シルフィードと学園③、ラフルールの相談と邪視の友?
今回の話は、64話の続きになります。流れが分からない方は、先ずそちらをどうぞ。
――サヴォワ湖の水鏡に朝日が反射し、乙女達の眉間を擽る。
アヌシーの街は朝が早く、既に周りは喧騒に包まれていた。
去年までの彼女なら、この喧噪も煩わしいものだったかもしれない。
しかし街の騒めきも、隣から聞こえてくる賑やかな声も、今の彼女には学園生活を彩るかけがえのないものになっていた。
シルフィード・ドゥ・ラ・ラトゥール――ラトゥール王国第一王女。
14歳になった彼女は二学年に進級。
去年と比べて、その足取りは見違えるほど軽やかだ。
王都から戻って数ヶ月、青春を謳歌していた。
「――もう! シルフィーさん、聞いてるかい?」
「ええ、勿論。急な婚約が決まったとか? それも、素晴らしいお方だと」
「そうさ! お父様には困ったものだよ。何でもウチの領を尋ねてきた男爵にご執心らしくて、勝手に婚姻を決めたのさ!」
シルフィードの隣を歩く不機嫌な同級生、名をラフルール。
ペトリュス領時期当主にして、シルフィードの無二の親友だ。
どうも勝手に婚姻を決められたらしく、全く納得がいかない様子。
「でも、貴族の娘は自分で婚約者を決められませんわ。それこそ、思いを遂げる相手と一緒になるのは夢のまた夢。ラフルールさんだって、ある程度は覚悟はしておいででしょ?」
「勿論分かっているさ。ただ、辺境伯の娘の相手が男爵と言うのはいかがなものか。いくらドゥーヴェルニ様の付き添いで来たとしても、せめて侯爵や伯爵でないと……」
「あら? 私の婚約者も男爵ですわ?」
「ぐぬぬ……シルフィーさんは意地悪だな」
しかし、シルフィードはこの話題に違和感を持っていた。
ドゥーヴェルニ――つまり、セレスティアと一緒に来た男爵。
年齢とは不釣り合いの知識と、革新的な技術を持つ賢者。
どうも彼女の頭の中には、一人の少年がチラついて仕方なかった。
「ラフルールさん、その方のお名前をお聞きしてもよろしくて?」
「確かオーヴェ男爵だったかな? セルジュ・オーヴェって名だったような……」
「はぁ~、やっぱり貴方でしたか旦那様……」
「ん? 何か言ったかい?」
「ラフルールさん、私の旦那様のお名前を憶えていますか?」
「オージェ・セイヴォ男爵でしょ? 同じ男爵なら、僕もオージェ様みたいな方が良かったさ」
「違いますわ。旦那様のお名前はセイジュ・オーヴォ。オーヴォの姓を持つ男爵は王都に一人だけ。つまり、私の旦那様と貴女の婚約者は同一人物ですの!」
「えぇえええ――ッ!!!」
驚愕するラフルール。
まさか自分の婚約相手がシルフィードの『旦那様』とは思ってもいなかった。
当然彼の名前は彼女から聞いたことはあるが、いつも『旦那様』『旦那様』と呼ぶためすっかり忘れていた。
「ど、ど、どうしよう? シルフィーさん……王族の婚約者を横取りするなんてあり得ないよ……」
「落ち着いてくださいな、ラフルールさん。貴族全員に私達の婚約は知らされているはずです。大方、ペトリュス様が勢い余った結果でしょう。私からもペトリュス様に一筆書いておきますわ」
「お父様ならやりかねない……寧ろ、ワイン造りに夢中で書簡を読んでない気がするよ……はぁ~、僕からもお父様とセイジュ様に謝罪の手紙を書くよ……」
大きなため息をつくラフルールを横目に、シルフィードは目を細める。
彼女がいない所でもセイジュは学園生活に刺激と楽しみを与え、今年が始まって数ヶ月しか経っていないのにもう会いたくなってしまったのである。
「はぁ~。これじゃあ、今朝話したかったことが話せないじゃないか……」
「話したいことですの?」
「うん、実はシルフィーさんに紹介したい人がいてね?」
「紹介……したい…人?」
その言葉を聞いて、シルフィードは最大限の警戒をしてしまう。
王族である彼女に対して紹介したい人物。
それは、十中八九何かしら胸中に一物を持つ者ばかりだ。
無論ラフルールは信を置く友人ではあるが、帝王学を学んできた彼女にとって慎重になるには充分であった。
「ああ! すまない、シルフィーさん。王族に対して今の発言は不用意だったね。紹介と言うよりは相談に乗ってほしい相手がいる、と言う意味さ」
