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完璧令嬢と無能王太子

わたくしの婚約者殿は無能ですが、たったひとつのことだけは有能です。

作者: マンムート

ヒロインの婚約者は無能で愚鈍という悪評名高い王太子。

容姿、知能、運動能力全てに渡って凡庸未満。王太子という以外、なんの取り柄もない人です。


そんな殿下に迫る、玉の輿狙いのかわいい女。

殿下はその評判にふさわしく、あっさり陥落してしまうのでしょうか?

ヒロインが見守る前で繰り広げられる攻防戦の行方やいかに!?


『完璧令嬢と無能王太子』のシリーズに属するお話ですが、単独でも読めるはずです。


 わたくしの婚約者は、はっきり言って無能ですわ。


 我が国の王太子ですが、顔も成績もパッとしません。

 さぼっているわけではないのですが、努力はしても努力家になる才能はなく、成績はひいき目に見ても中の下といったところです。


 運動神経もからっぽです。おそらく神経がないのですわ。

 何もないところでよく転んでますもの。無様ですわ。

 何もかもぎこちないので、周りからいつも失笑がもれていますが、何が楽しいんだか周りが笑うと当人も笑います。

 今の側近候補達にもとっくに見放されていて、影でバカにされていますわ。


 何を着ても似合わず、威厳というものには縁がなく。

 全てが不格好で足りなくて、ほんとうに困ったものですわ。


 それにひきかえわたくしは優秀ですのよ。

 成績も常に上位。ここ一年は常に一番ですわ。

 自分で言うのもなんですが、運動神経も抜群なんですのよ。

 鏡をのぞきこめば、いつもそこにはちょっときつめの顔の美少女がいます。

 艶やかで波打つ黄金の髪、ぱっちりとしていて少し吊り目気味の目、青い瞳。

 胸だけはやや不満ですが、平均は十分行ってますし、そこまでの完璧は贅沢ですわね。


 それに、あと数年が経てば、ここも改善されて、きつめの顔の美女になっているでしょう。


 誰もが殿下とわたくしとは釣り合わないと仰いますの。

 まぁそうですわね。

 わたくしが婚約者だから、王太子でいられるという噂も、事実です。

 わたくしの実家がこの国最大の侯爵家だから、長男とはいえ側室から産まれた殿下は王太子でいられるんですもの。

 ですが愚昧な殿下は、そんなことすら判っていらっしゃるかどうか怪しいものですわ。


 わたくしとしては殿下に対して色々と不満がありますわ。

 というか不満がない部分がありませんわ。

 正妃から産まれて有能と噂の殿下の弟君の方が一般論としては王にふさわしいでしょうね。


 父上から相手を代えてしまおうかと、さりげなくですが何度か聞かれましたわ。

 そのたびに、落ち度があったらそうしましょう、とどうとでも取れるように答えていますのよ。

 最近は仰らなくなりましたけどね。


 今日も学園のお昼休みには、殿下と一緒にランチをとる約束をしてますの。

 いくら婚約者とはいえ、なんであんなのと……と周りの方は仰いますが、婚約者ですから仕方ないのですわ。

 仕方がないだけですのよ。

 だって、わたくしが一緒にランチをしないと、殿下が王太子だということを皆が忘れてしまうのですもの。


 でも、空が暗くなって来ましたわ。そのうち雨が降って来そうですわね。

 庭の東屋から場所を変えたほうがいいかしら――


「あら?」


 待ち合わせの東屋へ行くと、ランチの用意はできておりましたが……

 女の子と一緒のようですわね。

 わたくしは見物――もとい邪魔しないように近くの木立の影へ隠れましたわ。


 学園についてきてくれている我が家の侍従や、王家の護衛の姿も見えませんわ。

 いつものごとく、父上も王家も、殿下が間違いを起こしやすいように配慮しているのですわね。

 そうすれば堂々と廃嫡できますもの。


 殿下の側近候補達がいないのは、あの女に籠絡され味方しているからでしょうね。

 まぁ側近候補と言っても、全員が陰で殿下をバカにしている方々なので、機を見て追い払う存在でしかないのですが。


 さて、久しぶりに現れた玉の輿狙いの愚か者はどんな人かしら?


