帰郷、母性と喧騒
――商業国家ロンディアまでの護衛、セレスさんとの買い物、ディグビーさんとの晩餐や取引。
依頼を受けてから、二週間くらいは経っただろうか?
セレスさんや数人の仲間と王都を目指す。
――と言っても、行きと比べれば余裕過ぎた。
全員が実力者で、護衛対象も居ない。
肉体強化魔法で渓谷や石林を速攻で駆け抜ける。
王都付近の草原で一泊しながら、次の日には帰ってきた。
「う~ん、香かぐわしきかな我が故郷、ラトゥール王国王都。皆さん無事に帰って来ましたね」
「何だそれ? ディグビーの真似かよ、ぷぷっ」
市壁の検問を通り抜け、久々の王都だ。
広い大通りと密集した建物。
その先には白亜の城がそびえ、ロンディアとは違った趣がある。
随分懐かしく思ってしまいディグビーさんの声色を真似すると、セレスさんは笑い声を上げた。
「セレスティアにセイジュさん……依頼達成……お疲れ様……セレスティア……セイジュさんに……悪いこと教えてないよね……?」
「ユーグならともかく、アタシが教えるわけないだろ!? まぁ、コイツも乗り越えるべき所は乗り越えた。多分もう大丈夫だと思うからよ、色々依頼回してやってくれ」
「そう……セイジュさん……辛かっただろうけど……これからも頑張って……ギルド員皆が……セイジュさんに期待している……」
乗り越えるべき所……つまりは、悪人を相手にした依頼か。
まだ100パーセント割り切れた訳ではない。
しかし、この世界に生きる人間として、A級冒険者として頑張っていくつもりだ。
「はい、ありがとうございます。あ? そうだ、ルリさんこれどうぞ」
「これは……?」
俺は、ルリさんにかんざしを差し出した。
お米を売ってくれた店にあった、和風の髪飾り。
群青色で市松模様のそれは、彼女の黒髪に似合うだろう。
「ロンディアで買ったお土産です。ルリさんの群青色の瞳と一緒で、黒髪に似合うかと。いつもお世話になっているお礼です」
「あ……ありが…とう……」
「へぇ~、オマエも抜け目ないな~。お姫様やエルミアに言ってやろ~?」
「ち! 違います! ちゃんと皆さんにもお土産あります!」
急に姉御風を吹かせ囃し立てるが、これ以上乗ったら負けだ。
おとなしく依頼報告を済ませギルドを後にした。
「うっし! 遠征お疲れ、今日はゆっくり休めよ!」
「はい! 色々ありがとうございました。手伝える依頼あったら、またお願いします」
貴族街、大噴水の前でセレスさんと分かれる。
直ぐ近くに俺の屋敷が見えた。
鈍い銀色の柵の向こうには、手入れをされた庭園に噴水。
その正門を潜り石畳を進む。
あれ? おかしな雰囲気だ。
いつもなら庭番や門番がいるはずだが、誰もいない。
微かな魔素を感じるのは、隠蔽魔法のせいだろうか?
「こんな芸当できるのは、あの人しかいないと思うけど?」
凛とさえ感じる空間を歩き、玄関の扉を開ける。
吹き抜けの玄関ホールは清々しく、迷い込んだ小風が待人のスカートを揺らした。
「おかえりなのじゃ、坊や」
エメラルドグリーンの髪筋に、翠玉と菫色の瞳。
微笑みは慈愛に溢れ、紡ぎ出された言葉が甘く溶け入るように響く。
黄金比を体現した曲線美――いつものように自分の肘を持ちながら腕を組む、美の頂点が俺の帰宅を歓迎した。
「ただ今戻りました、ユグドラティエさん」
「うむ」
「聞いてください! ロンディアでいっぱい食材を仕入れたんですよ! これで――」
「坊や、違うじゃろ……?」
ユグドラティエさんの顔を見た俺は、嬉しくなって真っ先に仕入れた食材を報告しようとする。
しかし、彼女は嬉しそうに駆け寄る俺に少しだけ困った顔をしながらも、違うと諭した。
あ……そうか。
人払いをしているのは……冷静を取り戻し、彼女の前で俯く。
180センチ近い彼女と13歳の俺では、その差が大きい。
「初めて人を殺しました……」
「そうかそうか」
「セレスさんにぶっ叩かれて、怒られました……」
「そうかそうか。坊やは、幸せ者じゃな。本気で叱ってくれる友人がおる」
彼女は、俺の独白を静かに聞いてくれる。
言葉足らずの説明も、彼女にとっては造作もない。
「じゃが、坊やは悪人を斬っただけじゃろ? お尋ね者や犯罪者を殺しても、この国では罪に問われん。自分を罰する必要はないのじゃ」
「そうなんです。確かに、罰せられるべき者を殺しました。でも、僕はその人を『モノ』として斬りました。己の暴威をかざし、力を誇示するように、感情のままに殺し尽くしました。あまつさえ、その力に酔い笑ってしまいました。それが、セレスさんを怒らせたのです……ひとえに、自分の精神的弱さが引き起こした結果だと思います」
「そうかそうか」
俺の肩に手を置いたユグドラティエさんは、そっと抱き寄せる。
