曼珠沙華、悲しき思い出を乗り越えて
――マルゴー様が当家を訪問してから数日後。
俺とセレスさんは、ペトリュス辺境伯領を訪ねることになった。
要件は、今年のワインの出来を調べることと、品質向上のアドバイスをすることだ。
マーガレット姉妹と馬車に乗り込み、ひたすら街道を進む。
窓の外には、新緑のカーペット。
魔物の姿も見えず、ゆったりとした景色とは反対に車内は鉄火場だった。
「――そう言えば、今回は馬車の旅なのですね? この四人なら肉体強化魔法で、直ぐに着きそうですが。これはどうでしょう?」
「あぁ、今回は冒険者じゃなくて王族として行くからな。それに、ドレスじゃ走れないだろ? 残念、そいつは違う」
「良いじゃねーか、たまにはゆっくり行こうぜ。最近坊主はユグドラティエ様とエルミアばっかに構ってるからな。おおっと、これが通れば俺の勝ちだぜ」
「その通りです、セイジュ様。これ以上セレスティアに悲しい思いをさせないで頂けますか? ガーネットは単純ね、通るわけないでしょ。私の勝ちです」
「「「あぁ〜、またマーガレットの勝ちかよー」」」
たわいも無い話をしながら、俺達は『トランプ』を囲む。
初めは暇潰しに始めたのだが、マーガレットさんの連戦連勝。
特に熱くなったガーネットさんは、悔しそうに頭を掻いた。
『セレスティアに悲しい思いをさせないで』か……今回のマルゴー様から指名依頼が、切っ掛け作りなのは明らかだ。
勿論姉妹二人は気付いているだろうし、セレスさんも待ちの姿勢。
だからこそ、プロポーズのタイミングが難しいんだよな……
思えば、セレスさんが一番付き合いが長い気がする。
同業者として、その先輩として……
ユグドラティエさんを母や悪友とし、エルミアさんを可愛らしい姉とするならば、セレスさんは気が置けない仕事仲間戦友といった感じだ。
細身のドレスを身に纏い、梳き流した深紅の長髪が鏡のように輝く。
うっすらとアイシャドーを乗せた紫菖蒲の瞳がカードを追う様は、ドキッとするほど美しい。
「おやおや、セイジュ様? 手札を見ずにセレスティアを見つめるとは、随分余裕なご様子」
「俺も気付いたぜ~。熱心に見つめて何考えてるんだろな~」
「え!? いえ、あの……セレスさんのドレス姿って貴重ですし、それに今日は化粧もしてるみたいで。髪だって少し巻いてますし……率直に言って、とても美しいです」
「こ! こ! これはアレだ! 王族としてペトリュス領に行くからな。それ相応の格好は必要だろ?」
「違うんだな~、これが。朝坊主と合流した後、ちょっとだけ屋敷に戻っただろ? あん時ツクヨミにお願いして、速攻化粧してもらったんだ。『ツクヨミお願い! セイジュも付いて行くことになった』ってな。俺のご主人様は可愛いな~。誰か貰ってくれないかな~? チラッ、チラッ」
「馬鹿野郎! ガーネット! 余計なこと言ってんじゃねーよ。ほら! 豊穣の森が見えてきたぜ」
前髪を直しながら、真っ赤な顔を外に向けるセレスさん。
話題を逸らしたその先に広がる豊穣の森。
その森を大きく迂回するように街道が続いている。
よくよく考えてみれば、豊穣の森は不思議な場所だ。
一歩立ち入れば凶悪な魔物はいるし、貴重な鉱物や薬草、果実など外界とは生態系がまるで違う。
こちらから刺激をしなければ魔物も出てくることがない。
傍から見れば、宝島のようではないか。
「暮らしてた僕が言うのも何ですが、豊穣の森っておかしな場所ですよね? 外とは全然生態系が違いますし、凶悪な魔物も自らは出てこない。ここだけが切り取られた空間みたいです。もし開発できたら、王国にとって凄い利益が出そうですよね」
「だな。そして、それをやろうとした愚か者がいたんだよ」
「おい、セレスティア。別に今話す内容じゃないだろ!?」
「いや、良いんだよ。セイジュにはいつか話そうと思ってたし、聞いてほしいんだ」
カードを置いたセレスさんは、森に視線を向けながら語り始めた。
「セイジュ、アタシが両親と死別してるのは覚えてるよな?」
「はい」
「この森を開発しようとした愚か者……それは、アタシのお父様とお母様だ。それを指示したのが、前国王陛下ブリオン伯父様だ。最初に言っておくが、アタシは伯父様を恨んでなどいないからな」
「でも、開発は失敗したと……」
「そうだ。時々少しだけ森に入り込む街道が見えるだろ? 十年以上やって成果はそれだけさ。本当なら森を一直線に進む街道を作りたかったらしい。何千の騎士や私兵。工夫、アタシの両親まで失って出来たのがたったあれだけ」
「そんなことがあったのですね」