「殿下だってステキなのに、あんな人と比べられて気の毒です!」


 保護欲をそそりそうなちょっと舌足らず。

 ぱっちりとしているけど垂れた目。ピンクでふわふわの髪。

 きつめのわたくしと違って、全てがやわらかそうな曲線でできてますわ。


 それにお胸が! お胸がご立派ですわ!


 次々と高位貴族の令息にちょっかいを出している噂の男爵令嬢ですわね。

 殿下の側近候補の方々を次々とたらし込んだ挙げ句、ついに一番玉の輿な殿下に狙いを定めたようですわ。

 そうでもなければ、あんな愚昧でパッとしない人に手を出しはしないでしょう。


 卒業まで半年を切ったこの時期、殿下に狙いを定めるなんてかなり情弱な女ですこと。

 それとも最近妙に色々な口実をつけては馴れ馴れしくしてくる殿下の弟君辺りが黒幕でしょうか。二度あることは三度あると申しますしね……いえ推測で語るのは危険ですわ。後で調べさせておきましょう。


 こういう時、婚約者としてはハラハラするべきなのかしら。

 それとも怒り狂って、あの女を噴水にでもたたき込むべきなのかしら。

 はたまた使える人脈を使って、あの女の実家を破滅させてやるべきなのかしら。

 無能な婚約者をチェンジできるチャンス! となまあたたかく見守るべきかしら。


 かしらかしらどうするべきかしら?


 でも、なんというか、殿下の顔がいつもと何も変わらないので、そういう熱が湧かないのです。

 それに、結果は判ってますし。


 ま、まぁ、愚鈍な殿下がどうなろうと、どうでもいいんですけど。本当ですわよ!

 別に愛してなんかいませんもの!

 あんな魅力のない婚約者なんて、いつ代わったって問題ないんですから!


 さて、どうなることやら。

 あら? なぜか不安になってきましたわ。

 どうなっても構わないのに不思議ですわね。


 と胸に手を当てて見守っているうちに、殿下はひどくゆっくりした動作で、女を見上げました。

 いつもと同じとてもねむそうな目ですわね。


 目の前のご立派な胸に視線がいきませんのね。


「そうかい?」


 女の子に答える声もねむそうですわね。

 本当に絵に描いたような愚鈍な……大まけにまけても凡庸なお顔です。


「そうですよ! あの人は自分が優秀なのを鼻にかけていつも殿下を見下しているじゃありませんか」

「そうかい?」

「でも、殿下だっていっぱいいいところがあるんです! 私はちゃんと判ってます!」

「ボクのいいところってなに?」

「え、ええとそれは……」


 難問ですわね。

 殿下は容貌体格ともに平均未満ですし、成績優秀文武両道とはほど遠いですし。

 礼儀を失しないように努力はしているようですが、あちこち抜けていますものね。

 優しくないわけではないですが鈍感なので、発揮すべき場面でも気づかない場所は多々あります。


「例えば顔とか?」


 女の子が返事に窮すると、いつも殿下はこう言うんですのよ。

 正直、ほめるのに困る顔です。醜男じゃないですが、見惚れる顔じゃありません。


 目が二つ。鼻が一つ。口が一つ。耳が二つ。


 というくらいにしか説明がつかない顔なのです。

 あと眠そう。そして愚鈍そう。

 悪いところはあってもいいところがありませんわ。


「そ、そうです。お、お顔がその印象的です」


 印象的と言うのは便利な言葉ですわね。


 でも確かに、あんなぼんやりした顔をしてる人は滅多にいませんわ。

 ただ、ぼんやり以外は印象に残らないんですが。


「うーん。この顔がいいところだって見えるなら医者に診てもらったほうがいいと思うよ。ボクだって自分の顔くらいわかっているからね」

「え、だ、だって、今、お顔って自分で」

「ボクに話しかけて来る子はみんな困るようだから、とりあえず助け船を出すことにしてるんだ」


 ね? 彼ってば人が困っているのに気づくと、手を差し伸べるくらいの優しさはあるんですのよ?

