ロンディアへ、盗賊団襲撃
――商業国家ロンディアへ向かう商隊。
その護衛として俺達は同行している。
平和な草原を抜け、石林も突破。
そして、目の前には最後の難関切り立った渓谷が見えた。
斥候が言うには、中で盗賊団が待ち構えているらしい。
俺達は、準備万端で挑む。
――全員の準備ができたところで、渓谷に足を踏み入れた。
両サイドには、切り立った崖。
昔は川が流れていたのだろう。
グネグネとねじ曲がった道を進む。
道の広さは十分余裕があるが、むき出しの岩が太陽光を阻み薄暗い場所もあった。
ところどころで視線を感じる。
盗賊団の斥候か? 『ライブラリ』の『シェリ』に頼らなくても、ツクヨミにだって、魔法さえ必要ない。
ネットリとした、こちらを値踏みする悪意ある視線。
彼らは、獲物の登場を喜んで報告に行くだろう。
「セレスさん……見られてます……」
「あぁ、安心しろ。今はまだ襲ってこねぇよ。来るなら今夜。闇に紛れて襲撃してくる筈だ」
今日も俺は、彼女の前に跨り先頭集団を行く。
ディグビーさんも昨日までの笑みは消え、瞳だけ左右に動かし辺りを警戒している様子だ。
「いや~、相変わらずここは緊張しますな~。勿論、セレス殿達がいますから大丈夫だと思います。この程度の緊張感、伯爵や公爵相手の商談と比べたら可愛いもんですわい」
「お? 旦那様の十八番、儲け話の為なら危険な場所でも自ら飛び込む武勇伝が出ますかな?」
「いよ! 頭取! 冒険者の方々にも聞かせてやってくださいよ。商人には商人の冒険譚があるって!」
漂う緊張感を解す為だろう。
彼は芝居じみた口調で話し始めた。
それに呼応するように周りの商人も声を上げ、仲間を奮い立たせる。
どうせ、もう盗賊には見つかっている。
だったら、警戒しつつも楽しく行くのが彼らだ。
――運命の夜。
夜の帳は落ち、闇が支配する。
夜空には満天の星々のはずだが、渓谷に挟まれた空では光の恵みも届かない。
商人達は襲撃に備え煌々と篝火をたく。
冒険者も自分達の武器を入念にチェックし、いつでも戦いの準備はできていた。
「来たか……」
「悪意アル者達ガ接近シテイマス。距離オヨソ3km」 「セイジュ、敵が来たよ」
広げた探査魔法に盗賊団の影が浮かんだ瞬間、『シェリ』もツクヨミも同時に警告する。
「セイジュ、どうするし? あーしが殺ってくりゅ?」
「いや、いつかは通らないと行けない道だ。俺が殺るよ。もしかしたら、呼ぶかもしれないからその時はよろしく」
「りょ!」
俺は直ぐにセレスさんを呼びに行く。
近くの岩に座っている彼女の後ろ姿を見掛け、手を伸ばすとバチっと静電気がほどばしった。
「セレスさん、敵が来ます」
「あぁ……オマエも気付いていたか? 探査魔法さまさまだな」
「セレスさんも敵の接近が分かるのですか?」
「まぁな。風に乗った血と脂のすえた臭い。それに、肌を刺すような殺気がどんどん近づいてきてやがる」
彼女は、既に覚悟を決めた戦士の顔になっていた。
滲み出る闘気が、チリチリと彼女の髪を揺らす。
セレスさんと一緒に戦うのは、出会ったばかりの頃に受けた依頼以来だ。
全てを吹き飛ばす曼珠沙華の爆風、『三華扇』の一人。
今宵の勝利は揺るがない。
「よし、アタシ達は前に出る。セイジュ、オマエは商人達を護衛してくれ。ヤツラは火矢を使うかもしれない。積み荷が燃えない様に警戒しろ」
「分かりました」
「もしかしたら、打ち逃したヤツがそっちに行くかもしれない……その時は頼んだぞ」
「はい……」
前衛と別れて数分後、前方で叫び声と金属音が鳴り響く。
戦いが始まったようだ。
――前門の虎。
セレスティアの周りに死体が積み上がる頃、彼女の前に大男が立ちふさがる。
2メートルはあろうかと言う巨体に、彼女の物より大きい剣を片手で持ち上げていた。
