寿ぎ、グラス合わせて
「――坊や、やっぱりここに居たか?」
成人を迎える俺は、ゲーテに感謝を伝える為地下礼拝堂で祈りを捧げていた。
降臨した『神』と話しや悪ふざけをしていると、誰かの気配を感じた彼らはそそくさと帰ってしまったのである。
「こんな時間にどうしました? ユグドラティエさん」
「ん~? ちょっと坊やに用があって寝室を訪ねたのじゃが、もぬけの殻でのぅ。地下から妙な気配を感じ来てみれば、案の定じゃった」
扉の先にはユグドラティエさん――星の大樹『ユグドラシル』の生き写し。
世界の行末を見守る大エルフ。
『星』を担う強さと完成された美を持ち、俺が最もお世話になっている方と言っても過言ではない。
「はい。今日で成人を迎えます。朝になると皆が祝福してくれと思って……でも、どうしてもゲーテ……運命と選択の神に感謝を伝えたかったのです」
「そうかそうか、気にすることはないのじゃ。それにしても、何と言う残り香の濃さと清浄な魔素じゃ。今までで一番かのぅ? 流石の我でもこの濃密さには当てられてしまうのじゃ」
神の残り香と魔素に当てられた彼女は、パタパタと手で顔を扇ぎながら入ってきた。
微かに紅潮した頬は艶めいて、『人以外でも子が生せる』と言うさっきの言葉が脳裏に浮かぶ。
「そんなにキツイですか?」
「キツイと言うよりは、心地良すぎると言うべきじゃな。エルミアなど入ってきた瞬間に失神してしまいそうじゃ。本当に坊やの魔素は、魔に近しい者にとって甘露じゃな」
「そこまでですか……確かに、今持てる力を全て出し切ってみたのですが。って! じゃあ、ツクヨミ大丈夫?」
「あーしは平気だけど、今はセイジュの顔見れんし……マジ無理ぃ……飛びそうなんですけどぉ。ヤバみが深い……」
影から手だけを出したツクヨミは、その手をヒラヒラと振りながら無事をアピール。
しかし、顔は出さず興奮を押し殺す声だけが聞こえた。
「な? 精霊まで手を出すつもりか坊や? お盛んじゃのぅ~」
「はは……気を付けます。そうそう、ユグドラティエさん良かったらこれをどうぞ」
「ワイン用の杯か? 何じゃ急に?」
俺は隣に座ったユグドラティエさんにワイングラスを渡す。
「何って、『ユグドラシル』の根元で約束したじゃないですか。成人したら一緒に飲もうって。今日は格別の一本を出しますよ」
「ハハッ、そうじゃったな。全く……律儀な奴じゃな。じゃが、覚えていてくれて嬉しいのじゃ」
『アイテムボックス』から取り出したワインを彼女のグラスに注ぐ。
トクトクと音を立てるヴェルヴェットの液体。
お互いの杯が満たされ、チンっとグラスを合わせた。
「「美味い……」」
いや、元の世界と比べると全然かもしれない。
科学技術も葡萄品種もテロワールさえないこの世界のワイン。
しかし、彼女と飲むワインは言葉で言い表せない美味さであった。
異口同音の後、無言。
お互いがワインの味を確かめるように口に含み、静かな時間が流れる。
神像の威光と燭台の炎の前に、俺からユグドラティエさんに寄り掛かった。
「珍しいのぅ? 坊やから甘えてくるなぞ」
「そうですか? きっと、久しぶりのワインに酔ってしまったのです……」
「そうかそうか。なら、好きなだけ甘えるが良いのじゃ」
白檀と石鹸やトリートメントが香る。
悠久の森の香りはどこまでも俺を癒し、彼女を永遠の者とする。
「ユグドラティエさん」
「ん?」
「ありがとうございます……」
俺は、彼女にお礼を言った。
これは何のお礼なのだろうか?