 どこか大幅にずれていますけど。


「でっ、でもその……そうです! こ、心が穏やかになりますよ」

「うん。ねむくなるってみんなに言われるよ」

「みなさん、ひどいです! 殿下をけなすなんて! 侮辱されてるんですよ!」

「事実だからね」

「そういえば婚約者の人も陰でそう言ってましたよ」

「ボクにも面と向かっても言ってくれるよ。彼女の裏表がないところがボクは好きだな」

「そういうんじゃないです! 裏でも表でも悪口を言うのはよくないです!」

「悪口じゃなくて単なる事実だよ」


 いつも思うんですが、なんでしょうこの会話は?


 困ったことに、殿下がうすぼんやりしているのは事実だし、優秀でないのも事実だしで。

 当の本人がそれをよく判っているので、それらが悪口に感じないらしいのです。


 ちょっとは怒ったりして、改善しようと目覚めたりしてくれれば……望み薄ですけど。

 いえ、あれでもやってるんですのよ?(疑問形になってしまうのを抑えられませんが)


「え、ええと……そ、それが変なんです! いくら正直だからといって言っていいことと悪いことがあります!」

「なにが?」

「ねむくなりそうな顔なんて侮辱です! 本人に言っていいことじゃないです! あの人は殿下を馬鹿にしてるんです!」

「どうして? さっきも言ったけど単なる事実だよ。それに彼女はボクの婚約者だからね。

 彼女は、色々気を遣える人なんだけど、ボクにだけは正直でいてくれてまっすぐに飾らず話してくれるので。うれしいんだ」


 眠そうだとか毒づかれてうれしいとかどうかしてますわ。

 困ってしまうじゃありませんか。

 わたくしだっていつもは猫を何十匹とかぶって暮らしてますのに、なぜか殿下の前では正直になってしまいますの。

 あの無防備で眠そうなお顔がいけませんのよ!


「婚約者でもっ」

「ボクだって彼女に素敵だね、優秀だね、最高だね、何でも似合うね、流石だねっていつも正直に話してるよ」


 あらまぁ。あらあら。

 ほほが赤くなってしまいますわ。


 殿下は、わたくしが何をしても心から褒めてくれるんです。

 わたくしが学園で成績一番を取った時も、自分の事のように喜んでくれましたわ。

 食事をしている時も、わたくしの所作に見惚れているだけでなく、見惚れていると口に出してくれますしね。

 ま、まぁ確かにわたくしは常に優雅でステキで豪華ですけど!

 殿下が余りにもぼんやりしてるんで、婚約者であるわたくしが頑張るしかないじゃありませんか!


「いつも綺麗だし、化粧してても綺麗だけど、化粧してなくてもやっぱり綺麗だし。

 指の形とか、ちょっとした仕草とか、そういうのも素敵だし。

 声も聞いてて音楽みたいだし、いい香りがするし、頭もいいし、気遣いもできるし、ほめるところしかないからね。

 しかもね。それがね。もって生まれたのそのままじゃないんだよ。

 すごく努力して、素敵でいてくれてさ。

 一ヶ月前より昨日、昨日より今日、今日より明日、明日よりあさってとどんどん素敵になるんだよ。

 ほめるだけで一日終わりそうだけど、そうすると彼女に迷惑だしね。実際、やめてくれっていつも言われるし」


 あら、あら、まぁまぁ、じ、事実ですけど! 事実なんですけど!


 彼女の顔がどんどん険しくなるのと反比例して、わたくしのほほがどんどん熱くなってしまいますわ。


 あれが婚約者への礼儀から言ってくれているなら慣れるのですが。

 誰に対しても、もちろんわたくしの前でも、心から言い続けられるので、困ってしまいますの。

 わたくしを褒め殺しにでもする気ですか!

