エルミア、魂の舞い
――禊の儀式も終わり、舞踏礼装に着替えたエルミアさんを入口までエスコート。
入口から『ユグドラシル』まで精霊が煌々と道を作り、その中を静かにゆっくり進む。
歩く度にストラの鈴が清浄の音を奏で、それに釣られ精霊達の光が更に強くなる。
クシャクシャと聞こえるのは彼等の声だろうか?
あたかも紙を丸めたような声なき声の讃美歌。
遠くからは笛や太鼓の音、そして微かにエルフ達の歌声も聞こえた。
『ユグドラシル』に戻れば、ある者は笛を吹き、ある者は太鼓を叩く。
またある者は竪琴に指を走らせ、ある者は歌う。
熱狂に包まれる者達――『しっかり見ててね』と呟き、大樹の前に作られた舞台に上がったエルミアさんは、跪き、顔を伏せ、三つ指をついて深く祈る。
その拍子に音がピタッと止んだ。
誰だって分かる。
今から正に舞踏が始まろうとしている。
微動だにしない彼女からは、噴火前のマグマの如き魔力が溢れ出し、壇上を黄金に染め上げた。
「坊や、こっちじゃ」
ユグドラティエさんから声を掛けられ、隣の席に座る。
彼女の隣は付添人の指定席らしく、舞台を一望できた。
ティルタニア様もユグドラティエさんと並んで座り、その後ろには現界した女性が五人。
ツクヨミも居ることから上位精霊の『六花』だと分かる。
五人しか居ないのは、シルフェリアがシルフィーに宿っているからか。
彼女達はどれも個性的な容姿をしており、全員まっすぐ舞台を見つめている。
「始まるぞ。坊や、しっかり目に焼き付けるのじゃ。人間で見るのはお主が初めてじゃからのぅ」
「はい……」
――シンと静まる中、リーンリーンと鈴の音が木霊する。
ゆっくりと……本当にゆっくりと立ち上がるエルミアさん。
そして、始まるは最初の舞。
流曲線上に流れる長い手足。
スローモーションに動く指先が宙をなぞる度に、黄金の魔力がキラキラと降り注ぐ。
腕に巻き付く長いストラは、最早意思を持った別の生き物だ。
神楽舞とでも言うのだろうか?
くるりと回れば官能的な背中に書かれた文字が見えた、と思ったら長布で隠れる。
透ける礼装の前面。麗しの流し目。
男達はヤキモキしているだろう。
もっと見たいと思うも、一瞬一瞬が純白のストラに邪魔され、余計に目を釘付けにする。
その視線を独り占めするエルミアさんは、挑発的な笑みを浮かべた。
「これが400年前と同じ娘か? 男どもは完全に魅せられておるぞ」
「見せたい相手がいると艶めくものじゃな。何とも美々しいのぅ? 坊や」
「はい。流れる一連の動作に煌めく魔力。小麦畑のような舞台も相まって、豊穣を讃える女神みたいです」
しかし、この時セイジュは最大のミスを犯してしまった。
エルミアから目を外し、ユグドラティエを見てしまったこと。
この些細なことが『踊り巫女』の激情を逆撫でる。
元より舞が始まってから、エルミアは一人の少年しか見ていなかった。
他の男には目もくれず、流し目も笑みも彼だけに贈られたもの。
にも関わらず、セイジュはユグドラティエに目線を送り、あまつさえ笑っている。
(もう! セイジュ君、またそうやってお師匠様と楽しく話してる。私はこんなに恥ずかしい思いをしてるのに……でも、今だけは私の舞を見てほしい。いや! 私の舞を見なさい――ッ!!)
激情と共に第一の舞が終わるその刹那、神速の抜刀が空気を切り裂いた。
剣舞の為に振り抜いた切先には感情の爆発が乗り、黄金の烈風を巻き起こす。
吹き飛びそうなほどの赫怒の一閃に、ティルタニアが即座に反応。
「はっはっはっは!! 極々心地良い風ぞ? 快なり。よもや、『輝く娘』がここまで激情家だとはのぅ」
「じゃな。でも、今のは坊やが悪いのじゃ。言ったじゃろ? 今のエルミアから目を離すでない」
俺が悪い?