柔らかい双丘に白檀の香り。
包み込む優しさに溺れてしまいそうだ。
「坊や、これだけは言っておくのじゃ。『転生者』の多くは、その年齢に精神を引っ張られる。坊やの精神年齢が達観した大人でも、否が応に13歳の精神性に近づいておるのじゃよ。じゃから、力を誇示したことも、激情に呑まれたことも年相応というわけじゃ。勿論、セレスもその幼さに気付いておる。坊や、時には甘えることも必要じゃ。お主はまだ子供。張り詰めたままでは、いつか切れてしまう。今は唯甘えておくのじゃ……」
慈しむ声に甘え、初めて自分から彼女の細腰に腕を回した。
母に甘える子供のように、瞳を閉じ強く抱きしめる。
「やれやれ……世話の掛かる坊やじゃな」
頭を撫でられ、彼女の愛情を享受し数分。
周りから魔素が薄れる感覚、白昼夢の如き極楽は終わりを告げた。
「あれ? セイジュ様! いつの間にお戻りに! 申し訳ございません、お出迎えもせずに!」
隠蔽魔法は完全に解かれ、俺達に気付いたメイドが声を荒げた。
「いや~、すまんのじゃ。坊やをビックリさせたくてのぅ? 一芝居打ったのじゃよ」
「そうです。屋敷に帰ったら、誰もいなくてビックリしましたよ!」
ユグドラティエさんのフォローに乗っかって、メイド達を責めないようにする。
「皆さん、ただ今戻りました。僕が居ない間もお仕事ありがとうございます。お土産たっぷりありますよ」
「いやはや、ここまで完璧な隠蔽魔法。流石は、ヒルリアン様……おかえりなさいませ、セイジュ様」
「セギュールさんも、ありがとうございます。僕が留守の間に何か変わったことはありましたか?」
「いえ、それが……」
「そうそう、坊や。大事なことを言うの忘れ――」
俺の問いにセギュールさんは困惑気味。
ユグドラティエさんは満面の笑み……何か嫌な予感を感じつつ、詳細を聞こうとした瞬間、紅蓮の爆風が飛び込んできた。
「――ユーグの糞馬鹿野郎は居るかぁあああ!!!」
セレスさんの蹴り飛ばした扉は弾け飛び、真っ直ぐにユグドラティエさんに襲い掛かる。
彼女は指一本でそれを受け止め、爆風の襲来を笑顔で迎えた。
「テメェエエ、何てことしてくれてんだよ!? 屋敷に帰ったら寝室の物が全部ねぇし。話を聞いたら、ここに運んだだと!? ヒルリアンの権威をこんなことに使ってんじゃねぇえええ!!!」
「セレスティア落ち着けって! ププッ。俺達だってユグドラティエ様の命令には従うしかないんだよ。プププッ」
「ガーネット! オメェも笑ってんじゃねぇよ!!」
顔を真っ赤にしたセレスさん。
ガーネットさんも彼女を抑えようと必死だが、笑っていては逆効果だ。
あぁ……貴女もエルミアさんと同じ、被害者なのですね……
「おぉ! セレス待っておったのじゃ。お主の部屋は坊やの寝室の前。エルミアの部屋の左隣じゃぞ?」
「そんなこと聞いてねぇよ! 何てことしてんだよ!?」
「ん? いや、我とエルミアだけで坊や独占するのはどうかと思って、お主の部屋を用意しただけじゃぞ?」
「だから――ッ!!」
激怒するセレスさんをユグドラティエさんはおかまいなし。
「別にお主の屋敷は、ここから直ぐ近く。歩いて通えるじゃろ。いざとなったら、妹に家督を譲ればよかろぉ」
「え? セレスさんって、妹さんいらしたのですか?」
「あぁ、って言っても王都にはいねぇ。今はゲルマニアに留学中……ってそんなこと今は関係ねぇ!」
「まぁまぁ、セレス落ち着くのじゃ」
興奮する彼女にユグドラティエさんは近寄って、声を忍ばせた。
「セレス、この屋敷に住むのは良いことばかりじゃぞ? 先ず第一に、坊やの美味い飯が毎日食べ放題」
「ぐっ!」
「第二に、ワインや新作の酒も飲み放題。更に王宮でも味わえない極上の風呂もある」
「ぐぐっ!!」
「それにのぅ? 貴族街に卸す化粧品も使いたい放題じゃぞ? お主が最近密かに力をいれておる美容も、ここが最先端じゃぞ? 荒れた指先では、坊やはもうお手てを繋いでくれんかもしれんのぅ?」
「テメェ! また覗いてやがったな!?」
二人は何やらコソコソ話をしているが、多分セレスさんはまるめ込まれるだろうな……
「――あらあら? どうされましたの? 随分賑やかですわね」
彼女達の喧騒を割るように、涼やかな声が響く。
シルフィーとエルミアさんの登場である。
エルミアさんは、困った顔をしてシルフィーの後ろに立っていた。
「旦那様! おかえりなさいですわ。居ても立っても居られなくなって会いに来ましたの!」
「セイジュ君、おかえり。いや、キミの魔力を感じて殿下に言ったら抑えが利かなくなってしまってね。公務を放り出して会いに来たのだよ……」
嵐に次ぐ嵐の登場。
そうだったな……このドタバタこそ、故郷に帰ってきた証だ――




