支店計画、マーガレットの魔法
――エルゼビュート様が突然訪ねて来て、嵐の如く去って行った。
その後も一悶着あり、次の日通されたのが貴族街専用化粧品屋の一室。
そこで、降って湧いた話題が支店を増やすことだった。
――話はトントン拍子に進んでいく。
ラスコンブさんの怒涛の捲し立てを、ボルニーさんの冷静な切り返しが計画の穴を埋める。
当初二人には、って言うかラスコンブさんはボルニーさんにライバル意識を燃やしていたが、今となっては名コンビだ。
彼らと優秀な従業員、そしてマルゴー様の後ろ盾があれば何の問題もないだろう。
俺は時折彼らからくる質問に答え、あっという間に計画書の草案は出来上がってしまった。
「ふむ。問題はないようですわね。後は通常品と高級品の為にセイジュ卿が作り方を出してくれるのと、素材の確保ができれば何時でも開店できますわ」
「でも良かったのですか、僕が作らなくても?」
「寧ろ、セイジュ様は作ってはいけません。セイジュ様が作った化粧品を使えるのは、最高品質の本店の更なる一握りだけです。それこそ、マルゴー様やドゥーヴェルニ様が認めた極一部。その格差が貴族社会には必要なのです」
「そうですぞ、オーヴォ卿! 作り方だけ教えてくれれば問題ありません。卿が頑張り過ぎると通常品でも末恐ろしい物が出来そうですからな! ガハハハ」
更に、通常ライン高級品ラインの店には俺特製のスィーツも卸さないらしい。
あくまで極一部。
その特権にあやかる為、ご婦人たちは日夜しのぎを削るだろう。
「ではボルニー殿、続きは店長室で詰めるとしますかな? あっちの方が資料が多いですからな」
「ですね。セイジュ様、遅くまでお付き合い頂きありがとうございます。作り方の手順書楽しみにしております」
「私は、ミュジニー侯爵夫人の所に顔を出してみますわ。この時間ならまだお店に居るでしょう」
「承知致しました……」
「あら? 何を言っているのマーガレット? 貴女には大切な仕事があるでしょう。ここに残って、セイジュ卿のお相手をなさい。日が沈むと同時に帰ります。それまでお願いしますわ」
「かしこまりました……ありがとうございます、マルゴー様」
別室に移動しようと立ち上がったマルゴー様の後に続くマーガレットさん。
しかしマルゴー様は彼女の同行を許さず、俺の相手をしろと部屋を出て行った。
勿論、マルゴー様は俺とマーガレットさんの関係を知っている。
だからこそ、短い逢瀬を作ってくれたのだ。
マーガレットさんも分かっているようで、素直に受け入れた。
「ご無沙汰しております、あなた」
「えぇ、すいません六十日も音沙汰なしで」
「それでは、罪滅ぼしの口づけでもして頂けますか?」
そう、マーガレットさんは二人っきりの時は『あなた』と呼んでくれる。
隣に座った彼女は俺の肩に頭を預け、目を閉じ顔を向けた。
その要求に応えつつも、執拗に太ももを弄ってくる彼女の指を誤魔化すのは大変だ。
ひとしきり口づけを交わし、満足したマーガレットさんを強く抱きしめる。
鼻先を掠める青い果実の香り。
彼女だけの為に渡したシャンプーを、今でも使い続けてくれているようだ。
「ふふ……セレスティアとガーネットの匂いもします。無事二人と初伽を済ませたようですね。私とは何時になりますか?」
抱き合う耳元で色っぽい声が響く。
官能的で少し嗜虐めいた声色。
直情的な妹のガーネットさんとは違う、ミステリアスな魅力に翻弄される。
「そんなことまで分かるのですか?」
「いえ、分かりません。ですが、セレスティアとガーネットのことですからそろそろかと思いまして。それにあの二人のことですから、多少の勢いもあったのでは?」
「ぐぬぬ……流石マーガレットさん。全部お見通しですか」
「はい、私達は姉妹であり家族ですから……」
そう言ったマーガレットさんは、回す腕に更に力を入れた。
そっか、三人は早くに両親を亡くしてる分繋がりも強い。
彼女達の為にも、良い夫にならなくてはな!
