内心を悟らせることはなかったのだが。
「では私たち、これで失礼します」
ガートルードは丁寧に礼をとり、その場から立ち去った。