 わたくしを褒める時だけは、あの眠そうな目がキラキラして。どうかしてますわ。

 周りはわたくしの錯覚だと言うのですけど。

 わたくしには、そう見えるんだから仕方ないですわ。


 思い返せば10才の時、政略結婚の相手として初めて引き合わされた時からずっとそうでしたわね。わたくしを見ての第一声が「なんてキレイでかわいい子なんだ!」でしたもの。


 その後、何度か会ったら「なんてキレイなんだ! しかも頭いいし、いい香りがするし、君はいつも最高だよ」に褒め言葉が増えて。

 

 そして今では……。


 ああ、殿下がわたくしに向けて発する言葉の数々を思い出そうとしただけでクラクラドキドキしてしまいますわ!


 わたくしの全てを称賛する言葉の数々を雪崩のように浴びせてくるんですのよ!

 あんまり露骨に言われるので、どうしていいか判らなくて、身の置き所がなくなってしまって。

 何度も何度も、そういう事は、露骨に言ってはいけないと苦言を呈しているのですが、その度に。


「うん。その通りだね! 君は本当に真っ直ぐで正直で素敵な人だね! これからも遠慮せず言ってね!」

 

 とうれしそうに言われてしまうんですの……。


 あんな人ですけど、一応、わたくしが言えば改善しようという努力はしてくれるんです。

 でも、不調法で頭が悪くて、注意力もとぼしい人なので、こっちを改善すると、あっちを忘れ、あっちを改善するとこっちを忘れてしまうんです。


 それでも! わたくしが初めて会った頃に比べれば……少しは良くなってるんです。少しですけど!

 みなさんはどこも変わっていないと仰いますけど、わたくしは判っているんです。

 救いようのない愚鈍から、何もしないでいてくれれば問題がないくらいまでは!

 ダンスだってわたくしの足を踏まないくらいにはなりましたのよ!

 誰も気づかないくらい遅遅とした歩みですけど、改善してるんですのよ!


「今日もさ。登校した時挨拶したら。この前、ボクが贈ったペンダントをつけててくれたんだよね」


 登校時の挨拶とランチを一緒にする時と下校時くらいしか会いませんものね。

 幸い、殿下は成績が悪――ごほん、もとい中の下なのでわたくしとクラスがちがうんですもの。

 一日中あんな風に称賛されてたら体が保ちませんわ!


 不思議なことに、他の殿方に称賛されても、全然そんなにはなりませんの。

 彼らの方が、見た目も中身もわたくしに相応しい方々な筈ですのに、なぜなのかしら?

 わたくしをいたたまれない程にドキドキさせるのは、殿下だけなんです。


「ボクって全くセンスがないからさ、おつきの人に選んでもらうほうがいいんだろうけどね。

 でも、それでも、つけてくれたんだ。うれしかったなぁ」


 コーディネートに全く合ってない……というか、どんな風にしたら合うのか想像がつかないシロモノでしたわ。


 でも、あの人がわたくしのことだけ考えて、選んでくれたものですから。

 しかも、店に自分で行って、たっぷり時間をかけてあれこれ迷って選んでくれたんですのよ。

 そこまでされて一度も付けないで仕舞ってしまうなんて礼儀をわきまえた淑女として出来ませんわ。


 あれでセンスがあってさえくれれば! ずっと着けていたっていいんですのに。

 今度、殿下がわたくしへのプレゼントを見繕っている時、偶然を装って同じ店へ行って、自分の好きなのはこれ、と教えてさしあげようかしら?

 そうすれば、いつでも付けてられますし……。


 わ、わたくしったら何をはしたないことを、筆頭侯爵家の令嬢であるわたくしが、殿下におねだりなど……。

 しかも一緒に行動するなんて、こ、恋人同士みたいですわ! ありえませんわ!


 わ、わたくしと殿下は政略結婚! 政略結婚なんですからね!

 そうでなかったらあんな方と婚約していたはずはないんですからね!


 ま、全く、それもこれもみんな、殿下が不調法でセンスがないからいけないんですわ!


