氷城、氷座の主
――フィンブルヴェルド山脈奥、不凍大瀑布の洞窟を超え待っていたのは猛吹雪だった。
アンデッドであろう幽鬼やリビングアーマーと会話をし、三日後にやっと永久凍土の街に立ち入る。
そこには、二人の美女。
彼女達に案内され、王宮前の大階段に臨む。
――俺は案内役に別れを告げ、氷の階段を上る。
何段あるのだろうか?
折角だから、数えてみるのも良いかもしれない。
果てしなく続く階段を見上げながら、そんなことを考えた。
一段二段。
氷で出来た階段を踏みしめる度にキーンっと清浄な音を奏で、音叉の如く街中に響き渡る。
少し離れた壁には等間隔で燭台が並び、その横を通る度に青い炎を宿した。
百八個目の燭台が揺らめいた時、右足に違和感を覚える。
目線を落とせば、足首を掴む一本の白骨。
清浄な旋律が幽世の者を招いたのだろう。
特に攻撃や呪いの類は受けていない。
気にせず進むことにした。
歩を進めれば、違和感は両足の足首から脹脛、膝に触れて太腿へ。
まるで『ワタシモツレテケ』とばかりに何体もの骸骨が縋り付く。
髑髏の瞳は黙して語らず、只粛々と宮殿を見上げていた。
もしここで後ろを振り返ってしまったら、問答無用であちらの世界に引き込まれてしまうだろう。
いつの間にか首から下全体に彼らが纏わり付き、鉛のように思い身体に気合を入れる。
背後には既に何百、何千もの生なき者の気配。
これぐらいの期待を背負わずして、何が神の最高傑作か!
扇動者だろうが導者であろうが、笛吹男だろうが皆須らく俺の足跡に続け。
孤独を知るお前達の主に会いに行こうではないか!
六百十六個目の燭台に熱無き炎が宿れば、目の前に見覚えのある二人が佇んでいた。
下で会ったような質素な恰好ではなく、メイドのような姿だ。
死んだはずの表情筋は復活したのか、嫋やかな笑みまで浮かべている。
『『お見事です、強き者よ。我らの女王は直ぐそこです。決して粗相の無いようお願い致します』』
再び彼女達の後に続き、堅氷の城門を抜け凍て付いた大理石の回廊を進む。
花氷彩る玉座の間に着けば、開門された扉の前で二人は頭を垂れた。
「――おやおや、随分と連れてきたのう? 生ある者よ。こんな場所に何しに来た? 財宝か? はたまた我輩を打ち倒しに来たか?」
「初めまして、吸血鬼の始祖様。僕は、セイジュ・オーヴォと申します。ユグドラティエ・ヒルリアンの紹介を受けて参りました」
玉座に座る氷の王。
無造作に伸びた白銀の髪の毛が床にまで艶麗に広がり、雪よりも白い肌がアンニュイな頬杖をつく。
高座から見下ろす深紅の瞳は、ユグドラティエさんに見劣りしないぐらい美しい。
これが、全盛期を過ぎた者の姿か?
