転移魔法、波打ち際の攻防
――コスラボリ伯爵からの指名依頼も達成し、報告を終えた俺はそのまま帰ることにした。
時間はまだ午前中。
いつもなら依頼を受けて外に飛び出している時間だが、今日は真逆で真っ直ぐ屋敷に向かった。
昨夜の事件の後、クレールさんやミロンさんと豊穣の森を出て草原で一泊。
彼らは何度も謝罪とお礼を言って街に戻った。
ポーションがあるから娘さんは無事だと思うが、この事件のことをブリギットさんに報告すべきだろうか?
でも、そうすると彼らは確実に冒険者としての地位を剥奪されてしまう。
どうすべきか考えていると、あっという間に屋敷に帰ってきた。
「何じゃ、坊や? もう帰ってきたのか?」
「セイジュ様、お帰りなさいませ」
正門をくぐり、庭先には珍しい組み合わせの二人。
ガーデンチェアに座り、大胆に脚を組むユグドラティエさん。
その後ろでは、セニエさんがお茶の用意をしながら小さく手を振った。
「ただ今戻りました。って、珍しい組み合わせですね?」
「ん〜、そうでもないのじゃなこれが」
「そうだよ〜、セイジュ様。最近私ヒルリアン様のお世話をさせて頂いてるんだよ〜」
「え? そうだったのですか? 大抜擢じゃないですか」
何でも、セニエさんがこの屋敷で働く口利きをユグドラティエさんがしたことで、随分と懐かれているらしい。
普通のメイドならユグドラティエさんに萎縮してしまうが、セニエさんの人一倍人懐っこい性格もあって二人の関係は良好だ。
「可愛い奴じゃよ。ほれ、坊やも立ってないで一緒に飲むのじゃ」
「セイジュ様の分も直ぐ用意するね」
「じゃあ、僕からこれをどうぞ」
「何じゃこれ? 揚げ菓子か?」
「芋を薄く切って揚げた物です。塩や香辛料で味付けしてるので、ユグドラティエさん好きだと思いますよ?」
お茶請けに差し出したのは、所謂ポテトチップス。
甘いスイーツも良いが、たまには塩辛いお菓子も良いだろう。
「ほうほう? ボリボリ……ボリボリボリボリ……ボリボリボリ……ハッ! もう無くなってしまったのじゃ! 坊や、おかわり!」
「ハハッ。止まらなくなっちゃうでしょ? はい、どうぞ」
「これは良いのぅ。エールにも合いそうじゃ。ほれほれ、セニエも食べるが良いのじゃ」
「ポリポリ……美味しい~。ありがとうございますセイジュ様、ヒルリアン様」
「これ原料が芋と香辛料だけなので、簡単に作れます。後で、他の方々の分もツクヨミに作ってもらってくださいね。そう言えばユグドラティエさん、今回の指名依頼で――」
思った以上に好評だ。
市井には、こういった手軽に食べられるお菓子は少ないからな。
そのまま、彼女に昨夜の事件を報告した。
「あぁ~、ブリギットから来てた手紙の件じゃな? 昨日の夜、ここも賊達が侵入したのぅ? でも、直ぐにセレス達が対処したし、コスラボリのガキんちょもギルドで対処済みじゃろな?」
「じゃ、じゃあ! クレールさんとミロンさんは!?」
「まぁ、あ奴らは坊やを暗殺しようとはしたが、同時に脅迫された被害者でもあるのじゃ。今頃、セレス辺りがブリギットに相談しておるじゃろ?」
「そ、そうですか……」
「何じゃ、坊や? 殺されかけたのにあ奴らの心配か? 全く……優しいと言うか、変わっておると言うのかのぅ」
「え~、申し訳ございません。私賊の侵入に全く気がつかなかったです……」
賊の侵入に気付けなかったセニエさんは申し訳なさそうにしているが、まぁ気付けなくて当たり前だ。
ユグドラティエさんも、俺の態度に少し呆れ気味。
「い、いえ……明確な敵対ならまだしも、脅迫されて仕方なく僕を襲ったのじゃ後味が悪いですから」
「そうかのぅ? まぁ、ある程度の罰則はあると思うのじゃが、そこまで心配はいらんのじゃ」
「分かりました……ところでユグドラティエさん? ミロンさんは転移魔法を使えるようでしたが、僕も使えるようになりますかね?」
俺は、そのまま転移魔法について聞いてみることにした。
この世界に来て転移魔法を使えるのは、ユグドラティエさんとミロンさんだけしか知らない。
「転移魔法は、どちらかと言えば血脈的因子が強いからのぅ? 人間で使えるのはごくわずかじゃな。我やティルタニア、始祖のような上位存在は使えて当たり前じゃが……まぁ、物は試しにやってみるかのぅ。じゃ! ちょっと出かけてくるぞ、セニエ」
「いってらっしゃいませ、ヒルリアン様」
彼女はセニエさんに挨拶をして、俺の肩に手を置く。
周囲は淡い魔力に覆われ転移魔法が発動した。
「ここは……『ユグドラシル』近くの絶壁ですね?」
「そうじゃ。以前来た場所と同じ。坊やは今、訳も分からずこの場所に転移したじゃろ?」
「はい」
「では、次じゃ」
そう言ったユグドラティエさんはしゃがんで、俺の額に自分の額を重ねた。
菫色と翠色の双眼が俺を覗き込み、鼻先が触れ合う。
艶めいた唇が接近し、甘い吐息が吹きかかる。
あまりの不意打ちに、動揺する俺に彼女は呟いた。
「坊や……我の魔力に同調するのじゃ。今から細心の注意を払って転移を行う。魔力の波動を感じ、坊やの魔力と重ね合わせて一つになってみせるのじゃ」