「(なんでそんなウザイ惚気を私に)……あ、せっかく選んでもセンスが悪いってけなすんですね! なんてひどい!」


 こめかみをひくつかせてると、何を考えてるのか丸わかりですわよ。

 殿下は気づいていらっしゃらないと思いますけど。


「うん。いつも言われるよ。でも、それなのに絶対に一度はつけてくれるんだ。ボクにはもったいなく素敵でやさしい人なんだよ。

 だって、さんざんセンスがないって言いながらつけてくれるんだもの」


 え、いや、あのやさしいですかわたくし?

 そんなことを仰ってくださるのは殿下だけなんですけど。

 どちらかと言えば、わたくしは周りの方々にキツイとしか言われていないような。

 陰で悪役令嬢とか言われてますのよ。

 殿下に対しても、全く言葉を飾らずズケズケビシビシ言っていると思うのですけど。


「どこがやさしいんですか! あの女はやさしく穏やかな殿下にはふさわしくありません!」


 うん。まぁやさしい、というどうとでもとれる褒め言葉が一番無難ですよね。

 眠そうなお顔も、穏やかなお顔にかえれば長所っぽく聞こえますし。

 あくまで聞こえるだけですけど!


「うん。そうだね。

 ボクが、素敵で綺麗で優秀でやさしくて素晴らしくて輝いてる彼女にふさわしくないのは判ってるんだけどね。

 でもね、ふさわしくなくてもね、ボクはね彼女が婚約者でいてくれてたまらなく嬉しいんだよ。それだけでしあわせなんだ」


 ああ。殿下。


 わたくしを誰にでも無差別に心の底からほめそやすのはおやめください。

 しかも、そんなしあわせそうなお顔で!

 隠れて聞いてると、動悸が激しくなって悶絶してしまいそうですわ。

 いつもわたくしが殿下に褒められる度に、ドキドキしてるのだって気づいていらっしゃらないんでしょうけど!

 もし、このまま殿下とわたくしが婚姻して結ばれて、昼も夜も褒めそやされたら、キュン死してしまいますわ!


 殿下は執務の最中でも、公務の最中でも、重要なパーティの席上でも。

 朝でも昼でも夜でも、ふたりきりの時でも……きっと、夫婦の夜でも褒めてくれるに決まってますもの。


 そうなったらわたくしどうなってしまうか今から心配ですわ!

 悶絶の余り、殿下の前で気絶して、あられもない姿を見せてしまうのでは……。

 そ、それに生まれたままの姿を見せざるを得なくなったら、唯一自信のもてない胸に失望されないかしら……。


 でもっ、殿下であれば、きっと、そんな姿を見せても……。それはそれで素敵だよ、とか言ってくださいますわ!


 べっ、別にぞっこんとかじゃありませんから! 単にそうなるだろうという未来図ですわ!


「え、えっと(なによこいつ! ブサメンのくせにアタシは眼中にないって!? 許せないわ!)」


 おっと、乳女がわざとらしく、ご立派な胸の辺りを殿下に押しつけ気味に迫って来ましたわ。


「殿下はおかわいそうです! 釣り合いのとれない婚約者にすっかり支配されて……。

 目をさましてください! もっと殿下にはふさわしい女性がいるはずです!」


 ふふん。目の前の乳女というわけですか。

 まぁ確かに、優秀で美しいわたくしに比べれば、どんな方でも殿下にふさわしく見えるでしょうね!

 あくまで見えるだけですけど!

 わたくし以外、あんな愚昧な人をお支えできる人なんていませんわ!


 でも、ご愁傷様。

 殿下はそんな言葉にだってあさっての反応しかしませんわ!

 だって、どうしようもない方なんですもの!


「ボクにふさわしい女性なんていないよ」

「そんなことありません! 利害関係から決められた政略結婚に縛られず周りに目を向けて見てください!

 すぐ近くに、今もきっとすぐ近くに、殿下にふさわしいぴったりの運命の女性がいると気づくはずです!」


 わたくしがよろけたのを咄嗟に支えてくださった時は、押しつけてしまったささやかな胸にどきまぎしていらしたのに。

 この女の乳には無反応とか! 流石ですわ! 流石の鈍さですわ!