見た目は五十代くらいの美熟女と言えるが、纏う雰囲気は王その物。
『精霊王』ティルタニア様の吹き飛ばされそうな魔力とは違い、全身を串刺しにされそうな尖った魔力がビリビリと伝わる。
「ユグドラティエだと? あのババアに認められた存在かお主は。通りで美味そうな匂いがするはずだ。吸血など遠の昔に止めたが……お主本当に人間か?」
「あの人をババア呼ばわりなんて、本人が聞いたら飛んで来そうですね。えぇ、一応人間です。吸血鬼なのに血を飲まなくても大丈夫なのですか? えーっと……」
「エルゼビュート。エルゼビュート・バルドリエだ。お主が吸血鬼族にどんな幻想を抱いているか知らんが、我輩のような始祖やそこの上位種二人は血を必要とせん。どちらかと言えば、人間で言う嗜好品に近い。最早我輩達三人しかおらんからのう? 積極的に血を吸う種族など存在せん」
「成程、分かりましたエルゼビュート様。あぁ! そうだ、今回ここに来た目的ですが特にありません。財宝を奪いに来たわけでも、腕試しに来たわけでもありません。ユグドラティエさんからの提案で、話し相手になりに来ました」
「ククッ、酔狂な奴だな。一歩でも間違えれば幽世に引きずり込まれるこの場所に、何の二心も持たず来るとは。良いだろう。我輩も悠久の暇を持て余す者。場所を変えようか」
そう言った彼女は何世紀振りかの腰を上げ、従者二人を引き連れ窓際に移動した。
玉座の間横のバルコニーに案内され、連峰を望む席に着く。
眼前に広がる銀色の山々と、晴れ渡る青。
白夜に照らされた席をものともせず、彼女は座って上機嫌に脚を組む。
「ユグドラティエさんから聞いたのですが、『勇者』アマツさんと死闘を繰り広げたって本当ですか?」
「あぁ、あの小僧の話か? 確かに、小僧とユグドラティエとティルタニアがここに来たのう。その時、小僧が何と言ったか想像できるか?」
「『力を貸してほしい』とか『仲間になってほしい』とかですか?」
「いや、『大人しく俺の物になれ。俺達で乱世を平定し、理想の国を造ろう』だ」
「あちゃ~、傲慢甚だしいですね……」
「まぁ、そんな無粋な誘いに乗るわけもなく押し問答が合った末、全力で戦いあった。この国は年中雪が降るが、我輩達が戦う前は温暖な気候だったのだ。それこそ、剣技馬鹿と魔法馬鹿がぶつかり合ったからのう? 気候を捻じ曲げ、雪の檻に変えたのだククッ」
「はは……規模が大き過ぎて想像ができません。でも、よくその三人相手に生き残りましたね? ユグドラティエさんなんて、紛うことなき世界最強でしょ?」
「いや、不眠不休で十日以上戦っていい加減飽きたから、灰になって死んだ振りしてやり過ごしたのだ。小僧達も説得は無理と思ったのだろう、諦めて帰っていったぞ」
何やってんだよ! あんた達!! 気候変動するまでぶつかり合うのは迷惑過ぎ!
アマツさんも、もっと落ち着いた人かと思っていたけど破天荒過ぎでしょ……
その後も色々話をした。
何だろう? ユグドラティエさんは慈愛に満ちた母的存在だが、リラックスしたエルゼビュート様は親戚のおばちゃん的感じがする。
適度な距離感と言うか、付かず離れずのスタンスは心地よい。
因みに、俺が大階段から連れてきた幽世の者達はほっといて良いらしい。
この城に留まり満足したら勝手に帰って行くだとか。
エルゼビュート様も久しぶりの来客が楽しいのか、程よい相槌に絶え間ない話題提供。
若しかしたら、コミュニケーションに飢えていたのかもな。
孤独は人を殺すと言うし、俺も洞窟暮らし一年弱で人に飢えていた。
勿体ない。
この世界は、喜びに満ちている。
こっちに転生して四年足らずの俺が言うのはおこがましいが、彼女にももっと世界を知ってほしい。
さて、この引きこもりをどう引っ張り出すかな?
「エルゼビュート様は、今後もずっとここに居るつもりですか?」
「ん? 特に世俗には興味ないし、久しぶりにユグドラティエのババアの話も聞けたから我輩は満足しておる。それに、お主のような新しい友人もできたからのう」
「友人ですか、ありがとうございます。でも、残念です。こう見ても、ラトゥール王国では爵位を賜りまして広い屋敷もあります。是非、友人をお招きしたいのですが?」
「考えておこう。お主が話した個性的な妻達や、冒険譚など実に興味深い」
「楽しみにしています……」
お茶無き茶会は尚も続く。
白夜の太陽は東から西へ。
朧気に過ぎる時間は、数時間のように感じるし数日のようにも感じる。
ハラハラと降り始めた雪が、丁度良いタイミングだと告げた。
「ふむ。今日はここまでにするか。今宵は泊まっていくが良い。部屋など幾らでもあるからのう?」
「ありがとうございます。では、これは宿賃代わりと言うことで」
俺は、そう言って左手首を切り裂いた。
吹き出す鮮血を風でまとめ上げ、氷魔法で固めた一輪の薔薇を作り上げる。
それを、また魔法で作った一輪挿し活け彼女に差し出した。
「お主……何のつもりだ……?」
「先ほど言ってたじゃないですか。僕の血は美味そうな匂いがするって。よろしければどうぞ」
エルゼビュート様は差し出された花に深紅の瞳孔をキュッと収縮させ、ゴクリと喉を鳴らした――




