新たなる英雄譚、重なる影
――リムステラの瞳に宿った炎は、再び彼女の身体に力を漲らせる。
握り込んだ槍の穂先はカタカタ震え、尚も周囲の魔素を吸収。
『屠竜聖域』と言う結界は、本日をもって崩壊した。
晴れ渡る空に薄雲が掛かり、しんしんと雪が降り始める中で吹き込んだ風が雪をまくり上げ、穂先に絡まる雪がじゅっと音を立てた。
両者動かず――氷竜も聖域の効果、所謂デバフが切れて本来の力を取り戻したはずなのに凶兆たる刃から目が離せずにいた。
蘇る忌まわしい記憶。
かつて同胞を皆殺しにした権能が、数千年の時を経てまたしても竜の前に立ちはだかったのだ。
されど、竜種は誇り高い生き物。
一人の人間、一本の槍に臆してはその存在意義を失ってしまう。
竜もまた己が矜持の為、同胞の仇の為、全身を大きく広げリムステラに襲い掛かった。
この時、リムステラは微動だにしない。
弱体化の切れた竜の一撃は、掠っただけでも絶命は必須。
迫りくる突進と暴虐の爪。
手に吸いつく槍とセイジュの言葉に勇気づけられた彼女は、最小限の動きでその爪を往なす。
「うそ……?」
リムステラは、我ながら素っ頓狂なことを呟いた。
彼女の中では撃ちつける爪を弾いたつもりが、まるでバターを切るかのように切り裂いたのだ。
勢いのまま両前足に穂先を走らせれば一刀両断。
先ほどまでの苦戦が幻の如く、勝利の天秤は確実にリムステラに傾いた。
「いけますわ」
確信を胸に槍を掲げる。
最早、セイジュ達のサポートも要らない。
彼女の意思に呼応した穂先は、首を落とす為の理想的なフォルムに変化。
氷竜とて、このまま大人しく討伐されるつもりはない。
前足を落とされ地に頭を付けるも、死力を掛けた滅びの咆哮を撃ち放つ。
激突する流星の一撃とドラゴンブレス。
セレスティアの一撃を模した一薙ぎは、絶対零度のブレスを切り裂き難攻不落の首に切っ先を立てた。
「ああぁぁああああああ――ッ!!」
満願――成就に至る。
絶叫と共に振りぬいた槍は確かに氷竜の首を捉え、新たな英雄譚が誕生した。
絶命する最強種。
未だ状況を理解できない今代の『竜殺し』に、セイジュとツクヨミは駆け寄った。
「リムさんやりましたね! 本当に一人で討伐するとは思いもよりませんでした」
「リムたんマジぱねぇわ! 最後の攻撃なんて、あーしのテンションばくアゲでイキかけたし!!」
「セイジュにツクヨミさん……? うわ~ん、アタクシやりましたの……アタクシ…アタクシ……うわ~ん」
冷静を取り戻したリムステラは泣いた。
願いが叶ったように、呪縛から解き放たれたように、感情が涙となって流れ出る。
止めることができない、いや止めてはいけない。
全てを流しきる涙が止まるまで、セイジュはひたすら彼女の背を擦った……
「――さぁ、皆様飲んでくださいまし!! 今日はアタクシの奢りですわ」
「うぉおおー、流石リムだぜ! 太っ腹!」
「いよ! 『竜殺し』の英雄様!!」
「自慢の槍を見せてくれよ!?」
冒険者ギルドに帰って来てから、俺達は正に英雄だった。
とりわけ、リムさんの周りには人垣ができ上機嫌に酒を振る舞っている。
まさか、本当に氷竜を討伐してくるとは思ってもいなかたのだろう。
俺の『アイテムボックス』から取り出された竜の首や胴体、切り取られた爪を見た素材買取担当は泡を吹いて倒れてしまった。
ガヤガヤと集まるギルド職員とギルドマスター。
ドルンフェルダーさんも、素材を目の前に皮算用を始めたようで目の色を変える。
爪や骨以外、身体の殆どが氷でできていた為そこまで利用できる部位はないかもしれない。
しかし、それでも何千年振りの竜の素材だ。
きっと、このギルドの大きな助けになるだろう。
やることもやったし、本来の目的に戻るか。
盛り上がる周囲を横目に、ツクヨミとこっそり抜け出す。
「セイジュ! お待ちくださいまし――ッ!!」
「リムさん……?」
ギルドを出て暫く歩くと、後ろからリムさんの声が響いた。
急いで追ってきたのか、肩で息をし寒空の下にも関わらず額に汗が浮かぶ。
「ハァハァ……セイジュ、酷いですわ。挨拶もなしに出ていくなんて」
「いえ、主役はリムさんですから。下手に空気を悪くするのも嫌だったので」
「そそ。空気読みまくりのあーし達は、こっそりドロンする的な~?」
「何をおっしゃいますの! 主役はアタクシ達三人ですわ。特にセイジュから貰った槍がなければ、討伐何て夢のまた夢。巻き込むような形になって申し訳ありませんわ……」
「迷惑だなんて思ってませんよ? 貴重な素材を沢山分けて貰いましたし、リムさんの迷いも晴れたようで良いことばかりじゃないですか」
「フフッ……全くアナタって方は、お姉様から聞いていたままですわね……」
今回の討伐において、デメリットは殆どない。
豊穣の森でも手に入らなかった竜の素材は手に入ったし、フィンブルヴェルド山脈の立ち入り禁止も解除された。
