助けてくれた人
「――大丈夫ですか?」
落ち着いた声音。ガートルード・カリディアは彼の腕に抱え込まれていることにやっと気づいた。
……これはなんなの? さっきまで私は薄暗い拷問部屋にいたはず。それなのに……
ガートルードは震え始めた。青年のフロックコートを必死で掴む。
「ここ、どこ……?」
「ミス・カリディア? 大丈夫ですか?」
「どこなの?」
ガートルードの様子が普通ではないことに気づいたのか、青年が慎重に答える。
「ここはグラッドストン大聖堂ですよ。地下にある墓地から上がる階段の途中です。私の前を歩いていたあなたは、足を踏み外して落ちてきました」
「私、これ二度目だわ」
「え?」
「以前同じように、ここであなたに抱き留めてもらったわよね?」
半年前――そうだ、半年前。四月の出来事。
あの時もガートルードは階段を踏み外した。そのまま下まで落ちていたら大怪我をするところだったが、すぐ後ろにいた彼が助けてくれた。
ええと、この人の名前は……。
「あ、あなたはフルーリエン伯爵ですよね?」
美貌の青年貴族メレディス・フルーリエン伯爵。二十三歳という若さでキース殿下の側近を務めている、何かと話題の人物である。
「ええ、そうです。……もしかして頭を打ちましたか? なるべく衝撃を与えないように、気をつけて受け止めたつもりでしたが」
「今は頭を打っていないわ。でもさっき――」
「さっき?」
「ねぇ答えて。あなた、私を助けたのはこれが二度目よね?」
「いえ。私があなたを抱き留めたのは、これが初めてです」
ガートルードは眉根を寄せ、じっと彼の顔を見つめた。……嘘を言っている様子はない。でも絶対に二度目だわ。こんな印象的な出来事、忘れるわけがない。
「フルーリエン伯爵、半年前に私と会ったことを、忘れていらっしゃるだけでは?」
「そんなはずはありません。――ミス・カリディアを抱き留めるという幸運が以前にもあったなら、忘れるわけがない」
彼、口が上手いわ……ガートルードは混乱した頭でどうでもいいことを考えていた。
「あの……私が落ちた時、何か変じゃなかった? たとえば、あなたの前には誰もいなかったはずなのに、突然私が出現して落ちてきた……とか」
「あなたはずっと前を歩いていましたし、突然出現したりしていませんよ」
馬鹿馬鹿しい問いにも、フルーリエン伯爵は律儀に答えてくれる。もしかすると彼はまだガートルードがどこかで頭を打ったと考えていて、会話しながら様子を観察しているのかもしれなかった。
ガートルードはパニックになりかけている。
どういうこと? やだもう、これはどういうことなの?
「今、十月よね?」
「……四月です」
半年前? では、時間が戻った?
嘘でしょう……ガートルードは額を押さえた。私、どうしちゃったの?
「ミス・カリディア、医務室に行きましょう」
促されても返事をすることもできず、ガートルードは上の空で視線をあちこちに彷徨わせた。
――時間が戻ったのなら、ティナも無事でどこかにいるの?
ティナ――ああ、ティナ、ごめんなさい! ロブソン公爵は用のある私だけを攫うべきだった。ガートルードに仕えている、無関係の侍女まで巻き込むなんて!
優しくてとてもいい子なのよ。あんな目に遭っていいわけがない。
「――ティナ! 無事? ティナ‼」
大声で呼ぶと、遠くのほうから駆け足の音が響いてきて、階段の上にティナが現れた。癖のない綺麗な黒髪をしっかりと束ねている、いつもの姿だ。
ティナの顔は真っ青で、恐怖のためか表情は強張っている。骨格が華奢なため、こんなふうに追い詰められた顔をしていると、今にも貧血を起こして倒れてしまいそうに見えた。
「お嬢様! ああ――ああ、神様!」
ティナの顔がくしゃりと歪む。
「ティナ……」
ガートルードも涙声になり、縋るように前に手を伸ばす。
ティナが階段を駆け下りてきて、性急な仕草でガートルードに抱き着いてきた。こちらの肩口に顔を埋め、声を震わせる。
「お嬢様……ご無事で……ごめんなさい、私、何も……できなかった」
「ごめんなさい、ティナ……護ってあげられなかった」
ガートルードもティナの体をぎゅっと抱きしめ返す。
ふたりはボロボロと涙を零して、互いをいたわった。