「確かに、彼女はボクにふさわしくないね」

「そうですよ! ですから――」

「だけど、ボクにふさわしい釣り合いの取れた女性なんて、正直、生きていたら気の毒だね」

「え゛?」

「ボクはダメすぎるからね。ボク並みの女性なんて、なんの魅力もない人間の絞りカスだよ。

 存在するだけで気の毒だね。だってボク並なんだよ? 人間として最低ってことだよ」


 いつも通り淡々と言い切りましたわ!


 でも殿下。確かに殿下は王太子としていろいろ足りないとは思いますが。

 人間としても、その能力的にはそのアレですが、人柄は……ぼんやりしてるだけと言う人もいますけど、そう悪くないと思いますわよ?

 我ながら疑問形ですわ!


 ごめんなさい、どう贔屓しても疑問形がとれませんわ!


「わ、私もダメな人間ですから! ダメな殿下にはぴったりです! 私なら釣り合いがとれないとか言わせません!」


 わぁ! 言うに事欠いてダメ人間宣言しましたわあの子! 必死ですわね。


「うん。君がダメなのは判ってる。だけどそれは君のせいじゃない。彼女が素晴らしすぎるからなんだ」

「は?」

「彼女を見慣れすぎてて、他の女の人は誰も可愛くも優秀にも綺麗にも素敵にも見えないんだよね。

 正直、こうして話してるのも、我慢して話してるくらいなんだ。

 そういうので人を区別するのは失礼だし、上に立たなきゃいけない者としてどうかとは思うんだけど」


 あっ。


 余りに殿下がわたくしを褒め称えるので、少しぼぉっとして気づきませんでしたわ!

 殿下のお顔、真っ青になってますわ。

 まずいですわ。そろそろ限界ですわね。


「あの、それは、どういう。え……」


 殿下は溜息をつくと、女を見上げましたわ。

 うわ。すごい哀れみの表情。


「一応ね。ボクはこう見えて王太子としての教育も受けているからね。

 王族がひとりの時を狙って、ぶしつけに話しかけて来る礼儀知らずの人間にも、邪険にしないように我慢して相手する良識くらいは辛うじて身につけているんだよ。

 それにボク自身も生きてるのが申し訳ないようなとるにたらない人間だから、人を非難する資格なんかないからさ。

 でも、そろそろ生理的に限界なんで無礼を承知で正直に言わせて貰うよ」


 殿下はひとことひとことはっきりと言いました。


「君は臭いし、醜いし、無礼だし、側に存在しているだけで苦痛なんだ」


「な、なっっ、光り輝くあの方の足元にも及ばないゴミみたいなブサメンのくせに、わ、私になにほざいてんのよっっ」


 まぁ! すごいお顔ですわ。

 せっかくのおかわいらしい造りの顔が台無しですわ。

 でも、彼女の存在の全否定ですものね。

 こんな風に言われたことがなかったんでしょうね。


 にしても、背後の黒幕はあの方ですか。

 まちがいなく殿下の弟君ですわね。

 光り輝くあのお方、というのは、あの見てくれ男にのぼせあがった令嬢達の口癖ですもの。

 この乳にうまいことをささやいて、殿下を誘惑させたのでしょう。


「そろそろボクの我慢も限界で吐きそうになるのを我慢してるんだ。

 でもそれは、彼女が素晴らしすぎるからで、一般的に言って君はまぁそこそこなのかもしれないけどね」


 その通りなんでしょうね。

 実際、彼の将来の側近候補の方々はみんなこの女にメロメロみたいですし。

 彼らもお気の毒に、この女が退場したら即続けて退場していただくことになりますわね。

 だって、彼の周りにあんな阿婆擦れ――おほん、いけませんわはしたないですわ。

 あんな玉の輿目当ての女を近づけたんですもの。当然ですわね。


 これでもう側近が代わるのは五度目ですわ。

 でも、愚鈍な彼に愚鈍な側近だと先が思いやられますし。

 かといって、利発で将来有望な方々は、殿下を間違いなく軽蔑するので駄目ですし。


 それに殿下の弟君もそろそろ目障りですわ。

 王妃様の実家ごと潰してさしあげねばならないようですわね。


 やっぱり殿下には、わたくしがついていないと駄目なんですわ!