デメリットがあるとすれば、セレスさんの妹リムさんと出会ってしまったことだ。
昨日の夕飯で皆の様子がおかしかったのは、名前で気付いていたからか。
帰ったら文句の一つでも言ってやろう。
後は、適当にリムさんとお別れして今回の話は終わりだ。
「あぁ、そう言えばリムさんはセレスさんの妹さんでしたね?」
「ええ! 改めて自己紹介致しますわ。アタクシはリムステラ・ドゥ・ラ・ラトゥール・ドゥーヴェルニ。アナタの妻、セレスティアの妹でございます。して、セイジュ? 今回の報酬はどうしましょう? こう見えましても、大公爵家令嬢。ある程度の金子や便宜は図れましてよ?」
「セレスさんから手紙届いてたのですね。特に報酬は必要ありません。さっきも言ったように、竜の素材で満足してますしこれ以上の爵位やお金には興味ありません」
「あら? それは困りましたわ。アタクシとしてはセイジュに返しきれない恩がありますのに、物では満足して頂けないと……」
金やコネではお返しできないと知ったリムさんは、どこか嬉しげだ。
俺との距離を詰め、紫苑の瞳に見下ろされる。
この時俺はあることを思い出した。
セレスさんやガーネットさんが言ってた、『七人目』だとか『強引で有名』だとかだ。
嫌な予感がし、後ずさりしようとした俺にリムさんの両腕はしっかり絡まった。
「んん――ッ!」
「わーお、リムたん人前で大胆」
問答無用で口で口を塞がれた。
首に両腕を回され、舌が入り込む。
さっきまで飲んでいたであろうエールの香りが口内を支配し、縦横無尽に暴れ回る。
ここでもし俺が彼女を押し退けてしまったら、それはそれで問題だ。
相手は大公爵令嬢。
周りに身分を明かしているから定かではないが、受け入れるしかなかった。
多少なりとも情熱的なキスに応えつつ、リムさんが満足するまで待つ。
「ん……んん……ふぅ~。ご存知だと思いますが、アタクシ来年には王都に戻りますの。王国に帰ったら、この続きをしましょう」
「僕には愛する妻達がいますが?」
「それでしたら、アタクシもその末席に加えてくださいな。女としてこれ以上の名誉はありませんわ」
ユグドラティエさんやエルミアさんに、気後れはしないようだ。
自信満々にもう一度別れの口づけをされ、皆が待つギルドに帰って行った。
――屋敷に帰って夕食を取りつつ、今回の氷竜討伐の一部始終を報告。
中でもセレスさんとガーネットさんは、取り出した竜の素材に夢中だ。
竜の牙や爪で出来た武器は国宝ばかりらしく、所有者は極一部だと。
氷の身体も永久凍土で溶けることなく希少な鉱物同等の価値があると、ユグドラティエさんから教えてもらった。
これで、皆さんの武器を造ったら喜んでもらえるかな?
そんなことを考えながら、夕食は終わった。
セレスさんとガーネットさんは興奮冷めやらぬ感じで、お風呂の後も俺の部屋になだれ込み三人で二次会だ。
二次会と言うよりはパジャマパーティー?
ワインと簡単なおつまみを摘みながら談笑は続く。
「そう言や、リムステラの話で最後の方妙に言い淀んでたけど何かあったのか?」
「ギク――ッ!! い……いえ、何も……」
「おい、セレスティア。こいつ隠し事してるわ?」
「ん? 大丈夫だろ。この間、『そうなったら、はっきりお断りする』って言ってたしな。まぁ、武器をやったのは仕方ないとして、それ以上はないよなセイジュ?」
「……」
「「おい、セイジュ??」」
あからさまに目を逸らした俺に、二人は懐疑の目を向けた。
これ以上は、隠せないだろう。
ユグドラティエさんには当然バレていると思うし、正直に全て話した……民衆の中でキスをされたこと、断り切れずに別れてしまったこと。
全部聞いた彼女達は耳打ちをし合い、おもむろに立ち上がる。
「いや~、坊主から求めてくるのを俺達は待つつもりだったけど流石に今回は許せねぇわ。悪いのは坊主だから、いい加減観念してくれ」
そう言ったガーネットさんは、俺をベッドに突き飛ばし馬乗りになった。
ナイトブラのような薄布をガバっと脱ぎ捨て、ショートパンツ一枚。
セレスさんも、鉄壁の純白ネグリジェをシュルリと解き下着姿に。
普段からは考えられない暴挙に思考が追いつかない。
「セイジュ……オマエは貴族の口づけを甘く見過ぎだ。口づけを受け入れると言うことは、結婚を受け入れると同等。それを民衆の前でやっちまったら誤魔化しもできないだろ」
セレスさんも相当怒っている。
確かにペトリュス領以降手を繋いだり甘え合ったりはしているが、キスは殆どしていない。
我慢の限界とでも言うのだろうか、四つん這いになってガーネットさんと並ぶ。
そして、彼女達は囁いた。
「「今夜、「俺」「アタシ」を女にしてくれまで部屋には帰らない……」」
三人の影が折り重なる。
初めての褥が二人一緒で良いのか本当に?
酔った勢いもあってか、お姉様方の積極的な夜は荒々しく更けてゆく――