しかし、何故か胸に宿る感謝の気持ちを伝えられずにはいられなかった。
――カツン、カツンと微睡みの中足音が聞こえる。
さっきまでユグドラティエさんに寄り掛かっていたのに、今は宙に浮く感覚。
寝落ちしてしまった俺を、部屋まで抱きかかえて行ってくれたのだろう。
ふわりと背中には柔らかい感触。
ベッドに横たわる俺に彼女は『おやすみ』と呟く。
サラリと頭を撫でられ、部屋に戻ろとするその手をしっかり掴んだ。
「どうした坊や?」
「いえ……まだ、ユグドラティエさんの要件を聞いていません……」
「それを聞けば、引き帰せなくなるのじゃ?」
「元よりそのつもりです……」
掴んだ手に指が絡まる。
絡んだ指を少し強引に引っ張れば、現実味のある彼女の重さが覆い被さった。
翠色と菫色の大きな瞳は真っ直ぐ見つめ、エメラルドグリーンの長髪が頬を擽る。
「のぅ? 坊や」
「何でしょう? ユグドラティエさん」
「坊やから見れば、我は年老いた老婆に見えるかのぅ?」
「そんなことはりませんよ。僕が知る限りでは誰よりも美しく、究極の美と言っても良いです。艶めく髪も、宝石のような瞳も、神聖犯し難い白磁の肌も、跪いて敬愛を捧げるほどです」
「のぅ? 坊や」
「何でしょう? ユグドラティエさん」
「何故、坊やはそこまで禁欲的になる? 我はいつでもお主を待っておったのじゃ」
「それは違います。ユグドラティエさんにはアマツさんと言う永遠の存在がいます。怖かったのです……伸ばした手の先が、叩かれ拒絶されるのが。きっと俺では、あの人の代わりにはなれない」
「馬鹿者が……誰も代わりなど求めておらんのじゃ……セイジュはセイジュじゃよ」
「馬鹿……ゲーテにも言われました……」
コツンと額と額が合わさる。
鼻先は触れ合い、唇は極間近。
甘い吐息を感じるほど近く、密着する輪郭がお互いの境界線を曖昧にした。
「のぅ? 坊や」
「何でしょう? ユグドラティエさん」
「坊やは、我の性格を知っておろぅ?」
「性格ですか? そんなのごうい――んぅ――ッ!」
彼女の問いかけに答える間もなく唇を塞がれる。
何時ものからかう頬のキスではなく、本気のキス。
唇と唇を合わせ、柔らかい何かが口内に強引にねじ込んできた。
暴虐的なまでの舌先が貪るように行き場を求め、絡め合う舌と舌が離れた時一筋の糸を引く。
「ぷっは……のぅ? 坊や」
「ハァハァ……何でしょう? ユグドラティエさん」
「覚悟せい……我に火をつけたのは坊やじゃて……」
服を脱ぎ捨てた彼女は、情欲の灯った瞳で俺を見下ろす。
半ば強引に服を脱がされ、密着した肌と肌は電流が流れるが如く快楽の底に沈む。
蕩けるほど甘い輪郭線は、幾度となくお互いを求め合った――
新たなスタートを感じさせる朝日が部屋に差し込み、自然と目が覚めた。
隣には裸のユグドラティエさん。
まだ寝ているようで、薄いコンフォーターに包まれながら細いまつ毛を震わせている。
満足そうに寝息を立てる彼女を起こさぬよう静かにベッドから立ち上ろうとした瞬間、手首を掴まれ無理矢理布団の中に引き戻される。
「裸の女子をベッドに置き去りとは、坊やは酷い奴じゃのぅ?」
「い、いえ、置き去りなんて……気持ちよさそうに寝ていたので起こすのはダメかなっと」
またしても密着する身体。
昨夜の暗い中で見えなかった部分さえ赤裸々になる。
白磁の肌は彫刻か、はたまた濡れた絹か。
吸いつくような魔性が再び覆い被さり、ニヤリと笑って一言。
「さて、朝食前に軽い運動といくかのぅ――?」
――明けましておめでとうございます。
っと言う挨拶は勿論なく、屋敷に残った者達で朝食を囲む。
俺、ユグドラティエさんにエルミアさん、セレスさんガーネットさんコンビにセニエさんや住み込みの使用人達。
新年は全員で朝食を取る。
王国では、新年の三日間は家族と過ごすことが一般的だ。
しかし、ここに居る方々は家族と死別したり、意図的に残った方が殆ど。
だったら、この三日間だけは身分の差など忘れて、同じ家族として過ごそうと決めたのだ。
「セイジュ君、成人おめでとう。今日から15歳だね」
「セイジュもついに成人か~。依頼終わったら飲みに行くぞ!」
「坊主もう成人かよ、初めて会った頃が懐かしいぜ」
朝食の話題は、無論俺の成人についてだ。
食卓に座った皆が祝福の声を掛け、祝杯を挙げる。
その言葉にお礼を言いつつ食事を続けた。
「で、どうするつもりじゃ坊や? やっぱり色々な国に行ってみるのかのぅ?」
「そうですね。一年待ちましたし、色んな国を巡ってみたいと思います」
「お? だったら特級依頼きたら一緒に連れてってやろうか?」
「かぁ~、セレスティア。そういう時は『お願い、アタシも連れてって。離れ離れは嫌よ』って言うんだよ」
「オマエ……何アホなこと言ってんだ?」
「でも、セイジュ君が長い旅に出たら、おいしいご飯が食べられなくなっちゃう……」
「エルミア、お主は坊やの心配より飯の心配か? これ以上大きくしてどうするのじゃ?」
「ちょ、ちょ、お師匠様? 大きくって……確かにまたちょっとだけ大きくなりましたけど……」
「いえいえ。旅に出ると言っても、ユグドラティエさんから転移魔法教えてもらいましたから直ぐ帰れますし、ツクヨミの分身も置いていくので食卓は何時も通りですよ?」
「おいおいおい……坊主、転移魔法って血脈因子だぞ? 教えて使えるっておかしいだろ……」
「「「「坊や」「セイジュ君」「セイジュ」だからねぇ……」」」
「ハハッ……」
楽しい朝食も終わり、部屋に戻る。
流石に新年は冒険者ギルドもやってないから部屋でゆっくりしよう。
その途中でセニエさんが話し掛けてきた。
チョイチョイと軽い手招きをしながら、耳打ちをされる。
「セイジュ様?」
「はい、何でしょうセニエさん?」
「声漏れてたから気を付けて」
「――ッ!!」
「いや。偶然夜の見回りで聞こえただけだから、私しか気付いていないはずだよ? やっぱ初めてはヒルリアン様か~。チラッチラッ」
「要求を聞きましょう……」
「流石セイジュ様、話が分かる~」
悪戯っぽい笑顔を向けるセニエさん。
本来こんな脅迫めいたことは許されない。
しかし、貴族以前の間柄の俺達に遠慮は無用。
彼女に、他のメイドには内緒で大量のお菓子を渡したことで事なきを得た――




