ラスコンブ・ネゴシアン、生涯最高の一日
(――おはよう、諸君! 良い朝だな。
私ラスコンブ・ネゴシアンは本日、王妃マルゴー様の命を受けてとある男爵家を訪問することになった。
名を、セイジュ・オーヴォというらしい。
用件は、王宮の御用商会としてマルゴー様が打ち出した貴族専用の化粧品屋の商品選別だ。
どうもその化粧品はオーヴォ男爵しか作れないらしく、品質も今まで見たことがない物だと。
男爵程度なら呼び出せば良いではないか! と進言するも、マルゴー様は笑いながら『セイジュ卿の屋敷に行ってみよ』とのことだ。
王妃様の命令では逆らえない。
しかし、『社交界最高の女狐』とまで言われた彼女がここまで一人の貴族に執心するのは珍しい。
私は商人が故、オーヴォ男爵のお披露目会には招待されなかったが、参加した貴族は皆口を揃えて最高だったと言っている。
貴族街の東区画、大噴水。
ここは、頻繁に通ったな。思えばディッサン伯爵は不幸だった。
あれほどの人格者が子宝に恵まれず、取り潰しとなった。お人好しだが、誠実で魅力に溢れたお方。
私の数少ない友人でもあったな……
その跡地の新しい男爵と商談するのは、何かの縁だろうか? いやいや、感傷的になってはいけない。
商人とは常に冷静でいるべきだ。
磨かれた鉄柵の向こうには、綺麗に整備された庭園や見事な噴水が見える。
まるで、ディッサン伯爵家が蘇ったようではないか! 熱い思いを胸に、門番に連れられて正面玄関に案内された)
「「ようこそいらっしゃいました、ネゴシアン様」」
「うむ」
(この二人のメイド達……愛いではないか。
マルゴー様の専属マーガレット嬢も美しいが、こちらは何とも可憐である。
む? この娘達、微かに化粧をしているではないか!
それに、メイド服も高級品で皺一つない。所作も洗練されて、並の子爵でもこうはいかんぞ)
「……? どうなさいましたか、ネゴシアン様?」
「いや、失敬。お前達は化粧をしているようだが、この屋敷のメイド達は皆化粧をしているのか?」
「いえ、そうではございません。お客様をお迎えするメイドのみ化粧を許されております」
「ほう? それには、理由があるのか?」
「はい。ご主人様は、清潔感において最も厳しい観念をお持ちです。ことお客様をお迎えする私達は、特に厳しく申し使っております。以前、『君たちがオーヴォ家の顔だと』と仰って頂けました」
(う~む。確かに、このメイド達は非の打ち所がない。
整えられた髪型も、微かに香る石鹸の匂いも自分の仕事に誇りを持った女性として確立している。
オーヴォ男爵家……これは、一筋縄ではいかなさそうだ)
「「こちらでございます。ご主人様、ネゴシアン様をお連れしました」」
「うむ、案内ご苦労」
「どうぞ、入ってもらってください――ようこそ、いらっしゃいましたネゴシアンさん。すいません、わざわざ出向いて頂いて」
「な――ッ!」
(我が友人、ディッサン伯爵と同じではないか。
たかが商人の訪問を立ち上がって歓迎してくれる。少しはにかんだ笑顔も彼と同じ。
まさか、夢でも見ているのはないか? いやいや、彼はもういないのだ。
今日の商談相手は、この子供男爵だ。
それにしても、後ろの老執事はどこかで見たことあるような?
更に隣に座る男も同業だろうか? 私と同じ目つきをしている。
そして、褐色のメイドは凄い派手だな。立場的には老執事と同等だろうが……子供に見えて、案外派手な女が好きなのかもな? ククッ)
「ガッ!!!」
(何だ! この重圧は!? 首筋に切っ先を突き付けられた感覚。
背中に流れる冷たい汗、恐怖とでも言うのだろうか?
呼吸は浅く、鼻だけでは追いつかん。足元には万の虫が蠢くような嫌悪感。
両眼は霞み、意識が遠のきそうだ)
「ダメだよ、ツクヨミ。お客様なのだから殺気を抑えて」
「セイジュ、こいつはあーし達を値踏みしたし。あーし今過去一で激おこなんだけど?」
「ツクヨミ様、商人とはこういう性分なのです。私からもお願いです、今回は許してやってくださいませ」
「セイジュとセギュールじぃじがそこまで言うなら許すし……」
「カハッ!! はぁはぁ……今のは?」
(私は今確実に死線を超えようとしていた。
これほどまでの殺気を放つメイド。人間ではない? 鋭くなった青い瞳は、人間のそれではないぞ)
「改めまして、セイジュ・オーヴォです。用件はセギュールさんから聞いてます。化粧品屋に並べる商品選定ですね?」
「ラスコンブ・ネゴシアンです。よろしくお願いします。そうです。王妃様からは、オーヴォ卿の屋敷に行ってみよと言われましたが、驚きの連続ですぞ?」
「ハハッ、マルゴー様らしいですね。確かにこの屋敷は、他の方々と比べたらおかしな所ばかりでしょう。では早速ですが、何点か見てもらいたい――」
(……凄い! 凄過ぎる!
