朝の珍事、街に到着
――いつも通りの時間に目が覚める。
が! 今俺は今世最大の危機を迎えている。
いや、昨日の戦闘で死を覚悟したが、アレとは危機のベクトルが違う。
昨夜は彼女たちと別れて作業部屋で寝た。
にも関わらず、なぜ俺は二人に挟まれているんだ?
犯人はユグドラティエに間違いないだろうが、俺も『ライブラリ』のシェリも気づかないなんて一体何者なんだ?
シェリが機能しなくなったのか?
「イエ、機能シテマス。ソノエルフハ、私ノ全知ヲ上回ル存在ダト確信シテイマス」
全知を上回るってどんだけヤベー奴なんだよ!
確かに、纏う存在感がゲーテに近いけど……
そんなことを考えるより何も、非常に体勢が悪い。
先ず、ユグドラティエは背後から完全に密着している。
少し折り曲げた脚全体はピッタリくっ付き、彼女が寝息をたてれば後頭部にポヨンポヨンと柔らかい物が当たる。
腕は俺の首元を通り前で組まれ腕枕状態だ。
百歩譲ってコレは良いとしよう。
でも、目の前のエルミアさんは最悪の状態だ。
多分寝返りの所為だろう、ぱっつんぱっつんだったボタンは弾け飛び、辛うじて最後一個が暴力的な双丘の決壊を防いでいる。
唯一の希望は、その頂点が奇跡的なバランスで露わになっていないことだけだ。
近い、近過ぎる。
ユグドラティエは透き通るような白い肌だが、エルミアさんは健康的な肌色だ。
驚異的な胸囲……胸囲だけに。
いや喧しいわ!
ゴクッ……と生唾を飲んでしまう。
これ以上、見るのは危険だ。
何とか目線を逸らそうと上に向けたが悪手だった。
今度は顔が近い、近過ぎる。
すぅ〜すぅ〜と口から吐息を漏らし、金色のまつ毛はフルフルと震えている。
おまけに、花のような良い匂いもして全力で俺の精神を削り取っていく。
『んぅ……』とユグドラティエも寝返り打とうとしてグイグイっと押してくる。
『濡れた唇に無防備な表情……その美しさに僕は己の劣情をぶつける!』
『おいババア……精神魔法で頭の中に直接話しかけるのやめて下さい。てか起きてるでしょ!!』
「くくくっ。いや坊やが起きたの気づいておったのじゃが、目の前が楽しいそうでついイタズラしてもうたのじゃ」
「そろそろ離してくれませんか? 朝の日課があるので」
「もう少しこのままでいさせて貰えんかのぅ。昨日も言ったが坊やから出る澄んだ魔素は、我らエルフにとってはたまらんのじゃ。エルミアも軍人なのにここまで無防備に寝るのは珍しい、もうちょっとだけ寝かせてやっておくれ」
「わかりました……俺ももう少し寝ますよ」
「感謝なのじゃ。ところで、さっき我のことをババアと言ったのが聞こえたが気のせいかのぅ?」
脚の間に彼女の細い脚をねじ込ませ、手はシャツの下を弄ろうとしながら聞いてくる。
「ひぃい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。もう言いません!」
「分かれば良いのじゃ。淑女に失礼なことを言うでないぞ。ではもうちょっとだけ寝るのじゃ」
後頭部に軽くキスされ再び目を閉じる。
エルミアさんからはグリーンフローラルな香り、ユグドラティエからはオリエンタルな木の香り。
エルフは個体によって体臭が違うのか?
