ウァースから『力』を授かったガートルードは、フルーリエン伯爵と結婚しようと決める
――グラッドストン大聖堂。
東翼三階にある自室に戻って来たガートルードは、大扉をしっかりと閉めてから、そこに右肩をつけてティナに向き直った。
「対策を話し合いましょう」
「そうですね」
ティナは神妙に頷いてみせてから、ふと動きを止める。でも……ずっと焦って息をしている感じだわ。ティナはそんなことを思った。
少なくとも今は安全なのに、私たちの心はまだ、ロブソン公爵の拷問部屋に囚われていないかしら?
ガートルードはぼんやりしているティナが心配になり、彼女の顔を覗き込む。
「どうかした?」
「いえ……とりあえず温かいお茶でも飲みますか?」
「そんなことをしている場合ではないわ」
ガートルードは眉尻を下げ、両手で髪をかき混ぜる。それによりハニーブロンドがぐしゃぐしゃに乱れたが、そうなっても結局美しいままであったので、ティナはなんだか感心してしまった。
「お嬢様、まず落ち着いたほうがいいです」
「落ち着けない、全然落ち着けないわ!」
上手く言えないのだが、一度死んだガートルードは、過去の自分をすべて否定されたような気がしていた。
――それは、誰に?
ガートルードを踏みにじり、嘲笑ったのは、ロブソン公爵であり、運命であり、自分自身だった。
五年前、ガートルードはロブソン公爵に付き纏われ、身も凍るような恐ろしい思いをした。
けれど彼を許した――身分的に逆らえない相手、というのはさておき、ガートルードは彼の邪悪さに向き合わず、憎むことをせず、賢く逃げ出し、ただ静かにして嵐が過ぎ去るのを待った。そうすることが最善だと信じていたから。
けれど、それでどうなった?
結局、自分は殺されてしまった。――なぜ? 選択を誤ったから?
いえ、違う――五年前に逃げたことは正しかったのだ――ちゃんと分かっている。
でも――でもね。
たとえ間違っていたとしても、過去、死に物狂いで戦っていたなら、どう? それで『死』という同じ結末を迎えたのだとしても、あんなに無念ではなかったのでは?
今感じている思いは『逃げたけれど、殺された』という実際の体験が、ガートルードを混乱させているだけかもしれなかったけれど。
十月――ガートルードにとってそれは『ついさっき』の出来事だが、ロブソン公爵に殴られながら、自身の選択を深く悔いた。
なぜ。
なぜ。
自分が不甲斐ないせいで、ティナまで巻き込んでしまった。
五年間、私は何をしていたの?
ガートルードの金色の虹彩が揺らぎ、瞳から涙が零れ落ちる。
――ティナがそっと肩を撫でてくれた。ティナもまた瞳を潤ませている。
ガートルードは鼻をすすり、手の甲で涙を拭った。
「私、もう泣かないわ」
「……お嬢様」
扉前でふたりは向き合ったまま、見つめ合う。
「私に考えがあるの――敵の敵は味方よ」
ガートルードの言葉には意志の力が込められていた。
「敵の敵……ですか?」
ティナが不思議そうに小首を傾げる。
「今日、フルーリエン伯爵に助けてもらって、これは運命だと思った」
「え」
ティナが目を瞠る。彼女の明るい茶色の瞳には、なんともいえない独特の色気があるのだが、表情が素直で癖がないので、不思議と浮世離れして見える。
「フルーリエン伯爵はキース殿下の側近でしょう? そしてキース殿下はロブソン公爵と対立している。だから目的は一緒なのよ。――私、フルーリエン伯爵、または、キース殿下と結婚することに決めたわ」
「あ、え?」
「ティナも協力して」
「う、ええ?」
ティナはしどろもどろだ。
「あ、あの、お嬢様……フルーリエン伯爵、または、キース殿下のことがお好きなのですか?」
「いいえ、まったく」ガートルードは首を横に振ってみせる。「だってよく知らないし」
「えー……知らないのに、結婚しちゃうの?」
「私、今、怒り狂っているから」
「怒り狂っていると、勢いで結婚できるのですか?」
「相手には悪いわね。でも、譲れない。可哀想だけど、私で我慢してもらうわ」
そこはちょっと罪悪感。だけどその代わり、旦那様にはとことん尽くすつもりだから、許してもらおう。
するとティナがムッとした様子で、拳を握って、背伸びをして訴えてきた。
「お嬢様ー! 相手は全然可哀想じゃないですー!」
「いや、なんで?」
「お嬢様と結婚できるんですよ? ものすごくラッキーじゃないですか!」
「……いや、身びいきがひどくない?」
「ひどくないですぅ!」
ティナがご乱心。
……というか、互いに馬鹿な話をしたおかげか、ちょっと元気が出てきたかもしれない。
ガートルードはキリッと凛々しい顔つきになり、右拳をぎゅっと握り締めた。
「とりあえず、私はフルーリエン伯爵を狙うわ」
「どうしてですか?」
「今日助けてもらったから、お礼を言いたいという口実で、一回くらいなら会えそうでしょう?」
「会ってどうするんですか?」
「分からないけれど……ええと……押し倒す?」
「お、お嬢様ぁ!」
「冗談よ、冗談」
ガートルードはティナをあしらいながら、作戦を考える必要がある、と考えていた。
「とにかく――なんとしてもフルーリエン伯爵を落とす必要があるわ!」
知らず体に力が入る。ガートルードが握った拳を、トン――と右隣にある大扉に押し当てた瞬間――
ドガァン……!
雷が落ちたような破壊音が響き渡った。
え……今の何?
ふたりが呆気に取られて顔を巡らせると、あるべき場所に扉がない。――丈夫なはずの扉が吹っ飛んでいた。
「……ん?」
「……え?」
ふたりはマジマジと廊下に飛び散った扉の残骸を眺める。それらは無残に、バラバラに砕けていた。
ガートルードは恐る恐る自分の拳を見おろした。
「これ、私がやったの?」
「そ……そんな馬鹿な。こんなの怒り狂ったゴリラでも無理です」
「ね、ねぇ、そうよねぇ……そんな馬鹿な」
ガートルードは冷や汗をかきながら、「そんなわけないわよねぇ」と石造りの壁を試しに拳で叩いてみた。
ボゴォ……!
壁が。
「え、抉れたぁ!」
ティナがひぃ、とのけ反った。
* * *
――ウァース作用――
――所有者の望みを叶え、『力』を授ける――
1.無能聖女は覚醒する(終)




