褒め殺しの国
王国に、かつて一人の高名で偉大な聖女がおりました。彼女は大変清らかな心と膨大な魔力を持っていました。
国民達が毎日のように些細なことで諍いを起こす姿を目にして心を痛めた彼女は、この国の人々が未来永劫幸せになれるよう、一つの祝福を与えました……
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「お客様は、色々な国を長年旅していらっしゃるということだけあって、とても愉快なお話をたくさんご存知なんですね。夢中になってお聞きしているとあっという間に時間が過ぎ去って、驚いてしまいました。良かったら、こちらのブブゥ漬けをどうぞ!」
「いやいや、それほどでもないよ。しかし、サービスがいいし気が利く店だね。さすが、『褒め殺しの国』で人気の食堂だなあ」
暗にオーダーストップを伝えるために提供されるブブゥ漬けを、額面通りに受け取り喜んでいる男の反応に対して、一瞬頬を引き攣らせた女主人でしたが、すぐに営業スマイルに切り替えます。
「お客様の腕時計、とてもご立派ですねえ。きっとさぞかし貴重なものなのでしょう」
「おっ! よく分かったね! これはスキジガタ国で買った高級時計なんだよ。流石に金額は言えないけど、この店のメニュー全部頼んでも御釣りがくるだろう。いやあ、あの国での冒険もスリリングでエキサイティングだったなあ……」
『時間を確認し、長話を切り上げて、さっさと帰れ!!』と遠回しに表現していたのですが、言葉通り褒められたのだと勘違いし、気を良くして自慢話を始めた男に、女主人は気付かれないよう小さく舌打ちをします。
「……でも、私が旅人様を独り占めしてしまい、何だか申し訳が無い気がします……向かいの喫茶店には私なんかよりずっと(精神的に)若くて美人なウェイトレスがたくさんいますし、もしあなた様のようなお洒落で素敵な殿方から、面白いお話を聞かせてもらえたら、きっと大はしゃぎして喜ぶでしょうに……」
「そ、そう? じゃあ後で寄ってみようかな……長居して悪かったね、そろそろお会計お願いするよ」
分かりやすく鼻の下を伸ばしてニヤニヤする男に、ほっと胸を撫でおろす女主人。ちなみに通りを挟んだ喫茶店には平均年齢60歳をゆうに超えている熟練の女性たちが勢揃いしています。
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他国から『褒め殺しの国』と呼ばれるこのキョト王国の国民達は、大昔に現れた一人の聖女によって、一切他者への誹謗中傷を口にすることができない祝福を受けています。ですが、他国の人間と同様、心の中に苛立ちや怒りを抱えているのは変わりませんので、どうにかしてその鬱憤を発散しなければなりません。
そこで彼らは婉曲的な表現を使い、他人をたしなめ、批判し、罵るのです。国民同士は笑顔を絶やさずに褒め言葉を用いて殴り合い、何も知らない旅行者達を内心嘲りながら手を叩いて甘言蜜語で誉めそやします。
会話だけでなく文章においても褒めることしかできなくなった王国内では、内政や外交、風紀、経済、事件についてひたすら絶賛するだけの新聞を読みつつ、記者の真意を汲み取らなければなりません。
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「どいつもこいつもヘラヘラ笑いくさって、おべっか使いの太鼓持ちばっかりやな……誰一人まともに本音を言うこともできへんなんて、しょーもない国やで、ほんま」
悪態をつきながら肩で風を切って歩く男。彼は冒険者崩れのチンピラであり、王国のカジノで今まさに一文無しになってしまったのでした。賭博場のディーラーやサクラに歯が浮くような甘い言葉でおだて持ち上げられ、いい気になって全財産をスってしまった彼は、最悪の気分になっていました。
ドスンッ
「おいぃ! 何処見て歩いとんねんワレェ!」
「本当にすみません! あまりに野性的な歩き方をなさっているので、つい見蕩れてしまいまして……」
少年の褒め言葉も、不機嫌な彼には通じなかったらしく、今にも胸倉を掴もうとしていましたが……
「大変お元気で何よりですが、せっかくなら私どもに武術の稽古をつけていただけないでしょうか?」
がしりと男の肩を掴んだのは、屈強な体つきの衛兵でした。彼の後ろにも笑顔で腕を組んだ二人の衛兵が仁王立ちしています。物腰は丁寧ですが、彼らの眼光は有無を言わさぬ圧力を放っていました。
男は一瞬は怯んだものの、頭に上った血と彼らに対する侮蔑のせいで正常な判断が出来なくなってしまったようです。
「ええ度胸やなあ! ナニワール帝国の凄腕冒険者様が、おどれらに本物の男っちゅうもんを教えてやろうやないかい!!」
衛兵と共に路地裏に消えていく男。彼は油断し、忘れていたのです。国民達は言葉で他者を傷つけることは出来なくても、純粋な暴力は一切封じられていないということを。彼らのとっておきのストレス解消法は、シンプルな殴り合いだということを。
饒舌な褒め言葉が絶え間なく行き交う表通りには、男の情けない悲鳴は届くことがありませんでした。
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暴力そのものを無くすのではなく、国民から言葉の自由だけを奪った聖女が、果たして本当に澄んだ心を持っていたのか、今でもしばしば議論されています。
しかし、真実を確かめる術はありません。なぜなら、たとえ聖女が本当は腹黒で性悪な鬼畜魔女であったとしても、彼女が真心から祝福を授けたのではなく、戯れに呪いをもたらしたのだとしても、国民は誰一人として彼女を咎める事実を記録することなど、叶わなくなってしまっていたのですから。
本編の内容とは全く関係ないのですが、作者は京都も大阪も大好きです。
また、この物語はフィクションであり、実在の人物・団体・事件・方言・地域性・慣習とは一切関係ありません。