皮屋に行く
米兵たちが無礼講。
ビールをまき散らし、女を踊らせ、ブルースを謡う。やりたい放題の有様だ。
誰かがビルの屋上でハーモニカを吹いていて、夜風にさすらうブルースが宴の中にある一抹の寂しさを引き出していた。
人波をすり抜けていくが、こう人が多くては皮屋など見つかりそうにない。
ゴマ団子屋の店先にいるチャイナガールと目が合った。小さく笑う彼女は、見た目より歳がいっていそうだ。
若づくりのチャイナガールは、まるで魔都のミューズ。
甘いものが食べたくなったし、道も知りたい。
「すまない、皮屋というのはどこにあるか分かるかい?」
「さあ、知ってるような知らないような」
胸ポケットの貧乏神が小首をかしげた。一つ目じゃなかったらカワイイ子猫だったのに、惜しいことだ。
「一袋貰うよ。あと、緑茶があったらそれも」
「毎度ありがとうございます。皮屋はそこの煙草屋の路地を抜けた先にありますよ」
千円札を出すと珍しいものでも見るようにされた後に、硬貨でお釣りを貰う。これまた見知らぬ貨幣だ。
茶色い紙袋に入ったゴマ団子と見たことのない銘柄のペットボトル緑茶を渡された。
ゴマ団子を食べてみる。甘くて美味い。もちもちしていて、温かい。
貧乏神が切なくにゃんと啼く。
「私は、ゴマも食べれますよ?」
「そんな言い方しなくても、やるよ」
貧乏神の小さな口元にゴマ団子を押し込むと、猫特有の咀嚼音。餡子は甘かろうよ。
チャイナガールが貧乏神を見て目を丸くしている。
「そんなものを連れて歩くなんて、凄いお人なんですね」
頭痛が、頭の芯で暴れ始めた。
何か言おうとしたのに、顔を歪めてしまう結果になる。気難しい顔をしているから、痛みに歪むと怒っているように見えるだろう。
「足元にくっついてきたから……」
どうして蹴飛ばさなかったのか分からない。
ふと、街灯の水銀灯に目を向けた。薄ぼんやりと輝く白い光の中で、赤い燐光がパチパチと小さく爆ぜている。
「おや、今日は瘴気が激しいですね。アメちゃんが大騒ぎするから、夜鬼も騒いでいるのでしょう」
「へえ、そういうものか」
全く意味は分からないけれど、適当に返事をする。
背後から視線を感じて振り返ったら、目の端に茶色い人型がよぎった。すぐに見えなくなったけれど、しゃがみ込む腐乱死体に見えた。
「いけませんよ。こういう日は死人が出てきますから。あんまり振り向いてたら、後ろ髪をひかれちまいます」
チャイナガールのおさげがふわり。あんな素敵に揺れていたら、引いてみたいとも思うだろうさ。
「ありがとう。もう行くよ」
「お気をつけて」
人波をすり抜けてネオンで輝く煙草屋へ向かう。
小さな煙草屋ではブリキ玩具のような古いロボットが店番をしていて、ビービーと音を立てて煙草の箱を積み上げていた。見たことのない銘柄ばかりの中、懐かしいマイルドセブンを見つける。
いつのまにやらメビウスなんて名前になって、マイルドセブンシリーズは世の中から消え去った。
頭痛がおさまっていく。
ネオンの隙間には、エアコンの室外機が乱立する路地があった。
「暗がりですよ。怖い小路ですよ」
貧乏神の子猫が毛を逆立てる。ウニのようになっていて、面白い。
「怖くないよ。なんだか、眠れそうだし」
暗がりは好きさ。足が吸い込まれる。
小路を往けば、足元が悪い。何かに当たって地面を見やれば、大きなザリガニが鋏を振り上げて威嚇している。
「今度はザリガニか」
ザリガニと見つめ合って暫時。つぶらな暗黒の瞳は宝石のようで、むしり取りたくなる。
「貴兄、ここを往けば帰れなくなるぞよ」
ザリガニが人の言葉を発した。妄想なのか、現実なのか。どうでもいい。誰かこの頭痛を止めてくれ。
「帰るとこなんて、もう無いよ」
振り上げた鋏を下ろすザリガニ。諦めたように頭を振る。
「ならば、往くがよい。安息など無き黄昏に向かわれよ」