ゼラニウムとサンダルウッドの香りに包まれながら二度寝した。
――ん? エルミアさんの目が覚めたみたいだ。
俺はとりあえず寝たふりをする。
『んん〜』っと伸びをしているのだろう、気怠げな声と少しだけマットレスが沈む。
「え? きゃ!!」
自分の痴態に気づき、小声で叫びながら胸元を隠す。
「よかった二人ともまだ寝てる。急いで着替えないと。お師匠様に見つかったら何をされるか……」
ベットから立ち上がった彼女は着替えを始め、シュルシュル、パサっと想像力を掻き立たせる衣擦れの音が聞こえる。
目を開けたい衝動に駆られるが、タイミングを計り声を掛ける。
「おはようございます」
「おはようセイジュ君。起こしちゃったかな?」
「いえいえ。すいませんユグドラティエ様が僕をここまで運んだようです。朝ごはんの用意しますね」
彼女を見るとさっきのことを思い出してしまい、赤くなった俺は足早にキッチンへ向かった。
「ぷぷぷ、くくくっ」
「お師匠様もおはようございます。なに朝から笑ってるんですか?」
朝ごはんを用意しつつ、顔や身体を拭くタオルと湯を張った桶を持っていく。
「ユグドラティエ様もおはようございます」
「あぁ、おはようなのじゃ」
彼女は、ニヤニヤしているが無視してキッチンに戻る。
「朝ごはんどうぞー」
部屋に戻るとユグドラティエも着替えを終え、二人して椅子に座っていた。
「おお! 今日も美味そうなのじゃ!」
「これってもしかして!?」
エルミアさんは、明らかにテンションが上がっている。
「サラダとパンに具材を挟んだサンドイッチです。後、果実を搾ったジュースもあります」
サンドイッチはベーコンに野菜挟んだBLT風、厚焼き卵を挟んだ関西風とマヨネーズで和えた関東風の計三種類だ。
「卵が好きって言ってましたよね?」
「覚えててくれたんだ! 美味しい! 厚い方は甘みがあってふわふわ、こっちは濃厚で円やかです!」
バクバクと食べる姿は幸せそうだ。
「なんじゃ、エルミアは特別か?」
「いえ、ユグドラティエ様の分も特別製ですよ」
BLT風を指差して答える。
「全く一緒に見えるがのぅ?」
少し不満そうにパクッとかぶりつく。
「ほぉおお!! 辛くて美味いのじゃ! ツーンと鼻を通り抜ける辛さがたまらん! それにこの粒を噛むと口の中が痺れるのじゃ」
「辛いのお好きなんでしょ?」
彼女もまた幸せそうに食べている。
お気に召したのだろう。
ガバッと両手を広げて、飛び込んでこいのポーズをしているが遠慮しておく。
――ご飯を食べて少し談笑した後、見送りに外へ出た。
「色々ありがとうございました」
「世話になったのぅ坊や。必ず王都に来るんじゃぞ!」
エルミアさんは深くお辞儀。
ユグドラティエは、人差し指中指の二指で投げキッスをしてくる。
「はい! ここを整理したら王都を目指しますね。ユグドラティエ様も身分証明の書簡ありがどうございます!」
「あ~坊や、我にも敬称は不要じゃ。こ奴と同じように呼ぶが良いぞ」
「分かりました、ありがとうございます。では、ユグドラティエさんと」
優しい笑みをした二人は、軽く手を振り風のように走り去った。
さて、準備を進めるか。
と言っても、住処にある荷物を片っ端からアイテムボックスに収納すれば良い。
10分も掛からない。
鍛冶場のアイテムも忘れず全て収納。
ガランとなった洞窟を眺める。
「最後にもう一回祈りを捧げていくかな」
いつも以上に、静まり返った修練部屋には二体の神像。
変わらない悪辣な笑みに最後の祈りを捧げた。
「ゲーテ、知ってると思うけど引きこもりは今日でおしまいだ。ちょっと王都に行って冒険者になるわ。『好きに生きて勝手に死ね』、言われた通り自由にやるよ。王都に教会があったらまた祈りを捧げるよ、じゃーな」
