白昼夢、その代償
――大階段を上り切り、待っていたのは玉座の主。
エルゼビュート様と色々な話をして、今夜は泊まっていけと誘いがきたので甘えることにした。
宿賃替わりは俺の血で作った薔薇。
彼女は、吸い込まれるようにそれを見つめ喉を鳴らした。
――雪色の指先が薔薇の花弁を掴み、パキッとその一枚を摘み取る。
数百か数千か、幾億振りに迎える血液をピンク色の舌が愛おしそうに包み込んだ。
熱で溶ける血晶花弁。
彼女は深紅に染まった長い舌を見せつけるように口内にしまい、ゴクリと一気に飲み込んだ。
「ククッ……どうしてこれは……クハハ……ハッハッハッハッハ――ッ!!」
「ちょ! エルゼビュート様!?」
至上の歓喜に打ち震え、溢れ出す魔力が氷城と周囲の山脈を揺り動かす。
余程嬉しかったのだろう。
彼女は上機嫌にもう二枚摘み取り、従者たる上位吸血鬼のメイド二人に差し出した。
一部始終を見ていた彼女達も我慢の限界だったのか、長く尖った犬歯を露わにし滴り落ちる唾液。
待ちきれないとばかりに大口を開け、主人の施しを待つ。
「吾輩の指ごと喰ろうてくれるなよ? しっかり味わえ。天上楽土の雫ぞ」
『『ありがとうございまひゅ。我が主、そして強ひ者よ』』
零れる涎を拭おうともせず、花弁が舌先に触れた瞬間二人は目を見開いた。
そして、全てが瓦解するようにへたり込み無上の喜びに目をトロンとさせる。
名前も知らぬ片方の従者の口端から一筋飲み残しが垂れると、目敏く見つけたもう片方が素早く舌を這わせた。
そのまま、一滴も逃さないと貪り合う舌々。
何とも背徳的な百合百合しい光景だが、若しかしてとんでもない物を献上してしまったのかもしれない……
その後も血走った目と必死に衝動を抑えようとする二人に案内され本日泊まる部屋に案内された。
正直これは怖かった。
血の飲む前と明らかに距離が近く、血色ばんだ表情は狩りを今か今かと待ちわびる猟犬だ。
通された部屋は正にファンタジーの世界。
氷で出来た煌びやかな家具に白夜の光を防ぐ漆黒のカーテン。
客間にしては豪華すぎる空間に、思わず息を呑む。
無論普通の人間が泊まったら凍死は免れないが、俺にとっては関係ない。
ベッドにも黒いシーツ。
沈まぬ太陽の所為か幽世の所為か、狂った時間感覚にドッと疲れが押し寄せる。
吸い寄せられるがままにそこに倒れ込み、雪を凝縮させた凛とした香りの中で目を閉じた。
…
……
………
…………
「――おやおやおや? 吾輩の寝所に忍び込む賊がおるかと思ったら、お主ではないかセイジュ? 数千年振りに血の香りに満たされながら寝ようかと思ったら、お主がおる。これは誰かの悪戯かのう?」
「エルゼビュート様……?」
微睡む意識の先にエルゼビュート様がいる。
横には二人の従者。
現実か? 夢か? 三人は三人とも雪より白い肌を露わにし、ゆっくりと近づく。
「セイジュ、これは夢だ。精神魔法を使ってお主の夢に現れたのだ。精神系の魔法は吸血鬼の得意技だからな」
「そうですか。夢にまで会いに来てくれるなんて光栄ですね」
「あぁ……だから、これから起こることも全て夢。存分に楽しみ合おうぞ」
三人の重みに波打つシーツ。
従者二人は待ち切れないとハァハァと吐息を漏らし、エルゼビュート様の長い髪がベッドいっぱいに広がった。
「何を……?」
「はっきり言おう。今我輩達は発情しておる。下級種の如く見境なく血と精を求める獣よ。お主の血と魔素に当てられて、身体の芯が疼くのだ。我輩達の渇き、その身をもって潤してほしい」
不夜城の夜は激しく更けてゆく、四人の重なる影を映しながら……
「行くか?」
「はい、一日泊めてもらってありがとうございました」
「うむ。お主なら何時でも歓迎しよう。また来るが良い。いや……次は我輩から会いに行こう」
「本当ですか!? 楽しみにしてます!」
『『私達もまた会えることを楽しみにしております、セイジュ様』』
目が覚めたら特に乱れた様子も身体に傷もない。
いやにリアルな感触と冷たさを覚えているが、昨夜の情事は魔法が見せた白昼夢だとしておこう。
昼過ぎまで話をして、俺は屋敷に帰ることにした。
また会いにくる約束や血の薔薇を献上することも忘れずに伝え、別れの挨拶を済ます。
エルゼビュート様はお土産とばかりに数え切れな程のレアアイテムを用意してくれたが、流石に悪いので数点だけ貰うことにした。
そして、頭を下げ踵を返し扉に向かうと突如首筋に冷たい感触。