「赤髪に大剣……その強さ。お前が特級のセレスだな……?」
「ハッ! 生憎アタシにはオークの知り合いはいないよ」
「ぬかせ。聞いてた以上に上玉じゃねぇかよ? 決めた、お前はロンディアの娼館に売り飛ばすことにした。安心しろ、一緒に来た女どもも仲良く売ってやるからよ。勿論、俺達全員が楽しんだ後にな!」
大男は下劣な笑みを浮かべ、舌なめずりをする。
「ゲスが……宣言してやる。オマエはアタシに指一本触れることなく死ぬ」
「寝言は寝てから言えやぁあああ――ッ!!!」
ごとり――大男は、初めて自分の首が地面に落ちる音を聞いた。
自分さえ何が起こったか分からない。
大きく振りかぶった自分の身体を、訳も分からず自分が見上げていた。
閃光の初撃は、あたかも流星のように大男の首を駆け抜ける。
ガーネットの一件を乗り越えたセレスティアに、もはや一部の隙もない。
精神的に解放され、肉体からは無駄な力が抜けた。
彼女は、今まさに武の極致に手が届きかけている。
そもそも、山賊のような盗賊ごときがセレスティアに敵うはずがない。
彼女が本気を出せば、彼女一人で商隊全員を守ることだってできる。
あくまで、仲間を同行させたのは彼らに経験と食い扶持を与える為だった。
「姉さん、こいつお尋ね者ですぜ?」
「そうか、だったらその首ロンディアのギルドに持っていきな。よし! オマエら深追いはするな。商人達の警護が最優先だ!」
呆気に取られたまま死んだ大男の首を見向きもせず、セレスティアは後衛に急いだ。
――後門の狼。
商人達の守備を命じられた俺は、彼らに防御魔法を掛ける。
この魔法があれば、弓や投石から身を守ることができる。
時々積み荷に火矢が飛んでくるが、即座に水魔法で消したおかげで被害はゼロだ。
大丈夫。
このままここを守っておけば、解決は時間の問題だ。
「――こんばんは、坊や。良い夜ね」
燦々と燃え上がる篝火の陽炎を割りながら、ゆらりと女が一人。
顔には特徴的なタトゥーが刻まれ、足音一つ立てず俺達の前に現れた。
隠蔽魔法か!?
「火の手が全然回らないから来てみたのだけど……可愛い魔導士さんね。それにしても、坊や綺麗な顔をしているわね。そうねぇ……男娼はどうかしら? 良いお店があるから、お姉さんが連れて行ってあげるわ」
「頭取! その女は、毒婦ブショネだ。お尋ね者で懸賞金が掛かってる!」
「あら? 私のことを知ってるの? なら、話が早いわ。命が惜しかったら、女子供、積み荷と身包み全て置いて消えなさい。運が良ければ、逃げ切れるかもよ?」
邪悪――ユグドラティエさんと同じように俺を坊やと呼ぶが、人を人と扱わない目も、邪知を吹き出す口も、全てが不愉快の塊だ。
「残念ですが、それはできません。僕は冒険者ですから。彼らを守る義務がある」
「そう、残念ね……安心して、顔は傷つけないわ。でも、逃げられないよう足の腱は切っておこうかしら」
女は二本の剣を抜き対峙する。
俺も短剣を取り出し、低く構えた。
篝火に巻き上げられた落ち葉が俺達の中心に舞ったその刹那、女が飛びかかる。
遅い……遅すぎる。
スローモーションでも見ている感じだ。
『神』の最高傑作たる俺が、普通の人間に負けるはずがない。
一振りで女の剣を弾き飛ばし、喉元に短剣を突き立てれば終了だ。
何百、何千とやってきた動作――森の魔物を倒してきた必殺のメソッド。
今日の騒動もこれにて閉幕。
――あれ?
確かに、俺は女の喉元に短剣を突き立てたはず。
なのに現実は、女の首筋を薄皮一枚斬り裂いただけだった。
「クックック……プハハハ……クハッハッハ――ッ!! 坊や強いのね? お姉さんビックリしちゃった。でも残念、私は生きている。坊や、人を殺したことがないのでしょう? 決心の鈍った刃が、千載一遇の勝機を逃したの。そんなに震えちゃって、お可愛いこと……」
俺が震えている?