「まぁ、有力貴族達の上奏があったから伯父様としても引くに引けなかったんだよ。伯父様の治世の中で、唯一の汚点と言われいている。最終的は業を煮やしたユーグが『待った』をかけて、計画は白紙になった」
「確かに、国王と有力貴族達を止められるのはユグドラティエさんしかいませんね」
有力貴族達の暴走。
ブリオン陛下の判断ミスもあっただろうが、何とか投資を取り返そうと躍起になっていたのだろう。
もし、ユグドラティエさんがストップを掛けなかったら? っと想像すると背中がゾッとする。
「丁度アタシが成人を迎える日だったな、お父様とお母様の訃報を聞いたのは。そっからは、知っての通りだよ。両親の死から目を背けるように冒険者になって、がむしゃらに戦ったその先でガーネットの事故。アタシは心底運命を恨んだよ。また家族を豊穣の森で亡くすのかって」
「セレスティア! そうはならなかった。俺は生きている!」
「あぁ……だけど、アタシにとっちゃ今が奇跡なんだよ。コイツらとこうやって楽しく過ごして、馬鹿やって、また一緒に旅ができる……だからこそ、アタシはオマエに返しきれない恩がある。改めて言わせてくれ。セイジュ、ありがとう」
俺の前に座るセレスさんとガーネットさんは、深々と頭を下げた。
思わず謙遜して『いえ』っと声が出るが、隣に座るマーガレットさんが腕を掴み『今欲しい言葉はそれではない』と首を振る。
「僕も二人が元気になってくれて嬉しいです。皆さんは僕にとって大切な方ですし、全力を出すのは当たり前です。これからも困ったことがあったら遠慮なく言ってください」
「「ありがとう」」
再びお礼を言った二人は顔を上げる。
紫菖蒲と琥珀の瞳からは涙が零れ、暫ししんみりとした雰囲気。
真剣に二人と見つめ合っていると、腕に何か柔らかい物が巻き付いてきた。
「セイジュ様……今『皆さん』と言いましたが、そこに私は入っていますか?」
「マーガレットさん!? 勿論マーガレットさんも入ってますし、何だかんだでとてもお世話になっています。大切な方に間違いありません」
「まぁ! セイジュ様はとても情熱的ですね。やはり以前言った通り、生涯を懸けてガーネットと共にご奉仕させて頂かなくては。あいにく私は処女ではありませんが、セイジュ様の望むことなら何でも……」
腕に更に力を込め耳元で囁く。
メイド服越しでも感じる胸をこれでもかと押し付け、ガーネットさんと瓜二つの相貌が熱っぽく見つめてくる。
まるでシリアスな話はこれで終わりとばかりな態度にガーネットさんも同調。
「待て待て、お姉ちゃん。抜け駆けは良くないぜ。セイジュ…様……? 俺は経験ないけどお姉ちゃんから色々教わっている……貴方様みたいな強い男は大歓迎だ。うんん、寧ろ女として名誉の極み」
「ちょ、ちょっとお二人とも……意味が分かりませんが」
「「本当は分かってるくせに……」」
空いた腕に絡み付いてきたガーネットさんも、普段からは想像できなほど色っぽい声で囁く。
ぎゅうぎゅうになった二人掛けの席。密着する姉妹。
意地悪く呟いた二人は、俺の太ももに手を添えセレスさんを誘った。
「さぁ、セレスティア。貴女の席も空いてますよ?」
「ひ、ひ、膝の上!! そんなところに座れるわけないだろ……って、ハハハッ」
「どうしました、セレスさん? 急に笑って」
相変わらず二人から茶化され、提案を拒むセレスさん。
しかし、思い出したかのように笑い目を細めた。
「いや、さっき言った通り嬉しいのさ。コイツらが揶揄って、アタシが突っ込む。最近さ? 楽しい夢ばっか見るんだよ。前は苦しい夢ばっかだったのによ。嫌な夢を塗り替えるように良い夢が続くんだ。お父様やお母様だって幸せそうに出てくる。久しぶりに……家族が恋しくなった。そして、それは確かな願望に変わった……」
「セレスさん……だったら――ンッ」
「それ以上は、まだ聞きたくない。この依頼が終わってからにしようぜ?」
『だったら、僕と家族になりましょう』――そう言い掛けた瞬間、セレスさんはふわりと俺の上に座って、口元を人差し指で押さえてきた。
プロポーズは仕事の後で。
実に彼女らしい、真面目でプロフェッショナル。
柔和な笑みと目を合わせ、俺達の気持ちは同じだと確信した。
「ところで、オマエらは何時までセイジュに纏わり付いてんだ?」
「えぇ~、良いじゃん。もう決まったようなもんだし」
「そうですよ、セレスティア? 私もセイジュちゃんのお姉ちゃんとして、少しだけいけない遊びをフヒヒ……」
「それとこれとは関係ねぇ――ッ!!」
馬車にセレスさんの怒号が木霊する、と同時に笑い声に変わった。
俺達が家族になる旅はまだまだ続く――