入口を土魔法で塞ぎ、更に隠蔽魔法で隠す。
こんな所まで来る人はいないと思うが、俺が認める人以外は入ってほしくない。
住処に背を向け第一歩を踏み出す。
もしかしたら、これがこの世界にきて本当の意味での第一歩かもしれない。
まだ午前中。
多分本気で行けば今日中には王都に着きそうなのだが、俺は最後にもう一度この森を探索することにした。
色々採取した後森を出てキャンプをすれば良い。
そして数日かけて王都に着くようにしよう。
薬草の群生地で懐かしい顔に会う。
一際大きい『ゴアウルフ』、狼の王が深紅の瞳で俺を見据えていた。
グルルっと低い唸り声を上げ、咥えていた物を俺の前に投げ込む。
「なんだこれは?」
拾い上げた物を鑑定する。
――極楽鳥の飾り羽――
この世で最も美しいとされる鳥の羽。見る角度によって色が変わる。市場に出るのは稀。この羽で作った装飾品は国宝が殆ど。
羽といってもその大きさは30センチを超え、極彩色を放っている。
「なんだ、お前も餞別のつもりか? こんな沢山ありがとな」
収納する姿を見た王は、何も言わずその場を立ち去った。
俺が森を出ることを察したのだろう。
日が傾いた頃森を出た。
眼前には草原と夕暮、牧歌的な風景がどこまでも広がっている。
森以外の景色を見るのは久しぶりだ。
しばらく歩くと円状に草が刈られ、石で囲われた焚き火の跡を見つけた。
「誰かここまで来たのか? 冒険者かな。丁度良い、ここにテントでも張るか」
懐かしの初心者特典パックに入ってたテントを取り出し設置をする。
焚き火の前で軽く食事を済ませ、草原に寝転ぶ。
二つの月に満点の星空、夜空は今日も美しい。
「エルミアさんと初めて会った日もこうやって輝いてたな……」
流星を目で追いながら今後について思いを巡らす。
――数日後、途中で街道を見つけ道なりに進むと高い市壁が見えた。
「ここが王都か? 凄いな、見渡す限り市壁が続いてる」
首が痛くなりそうなほど高い壁を見上げていると、馬車に乗った商人に声を掛けられた。
「坊や一人かい?」
「そうです。どうやったら街に入れますか?」
「だったらあの列に並びな。門番に身分証見せて通行料払えば入れるよ」
「ありがとうございます」
長蛇の列におとなしく並ぶ。
他に並んでいる人を見ると千差万別だ。
人間、厳ついドワーフ、麗しいエルフ、耳や尻尾の生えた獣人、従魔かな? 魔物を連れた人もいる。
人種の坩堝だ。
こういった景色を見ていると、改めて異世界に来たと感じる。
久しぶりの人の波。
お互いの距離が近く、若干視線が合わなくなりふわふわする。
混ざった臭い、絶え間ない雑音に軽い目眩がしてこみ上げてくるものがある。
「大丈夫か坊主? 顔青いぞ」
すぐ横のスキンヘッドの男が話し掛けたきた。
「大丈夫です。久しぶりの人込みでちょっと気分が」
「ここは世界でも有数の大きな街だからな。色々な奴がそれぞれの野望を胸に……」
王都が如何に素晴らしいかマシンガントークをする男を横目に、やっと俺の順番だ。
「次、こっちだ」
鉄製の胴を身に付け槍を持った男に呼ばれる。
市壁を長方形に切り込まれた通路、左右には分厚い扉。
この先に城下町が広がっているのだろう。
「子供が一人……? 親はどうした? 孤児にしては身なりが綺麗だな。どこ出身だ? 身分証はあるか? どこかのギルドに属してたらギルドカードでも良いぞ。無いなら向こうの詰所で検査を受けて発行料を払え」
怪しまれているのだろう。
マジマジと見つめられた。
「まだギルドには属してません。あ! これなら持ってます」
ユグドラティエさんから貰った書簡を思い出し渡す。
「書簡? こ! こ! この紋章は!! 坊主ちょっとそこで待ってろ!!」
門番は大慌てで詰所まで走っていった――