「は、はい……」
感じる……これは、母なる息吹。大地に根を張る悠久のゆりかご。
海が、山が、草原が、人々の営みが――包み込む愛となって俺に押し寄せる。
『星』が見届けてきた物語、その全てが流れ込んできた。
「これは……ユグドラティエさんが見てきた光景、貴女だけが紡いできた物語。当時の自分を重ね合わせることで、思い出の場所に自分を再構築する概念ですか?」
「正解じゃ、坊や。いや、本当にお主は面白いのぅ」
転移した場所は、豊穣の森の洞窟。当時俺が住んでいた場所だ。
今まで転移魔法とは、場所と場所をゲートで繋げたり、紙に見立てた世界を折り曲げて引っ付けるありがちなイメージだと思っていた。
しかし、この世界での転移とは再構築。記憶にある場所、そこに自分を再び作り上げるイメージ。
だから、一度行った場所にしか転移できないのか。
「次は坊やの番じゃ。我を坊やの思い出の場所に連れて行って欲しいのじゃ」
「分かりました。何となく感覚は掴めたので……」
差し出された彼女の手を取り、転移先をイメージする。
数少ない俺がこの世界に来て、行ったことのある場所。
潮騒と波風が優しく吹く、水の都ロンディア。
レストランから見た浜辺を思い浮かべながら、俺達は魔力の光に包まれた。
「ブ――ッ!! ペッ、ペッ。しょっぱ! ここは海か? すいません、ユグドラティエさん。失敗したみたいです」
「失敗? 坊や何を言っておる。成功じゃよ。ほれ、見てみるのじゃ」
転移した先には地面がなく、そのまま海に真っ逆さま。
お互いずぶ濡れになりながらユグドラティエさんに謝罪するも、彼女は気にもせず浜辺を指さした。
目線の先にはロンディアの街並み。転移自体は成功したみたいだ。
「見事じゃ、坊や。一回で成功させるとは流石じゃな。ほれッ!」
「ありがとうございます、ユグドラティエさん。って、何するんですか? お返しです!」
転移成功を祝福してくれた彼女は、バシャっと海水を掛けてくる。
水温は温かく、照り付ける太陽の下では心地良い。俺も負けじと掛け返した。
「ハハッ。海に来たのは久しぶりじゃ。ほれほれ~」
「体格差的にこっちが不利ですよ! この!」
じゃれ合いながら海水の応酬。
しかし、そのやりとは段々と危険な領域へと突入する。
最初は掛け合いだったが、いつの間にかユグドラティエさんは魔法で水球を作り投げつけてきた。
俺もそれを相殺する為に、水球で応戦をする。
じゃれ合いは次第に腕試しに。
丸い水球は打ち合うたびに形を変え、鋭利な槍に変わっていた。
彼女は俺に怪我をさせないように、絶妙な力加減で槍を投擲する。
余裕綽々の彼女とは違って、俺は躱すのが精いっぱいだ。
「坊や、強くなったのぅ? 初めて会った頃では、一本も避けれなかったと思うのじゃ。では、仕上げといくかのぅ」
「ありがとうございます。これでも冒険者として日々努力してますから。ちょ……ユグドラティエさん……それ冗談ですよね……?」
腕試しは遂に真剣勝負に。
彼女の後ろに顕現したのは海水を練り上げた龍。
鱗一個一個まで再現され、長い胴体を蜷局にし昇龍の時を待つ。
「足掻いてみせるのじゃ」
「遊びって水準じゃないですよぉおおお――ッ!!」
ユグドラティエさんの一言で、水龍は轟音と水しぶきを上げ俺に襲い掛かる。
津波を何十倍にも圧縮した龍の咢。
大口を開け迫りくるプレッシャーに防御結界が次々と割れていく。
「だぁあああ!!! これでも喰らえ!」
俺も海水を極限まで圧縮し武器を作り出す。
海の龍には海の神で対抗だ。
彼の者が持つ激震の三叉槍。
三条に分かれた穂先にありったけの魔力を込めて、口内に突き立てた。
所詮、実態のない魔力と魔力のぶつかり合い。
相殺した魔力の塊は、雨となって俺達に降り注ぐ。
濡れるエメラルドグリーンの毛先から雨粒が滴り落ちた時、彼女はニヤリと笑った。
「いや~、久しぶりに良い運動をしたのじゃ!」
「それに付き合うこっちの身にもなってくださいよ……」
「こらー! そこの二人。いくら海だからって大規模な魔法行使は止めなさい!」
戦いに一段落が着いたところで、街の警備兵から怒号が飛んでくる。
彼に謝罪と少しばかりの賄賂を渡し、解放された俺達は街に出た。
「折角じゃし、街を見て回るかのぅ?」
「そうですね。あっちの屋台が美味しかったですよ?」
「坊や、待つのじゃ。ん? んん?」
ユグドラティエさんを案内しようと歩きだすと、彼女は立ち止まって手を差し出した。
「何でしょう?」
「何じゃ、坊や? セレスとは手を繋いだのに我とは手を繋いでくれんのかのぅ?」
「な、な、何で知ってるんですか!? アレは秘密にしようってセレスさんと……」
「エルミアにも知られたら大変じゃろうな~。口に戸は立てられんからのぅ? あぁ~、誰かさんがこの寂しい手を握ってくれんかのぅ~」
「分かりました! 分かりましたから!」
そう言って、俺は白磁の手に自分の手を重ねた。
転移魔法の為の事務的なものではない。
細くしなやかな指。吸いつくような魔性の感覚に翻弄されながらも、一日掛けてデートを楽しんだ――




