ルリ・コルネイユ、闇に潜む者達
――セイジュへの悪意。
彼を亡き者にしようとする罠は泡と消え、屋敷襲撃の失敗も火を見るよりも明らかだ。
残る懸念は唯一つ。コスラボリ伯爵への対処。
しかしそれも今、一羽の『鴉』によって完遂されようとしていた。
「――ハッハッハ! 今宵は実に気分が良い。後数時間も経てば、あ奴の化粧品も豊穣の森の素材も手に入る! これは、前祝だ。どんどん食べて飲んでくれ」
「伯爵も考えましたな? まさか同じ冒険者同士で襲わせて、事故に見せかけるとは」
「そ、それに……『ジェノサイドヴェノムスネーク』の生き血や肉まで採取させるとは……お前達、今夜は寝かさないからな、グヒヒ……」
コスラボリ邸では、一足早い祝賀会が開かれていた。
三人は隣に女を侍らしご満悦だ。
当の女達は誰一人嬉しそうな顔はしておらず、早く時間が過ぎろとただひたすら耐えている。
今起きてることを露知らず、下品なパーティーは続く。
されど『鴉』は羽音一つ立てずに忍び寄る。
警備兵は既に死に体。
使用人達は眠らされ異様なまでの静寂が屋敷全体を包んでいた。
「コスラボリ様、お客様をお連れしました」
「来たか!! ん……?」
扉をノックされ、期待のあまり伯爵自ら扉を開いた。
その先にはいつもの使用人と黒ずくめの誰か。
クレールやミロンではない。
得体の知れない者――黒装束に、顔にはひび割れた黒い仮面。
目の部分だけがぽっかりと穴を空け、群青の瞳が覗いていた。
その姿を確認した瞬間、使用人は崩れるようにコスラボリにもたれ掛かる。
「な? どうした、お前?」
「大丈夫……殺してはいない……ちょっと眠ってもらっただけ……」
「誰だ! 貴様? ここを何処だと思ってブフ――ッ!」
突如現れた『鴉』にコスラボリは声を荒げるが、全てを発する前にソファーに吹き飛ばされた。
「コスラボリ伯爵……王国では禁止されている奴隷の販売及び……そこの二人と組んで商会の乗っ取り……違法薬物の使用……叩けば叩くほどホコリが出る……貴族間のことは看過してたけど……今回はやり過ぎ……」
「な! 何のことだ!? 貴様こそ貴族の屋敷に無断侵入に攻撃! 衛兵に突き出してやる!」
「そ……? いいよ……何も言わなくて……私は全て知っている……」
既に『鴉』の両手には短い突剣。
湧き上がる殺気に尼削ぎの黒髪はチリチリと逆巻き、その存在感を可能な限り曖昧にした。
「クレールとミロン……セイジュさんへの……指名依頼……貴族街の化粧品屋……気付いていないの……? 貴方は触れてはいけないモノに……手を出した……」
「消えた!?」
一瞬視界から消えたと思いきや背後から無機質な声が響き、首筋には突剣の切っ先が既の所で止まっている。
「違う……貴方が……認識できなくなっただけ……」
「ひぃ!」
ツプリと首の皮一枚分だけ突き刺された鋭鋒には血が滲み、コスラボリは短い悲鳴を上げた。
「祈りなさい……今貴方にできるのは……それだけ……後悔し……絶望のまま死になさい……直ぐに……お友達も……連れて行ってあげるわ……冒険者ギルドに……手を出した時点で……貴方に未来はない……」
「ぼ、冒険者ギルドだと! 貴様はそこの差し金か!? 日銭を稼ぐことしかできない無能ども。潰してやる、潰してやるぞ! 例え私を殺しても、必ず仲間がやってくれる。貴族社会を舐めるなよ、賊風情が!」
「そ……? 言いたいことは……それだけ……? じゃあ……さようなら……」
いつの間にかコスラボリの正面に回り込んだ『鴉』は、興味なさげに無貌の仮面で見下ろす。
彼の眉間に突剣を突き立てようとした瞬間、ガキンッと言う鈍い音と共にもう一つの突剣がその行く手を阻んだ。
『鴉』と相対するもう一人の黒ずくめ。
『鴉』と同じように黒装束と仮面。
しかし、その仮面は白く頬の部分には黒い薔薇が描かれていた。
『鴉』は不意に現れた『黒薔薇』に多少は驚いたものの、頬のマークを見ると眉をひそめた。
「誰……? いや……その印は……」
「冒険者ギルド諜報部隊『濡鴉』筆頭ルリ・コルネイユ様とお見受け致します。この世界では、獲物の横取りはご法度中のご法度……しかし、無理を承知でお願いしたい。この獲物を譲ってほしい」
「何故……? そんな義理はない……」
「我々は、あのお方から命令されておりますゆえ……」
ルリも抑揚のない独特の口調だが、『黒薔薇』はそれを凌駕している。
感情が全くこもっておらず、唯淡々。
これなら虫と話した方が、もっと感情的だと思えるほどだ。
見つめ合う群青の瞳と『黒薔薇』の緋色の瞳。