「――そう言えば、マーガレットさん。相変わらず長時間の魔法行使は厳しいですか?」
「魔法の発動ですか? はい……単発的な魔法は問題ありませんが、長時間の使用は直ぐに息が切れて動けなくなってしまいます。それこそ、あなたがガーネットの目を治した後の大立ち回りで全力を出しましたが、次の日までずっとベッドの上でしたよ」
「では、その症状が治るとしたら?」
「不可能ですね。セレスティアやマルゴー様から様々な上級ポーションを頂いても治っておりません」
「でも、治したいですよね?」
「当たり前です。全盛期のように魔法が使えればもっとマルゴー様をお守りできますし、今後シルフィード殿下やまだ見ぬ我が子の為に幾らでも活用できます」
「良かった。じゃあ、これは僕からの贈り物です。騙されたと思って飲んでみてもらえますか」
「ですから、ポーションでは! んん――ッ」
思い出したくないことを、諦めていたことを話して不機嫌になるマーガレットさんの口を口で塞ぐ。
恨めしく袖口をギュッと掴んでくる彼女を落ち着かせて、本題を切り出した。
「やっとマーガレットさん用ポーションの素材が集まったんですよ。豊穣の森の素材ではダメでしたが、不凍大瀑布の源泉なら思い通りのポーションが出来ました!」
「不凍大瀑布? フィンブルヴェルド山脈に行ったのは聞いていましたが、まさか瀑布の源泉まで行ってたのですか?」
「いえ、そこまでは行ってませんよ。エルゼさんから頂いた物を使いました。って、今それは置いといて飲んでみてください。もし効かなかったら、幾らでも言うこと聞きますから」
「エルゼ様とは……? また、聞きなれないお名前ですが良いでしょう。あなたにそこまで言わせるなら、飲む以外に選択肢はありません」
透明なガラス瓶に口を付け、コクリと一飲み。
ガーネットさんの目を治した時と同じように、淡い魔力の光が彼女を優しく包んだ。
「これは……?」
「よし! 成功みたいです。セレスさんとパーティー組んでいた時みたいに魔法が使えるはずです」
「確かに魔力が身体の中を淀みなく流れている感じがします。この感覚は久しぶり……一体何をしたの、あなた!? もう一生治らないと思っていたのに」
「マーガレットさんはガーネットさんに応急処置を施した際、限界を超えてしまって魔力回路……身体の魔力の通り道がズタボロになってしまったのだと思います。それが原因で上手く魔力操作ができなくなってしまい、小さな魔法でも莫大な魔力を消費してしまうのです」
俺の話を聞きながらも、マーガレットさんは両手指先に幾つもの魔法を発動し、器用にそれぞれを捜査している。
何て緻密な魔力操作だ。
俺もやればできると思うが、あそこまで精密に動かせる自信はない。
「その治療に必要だったのが、不凍大瀑布の源泉です。この水は魔力を高める祝福を受けているようで、手持ちの上級ポーションと一緒に錬金したことによって、マーガレットさん専用の薬が出来ました」
「そうだったのですね、あなた……ありがとうございます……全く、私の旦那様は……何時から治そうと考えていらしたのですか?」
「何時から? そんなのルリさんから話を聞いた時からに決まってます。ガーネットさんだけ治ってずっと気がかりでしたが、やっと素材が集まったのです。それに妻の為に全力を尽くすのは、夫の甲斐性でしょ!」
「そんな前から……ふふっ……本当にあなたを好きになって良かった。これからも変わらない敬愛を捧げます。どうかお捨てにならないで……」
「何を言ってるのですか。僕達は家族でしょ? もっと甘えてくれて良いですからね。そうだ、折角ですから様子見がてら探索魔法でも使ってみませんか? そうですね、範囲は王都全体。今のマーガレットさんなら余裕でできますよね?」
「あら? 王都だけで良いのかしら? 今日の私なら王国全体もいけそうよ?」
彼女は錫杖に似た杖を取り出し、チリンと鈴音が響き渡る。
俺も負けじと探査魔法を発動し、彼女の魔法と折り重ね輪を広げる。
本当の彼女の実力は凄い。
極限まで伸びた薄い探査魔法は波風立てず、誰にも気付かれないほど粛然だ。
圧倒的魔力で蹂躙するユグドラティエさんや俺と違って、いつの間にか背後に立っているような静けさ。
これが、魔法において人間の到達点の実力か……
大規模な探査魔法を使い終わっても、マーガレットさんは息一つ切れていない。
これなもう心配は要らないな。
確信を胸に彼女と見つめ合うと、全力で飛び付いてきた。
「ふひひ…ふひひひ……セイジュちゃんお蔭でお姉ちゃん力を取り戻せたの。いっぱいお礼をしないとね。大丈夫よ、ユグドラティエ様には負けると思うけど、他の誰よりも上手いわ……ね? だから、ね?」
「ちょ、ちょ! マーガレットさん落ち着いて!」
勢いの余り馬乗りになったマーガレットさんは、シュルリとメイド服のリボンを外した。
完全に暴走している。
トロンと溶けた瞳には狂気が宿り、薄ら寒い笑みと共に唇が近づく。
しかし、その行為は鶴の一声で阻まれた。
「あらあら、マーガレット? それ以上はご婦人達には刺激が強すぎてよ?」
「「マルゴー様!!」」
視線の先には、マルゴー様と数人のご婦人達。
どうも日が沈む前に、紹介したい令嬢がいたらしい。
お年頃の娘さん達は真っ赤になりながらも興味津々に俺達を見つめ、マルゴー様はご自慢の扇子で口元を隠し上機嫌に目を細めていた――