柔らかい唇と十二本の牙が啄むように甘噛みをした。
そのまま耳元まで濡れた舌を這わせた犯人の一人が嘯く。
「連日連夜に我輩は満足だ。次も楽しみにしておるぞ?」
ゾワッと背中に悪寒が走り、振り返るも彼女は来た時と同じようにアンニュイな頬杖を付いていた。
従者二人もしっかり頭を下げ俺を見送る。
ここは不思議なことばかりだ。
もう一度軽く会釈をして、玉座の間を後にした。
――氷の城を出て永久凍土の街を抜ける。
立ち並ぶ墓石を超えて瀑布裏の洞窟へ。
大量の水を目の前に俺屋敷へと転移した。
屋敷に戻ると、時刻は夕刻。
沈みかけの太陽と涼しい風が吹き抜ける。
おかしいな? 昼過ぎに氷城を出た筈なのに、オレンジ色の空が広がっていた。
相変わらず転移の帰宅に慣れていないメイド達は驚いているが、様子が変だ。
俺の魔力に気付いたのか、必死の形相でエルミアさんが飛び出して来た。
「セイジュ君! セイジュ君!! ゼイ゛ジュ゛ぐん゛~!!! 本当に心配したんだから! 何で連絡もなしに長期間留守にしたの! お姉ちゃん、心配でご飯一杯しか食べられなかったんだからね!」
「いや、一杯食べれば十分では? って、何故皆取り乱してるのですか? たった四日じゃないですか?」
「なにふざけたこと言ってるの!! 六十日も音沙汰なしだったじゃん! マルゴー様もマーガレットも、屋敷の皆だって心配してたんだよ……」
「すいません。本当に僕の中では三日間洞窟で野宿して、吸血鬼の始祖様の城で一泊しただけですよ?」
「エルミア、落ち着くのじゃ。坊やは、ちと時間の流れが違う場所に居ただけじゃ。詳しいことは夕飯を食べながら聞けば良い。おかえりなのじゃ、坊や」
「お師匠様……うん、おかえりセイジュ君」
「ただいま戻りました皆さん。ちょっとまだ状況が理解できていないみたいです。ゆっくり話し合いましょう」
ユグドラティエさんの助け舟のお蔭でエルミアさんも落ち着きを取り戻し、皆が食堂に集まった。
日は沈み闇が支配。
何時も通りの食卓を前に、改めて状況整理を行う。
「エルミアさんの話を整理すると、僕はフィンブルヴェルド山脈に行くと言ってから既に六十日が経ってるわけですね?」
「あぁ、そうだセイジュ。オマエはリムステラと氷竜を討伐した後、その……何だ……アタシとガーネットとシた次の日から忽然と姿を消した」
「間違いないぜ。俺の記憶も確かだ。セレスティアなんか心配し過ぎて毎日俺の所に泣き言喚きにきてたぜ?」
「うん。確かに六十日経ってるよ。王都の公式行事も恙なく進んでるし、セイジュ君の仕事もたんまり溜まってるよ?」
「っとまぁ、こんな風にじゃ? エルゼビュートの城はこことは違う時間の流れをしておるのじゃよ。よかったのぅ、坊や。帰る時期を見誤ったら、セレスもガーネットもお婆ちゃんになっておったのじゃ」
何てことをネタバレするんだよ! 危うく浦島太郎状態になるところだったぞ。
こっわ! エルゼビュート様の城マジ怖い……
「しかし妙じゃのぅ? あ奴の性格からして人間をそこまで縛り付けることはせんはずじゃが……坊や、何か特別なことでもしたか?」
「いえ? 従者二人の上位吸血鬼に案内されて謁見し、『勇者』アマツさんの話や皆さんの話、王都での話に先日の氷竜討伐の話をしただけですよ」
「ふむ……他には思いつかんか? 気に入られるような話題じゃ」
「あっ! そう言えば、エルゼビュート様が僕から美味そうな匂いがするって言ってましたから血で作った薔薇を差し上げました」
「「「「は????」」」」
血をあげたと言う発言に四人は絶句。
ユグドラティエさんは頭に手をやり天を仰ぎ、エルミアさんは驚きのあまり表情が固まっている。
冒険者組のセレスさんとガーネットさんに至っては、『この馬鹿、死にたいのか?』的なドン引きした視線だ。
「この、愚か者が!! 坊や! 吸血鬼族に己の血を差し出す意味を知っておるのか!?」
「ひぃッ! いえ、でもエルゼビュート様も満足したみたいで良い関係性を築けましたよ」
「じゃから、その関係性が――」
「――やれやれ。歳を食うと狭量になるのは、大エルフも人間も変わらんのう? ユグドラティエのババア?」
彼女の怒気に押されながらも反論すると、白銀よりも透明な凛とした声が響く。
屋敷に施された結界をものともしない美しい細氷。
その一欠片が俺の前に舞い降りた――




