ユグドラシル⑤、乙女達はかく語りき
――墓標の前でセイジュとユグドラティエが人間賛美をしている一方、シルフィードと『精霊王』ティルタニアは『ユグドラシル』上空の枝にいた。
「――どうだシルフィード、ここは良い眺めであろう?」
「ティルタニア様、ここはどこなのでしょう?」
「ここは、『ユグドラシル』遥か上空の枝。妾と妾の君、そしてユグドラティエにとって大切な場所ぞ」
枝と呼ぶにはあまりに太く、切り出されテーブルやソファーは芸術品に昇華している。
眼前には、果てしなく広がる緑と青の地平線。
萌える原初の緑と広がる不動の青、照り付ける永遠の赤。
王だけに許された太古三原色の風景にシルフィードは息を呑んだ。
ティルタニアに促され、ソファーの真ん中にシルフィードは座る。
「素晴らしい眺めですわ……」
「そうであろう? ちなみに、妾の君もそこに座ってこの景色を愛でておったぞ」
「えぇ!!?? 初代国王陛下が! 申し訳ありません!」
「よいよい、そのまま座っておれ。勧めたのは妾ぞ? こうやって、妾の君の左に妾、右にユグドラティエが座っておった」
急いで立とうとするシルフィードをティルタニアは止め、隣に座った。
彼女が隣に座ると予想より距離が近い。
これで右側にも誰かが座れば窮屈でないか?
もし、シルフィードが成人男性であったなら密着しそうなほど近い。
その隠された意味を推し量った時、彼女の頬は赤く染まった。
「……」
「そんなに、妾の君が正妻と霊廟に眠っていないのが不満か?」
「――ッ!」
お互い無言で地平線を眺めていると、不意にティルタニアから声が掛かった。
確かにシルフィードはアマツの不貞に若干の嫌悪感を感じていたが、まさか見抜かれているとは思っていなかった。
「シルフィード……そなたは勘違いをしておる。妾の君の正妻は誰ぞ?」
「それは……サスキア初代王妃陛下ですわ……」
「本当に愛いのうシルフィード。歴史に勤勉なことは良いことぞ。いつから、その小娘が妾の君の正妻だと記されておった? 良いか? シルフィード。妾の君は、正妻と眠りたくとも眠れんのだ」
「それは、どういう意味ですの?」
「聡明なそなたなら薄々気付いておろう? 妾とユグドラティエはアマツと愛し合っておった。妾達こそアマツの正妻。だが妾達は死なんし、人と子をなすこともできん。だから、形式上小娘に正妻の座を譲ったのだ」
――『勇者』の英雄譚には、『勇者』は『ユグドラシル』と『精霊王』の祝福を受け、彼の冒険は続くとある。
そして、その冒険を献身的にサポートしたのが莫逆の友サスキアであり、後の初代王妃である。
しかし、いつから『勇者』の冒険が二人旅だと記されていた? 祝福とは何か?
祝福こそ、彼女達の同行であり、四人パーティーが真実。
そう考えれば、ユグドラティエが王国に居座り続ける理由が見えてくる。
彼女は、アマツに王国の安寧を頼まれていたのだ。
「これが、妾の君がここで眠る理由ぞ。勿論、小娘も了承しておる。霊廟にある骨は仮初にすぎん」
「そうでしたのね……」
「――おいおい、シルフィーをいじめるのもその辺にしておくのじゃ」
声と共にユグドラティエも現れる。
現れると言うよりは、その場に発生したが近い。
当たり前のように、シルフィードの隣に座っていた。
「なんぞ? ユグドラティエ。狂犬の世話はどうした?」
「坊やなら下におるのじゃ。しばらく一人にさせておいた方がよかろぅ」
「ユグドラティエ様、旦那様と何かありましたの?」
「うむ、おいおい坊やから聞くと良いのじゃ。我の口からは言えんのじゃ」
かの『勇者』と正妻達が共に過ごした特別な場所。
そこに座るのは彼でなくシルフィード。
特異な状況と色々な感情が混じり合い、シルフィードはパンク寸前だ。
「ほれ、坊やからの差し入れじゃ。とりあえず、食べて仕切り直しといくのじゃ」
ユグドラティエは、セイジュから預かった差し入れをテーブルに並べた。
軽食からスイーツ、紅茶やワインまで魅惑的な物が並ぶ。
「ほう? 美味いな」
「じゃろ?」
「やっぱり、旦那様の料理は最高ですわ!」
本来、精霊は食事を必要としないが、ティルタニアも嗜む程度に付き合う。
そんな彼女もユグドラティエから差し出されたワインを飲んだ時、思わず声を漏らした。
「ところでティルタニア、どうしてここにシルフィーを連れてきたのじゃ? お主にとって、ここは墓以上に特別じゃろ?」
「なに、ほんの戯れぞ? 懐かしい黒髪と魔力の波動に当てられての、一度ゆっくりシルフィードと話がしたくなったのだ。のう? シルフィード……クハハッ! 狂犬の姫君は、まだ色気より食い気のようだ」
ティルタニアは、幸せそうにスイーツを食べるシルフィードを上機嫌に見守っていた。
「やれやれ、ここも変わっておらんのぅ。『ユグドラシル』を切り出して家具を作るなど、お主もアマツも無茶苦茶じゃ」