 べっ、別に、ついていたいからではなくて、王国の安定のために仕方がないからですわ!


「それでもボクから見ると、君はおぞましくしか見えないんだ。

 彼女が人間なら、君は下水を徘徊するドブネズミなみだ。

 彼女が山奥できらめくきれいな湖なら、君は地下の汚物溜だね。

 これ以上耐えられないんだよ。ごめんね。さっさとあっちへ行ってくれないかな」


 殿下があんな風に女の子を手で払うなんて!

 余程気分が悪くなっているんですわ。


 もう! 陰に隠れているお付きどもは何してるんですか!

 早くあの女を引き離さないと殿下が! ああ、あんな青ざめたお顔に!


「わ、わたしがそんなのだって言うんですか! なんですかなんなんですか!」

「いくらボクがダメな無能王太子でも、王太子の気分を悪くさせて嘔吐させたら、君は処罰されちゃうと思うんだ。

 だからそろそろ引き下がってもらえないかな? そろそろ吐き気が我慢できなくなってきてるんだ。う、うぷ」


 いけませんわ!

 殿下が胸を苦しげにおさえてうずくまってしまいましたわ!


 わたくしは隠れていた場所から飛び出すと、侯爵令嬢らしくしずしずと東屋へ入り。

 びっくりしている乳女を礼儀正しくかつ断固として押しのけて、彼の隣に座りました。


「殿下! しっかりしてくださいまし!」


 ああもう! こんなに青ざめるまで我慢して……。

 まぁ! 気まで喪ってますわ! 大変!


 わたくしはうずくまる殿下の頭を抱きしめると、そのまま膝に頭を乗せましたの。


「な、なに突然出てくるのよ! しかもなに当然のように膝枕とかしてるのよ!」


 あら? まだいらしたんですの?

 判っていらっしゃらないようですわね。

 もし殿下が我慢なさらず嘔吐なさっていたら、貴女は王太子を害したということで処罰が下るとこでしたのに。


「こんなのおかしいわよ! あんなに日頃悪口ばっかり言ってるのに!

 見せつけるように膝枕とかまでして! 相思相愛のふたりみたいじゃない!

 どうしてこんな王太子である以外なんの取り柄もないカスに! そんなに王妃になりたいの!?

 なによ私の半分も胸がないくせに! あんたの貧しい胸なんかあの方は褒めないわよ!

 ――きゃぁぁ、なにするのよ離してぇ!」


 乱入してきたお付きの方々が、女を羽交い締めにすると、ずるずると引きずり出していきますわ。

 お付きの方々もこれ以上この女を放っておけませんものね。

 いくら王家とわたくしの実家の意志があるにしても、王太子とその婚約者を侮辱するのを知っていて放置し続けていたら、何らかの処罰をされるかもしれませんもの。


 すでに遅いですけど。

 わたくしが処罰させますもの。

 貴方がたも乳女も殿下の弟も王妃様の御実家もまとめて一切合切!


 断じて胸を馬鹿にされた恨みではありませんわよ!