この女は何を言っている……しかし、手を見ると確かに震えていた。
転生しても、魂の裏に刻まれた『殺人』という禁忌。
元の世界の賜物か……倫理観が、道徳観が、法律が。
こと日本人という、世界でも稀に見る『殺人』からかけ離れた民族が――
まるで呪いのように『人』を殺すなと俺を縛り付けた。
「坊や、もう良いでしょう。おとなしく私の下に来なさいな。そうそう……坊やには家族がいるかしら?」
家族? この世界に来て俺に家族などいない。
でもその問いかけを聞いた時、ユグドラティエさんやエルミアさん、そしてシルフィーに屋敷の使用人達の顔が思い浮かんだ。
「できれば妹ちゃん、お姉ちゃんでも良いわ。坊やの顔に似てさぞかし綺麗でしょうね? 坊やをだしに使っておびき寄せるのはどうかしら? そう言えば、身なりも整ってるわね? 両親は坊やを助ける為に、いくら金貨を積んでくれるかしら? まだあるわよ――?」
延々と、俺からどれだけ利益が取れるか算段する女。
怖気が走る――なんと醜悪なのだ。
こんな『モノ』が『人』であろうか? いや、それはない。
こんな『モノ』が『人』であってはならない。
ならば、ならばこそ鋼の誅を下すが世の定……
「ねぇ、坊や? 聞いてるかしら? 早くこっちへいらっしゃい……」
女の姿をした『モノ』が、何かを語りかけながら俺に右手を伸ばす。
――だから、だからこそ全身全霊を持ってその腕を切り飛ばした。
裁きの初撃――人を攫う右手を許してはならぬ。
音速を超える一撃は、『モノ』の右腕を遥か上空へ切り飛ばす。
グルグルと宙を舞う腕と、切り裂かれた肩口から生暖かい鮮血が俺の顔に降り注いだ。
何を考えている? こんな『モノ』は血ではない。
夜露が顔に掛かっただけだ。
「え? ちょ……私の腕が……私の腕がぁああ!!」
『モノ』が何かを宣うが、もはや俺には届きはしない。
異常さに気付いた『モノ』は俺から距離を取ろうと後ずさりをする。
しかし、その影からツクヨミの手が足を掴んだ。
「な!? 動けない……」
断罪の追撃――略奪を企てる左手は須らく滅ぶべし。
二度とその手が物を掴めぬように、16分割の輪切りに変えた。
指先から肩口まで、寸分違わない肉塊が『モノ』の目の前に轡を並べる。
「ぎゃぁあああ――ッ!!!」
本来ならショック死、出血多量で死んでいてもおかしくない。
だが、ツクヨミがそれを許さない。
闇魔法で無理矢理生かされ、脳内はクリア。
痛覚は何倍も増幅され、悠久の拷問が『モノ』の身体を苛む。
「セイジュの心をかき乱してんじゃねーし、ゴミくずが」
誅滅の抱擁――大切な人に這いよる脚は総じて無用。
両足に絡みつくツクヨミは、ほんの少しだけ力を込める。
ゴキゴキと骨の砕ける音と、肉から裂け出た骨が物理法則を無視して歪な造形を作り上げた。
「ゴボォ……おね…がい……もう……殺して……」
血と泡を噴き出す口が何かを懇願している。
されど、ノイズはかき消されるのみ。
終審の一閃――悪徳を語る口は塞ぐが道理。
首筋に短剣を沿わせ、ゆっくりゆっくりと刃をめり込ませた。
己の悪行を懺悔させるように、事切れるその時まで、決してこの『モノ』の存在を許してはいけない。
――阿鼻叫喚の形相が地に落ちた時、俺は役目を完遂した。
狂気と高揚と達成感が俺を包み、図らずとも悪辣に口元を歪めてしまう。
「おい! 皆無事か? って、こいつはひでぇな……」
「ひぃ!!」
前線から戻ってきた冒険者達は戦慄した。
バラバラの死体に、血まみれでほくそ笑む俺。
誰が見たって異常だ。
商人達も言葉を失い、辺りはシンと静まり返っている。
その中で、セレスさんは無言で俺に近づいた。
「セイジュ……これはオマエがやったのか?」
「はい、そうです。初めてにしては上出来でしょ?」
俺は、口の端を最大まで吊り上げて満足げに報告する。
彼女は静かに目を閉じ、意を決してその目を見開いた。
バシン――ッ!! っと虚空に乾いた音が炸裂する。
彼女の振りぬいた手が、俺のを頬を思いっきり叩いたのだ――




