決心、街へ
――きっと聞き間違いだろう。念のため聞き返す。
「今なんと?」
「じゃから、今日はここに泊まるぞっと言ったのじゃ」
ベットでうつ伏せになった彼女は、枕に顎を乗せ足をパタパタとさせながら答える。
チラッとエルミアさんを見ると、真っ赤になりながらワナワナと震えていた。
「お師匠様いい加減セイジュ君に迷惑かけ過ぎです! 急げば王都の扉が閉まる前に帰れます。そ、そ、そ、それに、子供とは言え男性と同衾とは!!」
「お主は相変わらず硬いのぅ。騎士道精神や忠誠心など大層ご立派じゃが、番いの一人もおらぬ。独り身を拗らせ過ぎじゃ。今のうち、坊やに手を出しておくのじゃぞ? こんな優良物件は、むこう千年は現れんからのぅ?」
「そんなこと今は関係ないでしょ!! 只でさえあれだけ飲み食いして、更に泊めろなど都合が良過ぎます! ほら、セイジュ君も何か言って下さい」
なにやら斜め上のやり取りをしているが、ここでもっと甘えたいユグドラティエ派とこれ以上迷惑を掛けたくないエルミア派で真っ向から意見が対立。
ああでもないこうでもないと、押し問答が続く。
「あ、あの僕もやりたいことがあるんで……」
「なんじゃと! こんな美女二人を差し置いてやりたいこととは! は!? さては、夕闇迫る森に叩き出しオークやゴブリンの群れに襲わせる気じゃな? 王都で一時流行った発禁本のように!」
いや、薄い本展開なんてねーから。
てか、自分で美女とか言ってるし! いや美女だけど。
「美女はともかく、二人なら多分ドラゴンでも大丈夫でしょ……」
「ドラゴン? まぁ、竜王クラス以外なら余裕じゃろうな」
余裕なんかーい! と心でツッコミを入れつつ、ベットから梃子でも動かなそうなユグドラティエを見ながら考える。
「はぁ~、分かりました。泊まってて下さい」
「いいのかいセイジュ君?」
「もう日が傾きますからね。夜の森に送り出すのは、さすがに気が引けます」
「やったのじゃ~。このベットは、ふかふかで気持ち良いのぅ」
「ごめんねセイジュ君」
軽く頭を下げるエルミアさんだが、心なしか嬉しそうな表情を俺は見落とさなかった。
――日は完全に落ち辺りが闇に包まれる頃、俺は二人に提案する。
「お風呂もありますけど入りますか?」
「え?」
「風呂があるのか!」
「はい。一人用なので狭いと思いますが、湯に浸かれますよ?」
「豪華な食事に風呂までとは……流石は『洞窟の賢者』様じゃな!」
「洞窟の賢者様?」
聞きなれない言葉を耳にした俺は、首をかしげる。
「そうじゃ、エルミアが坊やの話をした時、それはそれは意気揚々と『洞窟に住まう賢者様に違いありません!』と興奮しておったわ」
エルミアさんの声色を真似しながら、オーバーリアクション気味に教えてくれた。
当の本人は『あぁ~』と頭を抱え、恥ずかしさのあまりしゃがみこんでいる。
こんな師匠の弟子だと苦労がつきないだろう。
せめて、グレないことを祈るのみだ。
「では、タオルに石鹸とシャンプーをどうぞ。後、これは寝間着なので良かったら着替えて下さい」
「「シャンプー?」」
二人は異口同音だ。
「髪を洗う為の液体石鹸です。掌で伸ばして髪の毛に馴染ませます。そして、泡立てるように指で頭をかくと汚れが落ちますよ。寝間着は、シルクスパイダーの糸で作ったので軽くて着心地良いと思います。でも、サイズが合わなかったらごめんなさい」
「国賓でもこんな待遇受けたことないのじゃ?」
「ここは超高級宿ここは超高級宿……」
ぶつぶつ呟くエルミアさんに至っては、高級宿から超高級宿に昇格したようだ……
「お師匠様、セイジュ君シルクスパイダーとか言ってましたがB級冒険者がパーティー組んでやっと倒せる魔物ですよ? その糸で寝間着を作るなんてあり得ないです」
「うむ……この寝間着一着売れば、向こう何年か遊んで暮らせるじゃろな」
不穏なことをコソコソ話してるが、そこはスルーしておこう。
風呂に向かう通路の前でユグドラティエが、おいでおいでと手招きをした。
「ほら、坊や一緒に入るのじゃ?」
「入りませんから!」
「そうか……」
なんで少し残念そうなんですかねぇ? 今度は通路から顔だけ出して。
「少しくらいなら覗いても良いからの?」
「覗きませんから!!」
正直、入りたし覗きたいけど建前は大切だ。
「うほほ〜、なんと泡立ちの良い石鹸じゃ! それに香料も入っておるのじゃ」
「このシャンプーも凄いです! 石鹸とは違って髪がキシキシしません!」
「エルミア、体は我が洗ってやるのじゃ。ほれほれー」
「ひゃうん!! ちょっとお師匠様どこ触ってるんですか! んぅん……お願いしま…やめてくだっ……」
煩悩退散煩悩退散色即是空空即是色。
風呂場からけしからん声が漏れてくるが、俺はブンブンと頭を振りエルミアさん用のベットを用意する。
テーブルを端に避け、土魔法でもう一台ベットを作る。
それを今あるベットの隣に並べれば簡易ダブルベットの完成だ。
羽毛で作ったマットレスに清潔なシーツ、これで満足してもらえるだろう。
「いや~いい湯じゃったわ」
出てきた二人を見て俺はギョッとする。
ユグドラティエは、寝間着のボタンを腹前までしか掛けておらず白い胸元上半分が露わ。