 お付きの方々は、羽交い締めにされながらも罵声を吐き続ける女をどこかに連れて行ってしまいましたわ。


 あら。

 みなさま、去って行きながらわたくしの方をちらりと見てますわ。

 同情のまなざしですわね。

 どうしようもない殿下を世話する仲間意識なのですわね。


 ふふっ。おあいにく様。わたくしは貴方がたとは違いますわ。

 だって、わたくしは殿下の婚約者なんですもの。


「ううーん……」


 あ。お気づきになったようです。お顔の色も良くなってきましたわ。

 わたくしは、膝の上の殿下の頭をそっと撫でながら、


「落ち着きました? 気分はどうですの?」

「うん……はぁぁ……なんとか大丈夫……ごめんねボクのような汚物に触らせて……」


 汚物は言い過ぎだと思いますわ。

 冴えないし愚鈍だし眠そうにしか見えないにしても汚物とまでは。

 でも、否定しても心底そう信じていらしてるので。


「そうですわね。でも婚約者ですもの。これくらいは仕方ないですわ」

「もう、いいよ……これ以上は君に悪いから。君が汚れてしまうよ」

「いえ。気分が悪くなってお倒れになったばかりですもの。もう少しこうしていたほうがよろしいですわ。それに――」


 雨音がささやきはじめました。


「雨が降ってきましたもの。しばらくこのままで」


 静かですわ。

 まるで世界に殿下とわたくししかいないみたい。


「う、うん、君がそう言うなら……で、でも、その……」


 なぜか殿下が視線を恥ずかしげに外します。


「どうかなさいましたか? またご気分が?」

「い、いや、そうじゃなくて……き、君のその……」


 あら? わたくしのことをいつも素直にあけっぴろげに褒めてくださる殿下らしくありませんわ。


 わたくしは殿下が視線をそらしたのは……殿下はわたくしの膝の上でお休みでしたから真上には――


「!」


 わ、わたくしの胸ですわ!

 し、しかも、こっ、これは膝枕じゃないですの!


 こ、困りましたわ。

 婚約者同士とはいえ、結婚前の男女がこんなに濃厚に接触しているなんて!

 その上、ふたりっきり! 誰も見ていないところで!

 これでは、許されない恋人同士が人目を忍んで密会をしているみたいですわ!


 どどどどどうしましょう!? 断じてそういう事ではありませんのに!


 布地越しとはいえ、殿下の髪と頭を太ももに感じてしまいますわ。

 体温や呼吸や心臓の鼓動まで感じてしまっています。


 でもこうしないと殿下はさっきの悪臭女のせいでもよおした吐気がぶりかえしてしまいますわね!

 治療ですわ治療! あくまで治療なんですわ!


「でっ、殿下これは膝枕とかではありませんわ!

 勘違いなどなさらぬように! 勘違いですから! え……」


 殿下はわたくしの膝枕で、すやすやとお眠りです。

 果てしなく満たされたお顔をしていらっしゃいます。


 ほんとうにやすらかなお顔。

 流石はいつでもねむそうなだけはありますわ。


 こんなところで眠ってしまって、午後の授業はどうするつもりなのかしら?


「……ふふ。眠ってしまった殿下を置いていくわけには参りませんわね。

 わたくし、授業をさぼったことなんか、今までありませんのに……」


 わたくしは、やすらかな寝息を聞き、殿下の重みと体温を感じながら、座っておりました。

 不思議と心地よい時間が流れていきます。


「全く、殿下。貴方という方は、どこまで間抜けで不調法でどうしようもないんですか……」


 でも。


 わたくしは、殿下の頭をそっと撫でて、口の中で呟きました。


 このひとは、わたくしを愛することに関してだけは有能なんですのよ。







最後までお読みいただき、ありがとうございました。


下部の☆☆☆☆☆を押下し、評価ポイントを入れていただけると嬉しいです。


あと、お暇があったなら、他の作品も読んでもらえるともっとうれしいです。


それから、このお話の続編を六月四日投稿しました。ヒロインのパパが主人公です。外から見ると、こういう風に見えてしまう、というお話です。


さらに、その次のお話を6月12日投稿しました。再びヒロインが主人公です。

もし時間がおありなら、楽しんでいただけると幸いです。


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― 新着の感想 ―
[一言] 主人公かわいい 仕方ないですのとか言いながら殿下にメロメロなのかわいい 殿下、なんか、かっこいい
[一言] >「〜〜このひとは、わたくしを愛することに関してだけは有能なんですのよ。」♪♡!!! ( ´∀`)bグッ!ウンウン!まさにまさに! 王太子殿下、肝心かなめは外さないわかってらっしゃる、凄…
[一言] 1/4くらい読んで、「あら?(ツンデレかな)」となり、 1/3くらいで、「あらぁ~、ごちそうさま♡」になって、 1/2以降は、「王子様やるじゃん!」のオンパレードでした!
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