僕は深みに嵌りつつある
ガートルードがフルーリエン伯爵の心中を推し量ろうとしていると、「注文を伺います」と声がかかった。
オーダーを取りに来たのは、十歳くらいの女の子だ。――従業員の子供なのか、あるいは奉公人なのか。
利発そうな赤毛の少女を見て、ガートルードが人懐こく、にっこり笑いかける。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
釣られたように、少女の口角も上がった。
ガートルードは黙っているとゴージャスな美人だが、笑うとヒマワリが咲いたようにその場を明るくする。
……この時、フルーリエン伯爵はどういう訳か、社交用の笑みを保てなくなっていた。
真顔になり、ガートルードを眺める。
彼女は紅茶をオーダーした。
「あなたは?」
問われ、
「同じものを」
と答える。
少女が奥に戻るのを見送ってから、ガートルードがこちらを向いた。
彼女もまた真顔になっていた。
「私……あなたにお願いがあって」
「うん」
「……私と結婚してくださらないかしら」
そう告げたガートルードは、まるで自信がなさそうだった。
フルーリエン伯爵は内心ひどく混乱していた。
……この女性はなんなんだ? 理解できない。
しかし彼は本当に混乱している時はそれが顔に出ない。静かにため息を吐き、凪いだ瞳でガートルードを見つめ返す。
「それは、ロブソン公爵に対抗するため?」
「ええ」
「僕はね、あなたに協力する気はありますよ。こちらはこちらで、ロブソン公爵を潰す必要があるから。互いに目的は同じだ。だけど別に、結婚しなくてもいいのでは?」
「いえ、そうする必要があるわ」
……まぁ確かにそうだね。
自分が彼女の立場でも、同じ選択をする。外に向けて、『キース殿下の側近の妻』と明確にアピールするのは重要だ。
ガートルードがこうして素直に手の内を明かしたのは、展開としてそう悪くもなかった。
上辺だけの駆け引きは、しようと思えば苦もなくできる。別にそれが面倒だとも思わないし。
それでもこうして腹を割って話してしまえば、時間は短縮されるから、楽は楽なのだ。
けれど。
「……僕を好きなフリはしないの?」
そうするのがマナーというわけではないけれど、彼女は必要ならば、そうすると思った。
「……だけどあなた、少し前から笑っていない」
「え」
「私、困り果てているわ。どうしたらあなたを喜ばせることができるか、分からないの」
ガートルードの瞳が揺れる。
陽光を反射する水面を見ているようだ。
フルーリエン伯爵はぼんやりと彼女の虹彩を眺めていた。
「君は……キース殿下との繋ぎを求めているのかと思った。今日、僕と会い、それをツテとしたいのかと」
「それはないわ。確かに初めはそれも検討したけれど、でも……私はキース殿下に用はない」
「なぜ?」
「助けてくれたのは、あなただから」
彼女は本心を話している――フルーリエン伯爵はそう感じた。
「助けた?」
「階段から落ちた私を、受け止めてくれた」
「たまたまそこにいただけです」
「でも、そこにいた」
どうして君は泣きそうなんだ。
「いてほしい時に、近くにいてくれた――私にとってはそれが大事なの」
「ガートルード……」
「十月に――半年後も、そばにいてほしい。夫として、私のそばにいて。そうしてくれるなら、私はあなたにすべてを捧げる」
「君は」
「私の財産は、すべてあなたにあげるわ。そして心からあなたに尽くす。私はあなたに賭けると決めたの。だから助けて」
真っ直ぐに見つめられ、フルーリエン伯爵は『畜生』と心の中で呟きを漏らした。
……絡め取られたのは、どちらだ?
たぶん僕は深みに嵌りつつある。
――このゲームはガートルードの勝ちだ。