中二病というやつか。ザリガニの世界にだってそんなものがある。ガキのころのことは、思い出したくない。後悔とか痛みとか恨みとか。いや、いつもそうだった。
「ははは、眠りたいなァ」
暗がりを歩いていくと、突き当りに薄汚れた雑居ビルがあった。一階テナントには皮屋と暖簾がかけられている。
「ごめんください」
「にゃん」
貧乏神も挨拶のつもりだろうか。
返事がないから横開きのドアを開けて中に入る。
中はまるで町のクリーニング工場みたいになっていた。
長い長いハンガーに吊られているのは、透明なビニル袋に納められたスーツかと思いきや、人の皮だ。人の形そのままの皮が、綺麗に吊るされている。
どの皮にも、見事な和彫りの刺青がある。
龍乗観音、上り龍、龍魚、唐獅子牡丹、風神雷神、ベルゼブブ、バズス、テスカトリポカ、不動明王。
青い作業服に身を包んだおばさんが、こちらをじっと見てから叫ぶ。
「社長ゥ、お客さんですヨォ」
そうしたら、奥から白衣を着た痩せぎすの老人が現れた。ミラーシェイドのサングラスがSF映画の悪役みたいでイカス。
「あっちから来たのか。行く当てがないのなら、ここで仕事を手伝ってもらうぞ」
老人は挨拶も無しに言い放つ。渋い声をしていた。今風に言えばイケボだ。
「よく分からないんですが」
「どうせ、キミはあっちには戻れん。野垂れ死にはせんようにしてやる。適正試験だ。そこにある刺青からチンピラヤクザに似合いそうなのを一つ見繕え」
訳が分からないが、泊めてもらえるなら手伝おう。
どうにも帰れそうにないのはなんとなく理解している。
言われるがままに吊られたクリーニング済の人皮から、下手くそな不動明王を選んだ。色は入っているけれど、素人の落書きみたいな明王さま。
「ふむ、なかなかセンスがあるな。今から極道リサイクルを行う。ついてきたまえ」
「失礼、あなたのことはなんと呼べばいい?」
「カガリ博士とでも呼ぶがよい」
カリガリ博士のもじりか。気障な爺さんだ。
「よろしく、博士」
博士は答えずに踵を返した。工場の奥へと足早に歩を進める。
追いかけようとして、ふるふると胸元が震えているのに気づいた。貧乏神が一つ目玉いっぱいに涙をためこんで震えていた。
「怖いです。私はここが怖いです。にゃんにゃん」
「怖くなんてないよ。どうせ、棒で叩いたらみんな死ぬんだから」
博士の後に続いて、防火ドアを何度もくぐる。途中、防疫室で薬剤ミストを吹きかけられて辟易とした。
消毒液臭くなって地下へ、地下へ。
途中、極道処理場の前を通りかかった。腹にサラシを巻いた極道が、職人に羽交い絞めにされている。きっと、今から処理されるのだろう。桜吹雪の刺青が目に痛々しい。
いくら社会のダニ・極道といっても、処理される前の瞳は哀しげだ。
処理場の奥に、極道再生産工場があった。
ベルトコンベアを流れるぶよぶよとした肉の塊は、工業ロボットの手により少しずつ極道へと形を変えていく。
博士が自慢げに説明してくれた。
「見たまえ、これこそが廃棄極道に視肉を配合し再生極道として再生産する夢の工場だ。ウンバルンバに着想を得て完成させた大事業だよ」
チャーリーが激怒しそうだと思ったが、あえて言わないでおく。
「しにく、ああ視肉のことですか。よくそんなものが見つかりましたね」
実在していたのが驚きだ。しかも、日本にあったとは。
「ははは、××寺院の地下深くから掘り出したのさ。卑弥呼が金印の呪力をもって秘匿したものだろう。聖徳太子ですらも御しきれなかったものであろうな」
長くなりそうなので、話を変えるとしよう。
「それで博士、この皮はどうするのですか?」
「うむ、完全なオートメイション化には至っておらん。最終工程だけは、人の手がいるのだよ」
「ほう、それの手伝いですか」
「その通りだ。さあ行くぞ」
白衣をひるがえすところがキマっている。カガリ博士はナイスミドルであった。
意味が分からない人は正気です