舞台に視線を戻すと、熱のこもった瞳と確かに目が合った。
あぁ……最初からエルミアさんは俺だけを見ていたのか……
剣舞だけあって実に動的な舞だ。
軽快なステップを踏み、飛び跳ねる。
装飾の施された剣が自由な軌道を描き、激しくスカートが翻る。
先ほどまでとは打って変わって、化粧も肌も隠そうとしない。
大胆不敵、教唆扇動の舞に番のいるエルフ達は人目も憚らず盛り始めた。
血色ばんだエルミアさんの額から汗が飛び散り、周りから妖艶な声が声が聞こえる。
礼賛と熱狂、繁栄と繁殖。
まともに息ができないほどエルフの香りに満たされた空間は、疾うに幽世の亜空間。
最高潮に達した剣舞にスカートが大きくめくれ上がった時、確かにソレは見えた。
ユグドラティエさんも見えたのであろう。パンっと手を叩きながら嬉しそうに声を出した。
「ハッ! まさかこんな余興を用意しておろうとはのぅ? 随分と粋な計らいじゃ。お主達の心意気、確かに受け取ったのじゃ!」
ユグドラティエさんが見たのは、スカートに裏地に刺繍された紋章だ。
大樹と花冠――ユグドラティエ・ヒルリアンの紋章。
俺とエルミアさんが用意したサプライズに、立ち上がった彼女は大きく手を振った。
エルミアさんも気付き満面の笑みを返す。
至上の喜びを表すように、小麦畑を跳ね回る黄金の白兎。
狂乱の宴は尚も続く。
『踊り巫女』は一心不乱に踊り、王二人は悦に浸る。
エルフ達が営みに耽る中、エルミアさんの鬼気迫る舞――ここに、『ユグドラシル』を称える礼賛儀が完成した。
だが、終わりは等しく訪れる。
死に物狂いで踊っていたエルミアさんが、糸の切れた操り人形の如くピタッと動きを止めた。
手からはガランと剣が抜け落ち、軸がぶれ膝から崩れ落ちる瞬間にティルタニア様の怒号が木霊する。
「受け止めぃ!! 狂犬!」
既に俺の腕には横たわるエルミアさん。
ティルタニア様の声が届く前に、俺は行動を開始していた。
軽い。驚くほど軽い。
限界まで魔力を放出した彼女は、不可思議なまでに重さを感じない。
「坊や、エルミアを再び泉に連れて行くのじゃ。泉に浸してやれば、魔力も回復する。最後まで付き添ってやるのじゃ」
「分かりました」
「うむ。良き舞であったのじゃ……」
ユグドラティエさんは、目を閉じるエルミアさんの頬を愛おしく撫でた。
そのまま俺の方も見て、ゆっくり頷く。即ち、チャンスは今夜しかないと……
――宴の興奮冷めやらぬ『ユグドラシル』を背に、禊の泉に舞い戻った。
未だ目を覚まさないエルミアさんと一緒に泉浸かる。
俺に支えられ全身を水面に浮かぶ彼女は、静かに寝息を立てている。
艶やかな髪は扇状に広がり、長いまつ毛がフルフルと震え月光を反射。
音を忘れた静寂の空間で、只ひたすら目覚めの時を待った。
「ん……セイジュ君……?」
「お疲れ様です、エルミアさん」
「ここは……泉だね? そっか……キミが運んでくれたのか」
「はい。ここなら魔力が回復すると聞いて」
「うん。セイジュ君……祭り…終わったよ……?」
泉に浮かんだまま、大きな黄金の瞳が俺を急かすように見つめる。
『貴方から言って』と言わんばかりに瞬きさえしない。
「……エルミアさん?」
「ん? なぁに? セイジュ君」
「俺はこの世界……いや、この『星』の人間ではありません」
「何だ? そんなことか」
「言いたいこともいっぱいあると思います。でも、今はもう少しだけ言葉を聞いてほしいです……エルミアさん、僕の番になって頂けますか?」
「うん、良いよ……」
月の光が降り注ぐ泉でプロポーズ。
紅潮しながらも、はにかんだ柔らかい笑みがYESと答えた。
吸い込まれそうな瞳と見つめ合うこと数分。
徐々に魔力を取り戻すエルミアさんが口を開いた。
「ねぇ? セイジュ君?」
「何でしょう? エルミアさん」
「私の舞どうだった? 頑張ったよ?」
「とても素晴らしかったですよ。ゆっくりと舞った姿も、情熱をはらんだ剣舞も目が離せない程美しかったです」
「嘘。セイジュ君、途中でお師匠様のこと見てた。私はずっとキミを見てたのに」
「あれは! ユグドラティエさんが……いえ、すいません……」
「もう! 『しっかり見てて』って言ったのに。ねぇ? セイジュ君……?」
「……何でしょう? エルミアさん」
「今だけはキミを独占したい……セイジュ君、口づけしてほしい……お師匠様にするよりもっと優しく、もっと丁寧に。そして、もっと情熱的に…して……」
潤む瞳が静かに閉じる。
そっと彼女に頬に手を当て、唇を合わせた。
一瞬だけビクッと身体を震わせ、空いた手に指を絡ませてくる。
数十秒の逢瀬が終わると、エルミアさんは不満げに俺の袖を引っ張った。
「違う……もっと……長く」
恥じらい熱を帯びる瞳。
しかし、唇だけはさっきまでの温もりを求め、花のように小さく開いていた――