「相談……?」
「その娘は、同じ領出身で一歳下の妹みたいな存在さ。ウチに出入りしている商家の娘なんだけどね、今年からこの学園に通っているのさ。でも、ちょっと訳ありでね……」
「訳ありですの? ラフルールさんが信頼する方なら喜んで相談に乗りますが……って、いけませんわ! そろそろ授業が始まります!」
「いっけね! 話に夢中でゆっくりになっちゃったね。昼休みに何時もの場所に連れて行くから、続きはまた後で」
走り出す二人。
淑女としては品位に掛けるものの、正門を駆け抜け教室の扉を開く。
乱れた髪を直しながら着席すると同時に予鈴が鳴り響いた。
――昼休み、第六修練室。
ここは、最早彼女達にとって神聖な場所になっていた。
目に余る貴族ごっこの生徒から解放され、心休まる唯一の場所だ。
そんなかけがえのない場所にお客様が来ると言う。
シルフィードは、若干緊張しつつラフルールを待った。
「こっちだよ、アンジー。シルフィード殿下がお待ちだ」
「う…うん、ラフちゃん、私本当に良いのかな……? 殿下にお会いして……」
ラフルールと一緒に入ってきた少女。
俯き加減におずおずとし、伸ばした紫紺の前髪が瞳を覆いつくす。
眼鏡を掛けている為か、余計に顔が分かり難い。
しかし、それ以上にシルフィードの目線は彼女のマントに向いていた。
この学園において、魔法を使える者は暴走防止のマントを羽織るのが常識だが、彼女のそれはシルフィードと同じレベルの物だ。
即ち『魔導王女』と同等の魔力、若しくは無理矢理にでも抑え込まない何かを持っている証拠。
内心は穏やかでないものの、出来る限り不安を与えないよう話し掛けた。
「御機嫌よう、アンジー……さん? ラフルールさんから話は聞いておりますわ。相談したいことがあるとか?」
「お初にお目に掛かります! シ! シ! シルフィード王女殿下にお、お、おかれましてははは……ご尊顔に賜り……」
「ふふっ、もっと楽にして頂いて結構ですわ。この学園において、私達に身分は関係ありません。って、貴女その瞳は……」
まるで小動物のように震えるアンジーと呼ばれた少女。
微笑ましく感じ近づくシルフィードは、レンズ越しに見た彼女の瞳に底知れぬ何かを感じた。
紫に輝く瞳に赤く切れ長い瞳孔。
爬虫類を思わせる決して人間的ではないが、蠱惑的な眼差しは守ってあげたい衝動に駆られる。
「彼女の名前は、アンジェリュスと言って――」
「待て――」
自己紹介を続けようとした瞬間、不意にシルフィードの目線が遮られた。
彼女と折り重なるように現界したそれは、民族衣装の袖口で目元を庇い力強い言葉を放つ。
「貴様、邪視の類で我が姫を見るとは万死に値する。よもや、遠の昔に滅んだ魔の血脈が残っていようとはな!」
「ひぃいい――ッ!」
「く――ッ!」
「シルフェリア……どうしましたの急に?」
「シルフィールド、此奴の目は魔眼の一種だ。制御できていない所為で、魅了の魔力を垂れ流している」
「兎に角、落ち着いてくださいまし。制御できていないと言うことは、悪気があるわけではないでしょうに。先ずは話を聞きましょう」
契約者たるシルフィードを守る為、姿を現した風の上位精霊。
彼女の怒りは風となって修練室に逆巻き、余りの恐怖にラフルールとアンジェリュスはへたり込んでしまう。
「ご、ごめんなさいお二人とも! こちらは私に宿っている風の上位精霊様です。名前はシルフェリアと言いますの。どうか内密にお願いしますわ」
「シルフィーさん……上位精霊と契約しているなんて……規格外とは思っていたけど、まさかここまでとは……それにしても、何と美しい方だ」
「上位精霊ってあの『精霊王』に仕えている伝説上の……ってことは、つまりシルフィード様も伝説……伝説が伝説を呼んで……きゅ~」
アンジェリュスの紹介を受けるつもりが、逆にシルフェリアを紹介してしまった。
ラフルールはその美しさに見蕩れ、あたかも恋する乙女のように頬を染める。
アンジェリュスに至っては理解が追いついていないらしく、わけのわからないことを呟いて気絶してしまった。
シルフィードの愉快な学園生活はまだまだ続く――