お互い剣に入れる力は一向に緩まず、思惑が交差する数秒――ルリは力を抜いた。
「ありがとうございます、コルネイユ様。貴女とは絶対に戦いたくなかった」
「ははは……素晴らしい! 素晴らしいぞ! 貴様。助かった。どうだ? 私に雇われないか? 金でも女でも何でも用意してやぎゃぁあああ――ッ!!」
『黒薔薇』に助けられたと思ったコスラボリは空気を読まず彼を称え雇おうとするが、太ももに突剣が突き刺さった。
「何を勘違いしている? コルネイユ様だろうが我々だろうが、お前の行先は地獄だ。あのお方を怒らせた罪、その身で払うが良い。ではコルネイユ様、もうお会いすることはないと思いますが、その娘達の処理をお願い致します」
激痛と絶望で気絶したコスラボリを担ぎ上げる『黒薔薇』。
共犯者二人も仲間によって確保され、無理矢理連れて来られた娘達だけがその場に残る。
彼らが立ち去った後、ルリはゆっくり娘達に近づいた。
「お願いします、殺さないで! 私達はあいつの仲間じゃない!」
「知っている……大丈夫……殺しはしない……ただ……今日のことは忘れなさい……」
「あ……はい……」
先ほどまでの無感情の声とは打って変わって優しい声。
その声と甘い匂いに当てられた娘達は、トロンとした表情になり静かに眠りについた――
――場所はもう一つの鉄火場、セイジュ邸に移り変わる。
ここに忍び込んだのは生粋の賊。
金の為に雇われた元冒険者の成れの果て。
彼らは何も知らされず、虎穴どころかドランゴンの巣を叩こうとしていた。
隠蔽魔法も隠形魔法もお手の物。
強盗に成り下がった彼らは、何時もの手順で屋敷に潜入した。
目立たない屋敷裏からガラスを割って侵入……二つの月だけが照らす廊下を進み、お目当ての物を探す。
「おいおい、王妃様の言う通り本当に来やがったぜこいつら? 馬鹿だろ?」
「アタシらが居る屋敷に忍び込むなんて、良い度胸してるじゃねぇか? オマエら」
「しかし、この程度の賊に私まで駆り出されるとは……マルゴー様も、セイジュ様に過保護過ぎなのでは?」
賊が最初の部屋を物色しようとするや否や、前方から声が掛かる。
明るい部屋から出てきた者達には後光が差し、辛うじて声色から女だと分かる程度だ。
その声は賊達を馬鹿にしているかのように、と言うか実際に馬鹿にしていた。
「何だ? 声から察するにメイドの類か? 見逃してやるから、そのまま後ろを向いて部屋で大人しくしてな。俺達が欲しいのは物だけだ」
「聞いたかよ? 今の。アタシらを見逃してくれるらしいぜ?」
「無知も極まれば罪ですね……」
尚も女達は悪びれもせず悪態をつき、真っ直ぐ廊下を進む。
窓から差し込む月光が一人の女性を照らした時、賊の顔から血の気が引いた。
月影に輝く深紅の長髪。
いつもなら鎧姿に大剣だろうが、ここはプライベート。
ゆるりとした部屋着のセレスティアとメイドが二人、緊張感を全く感じさせない態度だ。
「特級冒険者セレス……それに、メイド二人も……何故、ここに……?」
「あ? 俺達のこと知ってんのかよ? で? やるの? やらないの? 俺としては、久しぶりに人が殴れるからやってほしんだけど」
ガーネットは掌を握り拳でパンッと叩きやる気満々だ。
セレスティアも剣を構え、マーガレットは錫杖をチリンッと鳴らす。
「いや……降参する。お前達相手だと命がいくつあっても足りない……大人しく縛に付く」
「んだよ~、折角面白くなってきたとこなのに」
相手がかつて冒険者ギルドを騒がせた美姫三人となれば話は別だ。
元冒険者の賊達は、その姿を見ただけでちっぽけなプライドを完膚なきまで叩きのめされた。
「――だが、我々はお前達を許さない」
またしても現れる、『黒薔薇』の一派。
音もなく賊達の後ろに佇む彼らは、突剣を後頭部に突き付け無慈悲な台詞を発した。
「貴方達……来ていたのですね?」
「マーガレット様、我々はあのお方の命令で動いております」
「では、連れて行きなさい」
『黒薔薇』達はマーガレットに一礼すると、闇に同化するように消えた。
彼女の独断に、不完全燃焼のガーネットは恨み節を吐く。
「おいおい、お姉ちゃん。何だよ今の奴ら? 俺達の獲物掻っ攫いやがって」
「彼らはマルゴー様直属の暗部です。王国の闇中の闇。存在を知っているのは、当人を含め私とセギュール様と後一人……」
「噂では聞いてたけど、マジ実在してたのかよ……」
「都市伝説じゃねぇのかよ!」
それぞれの場面で活躍する漆黒と闇。
王国には触れてはいけない闇がある。
それに触れた罪人達は確かな結末に向かって肩を並べた――