「ククッ! だが、その分ここは妾の全てぞ? 妾の君と過ごした日々は至高であった。全く……妾との契約を続けておれば悠久を生きられておったのに、勝手に人としての生を全うしよって……」
「ティルタニア様……愛しておられたのですね……」
「言ったはずぞ……」
ワイン片手にティルタニアは、虹色の目を細めため息混じりに呟いた。
「『精霊王』にここまで言わせるとは……初代国王陛下、『勇者』アマツ様、いったいどんなお方がだったのでしょう……」
「なんぞ? シルフィード。妾の君のことが知りたいのか? 何でも聞くがよいぞ。英雄譚本人から話が聞けるのは貴重ぞ?」
「シルフィー覚悟しておくのじゃ、こ奴はアマツのこととなると話が終わらんからのぅ」
「はは……陛下は英雄譚通りの高潔なお方だったのですか?」
「妾の君が高潔だと? 笑わせるでない。妾の君こそ獣ぞ? 圧倒的な力と魔法でねじ伏せる獣。数多の死体を築き上げ、激動の時代を駆け抜けた怪物、それが『勇者』アマツぞ。物語など所詮、希望的観測にすぎん」
「それでも、英雄譚では強きをくじき弱きを助けた、とありましたわ」
「確かに、妾の君は必要以上に弱き者を助けておったな。倫理、法律、合理性、道徳的な正しさ。さしずめ、正義の殉教者と言ったところか。あの時代においては常軌を逸していたぞ」
「じゃから、惚れたんじゃろ? お主は何だかんだ言いながら、手伝っておったのじゃ」」
「横槍を入れるでない! それは、ユグドラティエも一緒ぞ!」
意気揚々と話すティルタニアにユグドラティエが横槍を入れた。
しかし、笑顔で小突き合いながら思い出話をしている二人を見てシルフィードもつられて笑顔になってしまう。
「それにのう? 妾の君は上手かったぞ?」
「上手かった? 何がですの?」
「おい! ティルタニア、子供相手に止めるのじゃ」
「ユグドラティエ様! 私は子供ではありませんわ!」
「伽ぞ、伽!」
「と…ぎ……?」
「なんぞ? 分からんか。交尾ぞ、交尾! 性交!」
「――っん!! ティルタニア様、なんて破廉恥な!!」
ティルタニアの唐突な告白に、シルフィードは赤面してしまう。
先のシルフィードの妄想を読まれたかのような話題に、ユグドラティエの制止も役に立たなかった。
「なんぞ? 狂犬とはまだか? 人間の命は短いからのう。しっかり女を楽しめよ、シルフィード」
「ティ、ティ、ティルタニア様! からかうのは止してくださいまし! だ、だ、旦那様とは清い交際をしておりますの!」
「やれやれ……先が思いやれるのう。それに比べて、ユグドラティエは狡猾ぞ? 妾はこの領域を守り、こ奴は妾の君の国を守る。存分に、サスキアの小娘共々愛して貰ったのだろ?」
「ティルタニア! 変なことを言うでないのじゃ! 約束したじゃろ……? アマツとする時は、ここで一緒にと……」
「そんなこと聞きたくありませんの――ッ!!!」
降って湧いた猥談にシルフィードは耳を塞ぐ。
興味がないわけではない。
しかし、その話し相手が大人過ぎる二人ではロマンチックな空想が壊されそうだった。
「ハーッハッハッハ! 愛らしいのう、シルフィード。妾の君は、勇猛で実直、不屈で見苦しいほど不器用であったぞ。そなたの君はどうだ?」
「旦那様は、英明で献身、万能、だけどどこか儚げですわ。生き急いでいると言いますか……」
「然り! 強き者は生き急ぐが必定。シルフィード、狂犬の手綱をしっかり握っておけよ? あの狂犬は、簡単に死線を飛び越える。妾の君もそうであったようにな」
「はい!!」
「では、もうしばしお互いの君を自慢し合おうぞ? 今日は実に気分が良い」
そこからシルフィードは、『勇者』の話を色々聞いた。
その話は、英雄譚にあるような気高く真面目な物ではない。
失敗談や笑い話。
どこか泥臭くて『勇者』に人間味を感じる、まるで歴史の舞台裏を覗いているようだった。
――乙女が三人寄れば姦しい。
時間を忘れおしゃべりを楽しんだ三人の瞳には、茜色に燃える地平線が映りこむ。
「うむ、頃合いぞ。シルフィード、良き時間であった。そなたに与えた精霊は、じゃじゃ馬だが見事使いこなしてみせよ。精霊を通して、見守っておるからのう?」
「ありがとうございます! ティルタニア様、ユグドラティエ様」
「シルフィー、ここでの話は秘密なのじゃ……さすがに、恥ずかし過ぎじゃ」
「はい! 乙女達の秘密ですわね?」
「然り。さすれば、そろそろ下に降りるとするかのう。これ以上待たせたら、どこぞの狂犬に羽を齧られそうだわい」
セイジュがユグドラティエとの結びつきを強固にしたように、シルフィードもティルタニアとの信頼関係が深まった。
『勇者』を亡くし、退屈だったティルタニアもシルフィードと出会うことで、新たな楽しみを見つけた。
彼女は、シルフィードを来た時以上に優しく抱きかかえ、セイジュの待つ場所に舞い降りる――
【5話毎御礼】
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