ロンディア、手の温もり
――セレスさんに先輩冒険者としてのアドバイスをもらい、商隊は全員無事にリッジビュー商会まで帰ってきた。
彼から、依頼達成金をたっぷり貰い超高級宿に泊まっている。
男達は娼館に行ったようだが、成人前の俺は適当に過ごして翌朝を迎えた。
「――おーっす、セイジュ起きてるか~?」
「はーい。直ぐ出ます」
朝部屋で準備をしていると、セレスさんからお呼びが掛かった。
今日は、セレスさんと街を観光する予定だ。
扉を開けるとそこには、特級冒険者セレスではなく大公爵令嬢セレスティアさんが待っていた。
髪をおろして鎧を脱ぎ大剣も部屋に置いた、たおやかな女性。
決して華美にならず、自信と気品に満ち溢れた彼女を街の誰しもが振り返るだろう。
そんなセレスさんを、今日は独り占めさせてもらう。
「ロンディアには何回も来てるけどよ、どっか見たい場所とかあるか?」
「そうですねー、やっぱり市場でしょうか? それも食材が豊富な所が良いです」
「だったら海岸沿いの市場だな。あそこには、取れ立ての海産物や貿易品の食材が沢山並んでいる。オマエの望む物もあるかもだぞ」
「本当ですか!? いやぁ、魚介類も買えたら料理の幅が広がります!」
宿前の水路からゴンドラに乗った。
この街では移動に水路を使うことが多く、馬車は殆ど普及していないらしい。
ゴンドラに先に乗ったセレスさんから、手を差し伸べられる。
その手を取って俺も乗ったが、普通逆では? っと思い、はにかんでしまった。
海水をそのまま使った水路は透明度が高く、仄かに潮の匂いもする。
水温は温かく、セレスさんは水面に手を遊ばせながら時折俺に向かってピッと弾き掛けた。
「ハハッ! お二人とも仲が良いですね。ご姉弟ですか?」
ゴンドラを漕ぐ船頭が笑顔で尋ねる。
「いや、アタシ達は姉弟じゃない。冒険者仲間さ。コイツもこう見えて強いんだぜ? 昨日もリッジビュー商会を王都から護衛してきた」
「リッジビュー商会!! 本当ですか? この国でも最高級の商会ですよ。俺達庶民にとっては高嶺の花だ」
「おうよ! それに、行きがけの駄賃で毒婦ブショネも打ち取ったんだ。自慢の仲間だよ!」
セレスさんは、上機嫌で俺の紹介をしている。
殺し方は間違っていたが、『殺人』を乗り越えた俺をセレスさんは仲間と言ってくれた。
その言葉が何より嬉しく、勇気付けられた。
「うっひゃ~、ブショネって言えば渓谷を根城にしてた高額賞金首だ。ギルドも手を焼いてたみたいだし、坊ちゃん凄いな! で、その坊ちゃんがお嬢さんの未来の旦那なわけだ?」
「ち! ちげぇよ!! 何でそうなるんだよ!」
突拍子もない話題変更に、セレスさんは真っ向から否定する。
真っ赤になって前髪を直しながらそっぽを向いた。
「ん~? まぁ、そういうことにしときますよ? っと申し訳ない!」
「きゃ!」
「セレスさん!!」
突然ゴンドラは、何かに引っ掛かったように左右に揺れる。
不意を突かれたセレスさんは、短い悲鳴と共に体勢を崩した。
咄嗟に手を掴み引っ張ると、思った以上に力が入り彼女を抱きかかえるように助けていた。
いつもとは逆だ。
胸元に頭を押し付けたセレスさんが俺を見上げる。
紅潮した頰にサラサラと広がる髪。
深い紫の瞳に吸い込まれてしまう。
「って、わりぃ……助かった、ありがと……」
「い、いえ……すいません急に」
ガバっと離れたセレスさんは、乱れた服と髪を直しながら照れくさそうに答えた。
少しだけ気まずい沈黙の中、船頭は呟く。
「本当に仲が良い。そして、坊ちゃんはとても紳士だ。着きましたよ」
――ゴンドラから降りた目の前には、市場が広がっていた。
所狭しと並ぶテント。
木箱の中には生鮮食品や武器に魔道具、アクセサリーなど多種多様だ。
活気のある声が、行き交う人の往来が熱気の波となって押し寄せる。
「凄い、凄い! セレスさん見てください。豊穣の森でも見たことがない果物や薬草がいっぱいです! 何ですか、あの変な魔道具は?」
「ハハッ。そんな急がなくたって、物は逃げやしねぇよ。そうやって、無邪気に笑ってりゃ年相応に見えるんだけどな~」
「あ!! 見つけました! 海産物ですよ、セレスさん。ほら、こっちです!」
「ちょ!! オマエ、手……」
セレスさんは、呆れながらも付いてきてくれる。
遂に海産物を見つけてテンションマックスになった俺は、無意識に彼女の手を握って案内した。
「見てください、魚にエビやカニも! 貝まである」
「……う…うん……」
「こいつらを焼いたり煮たりしたら、凄い美味しいんですよ!? 楽しみだな~、王都に帰ったらご馳走しますね!」
「……う…うん……」
「あれ、セレスさん? どうしました……?」
「……う…うん……これ……」
彼女は、繋がれた手と手を指さして俯いている。
いつの間にかしっかり絡まった指が、彼女を無言にさせたのだ。
「す! す! すみません!」
「……う…うん……」
急いで手を離す。
しかし、お互いの温もりが残る手をどうしても意識してしまう。
またまた気まずい雰囲気になった瞬間、セレスさんは自分の頬をパチンと叩いて気合を入れた。
「セイジュ、今日だけ! 今日だけだかんな!」
「へ?」
そう言った彼女は、再び俺と手を繋ぐ。