石鹸もシャンプーやトリートメントと言うやつも、品質が化物ではないか! 香り高く、汚れも驚くほど落ちる。
こんな物売れるに決まっている! マルゴー様が執心なのは、これのせいか!?
それに、新しい化粧品も既存の化粧品屋では到底太刀打ちができないぞ! ハッ!? だから会員制、だからこそ王族や大公爵からの紹介制……
考えられている、完璧だ。
近い将来必ず、社交界においてこの店に通っていることが最高の自慢になるはずだ。
その立ち上げに携われるのは、なんたる名誉! 我が商会は、歴史に名を残すぞ!!
しかし、オーヴォ卿。
貴方は社交界の好みをまだ計り知れてないご様子。ここは、さり気なく教えて私の有能さを訴えておくかな)
「セイジュ様、少しだけよろしいでしょうか?」
「はい。どうしました、ボルニーさん?」
「どの商品に関して素晴らしいの一言ですが。容れ物をもっと派手にしてみませんか?」
「派手にですか?」
(先を越された!! この男さっきから黙っていたが、まさか気付いていたのか!?)
「セイジュ様の性格上でしょうか……どれも洗練された落ち着きのある意匠ですが、社交界は目立つことが重要な側面もあります」
「そ! そ! それについては私も同じ意見です!」
「おぉ! ネゴシアン様も気付いておられましたか? 流石は王宮の御用商会だ」
「貴族のご婦人達の殆どは、派手な形や色を好みます。我がネゴシアン商会でも、派手な物が売れる傾向があります。ここは、派手な容れ物も作っておいた方が良いでしょう」
「成程。中身は同じでも、容れ物で選択肢を与えるわけか……良い考えですね。こういった形はどうですか?」
(は? 今のは『アイテムボックス』か? 一瞬で作り上げたガラス細工は見事としか言えぬ。
オーヴォ卿は優れた魔導士だと聞いていたが、これは最早奇跡だ)
「す、す、素晴らしい! なんて綺麗な意匠だ! これだけでも価値は計り知れない。オーヴォ卿、こんな物を贈られたらご婦人達はイチコロですぞ!!」
「ハハッ。でも、ガラスなので割れないよう硬化魔法も付与しておきましょう」
(これだ! この感覚。新しい物に出会った時のドキドキ、遠の昔に置き忘れたと思っていた興奮。
私は今天啓を受けた。オーヴォ卿に付いていくこと……残りの人生は全て化粧品屋に捧げよう。
これこそ、商人の誉れなり――)
「お待ち~。あーし特製のお茶が入ったし~」
「丁度良い頃合いですし、休憩にしましょうか? ありがとう、ツクヨミ」
(あのメイドいつの間に部屋から出ていた? いや、歳柄にもなく今日は興奮し過ぎたからな。気付かなかったのだろう。
それにしても、この紅茶も美味い。
『人は見かけによらない』と言われているが、彼女も最高のメイドなのだな)
「ほう? ツクヨミ様、また腕を上げましたな?」
「ま? セギュールじぃじにそう言ってもらえると、マジやばたにえんだし」
「本当ですよ。これならブリオン陛下に出しても、何ら問題もございません」
(ブリオン前陛下? 思い出した! セギュール殿は、ブリオン前国王陛下の専属執事……なぜこの屋敷で働いている!? 本当に驚かされることばかりだ……
ハハッ……もう夕方か。
休憩後のことなど、ほぼ覚えていない。
まさか、隣の男がボルニー・リッジビューだったとは。奴まで王都に引っ張り込んでくるとは、大成功が約束されたようなものだぞ。
いや、今日は本当に充実した一日だった。
家族や商会の者達に、良い土産話ができた。
世界は広いな。まだまだ、私の知らない物や知らない知識がある。
素晴らしい伯爵家の跡地にに素晴らしい男爵家。この奇跡を噛み締めて帰ろう)
「――なんじゃ? ラスコンブの坊主じゃないか。久しいのぅ?」
「へ? ヒ、ヒ、ヒルリアン様!? 何故ここに!?」
「何故も何も、我はここに住んでおるからに決まっておろぅ」
「ほ、本当でございますか!?」
「あぁ、そうじゃ。因みにエルミアも住んでおるし、先日からセレスも住み始めたのじゃ? それに後三年もすれば、シルフィーも住むのぅ」
「ハハッ……もう滅茶苦茶だ……」
「なーっはっはっは! 面白いじゃろ? これからも、坊やの力になってやってほしいのじゃ。任せたぞ!」
(やっぱり、これは夢か?
ヒルリアン様にまで頼りにされた……私の生涯で最も驚いた日。
今日の出来事を綴ろう。夢ではなかったと言う、証明の為に――)
【5話毎御礼】
いつも貴重なお時間頂きありがとうございます。
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