曼珠沙華、思うのは貴方一人
――ペトリュス卿に白ワインの製造方法を教えた後、豪華な晩餐を頂いた。
その夜はマーガレット姉妹の執拗な罠を鋼の精神力で切り抜け、迎えた朝日はいつも以上に眩しかった。
「――ふわぁ~あ」
「何だ、セイジュ? 朝から眠そうじゃねぇか。昨日は眠れなかったのか?」
「いえ、昨夜は今までの二倍は精神力が削られる夜だったので……」
「何言ってるかよく分からんが、まぁ無理はすんなよ」
朝一、朝食を頂いた俺とセレスさんは屋敷を出て領内の視察をする予定だ。
ペトリュス卿達は今日も白ワインの醸造をするらしく、俺達をほったらかしにして畑に飛び出した。
寝不足の原因のマーガレット姉妹も、屋敷内の仕事を手伝うようで留守番。
「ありがとうございます、大丈夫です。どこから視察に行くのですか?」
「視察って言っても、散歩みたいなもんだよ。お互いの依頼は終わっただろ? ゆっくり領内を見て回ろうぜ」
「成程。堅苦しくなくて気が楽ですね。セレスさんの丁寧な言葉使いが聞けないのは残念ですが……」
「あら? セイジュ卿は、こう言った言葉使いの方がお好みかしら? なら、今日はこれで一日過ごそうかしら。ふふふっ」
「あ、いえ! いつも通りの言葉で大丈夫です。今のセレスさんには違和感しかありませんから」
「んだと、コラ! テメェ!」
「「プッ! ハッハッハッハッハ!!」」
マルゴー様の姿を真似するかのように扇子を取り出し、口元を隠し丁寧語で話すセレスさん。
とても上品で魅力的なのだが、余りのギャップに突っ込んでしまう。
勿論彼女もそれを分かっているからこそ、二人は一緒に吹き出してしまった。
屋敷の門を出るとなだらかな道が進み、どこまでものどかな風景が続く。
朝露に輝くは実の紫と緑の波。
葡萄の香りが優しく風に運ばれ、王都の喧騒は過去の物。
「手? 繋ぎませんか?」
「手!! あ、う…うん……」
セレスさんは、差し出された俺の手をしっかり握り歩き始める。
「こうやって手を繋ぐのはロンディア以来ですけど、『ハンドクリーム』の効果は確かなようですね」
「まぁな。風呂入って寝る前に付けてるんだけど、荒れた手が驚くほど綺麗になりやがる。水仕事のメイド達にも受け良いみたいだぜ」
「それは良かったです。困ったことがあったら、何時でも相談してくださいね」
「おう、ありがとよ。それにしても、オマエがあれほどペトリュス卿に気に入られるとはな~」
「同じワインを愛する者同士ゆえでしょうか? 貴族と話していると言うよりは、研究者や魔導士と話している感覚に近かったですね。性格は豪快過ぎますが……」
「ハハッ! 確かに貴族っぽくないよな。礼服なんて滅多に着ないし、王都の晩餐会にもほぼ参加しない。ワインのことになると、無礼で遠慮もない。でも、ああ見えて可愛いとこもあるんだぜ?」
「可愛いですか?」
「そう。口元に立派な髭があるだろ? 何時も豪快に飲むからさ、髭がワインで汚れてピンク色になるんだよ。メイド達も笑いを押さえるのに必死でよ、更に本人は気付いてないときた」
その後もセレスさんは、ペトリュス卿のことをいっぱい教えてくれた。
かなりテンションが高い様子で、コロコロと表情を変え弾ける笑顔を向ける。
お淑やかセレスさんも魅力的だが、やっぱり元気な方が好きだな。
葡萄畑の横を通れば、農夫たちは彼女に手を振る。
ここでもセレスさんは人気らしく、手を振り返すと男達はメロメロになっていた。
領を分断する大きな川。
流れは緩やかで浅く、子供達の絶好の遊び場だ。
そこに掛かる橋を越え、小高い丘は目の前。
なだらかな斜面は葡萄畑が敷き詰められ、頂上に木々が点在する。
俺達は、今日のゴールをそこに決めた。
「――いや~、結構歩きましたね。ここからなら領内を一望できますし、屋敷もあんなに小さく見えます」
「だな。幾らアタシ達が冒険者の体力馬鹿でも流石に休憩だ。昼も過ぎたし、腹減ったわ」
頂上の一際大きな木の下で、俺達は座り込んだ。
芝生に靴を投げ出し、大木に寄り掛かる。
火照った身体に涼しい風が心地よく吹き抜ける。
『アイテムボックス』から昼食とワインを取り出し、そのまま遅めのランチタイムだ。
ペトリュス卿から『ワインはいくら飲んでも良い』とお達しが出ているので、昼から遠慮なく頂く。
食べ終えると、お互い無言で領内を見下ろす。
手と手は重なり合い、カサカサと木々が揺れる音が聞こえる。
飛び交う鳥を目で追えば、自ずと欠伸が出てきた。
「ふわぁ~あ。すいません……」
「またかよ? そんなに眠いんなら……」
そう呟いたセレスさんは、辺りをキョロキョロと見まわし誰も居ないのを確認した後ポンポンと膝の上を叩く。
「ほら、ここで休めよ」
「え? 良いのですか……?」
「良いから! その……してやりたいんだよ……」
「じゃあ……お言葉に甘えて」
遠慮がちにセレスさんの太ももに頭を乗せる。
見上げると彼女はたおやかな笑みを浮かべ、俺の頭を撫で始めた。
「膝枕はセレスさんの屋敷振りですね」
「あの時はすまんかったな。完全にガーネットの悪戯に巻き込んじまった」
「いえいえ、気にしてませんよ。それに、セレスさんと過ごす日々は楽しことばかりです。初めて会った時のこと覚えてます? 思いっきり殺気むけてきたでしょ?」
「勿論覚えてるさ。実はユーグとエルミアからオマエのこと聞いてて、冒険者ギルドで待ち伏せしてたんだよ。じゃあ、初めて一緒に行った依頼は覚えているか?」
「当たり前です。E級冒険者をいきなり豊穣の森に連れてった依頼ですよね。今でも魔物を引き連れたセレスさんの笑顔は忘れられません。じゃあ、ユグドラティエさんやエルミアさん『三華扇』で食事に行ったことは覚えてますか?」
「当然! 今だってコレ付けてるだろ。アタシの宝物さ。じゃあ――」
紅玉と尖硝石のブレスレットを見せつけられて会話は続く。
お互いの思い出を確認し合うように――『トランプ』のことは? ロンディアのことは? 突然俺の屋敷に引っ越すことになったのは? 新人冒険者教育のことは?