傍から見れば、仲の良い姉弟に見えるかもしれない。
でも、今はそんなこと関係ない。
今度はお互いの歩幅を合わせ、ゆっくり市場を巡った。
自分の『アイテムボックス』にない食材や薬草を手当たり次第買ったところで、お昼になった。
「おいおい、買い過ぎじゃねぇか? ユーグやセギュールにも、財布の紐は締めとけって言われただろ?」
「えへへ。珍しい物ばかりだったので、買っちゃいました……」
市場から直ぐ近くのレストラン。
全席オープンテラスのテーブルからは、海が一望できる。
青く広がる海には漁をする小船や、大きな貿易船が停泊していた。
それに潮騒と波風、入道雲がどこか懐かしい風景を思い出させる。
「でも、まだ見つかってない物があるんですよ」
「まだあんのかよ!?」
「はい。米って言う穀物の一種なのですが……あったら良いな~」
「ここに無いってことは難しいかもな? 帰る前にディグビーに聞いてみるのも良いぞ」
そう――米である。
豊穣の森にもなかった、日本人の心。
この市場ならあるかと期待していたが、未だ見つけられずにいた。
昼飯を終えた俺達は、さっきと逆側の市場を巡る。
再び繋がれた手と手。
どちらからとも言わず、自然な形で握られていた。
「てか、アタシと手繋いでも硬くてゴツゴツしてるだけだろ?」
「え? そうですか? 確かに歴戦の力強さは感じますが、しなやかで実に女性らしい手だと思いますよ。 僕は、こういう手好きですよ?」
セレスさんの言う通り、彼女の指は長年の冒険者生活で皮が厚くなり、普通の女性と比べたらゴツいかもしれない。
しかし、それが彼女の魅力であり力強さの象徴なのだ。
「でも、ちょっと荒れてますね。今度の化粧品屋で『ハンドクリーム』って言うのを出そうと思ってます。セレスさんにもお渡ししますね!」
「ったく、またオマエはそうやって不意打ちをしやがる……」
自分から出した話題に、カウンターを食らったセレスティア。
女性らしくないと思っていた手を、セイジュは好きだと言ってくれた。
恥ずかしさで離したくなるが、勇気を出してちょっとだけ強く握り返した……
反対側の市場は、よりディープな世界だ。
ジャンク品の魔道具に劇物の薬品、何の肉か分からない物まで、普通の人なら立ち入らない空気が漂っていた。
その中に個性的なテントを見つけた。
四角い柄が並んだ亀甲紋。
足元には提灯のような物や、魔物を模したお面、そして作務衣を着た男が店番をしている。
「いらっしゃい、坊主に綺麗な嬢ちゃん。冷やかしなら帰ってくれや」
店主はキセルの紫煙を燻らせ、やる気なさげだ。
「いえ、ここなら僕の欲しい物がありそうな気がして……」
「坊主の欲しい物?」
「はい。お米って売ってないですか?」
「お米って、穀物の米のことか? だったら、その袋の中見てみろよ」
ビンゴだ!
どこか日本文化を異世界流にアレンジした商材。
店主の格好も同郷を感じさせる。
袋の中を見ると、籾がブラウンに輝いていた。
「にしても、米なんてよく知ってるな? 折角、遠路はるばる来たのによ? この国の奴らは、『味がない』とか『パンの方が美味い』とかぬかしやがる。他の商品も全く売れないし、そろそろ国に帰る――」
「買います! 在庫全部ください」
「は?」
「だから、このお米全部売ってください。在庫もあるのでしたら、それも買います」
「は? って熱――ッ!!」
突然の提案に驚いた店主は、咥えていたキセルを手に落とし声を荒げた。
「坊主、在庫全部って言ってるが港の倉庫にいっぱいにあるぞ? 大丈夫かよ?」
「勿論、大丈夫です。こう見えても貴族ですし、『アイテムボックス』もあるので腐ることはありません。是非、売ってください!」
「男に二言はねぇな? だったら売ってやらぁ! ついて来い!!」
店主に案内され港の倉庫に到着。
そこには、大量の籾が入った袋があった。
即金で金を払い、全て『アイテムボックス』に収納。
これで、明日から念願の米料理が食べれるぞ。
「うぉおお! 坊主、ありがとうな! これでまだまだ商売が続けられそうだ」
「いえいえ。失礼ですが、出身は別大陸ですか?」
「あぁ、そうだ。この国からもっと西、気が遠くなるぐらい西に行った島国が俺の故郷だ。貿易も数年に一回。それこそ命懸けだ」
「別大陸は独自の文化が多いって聞くし、こっちとは好みが違うんだな。良かったな、セイジュ。目当て物が手に入って」
「はい。ありがとうございます」
店主と分かれ、市場の入口まで戻ってきた。
日は傾きかけ良い頃合いだ。
「セレスさん、今日はありがとうございました。欲しい物は手に入ったし、何よりセレスさんと出かけられたのが嬉しかったです」
「あぁ、アタシもオマエの無邪気な反応が見れて楽しかったぞ。あ…後! 手を繋いで回ったことはユーグやエルミアに内緒だぞ……?」
「は…はい。分かりました。すいません、なんか……」
「ばっか…謝ってんじゃねぇ…よ……」
「「……」」
思い出したかのように、手を繋いで回ったことを意識してしまう。
お互いが赤くなって、言葉を待つ俺達に第三者から声が掛かった。
「セレス様にセイジュ様とお見受け致します」
「ん? そうだけどよ、誰だ?」
「リッジビュー商会ディグビー様より、晩餐のお迎えにあがりました――」