エルミアさんは対照的で、ボタンをしっかり掛けているが致命的に胸囲が合ってないらしく、ぱっつんぱっつんに張っている。
「ベットが広くなっておるじゃ〜」
そのままユグドラティエはベットに飛び込んでゴロゴロし、エルミアさんはベットの端に腰かけ深いため息をついた。
「大丈夫ですか?」
「いや、いつものことだから……それにしてもこのシャンプーという物は凄いね! 髪を乾かしてもパサパサにならないしいつも以上に纏まってる。そして何より指通りが良い! 私みたいな長い髪は手入れが大変でね」
エルミアさんは、腰まである長い髪を触りながら答える。
「その通りじゃ。あれで洗ったら髪がさらさらになったのじゃ」
ゴールドとエメラルドグリーンの髪は、宝石のように艶めき思わず目を奪われてしまった。
「凄いですよね! これならシルフィード殿下にもお試し頂きっ……あっ!!」
テンションが上がっていたのだろう、エルミアさんは不用意な発言を遮るかのように口を手で塞ぐ。
「いや、もう隠してもしょうがなかろう。坊や、薄々気づいているとは思うがこ奴は王国騎士団団長でシルフィー、もといシルフィード王女殿下の筆頭近衛兵でもあるのじゃ」
王女殿下のことは鑑定済みだったから分かっていたが、エルミアさんも相当上の存在だったのか。
「あの時は、身分を偽るような真似をしてごめんなさい」
「いえ、こんな場所ですから警戒するのは当たり前です。それに騎士団所属は間違ってませんよ?」
ニヤっと笑いながら、少し芝居めいて返答。
「ええ、そうね」
口に手を当てたまま、クスクスと淑女らしい笑いをする。
「お? 良い雰囲気じゃな。後は、若い二人に任せて年寄りは退散するかの~」
「あ? そうですか、お疲れ様でした。ここを出て真っ直ぐ行けば王都ですよ?」
「だから我の扱いが雑じゃー!」
勿論、冗談だが洞窟に笑い声がこだました。
「――ところで、坊やは街に出んのか?」
「正直迷ってます。このまま自給自足でも十分生活できますから」
「その若さで世捨て人は看過できんのぅ。それに、この森の探索は済んでるんじゃろ?」
彼女は、壁にびっしりと描き込まれた地図を指さす。
「すごい……正確な地図に細かな情報。A級冒険者でも、ここまでこの森を把握するのは難しいと思います。セイジュ君は、冒険者に向いてるかもしれませんね?」
「エルミアそれじゃ! 冒険者じゃ! 坊や冒険者になると良いぞ。生きるも死ぬも自己責任の世界。自由気ままに縛られず生きていく。坊やにはピッタリじゃ!」
『好きに生きて勝手に死ね』
そういえば、ゲーテにもそんなこと言われたっけ。
「それにじゃ、坊やは自分が考えている以上の力を持っておる。そういった者は、市井に出れば必ず悪意に巻き込まれる。じゃから、ある程度上の地位を築いた方が良いのじゃ」
ユグドラティエの眼は真剣だ。
俺のことを心配しているのだろう。
「坊やなら簡単に上位等級に手が届くじゃろ。そしたら、王都に家を買うと良いのじゃ。使用人を雇って、そこを拠点にし坊やだけの冒険譚を描くのじゃ! そして……」
「「そして……?」」
俺とエルミアさんは、彼女の熱弁を前のめりで聞く。
「家を買ったら毎日通うから美味い飯をご馳走してほしいのじゃ!」
ユグドラティエの握りこぶしを高く掲げ発言する姿に、エルミアさんはズコーっと盛大に倒れ込んだ。
「なんだったらセイジュの家に住む! 勿論エルミアも一緒じゃ!」
「それ、ただ僕の料理がいつも食べたいから王都に住めって言ってるだけじゃないですか! エルミアさんも巻き込んでるし……割と真剣に聞いた俺がバカでしたよ」
「なんじゃ! 王都に出るだけで、こんな美女二人が一緒に手に入るんじゃぞ? それだけで価値があろう」
「ゴホン! 最後の方はさておきセイジュ君、街に出ませんか? 私たちエルフから見れば、人間の命はあまりに短い。人と触れ合って下さい。出会い別れ、その全てがキミの人生を彩る。『ユグドラシル』のご加護がキミにあらんことを……」
眼を閉じ左手は胸元へ、空中に文字を書くように指を動かす。
ユグドラティエもいつの間にか起き上がり、同じ動作をしていた。
エルフ特有の作法なのかな?
「ええ、出てみようかな街へ」
エルミアさんは満面の笑み。
ユグドラティエは、どこからとも出した紙に何やら書き込んでいる。
書き終えると、それをクルクルと巻き封蝋までして俺にポイっと投げ渡した。
「ほれ、坊やこれは餞別じゃ」
「これは……書簡ですか? 封蝋には大樹と花の冠。この花冠が、ヒルリアン家の紋章なのですか? 可愛い紋章ですね」
「ぷっ! ぷぷぷ! はーはっはっはっは! ひぃいいひっひひひー。恐れ敬まれることはあっても可愛いとは! 坊やは本当に面白いのぅ。それは、坊やの身分証明みたいなもんじゃ。街で困ったことがあったら、取りあえずそいつを見せれば良い。後、冒険者ギルドに行ったら受付嬢に渡せば良いのじゃ」
バンバンとベットを叩きながらひとしきり笑った後、笑い涙を指で拭いながら答える。
「では我は寝るぞ~」
「私も寝ますね」
「そうですか、おやすみなさい。俺は向こうの作業部屋で寝ますので」
ユグドラティエは人差し指をチョイチョイと折り曲げ、エルミアさんと彼女の間をポンポンと叩いた。
「本当にブレないですねこの人……」