じゃあ、じゃあ、じゃあ、っとまるでセレスさんの悲しい過去を塗りつぶすように楽しい思い出を語り合う。
その質問もつい昨日のことを確かめると、彼女は最後の問いを震え声で絞り出した。
「じゃあ……アタシの気持ちも気付いてる……?」
「言うまでもありません。セレスさん……」
震える声と潤んだ瞳。
紅潮した頬に手を当て、俺は真剣に答えを出す。
「いや、セレスティアさん。僕と家族になってください。貴女の悲しい過去は僕が全力で支えます。楽しい記憶で塗り替え、寂しい思いなど二度とさせません。だから! 家族になりましょう」
「はい、喜んで……」
そう呟いた彼女の瞳から大粒の涙が零れた。
親指でそれを拭うも、ポタポタと俺の顔に滴り止めることができない。
「セレスさん、泣かないで。僕は貴女の笑顔が好きなんだ」
「馬鹿野郎……嬉しくて泣いてんだ…グスッ……ありがとう、セイジュ。ありがとう、アタシの愛しい人。ありがとう……思うのはアナタ一人……グスッ……」
涙で濡れる瞳を拭こうともせず、優しい笑みを浮かべる。
そのまま見つめ合うと、セレスさんはそっと目を閉じ顔を近づけてきた。
しかし、予期せぬ所から誓いのキスは妨害されることになる。
「あ゛あ゛あ゛~、よ゛がっだ~。ゼレ゛ズディア゛~じあ゛わ゛せ゛に゛な゛っでぐれ゛よ゛ぉお゛お゛お゛」
「ちょっとガーネット! 今いいところなんですから、邪魔しちゃダメでしょ!」
「でも、俺嬉しくて居ても立っても居られなくでぇえええ」
「何だ!! オマエら……いたのかよ?」
葡萄畑から飛び出てきたのは、大号泣するガーネットさんだった。
びっくりするセレスさんに纏わり付き、顔をクシャクシャにしている。
「セレスティア~、俺お前が心配でぇええ……でも、これ以上お前を支えてやることもできなくて……」
「ガーネット……もう大丈夫だよ。オマエらやセイジュ…いや、新しい家族がいるからアタシは幸せだ……」
「セレスティア、本当に良かった……セイジュ様もありがとうございます。貴方様がいたからセレスティアは救われた。今まで以上に私達姉妹は、貴方様に敬愛を捧げます。どうかセレスティア共々よろしくお願い致します」
二人は俺の前でメイド服の裾を持ち上げ、深く頭を下げた。
真剣な表情で俺を見つめ、答えを待つ。
「あの、共々って……?」
「だ~か~ら~、俺達姉妹も一緒に娶ってくれって言ってんだよ! 俺達はセレスティアと家族も同然。だったら、纏めて面倒見るのが道理だろ。ったく、女から求婚させんなよ……」
「セイジュ様、勿論断りなどしませんよね? 昨夜あれだけ私達を嫐っておいて……」
「おい、セイジュ? 今聞き捨てならない台詞が聞こえたんだけど?」
何故か二人も娶ることになったのだが、そんなことよりも後ろから殺気を感じる。
指をゴキゴキ鳴らす音が聞こえ、夫婦になって早々に最大のピンチだ。
あれは姉妹の悪戯だったと何とか説得を終え、細かいことは王都に戻る時にでも話そうと決めた。
最高潮の幸せを噛み締め走り出すガーネットさん。
マーガレットさんも彼女を追いかけ、俺とセレスさんも歩き始める。
「おい、セイジュ……」
「はい、何でんん――ッ!」
「さっきはガーネットに邪魔されたからよ……その…誓いの証だ……」
セレスさんに声を掛けられ、振り向くと不意に唇が重なった。
一瞬ではあったが、確かな柔らかさと熱を感じお互いが赤面。
「さぁ、帰ろうぜ?」
そう言った彼女から手を繋いできた。
あぁ、この手は二度と離してはならない。
実りを称える高天にワイン薫る風。
本日、俺達は間違えなく家族になった――




